お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?
報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。
大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど)
このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。
なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか?
そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、
宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。
煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。
命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。
一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、
与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。
青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか?
崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか?
本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。
頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、
「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか?
砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、
雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、
求むる者に注ぐべきである。
真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。
例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、
飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、
お坊様の恩に報いきれるものではない。
未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。
hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。
意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。
正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、
心配するばかりです。
門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。
碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。
偉そうに説教みたくなってごめんなさい。
ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。
私も道の途中ですので、頑張ります!合掌
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
説教するなど100年早い!
ちょっと参禅して、境涯を垣間見たぐらいで、
私は正覚を得たりと、悦に入っていると感じました。
君は未証巳証、大我禅者だよ。
空だけで、妙有、妙用、遥かに遠い。
人を張り倒す前に、
自分自身の頭を豆腐の角にぶつけたらいい。
地に足をしっかりつけて、一歩一歩歩まれよ。
あなたがたは坊さんのくせに
偉そうなことを言って何もわかっていない。
そういう論調ですよね?
それでは、君はわかっていますか?
私は、5歳の時から密教の修行をはじめ、
途中、生死を分かつほどの想いで過ごしてきましたが、
少しも悟ることを得ず、自分の非力さに辟易としていたところ、
40を過ぎて、浄土教の教えに転入して安心(アンジン)をえました。
かれこれ半世紀が徒過しています。
あなたが体得したものを否定するつもりはないが、
自分が体得した境地を、引っ提げて、他人を否定するようでは、
はっきり言ってまだまだだ。
君は匿名でなんでも書けるが、こちらは宗派、お寺の看板や、
名前を明らかにして、全て自己責任で堂々と書かせていただいている。
内容によっては、異安心(イアンジン)、間違った教えを説いたと、
宗派から糾弾、内容によっては、破門さえるのを、覚悟して、
目の前の相談者さまのために、その気持ちに寄り添って、
精一杯の気持ちを書かせていただいている。
そういうことを少しも理解しないでこのようなことを
書いていること自体、まだまだまだ、と思えずにはいられません。
まずは、そんな君自身が反省しなさい。
お若いのだから、人生はこれからだ、
しっかりと地に足を着けて、
日々の生活、生業に励み、研鑽を深められることを、
祈ります。
私は、書くたびに、そんな偉そうなことを言える人間なのか、
恥ずかしい、情けない人間だなあと、毎回反省しています。
南無阿弥陀仏 合掌
それ、偽善
私も自分で勉強してくださいしか書いていない回答はいかがなものかと思います。私自身も昔、よそのQ&Aで他の回答僧さんに叱られてから、あえて突き放す時や勉強の仕方が主になる時以外はしないよう心掛けています。
…が、「大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。」「現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…」コレ、何?あなたが全国35万のお坊さんのどれだけを知っているんです?
ちょっと救われた実感があったからって天眼でも得たつもりですか?大恩があるとか美辞麗句で飾ってフォローしたつもりかもしれませんが、こう言ってるようにしか見えません。「俺の師僧は立派だが、あんたはカスだな」と。天友童さまのお師匠さんもさぞ人を見下して生きてるんでしょうね…私はこの文章からそう感じますよ。てめぇこそ師僧の恥だ。宗門の恥だ。仏祖の恥だ。
阪神淡路大震災で駆け付けたボランティアの中で最もたくさん駆け付けたのはお坊さんです。東日本大震災から3年経った頃から「もう良いだろう」と急激にボランティアが減っていく中、今も継続して被災なさった方々のそばにいさせていただいているのもお坊さんです。熊本の地震でも、先日の台風でもどれだけのお坊さんが陰徳を積んでいることか。
平成16年の曹洞宗宗勢調査によるとお坊さんの平均年収は日本国民の平均と2万弱しか変わりません。しかも大半は300万以下との注釈付きです。一部の例外ではなく、日本仏教全体としてのお坊さんの実態はあなたが信じているほど呆けていません。
昔からずっとずっと坐禅会もお釈迦さまの降誕会もボランティアも法話会も、枚挙にいとまがない事をやっているのに、日本仏教が葬式しかしていない呆けた職業ということにしてしまったのは誰か?アンタみたいな間違ったイメージを垂れ流す有頂天のカスだ。お前こそ日本仏教の癌だ。お前みたいな真面目そうな顔した偽善者が、日本を悪口だらけの窮屈な国にしたんだ!!お前のその一言が人々の心から仏の慈雨を奪って砂漠化されているんだ!そこに気付け!!!そこに気付いてこその輪廻からの解脱だ!!!
