苦しみをうんでいるのは自分の心?回答受付中
しなやかで強い、人格のある悟りを開いたような人間になりたくて、仏教の本をいろいろ読み始めています。内容はどれも理解するのが難しいですが、特に理解ができないものがあります。
それは、私たちの苦しみを生んでいるのは、周りの人、物事ではなくて、自分自身の心の中にある妄想が原因ということです。
実際は、何かがあり、それが原因で苦しい思いをすると思うので、妄想ではないと思ってます。例えば、DVを受けてる子供が苦しんでる原因は、親からの暴力なのに、それは妄想、あなたの心が原因でくるしいんですよ、というのは変な気がするんです。
苦しみは自分の心がつくりだしている、というのをどのように解釈したらいいでしょうか。教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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対象が「内面的な葛藤や生きづらさ」の原因を指しているからです
ご相談ありがとうございます。仏教の教えを真摯に学ばれるなかで、生じた疑問はとても大切な視点です。
結論から申し上げますと、あなたのご違和感は決して間違っていません。仏教が説く「苦しみは心が作り出す」という教えは、決して「理不尽な暴力を受けている子供に、君の心が原因だ」と責めるようなものではないからです。
仏教では、苦しみの原因を因果関係(因縁)で捉えます。現実のDVや事件など、外側からもたらされる具体的な苦痛(縁)に対しては、まずその環境から身を守り、現実的な解決を図ることが最優先です。ここを「心の持ちよう」だけで片付けるのは、仏教の本意ではありません。
では、なぜ「心が原因」と言われるのでしょうか。それは、私たちが日常で感じる「内面的な葛藤や生きづらさ」を指しているからです。私たちは、変えられない他者や過去に対して「こうあるべきだ」という強い執着や、満たされない欲望(渇愛)を抱くことで、自ら苦しみを何倍にも増幅させてしまうことがあります。この「執着する心」こそが、仏教のいう苦しみの正体です。
現実の理不尽な苦しみには具体的な対処をし、一方で、自分の心が作り出している余計な執着には気づいて手放していく。この両面の視点を持つことこそが、仏教の智慧であり、あなたが目指す「しなやかで強い心」へとつながっていく道なのです。焦らず、一歩ずつ学びを深めてまいりましょう。
拝
縁起寺 釋聴法
原因と結果。
『苦しみは自分の心がつくりだしている、というのをどのように解釈したらいいでしょうか。』
紗良さんのおっしゃるような、DVの件でいえば
「自分」という主体は、DVをふるう親に当てはまるのであって
ふるわれる側ではないのだろうと思います。
苦しみは世に無数ある「自分」の中に
ありありとあらわれていて
それらへの無理解が、DVや依存症、神経症などあらゆる症状として
現れると考えることができると思います。
苦しみの原因は、突き詰めてどこから起因しているかを考えれば、行動を起こした側の心に求めることができます。
行動によって被害を被った側の心にあるのは、苦しみの原因ではなく結果とみることができるでしょう。
原因と結果の因果関係は仏教の説く核心部分であり
一見シンプルですが、ときに難解です。
そこは仏教に限らず、様々な道理というものを説いた先人の智慧を借りて、我々自身問いを深めていけるといいですね。
ご参考いただければ幸いです。
南無釈迦牟尼仏 合掌



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