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自殺することは罪なのでしょうか

回答数回答 4
有り難し有り難し 102

ハッキリ言うと 死にたいです。
自分には悪い性格というのがあって、我慢が出来ない
正直に本当のことを言ってしまう(相手にとって嫌なことでも)
その性格が子供のころからず~と続いていて、あるとき
ADHDという言葉を見かけて検索してみると
自分の悩んでいた問題がそれに当てはまることを知りました。
頭がいい訳でもなく、人とトラブルになりやすいです。
友達もハッキリ言うと自分の悪い性格のせいでいません
仕事をしていても 人との会話が苦手で問題ばかりで辞めてしまう
どうしてもうまくいきません
ハッキリ言って致命的なくらいに
人は自殺をすると罪という言葉が根強くあって死にたいという気持ちの反面
死ぬと地獄に落ちるのではと怖くてなかなか出来ないでいます。
自分は死後の世界について インターネットを利用して沢山調べました。
臨死体験、前世さまざまな事例について
今では人は死んでも魂というものがあると関心はしていますが今悩んでいる死にたい気持ち(自殺)がどうしても怖くて仕方ないです。
かといって自分の生まれ持った悩みは一生変えられません
どうしたらいいのかという答えは間違いなくないでしょう
死んで人生をもう一度生まれ変わりでやり直したいのに
どうしていいのかまったく分かりません

世の中を見てみると 戦争、貧困と不幸な人、そうでない人がいますが
動物の世界は喰うか喰われるかの命にかかわる世界
自分はそれを見ると、まだ不幸じゃないんだと思う時期もありました。
だけど自分の持つ悩みが自分を苦しめている現実からは逃げることは出来ません

2014年4月6日 16:18

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自死・自殺は、罪ではありません。

 「質問者からのお礼」が届いた後ですが、1点だけお伝えしたいので回答します。

 以前、浄土真宗本願寺派(お西)の教学伝道研究センターは、原始仏典と大乗仏典にさかのぼり仏典を読み直し、自死に関する数百カ所を分析しました。その結果、釈尊は自死について価値判断をしていないことが判明しました。例えば「雑阿含(ぞうあごん)経」にヴァッカリという弟子の話があり、重い病の苦しみから死を考える彼を、他の弟子たちは献身的に介護する。釈尊はどう仏法を学んでいたかを問うのみ。結局、ヴァッカリは自死するが、釈尊は弟子たちの前で「亡くなり方」そのものについて非難していない。かといって自死を容認している訳ではなく、釈尊が死を考えている弟子に対応する場面などでは「生きていてほしい」との強く願っておられました。

2014年4月8日 11:36
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有り難し
おきもち

和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

毎日生まれ変わっています

大変な人生を歩んでこられたのでしょうね。
今後も色々胸の内を全部打ち明けてください。
私は敵ではありませんので、何でも話してください。
このサイトは沢山の和尚さんがあなたの悩みを読んでくれます。
悩みは公言しただけで半減すると言ってもいいでしょう。
あなたは人生の中で打ち消し&打ち消され、自己否定の連続だったのでしょうね。
その結果自分を愛せなくなって、信じられなくなってしまった。
でも本心は肯定されたい、認められたい、でも周りがそうしてくれない。苦しいでしょうねぇ。ご安心ください。ぶっちゃけADHDに当てはまる人はほとんどです。特殊なものとして考えなくてよろしいと思います。診断表みて何でもかんでも「あ、こりゃ自分だ」と、結び付けちゃダメ。アレはあなたに薬を売るための釣りだと思えばいいですよ。
無責任な人間は勝手に人間に病名つけてしまいますから、その手法にばかされない冷静さも大切ですよ。営業妨害になりますので、これはあなただけに申しあげることです。
あなたには優れた資質があります。瞬時にいろいろな事に関心を持てるということです。
自分にとって本当に必要な事が何かを見分けることができる力です。
自分の本当の姿を求めるべきです。
分類屋はあなたの事をADHDだのなんだの命名するでしょうが、心というものは常に変化をしています。生まれ変わっているのです。今、こうしている時もきちんと私の回答をゆっくりと冷静に読んでいられるでしょう。人間の心は名前なんかに縛られない自由な在り方なのです。それが仏教です。
24時間ずっと悩んでいるわけではないでしょう。
嫌なことも言われたでしょうが、いま、耳は今の音しか聞こえていないでしょう。
フラッシュバックが起きても、体のどこかから血が出てるわけでもないでしょう。
あなたの心は今後も大きく、生まれ変わります。
それは、自分の思いに傷つけられないぞ、という強い決意を持つことによってのみ、変わります。
★他人の暗示にかかってはいけません。
☆自分の暗示にかかってはいけません。
そんなものただの脳内情報です。実態はありません。つかみようもない影にも劣るオモイノチラツキです。多くに人間がそのチラツキをリアルだと思ってばかされているのです。
あなたはあなた自身の思いにばかされなくなりたいと願うべきです。
それによって人生が幸せになります。