あなたの坐禅は坐禅じゃ無い。独善です。そういうのを「悪をつくりながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟す」と言うのです。一から坐り直しなさい。
叱咤激励受け取りました
ここに質問される方は様々な宗教、宗派、無宗教の方がいます。
ですから、全ての方に対して浄土宗の教義だけで対応するのは、かえって混乱を招くと思うのです。
なので、時には念仏ではない方法も勧めるのです。
また、南伝も北伝も共通点は多いのです。
区別する必要はありません。
南伝のダンマパダというお経は、北伝にも法句経として伝わっています。
坐禅も瞑想から始まったものでしょう。
その共通の目的は苦しみを取り除くことです。
喉が渇いた人には、念仏を唱えさせるよりも、水を与えることが大切なのです。
また、浄土宗の教義は何から何まで他力ではありません。覚りに至るためには、自ら修行しなければならないのです。阿弥陀様は極楽浄土という修行に適した場所に迎えてくださり、そこでの修行を応援してくれるのです。
ですから、この現世においても念仏以外の修行も行なってよいのです。
また、その修行が回り回って、念仏を唱える事の助けにもなるのです。
とはいえ、あなたの言われる通り、質問した人に真に向き合えていないことは、その通りです。全くもって非力で未熟で申し訳なく思うこともあります。
回答することを辞めようと思ったことも何度かありました。
でも、時々、感謝してくれる人がいると、もう少し頑張ろうと思うのです。
あなたからの叱咤激励をしっかり受け取り、これからも精進いたします。
お互い頑張りましょう。
合掌
南無阿弥陀仏
追伸
嫌なんて言ってませんよ。もし私が地獄に落ちた時は是非導いてくださいね。
貴重なお言葉ありがとうございます。
「反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしない」
その通りですね。
しかし我が心で我が身を振り返る「自己反省」など、どこかにまだ我が身を立てる思いが残るものです。
おっしゃる通り
「教えに向き合う」
ことが肝要なのでしょう。共に「仏法」にこの我が身を照らされてまいりましょう。
貴重なお言葉有難うございます。
「努力にこそ価値がある」
天友童様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拙生は、南伝仏教(初期・根本仏教)からチベット仏教までの一通りを、15年ほど掛けて、やっとさらっとある程度学ばせて頂きました浅学の未熟者に過ぎませんが、南伝仏教(初期・根本仏教)もチベット密教にも、確かに釈尊(仏)の教えがあり、そこに本来、上下優劣はつけられないものであると考えております。
あとは、悟りへと向けて、数々の方便としてある教えを、どう各々が仏道修行に実践的に活かしていくべきかになるのではないかと存じております。
真に、その方のことを鑑みて、その方の機根のためにおいても、南伝仏教(初期・根本仏教)の教えが必要であれば、その方便をお示しすることも必要なことがあるのではないかと存じております。
とにかく、まだまだの浅学菲才の未熟者ではございますが、できる限りに薬効ある薬(方便)を幅広く調えていくことにより、僭越ながらにでも、対機説法・応病与薬に資して参れますように日々、研鑽し、精進努力致して参りたいと存じております。そうです。「努力にこそ価値がある」です。努力致します。
ご賢察を賜りたくに存じます。
川口英俊 合掌
もし、可能ならば、得度してみませんか?
現状の日本仏教には、いろいろな問題点があることは確かだと思います。
もし、可能ならば得度してみませんか?
