仏様やお坊さんに悲しみはないのか
見つけてくださりありがとうございます。
だれか自分の身近な人,好きな人,愛する人が亡くなったら,仏様やお坊さんは悲しくないのでしょうか。
悲しみが苦しみの一つなら,お坊さんも仏様も苦しみから逃れる方法や考え方を知っているのではと思いました。もしそうなら,人が亡くなっても悲しみという苦しみから逃れられるため,悲しくないのではないかと思いました。しかし,そう思う反面,お坊さんでも仏様でも嫌なものは嫌なのかな,苦しいものは苦しいのかな,とも思います。
仏様も悲しいときは悲しいのでしょうか。人が亡くなっても安定していつもの仏様?でいらっしゃるのでしょうか。悲しくないのでしょうか。もしそうなら,ちょっと怖いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しみは当然あります。
死から逃れる方法や
悲しみから逃れる方法を
知っているわけではありません。
それらを受け入れられる方法を
知っているだけです。
四苦八苦を
悪いことダメなことと認識するから
逃れたくなるのです。
死も
死別の悲しみも
普通のこと当たり前のことと思えれば
逃れる必要は無いと
受け入れられるようになりませんか?
昨日葬儀がありご家族の方が泣いておられるのを見て私も涙がこぼれました。
お念仏も途中泣き声になりそうになって何度か声が詰まったりしました。
悲しい時は悲しいですよ。
でも、だからこそ、悲しむ自分をそのまま救ってくださるという阿弥陀仏を私は信仰しているのです。
南無阿弥陀仏。
追記
私も現実を受け入れられない時があります。悲しみながらも、ただひたすらに阿弥陀仏が作られたという極楽浄土で再会することを信じるのみなのです。
南無阿弥陀仏
仏さまでもあります。
桔梗さん、こんにちは。
坊さんでも大切な人が亡くなったら悲しみますよ。仏さまでも悲しみます。仏さまも喜怒哀楽があるのです。喜怒哀楽があるからこそ、私たち喜怒哀楽の苦しみがわかるのです。ただし仏さまと私たちが違うのは、仏さまは悲しみに心が負けない、心が揺れることがないだけです。
仏教の目的は、心のコントロールです。自分の心をどう自分でコントロールしていくか。桔梗さんも是非、仏教を学んで心の喜怒哀楽に振り回されないように、生きてくださいね。応援します。
合掌
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。そして酷いことを言ってしまって申し訳ないです。ごめんなさい。
先日,大好きな人が亡くなってしまい,色々頭の整理がつかないまま投稿してしまいました。
悲しみのなかでも仏様(仏像) の表情が変わらなくて,ふいに仏様酷いなと思ってしまいました。落ち着いて考えてみたら仏像の表情が変わったらホラーですし,そもそもありえないですよね。そして仏様=お坊さん,と考えが飛躍してしまいました。ごめんなさい。
どうしても抗えないことなのに抗おうとして,わずかでも,可能性が本当にゼロに近くても必死に最悪の現実が来ないように抗ってました。今でもわずかな可能性を必死に探す自分がいます。でも,どんなに抗っても現実が変わらないことがある,抗ったってどうしようもないことがあることがあるのかな,と思い始めています。現実を受け止められないですが,心が不思議なくらい静かです。
酷い質問してしまいました。重ね重ね謝ります。ごめんなさい。
後から自分の投稿を見返してみて,回答を拝見させていただいて気づきました。仏様にもお坊さん方にも謝ります。ごめんなさい。本当にごめんなさい。