2014年4月12日 16:01
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

小さなコトから はじめましょう

「全身」というハンドルネーム、
あなたの身、全身が苦である、という意味でしょうか?

「死にたいです」と言いながらも
「死ぬと地獄に落ちるのではと怖くてなかなか出来ないでいます」
「死にたい気持ち(自殺)がどうしても怖くて仕方ない」
まだまだ「生」への執着・葛藤があるみたいですね。
どんな人も大小はあれど、みんなそんな気持ちを心の片隅に持っています。
「生」への気持ちがあるうちは大丈夫!

「悪い性格というのがあって、我慢が出来ない 正直に本当のことを言ってしまう」
対話が苦手でトラブルメーカーになってしまうと言うなら、
今の人間関係を対話で修復することに苦心すると、
返って悩みが大きくなるかもしれません。

そこでまず、「小さな親切」的なことから始めてみては如何でしょう。
道で転びそうな人がいたら、そっと手を差し伸べる。
お年寄りの重い荷物を持って一緒に歩いてあげる。
「行動」のみであなたの優しさを示す。対話なんか必要ないです。
若しかしたら相手に疎ましがられる事も多いかも知れません。
でも何回か繰り返すうちに、
「ありがとう」
の言葉を頂くはずです。
それこそ、あなたの「全身」が優しさに満ちるときです。

仏教は「利他」のこころを説いています。
自分の利益「自利」より、他の利益「利他」を優先するように行動する。
結果としてそれが自分の利益になって戻ってくるのです。

自分がトラブルメーカーだと思い込んでいても、
そのあなたの気付かぬうちに、
言葉ではなく行動で
そっと手を差し伸べてくれた人は
必ずいたはずです。

今度はあなたが、言葉ではなく行動で
そっとやさしさを表わしてみて下さい。

光が見えてきますよ。

2014年4月7日 11:45
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有り難し
おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしておりま...

「自殺」に関して・・

前進様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「自殺」に関するご質問・・これまでも幾つかございましたが、誠にナーバスな難しい問題であり、回答させて頂く側におきましても非常なる慎重さが求められるものであるかと存じております。

まず・・

問い「自殺してはいけない理由」
http://hasunoha.jp/questions/330

その中の拙回答における見解から、無明・煩悩による原因での自殺は、やはり、「悪業」となってしまい、次の輪廻に悪い影響を及ぼすことになるのは避けられないであろうというのが基本的な拙生の考え方となります。かと言って、無明・煩悩によらない自殺があり得るのかと言いましても、非常に難しいとして、問い「自らの死について」 http://hasunoha.jp/questions/98 における回答にて、少しこのことを述べさせて頂いております・・

正直に、「自殺することは罪なのでしょうか」のお答えとしては、「無明・煩悩による原因での自殺は、罪=悪業となる可能性が非常に高いため、とても勧めることはできない」と拙生はお答えさせて頂きたいと存じております。

また、下記の問いでは、輪廻との関連についても少しだけ述べさせて頂いております。

問い「躁鬱病と乳ガンによる治療拒否」
http://hasunoha.jp/questions/282

御礼欄にて、「釈尊についてチョット調べてみました。」とございますが、誠にそれこそが解決へ向けた大きな「前進」への第一歩であるかと僭越ながらにも存じております。この機会から是非ともに仏教の学びを少しずつでも進めて頂けましたら誠に有り難いことでございます。きっと前進様の苦しみを癒やすことのできる教えとも出会えるのではないかと存じております。下記の問答の拙回答もご参照下さいませ。