真宗大谷派の場合は、「得度したいので、所属寺になっていただけるお寺を探しています」といって、そのお寺の住職から得度の許可が出れば、本山で得度が可能です。
特別な身体の障害や、心身の障害がない限り、所属寺の許可が出れば得度はできます。
検定試験に合格、または、宗門の学校に行き、教師修練(七日間、京都駅前東本願寺に缶詰を二回)というものを受ければ、「教師資格」(住職になる、葬儀等の儀式の導師になるのに必要な資格)もとれます。
倶会一処
拝読させて頂きました。袖触れ合うのも何かの縁です。
せっかくこの様なご縁に恵まれた私達ですからこの穢土で迷いながらも共にお念仏お称えさせて頂きましょう。
そして共に極楽浄土に往生させて頂きましょう。
極楽のおとなり同士、はなのうてなに参りましょう。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
佐藤精徹様、貴方は浄土へ往かれる。
私は必ず、地獄へ赴くでしょう。
誰かが間違って落ちてくることがあったら、一緒に坐って共に苦しむ。
僧侶とならずとも、どうであろうとも地獄へ赴く所存です。
私が参じたお方を支えたことがあったお方が、落ちてきたら私がその時は支えます。
すすんで地獄に落ちても、報いきれる恩ではない。
僧侶になり誰かを教え諭しても…
本当は、こんな争論の起きそうなことを言いたくなかったのです。
しかしそれが為になるなら、進んで泥を被りましょう。悪趣に落ちましょう。
貴方達、お坊様が人に説き続けることを祈って。
まぁ、訳あって無職のぷー太郎なんですよね。縁がありましたらお世話になります。
私は置かれた場所で咲き、枯れるだけですから。
聖章様
教義に真実は、無いんですよ。貴方は表面しか眺めていない。
しかしこれ以上あなたの師の顔に泥は塗れない。師はそれこそ父のようなもの。
父親か友人の僧でもいいので、この質問を見せてみなさい。
苦しみを滅するのではない。除くのではない。苦しみを問題としなくなるのだ。
苦しみの中にあって苦しんで、苦しまないのだ。
僕が意味不明な事を言ってるようにしか思えないと思います。すいません。
私は貴方を応援しています。信じられないかもしれませんが、心からです。
貴方が道半ばで正覚を得ることがなく、地獄に落ちたとしたならば、お尻を突いて上まで上げます。
悪業を消化しきれないというのなら、未来永劫輪廻において傍にいましょう。
嫌ですか、そうですか( ^ω^)・・・
この音声が聞こえませんか?「これ」聞こえるではなくて、「これ」でもない。
喉が渇いたなら「念仏一音」になればよろしい。
渇きながら、渇かないでしょう!
念仏も坐禅も行では、ないんですよ…伝わらない、もどかしさ。
目の前にいたならば、指を詰めてでも示したのに
大慈様 三浦康昭様
叱ってくれる人が二人も出てきて、安心しています。
余計なお節介だったか(笑)ワハハwww
安心して熟睡できるな。やはり大乗だった。
叱られるのが、ここまで気持ちいいとは知らなかった。
自らの信ずるものが小馬鹿にされりゃ、「てめぇふざけんなよ」っつうのが正常ですよ。
こっちは一生懸命やってんのに、無職野郎が外から、ガタガタ抜かすんじゃねぇ!!と切れて良し!
変に慣れあうより、こっちの方が千倍いいわ。
大慈様のような僧侶に叱られるものがどれだけいる?
目の前にいれば、ビンタどころか鼻っ柱を折られているだろうな!
「寝言ほざいてんじゃねえ!〇すぞ!ボケカス!」とまで言ってほしいものだ。
大慈様、少し遠慮したでしょ?
これほど、嬉しい事はない事だ。
背中に手形を付けて欲しいもんだ。何と心地いい事だろうかな?
もし私が出家するような事が、あったならば大慈様のようなお方の元に参りたいものです!
三浦康昭様の仰ることも、しかり!
私も「私は正覚を得ました!」なんて言う奴がいれば有無を言わさず、張り倒すだろう!
川口 英俊様
「怠るな 勤め励め」と正法眼蔵随聞記でも原始経典でもしきりに出てきますね。
ざっとしか目を通してませんが、その通りだと思います。
精進努力こそ仏道だと思いますし、ここで終わりだと、努力はもう仕舞いだなんて切り上げられないでしょう。
「努力にこそ価値がある」
その通りだと思います。僕も一層精進して参りますね。
しかし打ちのめされ混乱しているものは、言葉の表面しか見れないと思うんです。
まずはお茶でも飲んでもらって…落ち着いてもらいましょう。
人と人が通じ合うのは難しいですね…
お坊様方が教えを代々伝えていってくれているからこそ、我々在家者は学べるのです。感謝ばかりです。
貴方が仏教を縦横無尽に語ってくれればこそ多くの人が喜びます。
確かに、最近というか結構前から南伝仏教は人気ですよね。某長老で。
そこから仏教に入った方が多いかと思います。
貴方が教えてくれるなら、安心して道を歩めると思います!!!!!
精進努力してまいります!合掌
kousyo Kuuyo Azuma様
南無阿弥陀仏!