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どんな人が仏教徒なのですか

回答数回答 6
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私はアメリカに留学した際に、ホストファミリーに連れられて毎週キリスト教の教会に通っていました。10ヶ月もの間毎週行ってみていましたが、キリスト教やその神を信じているか、と聞かれたら、今もなおその答えは、いいえです。そこで私の、周りの宗教は何なのか、分からなくなってしまいました。

ここで回答してくださっている僧の方々はもちろん仏教徒だと分かるのですが、日本人のどこまでが仏教徒なのでしょうか。何をしていれば、何を信じていれば、そんな基準は、仏教にはあるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教は教えでなく道です。

道なれば、信者ではなく、共に歩む同行者、同朋です。なぜか、仏教は唯一絶対の神との契約ではありません。みんな全ての人が持つ仏性、仏さまのコアになる魂が仏さまになること=正覚を目指して歩む道なのです。ですから仏教徒というのは、かくかくしかじかの教えを信じているものが仏教徒であるということではなく、各々の道や歩き方は違うかも知れないが、共に仏さまを目指して行く仲間が仏教徒になると、愚僧は考えています。
信じる、礼拝する、教えを学ぶということに関しては、世界的な他宗教と変わるところはないでしょう。教えを説くその人=仏さまにこの身がなるというところに仏教の醍醐味があります。

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個別相談可能
浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

いい機会ですね

よく海外に行った人が宗教を聞かれ、仏教ですと答えたら、仏教とは何ですか?、と聞かれて返事に困るという話を聞きます。
あなたもそうだったのでしょう。
いい機会なので少し仏教を学んでみましょう。
ただ、キリスト教のように聖書1冊に纏められてなく、とても幅広いです。
実家の菩提寺のお坊さんの法話を聞き、本屋さんでお坊さんの書いた本を読んだりしてください。
分からない点があれば菩提寺のお坊さんやこのサイトに質問してくださいね。
基本的には仏教とはお釈迦様の教えです。
どのような教えかと言えば、大雑把に言えば、
自分の心をコントロールして、お釈迦様の説かれたこの世の理を理解して、自分がどのような境遇におかれても楽に生きていきましょう、という教えです。
宗派はたくさん別れてしまいましたが、目的は同じなのです。
ぜひご一読を。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

三宝(さんぼう)を信じる人

三宝とは、
仏(悟りを開かれた仏様)
法(仏様が説かれた教え)
僧(法を伝える教団や僧侶)
の三つです。

正式な仏教徒になる儀式では、まず、仏法僧の三宝に帰依(きえ)します。

ちなみに、「南無三宝(なむさんぼう)」と唱える場合は、「私は三宝に帰依します」という意味です。
どんなお寺さんにお参りするときも、南無三宝と唱えて合掌しておけば間違いはありません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

自己の完成をめざす教えを実践する人!

お釈迦様と同じ心を、自分の中に見出す努力をしている人と思っています。自己の完成を目指す人です!。一言でいえば「まごころ」を持った人です。マザーテレサのように世界の人々を我が子のように見ていける人。それを目指す人です。今の私には、これ以上の事は解りません!。失礼しました。

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青年の自立支援(生活改善・病後の静養・引きこもり等)

教えを信じる人

仏の教えを学び信じ行う人を仏教徒と呼びます。
難しく考える必要はありません。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

ようこそ、お越し下さいました。

はるか様へ
仏教に関する疑問を抱かれて、今こうして坊さんだらけのhasunohaに足を踏み入れ、ご質問されている時点で貴女は既に仏教徒への門戸を叩き、その入り口に立っていらっしゃるのです。

このhasunohaは様々な宗派の教え、お坊さんによる様々な捉え方があり実に贅沢な場所です。
ごゆっくりhasunoha内をサーフィンされて新たな気付き、学びを持ち帰って頂き、願わくばこれを機に仏教にご興味お持ち頂ければと存じます。
隆介 合掌

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少しでも皆様のお気持ちに心を寄せて行けたらと思っています、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

質問者からのお礼

皆様、ご回答いただき、ありがとうございます。
失礼ながらどの宗教の方に「この宗教は皆を迎え入れますよ」と言われても、まだ固くて神聖すぎて近寄りがたい何かを感じるのですが、
神様との契約ではなく、単純に神様のような素敵な人になりたい、というものだ、といった考え方がすごくすっきりと理解できました。神様、仏様は尊く尊敬する存在だけれど、彼ら自身が力を持っているわけではない、ということなのだと、私なりに理解しました。
回答本当に有り難うございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