問い「これからどうすべきか。助言をください。」
http://hasunoha.jp/questions/457

川口英俊 合掌

2014年4月21日 12:28
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

日本という国は本当に平和だな~と感じています。
なぜかというと 一部の国は戦争で無慈悲に人が殺され、食べるものが少なくて餓死して死んでいるとこもあります。そういった人を思うと心が痛むことがあります。そんな姿の中でもこれが自然の姿であることは自分には分かります。光があれば陰が出来るように
宗教の教えの中に輪廻転生という言葉があります。 20年くらいまえですか゛NHKの臨死体験という番組をみて死後の世界があるのかなと思うようになりました。そして生まれ変わりの記憶を持つ子供たちとか、インターネットでいろいろと調べていきました。
人は死んでも魂というものが生まれ変わり成長していくということがあるのではと思うようになりました。
そうすると世界で起きている戦争、貧困という姿がまるで生き地獄のように見えてしまっているのです。
自分は死んでも、もしかするとそういった苦しみの元に生をうけるのかもしれない
それが死ぬことえの恐怖として死ねないだけなのです。
僕は死えの恐怖はまったくありません、輪廻転生が怖いだけです。
回答の中に”そっと手を差し伸べてくれた人は必ずいたはずです。”
はい、そのとうりです。ぼくもそういった人がいたのを感じていました。
ですが会話がうまくできない、このことが昔から何度もありどうしても変な人として見られてしまいます。
それが自分を苦しめているのです。 人とうまく会話が出来ない事はとても苦しいことで、ADHDをもつ人はそれで苦しんでることも知りました。
生きていくうえで、人とうまく付き合えないことがこれほど苦しいものなのかと40年も生きているとその思いが強くなっていきます。
最後に、自分は得を積むという考え方が好きです。自分が得するために何かをするのではなく奉仕の気持ちで何をできるか
そんな考えをしていてもそれは気持ちだけで下手な生き方をしている自分はかえって迷惑なことをしていることもあります。

長い文章になりましたが、回答ありがとうございました。

一つ書き忘れていました。 前進というのは、今までその気持ちで生きてきたという意味です。
進んでる先には小さな石ころがありましたがそれが進んでるうちに次第に大きくなり進むことが難しく感じるように・・

釈尊についてチョット調べてみました。
ヤフー知恵袋にこんなのがありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10110686770

自分は頭もよくないですし物覚えも悪くなっています。
物事を理解しようとしてもなかなか理解できない部分があり、多分この知恵袋に書かれてることなんでしょうね

和田隆恩さんありがとうございます。

「死にたい・死にたいほどつらい」問答一覧

辛くて死にたい。

 タイトル通り心身の不調が続く日が多くなってきており、死ぬことを考え始めています。  今まで頑張ればいつか良くなると信じて色々と頑張ってきました。しかし、あまり改善はしません。そんな状況に疲れました。そして、最近「そもそも死ねば苦痛から解放されるし、生きることをやめた方が良いのでは?」と強く感じます。  もちろん、私が死ねば残された人は苦しむかもしれませんがそれもその人にいつかは訪れる死が救ってくれると思うのです。亡くなった父も死によって救われたでしょうから苦痛に対する根本的解決を目指すなら生きることをやめる以外の方法はあるのでしょうか?  また、私は家族以外に心を許せる人が現在居ませんし結婚もしていません。年々段々と年老いていく家族を見て恐怖を感じています。このまま生き続ければ私は本当に一人ぼっちになって今よりもっともっと辛い苦痛が待ち受けていることが確定していると感じます。もうあんな辛い喪失体験をこれ以上重ねられる自信もないし、そんな未来に耐えられないと思います。 それならばまだ自由に身体が動く今の内に決着をつけてしまった方がまだ良い選択な気がするのです。  また、こちらのサイトでこういった死にたいという考えをお持ちの他の方の質問も拝見しました。その際に、「家族が悲しむ」や「様々なものによって生かされている命だから」という回答を拝見するのですが、そういった正論を見ても考えを変えることができない自分の器の狭さにも絶望しています。とにかく自分がもう楽になりたいという気持ちで頭がいっぱいです。また、ただ「死にたい」という漠然とした気持ちではなく、明確な悩みがある状態での死を希望する気持ちがありますので、心の病気ともちょっと違う気がするのです。この悩みを解消するには時間が必要なこともわかっています。でも、もう頑張りたくない。自分が怠け者で最低だと思います。病院にも行っていますが、症状を誤魔化しているだけで解決には至らないのも辛いです。本当に辛い時に誰にも相談出来ない状況なのも苦しくなってきました。  色々なことに苦痛を感じている自分を誤魔化すことに疲れてしまいました。もう苦痛から解放されても良いでしょうか。

