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なぜ緊張するのか、緊張に惑わされないようになれるのでしょうか

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有り難し有り難し 55

私は、人前で事を伝えたり発表するときに
話すこともままならなくなります。
震えが止まらずどうしようもなくなり異常に
緊張してしまいます。

ですが、人の役に立ちたいという思いが強いので
なんでも取り組みます。しかし人前で発表することだけは
避けてきました。本当は、人前で事を伝えたり発表して
もっと人に役に立ちたい。でもいつもそれが訪れると
震えが止まらなくなり体を全くコントロール
できなくなります。
今回リーダーを任せられることになり
人前で話さなければならなくなりました。
その前にどうかはなすことができるようになりたいと
思っています。

こんな私にアドバイスをお願い申しあげます。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も同じです。

 間もなく引退される人形浄瑠璃文楽太夫の竹本住大夫氏は、人間国宝なのに、いまだに初日は緊張されるそうです。89歳の名人でもそうなのですね。

 私も立場上人前で話すのは慣れているつもりですが、初めてのお寺や場所、初見の方々の前では、ド緊張してしまいます。

 私の対処法は、イメージトレーニングです。その場をイメージして何度も練習しています。

 あゆみさんはお若いですし、場数もそう多踏んでいないでしょうから、緊張するのは当たり前です。でも、せっかくの機会です。将来のための模擬演習とでも思ってみてはいかがでしょうか。

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 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

緊張しちゃったもん勝ち

緊張してよい のです。
体の自然な反応だと思えばいいのです。
緊張と言う体の自然な反応に抵抗しようとし続けても無駄です。
いっそのこと「ああ、緊張する」と自分の緊張を認めて、許してしまうのです。
そうすると体は、ご主人であるあなたから緊張を赦されたので、環境適応能力をふんだんに使えますので大いに緊張します。
ずっと緊張しっぱなしはありません。
緊張をさせ尽くした先に緊張はありません。
体も心もその現場がどういう状況かを理解すれば自然におさまります。
あなたはいま、緊張しないように体と心に無理をさせようとしています。
緊張を押し殺した自分を見せようとしても見ている側は無理をしているという事も見抜けてしまいます。大事な場で緊張しない人はいませんから、緊張しないようにっていう嘘を見せられるよりも、そのままの自分のまま発表すべき事を発表した方が好感度も上がりますよ。
結論 緊張エネルギーはさっさと受け入れたほうが、体も心も状況に早く慣れる。
だから緊張はさっさとさせたほうがイイ。カッコつけようとか、抗ってはいけない。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ふたたび「回数・初心・開き直り」

あゆみさま。
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

質問文を読んで「人さまの役に立ちたい」という思いが強く感じられ、ふと年齢を見たら10歳代とのこと、大変驚きました。私が10歳代の頃はおそらく自分のことばかり考えて、人の役に立ちたいなんて思えていませんでした。

さて、だいぶ以前の問答ですが、リンク先をご覧下さい。
http://hasunoha.jp/questions/20

この時と変わらず「回数・初心・開き直り」が大切だと思います。
私はもともと人前で話すのは苦手でしたが、僧侶として法事や葬儀など人前で話すのは慣れました。しかしいつもと違うシチュエーション、たとえば結婚式のスピーチとか宴席での乾杯発声だと一気に緊張感は高まります。「緊張しなくなった」わけではないようです。

あゆみさんは「震えが止まらなくなり体を全くコントロールできなくなります」という事ですから、かなり緊張が強いのでしょね。前に立って話すと、親しい人たちもいつもと違った表情でこちらを見つめてきます。これも緊張を強める要因でしょう。

あゆみさんがどういった場で話すのか分かりませんが、もし聞き手に友人などが入っているのだったら「応援してね」「話を聞いてうなづいてね」「失敗したらフォローしてね」と頼んでおきましょう。これだけでも少し安心感が生まれると思います。

特に「うなづいてね」は大切で、私は人の話を聞く側になった時にも意識してこれを行います。ウンウンとうなづいている聞き手を見ると、話し手は「ちゃんと聞いててくれてる、伝わっている」と落ち着くことが出来るからです。

今回あゆみさんがリーダーになったのも、苦手を克服するチャンスかもしれません。少しぐらい失敗しても大丈夫、トライしてみて下さいね。

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おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

経験と慣れと自信

あゆみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「人の役に立ちたいという思い」、誠に有り難く尊いことでございます。もちろん人の役に立てれる方法は、後方支援も含めて色々とありますが、より一層にお役に立ちたいとなりますと、どうしても人前へと出ないといけないこともありますよね。

人間、程よい緊張は必要ですが、大失敗だけは避けたいものです・・

かくいう拙生も、中学生の時は、人前で話すことにかなり緊張するタイプでした。それでも何かお役に立てれればと、生徒会の会長選や副会長選に出て、全校生徒の前でスピーチしたことがあります。当然に緊張です。でも、事前に入念に作り上げた原稿を読むことで、緊張で頭が真っ白になることは避けれたのと、少し余裕もできてアドリブも入れれて、その内容とアドリブが効いたのか、何とか副会長、会長になることができました。

以来、人前で話すことに少しずつ慣れることもできて、自信にも繋がり、徐々にコツも掴むことができて参りました。

最も大勢の前で話したのは、大学生の時に難波駅高島屋前、阪急梅田駅前で某政党の街宣車に乗って、マイクにて演説を致した時ですが、正直爽快でした。休日でしたので、おそらく数千人はいたかと存じます。是非、あゆみ様には、やがて日本のリーダーを目指して、数千人の聴衆を前に街頭演説ができるまでになって頂きたいものであります(冗談)

しかし、そんな拙生でも、昨年末にご尊敬申し上げる偉大なるお方の前にて畏れ多くにもご質問申し上げる機会に恵まれましたが、ど緊張にて、シドロモドロになり、言葉も飛んで、しかも間違いもあって、何とも恥ずかしい次第となりました・・

2013.11.19 「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」に参加
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/40305ec625f85e2e40b470437e4c1e86

しかし、これも一つの大切な経験として、この反省をまた次へと活かして参りたいと存じております。

是非、あゆみ様も一つ一つ経験しながら、少しずつ慣れと自信をつけて歩まれていかれましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

私の質問にお答えくださり本当にありがとうございました
私はここまで多くの方に支えられ助けられここまできました
そのことをまた思い出しリーダーという課題と向き合っていきたいと思います

元気がでました

本当にありがとうございました

和田隆恩様 回答してくださり誠にありがとうございます。
どんな人も緊張し、いくつになっても緊張というものは
消えないんだなと思わせていただきました。
心の中がなんだか許されたような気持ちになりました。

ありがとうございました。

丹下 覚元様 回答してくださり誠にありがとうございます。
私は勝手に緊張は悪い、恥ずかしいと思うことで
苦しんでいる体を見捨てていたんだと思わせていただきました。
気づかせてくださってありがとうございました。
そして、人は緊張した私を受け入れてくれないと
勝手に強く思い込んでいました。でももっと体と魂を信じて
極端に考えずやっていきたいと思います。

ありがとうございました。

川口 英俊様 有り難いご回答ありがとうございました。

ひとつひとつの経験を積んで自分を許していきたいと思います。
日常でできることを大切にして、
自分というものをもっと見つめていきたいと思います。

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