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死ぬのが怖くて何も手につきません、克服することは可能ですか?

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タイトルの通り、自分がいつか死ぬことを考えると恐ろしくて、パニック状態になってしまいます。朝起きた瞬間から寝るときまで、常に「死」の恐ろしさ、得体の知れなさが頭から離れず、最近は趣味も楽しいと思えません。

いつか死ぬからこそ今を一生懸命生きることが大切だとか、いまのわたしにはきれいごとにしか思えないのです。

べつに、近しい人の死がトラウマになってるとか、そういう事実もありません。ただ、死が途方もなく恐ろしいことに思えて仕方ないのです。

これほどまでに重度の死の恐怖を克服すること、あるいは克服せずとも上手く折り合いをつけて生きていくことは可能なのですか?
また、仏教に帰依することは、死の恐怖を克服する手助けになりますか?
お忙しいところ恐縮ですが、ほんとうに、どなたか助けてください。このままでは発狂しそうです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

トイレ掃除は素手で、先入観ゼロ

死への恐怖は、まだ死んでないからあるのです。
経験した事のない事は、想像するしかないのです。ですから、怖いものと決めつけ、想像を膨らませるとどこまでもこわくなるのです。

先日、トイレ掃除をしていて、思ったのですが、手袋を使ったり、長い柄のついたもので床や便器をこすったりしていると、汚いものと決めつけて掃除をしている事になり、とことん気持ちが悪くなります。しかし、素手でスポンジや雑巾で掃除をしていると、少々便器内の水が顔に跳ねても気にならなくなるものです。
つまり、前提を置いて、考えの世界で決めつける事は、事実を歪ませ、苦しみを作り上げる事になるという事です。

生を善、死を悪として、決めつけている事それ自体に疑問を持つべきです。事実を事実のまま受け入れる生活そのものが仏道の救いというものでしょう。

経験する前から、想像、妄想しない事です。リアルを生きるのです。リアルは今しか存在しません。

今、死んでないでしょう。苦しむ必要なんてない。思いとは関係なく、心臓はうごき、呼吸をしているでしょう。怪我をしたら勝手に治るでしょう。ですから安心してください。今を生きるのです。生きているのです。

死の不安はゴーゴーカレーを食べる前にその味を想像し、黒いし、苦いかも、食べきれないかもなんて、無意味に想像しているだけの事。食べたら味もわかり気づいたら食べ終わってます。良いも悪いも何にもないのですよ。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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極楽浄土

私も怖いです。
なので死んだら極楽浄土に連れて行ってもらえると信じています。
極楽浄土は阿弥陀仏が造った国です。
国を作る際、望む人は誰でも命が尽きた時に連れてこようと誓いを立てました。
ですから私は日々、南無阿弥陀仏と唱えます。
阿弥陀仏にお任せします、という意味です。

私の祖父母や先祖も信じていました。
ですからきっと今は極楽浄土にいると思っています。
私が死んだらまたみんなに会えると思っています。
極楽浄土とは、現世で悟りに至ることができなかった人が悟りを目指して修行する国なのです。
ですが、それと同時に親しい人達と再会する国でもあるのです。
以上は浄土信仰についてです。

死について考えるなと言われたお釈迦様の直接の教えとは少し考え方が違うのですが、心を制しなさいというお釈迦様の教えには合う信仰だと私は思います。
生病老死を取り除くのが仏教、お釈迦様の教えです。
先ずは現実に集中して死について考えないようにしましょう。

もしどうしても無理だと感じたら私と共に極楽浄土を願いましょう。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

ウニ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

恐怖や不安というものは、おおよそ「無知」から来てしまうものでございます。

幽霊も、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と知れば、恐怖・不安が無くなるように、「死」とは何かについても、しっかりと知ることができれば、きっと恐怖・不安を退けることができるようになっていくのではないかと存じます。

では、「死」についての真理を仏教ではどう知っていくべきであるのか。

例えば、「不死の境地」というものや、般若心経にも出て参ります「不生不滅」など、それはいったい何を意味しているのかを考えていくこともヒントの一つとなります。

是非、これから少しずつでも仏教を学ばれて修習をなされて頂ければと存じております。良き気付きのございますことを。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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