有り難し有り難し 32
回答数回答 1

転職で死にたくなるほど不安になる時

8月に8年間勤めていた会社を辞め、9月より転職します。 転職理由は、スタッフと人間関係で誤解がある事を上に伝えても聞き入れてもらえず異動になってしまい、収入減になり体調を悪くしてしまい、会社に不信感を持ち転職に踏み切りました。 一応、今より条件の良い転職先が決まり、後は9月入社するだけなのですが、 ①また人間関係でつまづいてしまうのではないか ②しっかりと家族を養っていけるのか(8月に2人目の子供が生まれます) ③転職をした自分はまた何か悩みが出てきたら転職を考えてしまうのではないか この上記の不安が頭の中につきまとい、前を向かなきゃと思う反面死にたいという思いがよぎり頭が痛くなる時があります。 もちろん家族の大黒柱として次は何があっても辞めず、定年まで勤め上げようと思っております。 しかし、ふとした時に周りの同世代と比べ、転職をした事への劣等感から弱い気持ちが出て来出てしまいます。 2人子供がいる身として、このような弱い気持ちではいけないと思うのですが、このような気持ちを断ち切り、前を向く為にはどのような心構えで過ごせば良いのでしょうか。 死にたいと思うのはいけない事だと重々承知しております。 この不安を拭い去りたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

有り難し有り難し 24
回答数回答 3

満たされているのに早く死にたい

人生においては満たされています。波はあれど幸せな部類に入るよう努力してきました。 もうずっと昔から「死んだら今世クリアだから、早く死にたい」という気持ちがあり、困っています。 仏教や精神世界について学ぶことが好きで、自殺することが業と繋がることは理解しており、能動的に自殺を考えることはありません。 ただ、人生をゲームのように捉えており、「今世の課題をクリアするために、生かされてるうちは面倒だけどとりあえず無理のない範囲で善行を重ねて心を豊かにして生きていれば、そのうち死ねるからそれで今世はゲームクリア!肉体脱出できるのが楽しみ!」みたいな感じの認識です。 無意識的に強くそう思い込んでいるようで、日常生活に支障が出ることがあります。 例えばですが、物質的な執着心がなく、親しい人にお金をあげるように貸してしまったり、何かにつけ問題が多く振り回されるような相手を恋人にしてしまい(振り回されているようで、それを望んで楽しんでいると思います)悲しい思いをしたりしています。 それでも私は懲りずに、死ねないならせめて日常がぐちゃぐちゃに壊されてしまうことを望んでいるようです。 本当に生活に不満はありません。収入も働き方も望んだとおりになっていますし、物質的にも満たされており、問題はあれど愛している恋人もいます。所謂、雑誌の中のような暮らしです。ですが、私はこの生活を今すぐ全て捨ててもいいと思うくらい物質や社会的地位に執着がありません。恋人や人間関係のことはまだ学びが残っている気がするうちは捨てられないのですが、基本的に天国に持っていけないものにそれほど執着できないのです。 一番問題に感じていることは、この生きることをゲームのように認識していることが根深く、そのため自分も他人も特に幸せになれないような、そして自分には損になるような選択を無意識にしがちなことです。私が楽しんでいるときはだいたい破滅に向かっています。 これは何が原因と推測され、どんな解決法や考え方があるのでしょうか。また、多くの人は生きることをどういった認識で暮らしておられるのでしょうか。 長くなりましたか、読んでくださってありがとうございます。 もし何か思うところがありましたら、ぜひご返答がいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

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