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死後

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死後というのは無ですか?
もう、無ということすら理解できないくらい無ですか?


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

倶会一処

私共の宗旨では、人は死な無いと言います。

身体の寿命がつき、仏様の御浄土に往生させて頂く。

私達の身体も、寿命がつきれば往生させて頂ける様に。。。。。

仏様とご縁を結ばせて頂きます。

ですから、私は、縁のある方に『 人は死な無い 』と、申します。

そして、大切な方とは必ず御浄土で、再会出来ます。

『 無 』とは、決して0では無いと教わりました。
『 無 』は、人間ごときでは計り知れない事、もの、存在を表すと。

ですから『無量寿如来』『無量光佛』 と、もうされます。

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長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...

無尽蔵 虚空蔵

「死んだら無だって?(笑)
俺は死なないゼ?
死んでも活きるさ。そういう生き方をしてきたつもりさ!!」
ヒュー!(拍手)パチパチパチ…
「NEVER DIE!!」
「YEAH!!」
「DEATH IS NOT THE END!!」
「YEAH!!」
「それじゃ次の曲行くゼ、聞いてくれ、❝ロック イズ デッド❞!!」
 デデデ♬デデデデデデ♬(死ぬんかい)

歴史上の偉人も聖人も凡人もドラえもんもサザエさんもジミ・ヘンドリックスも亡くなった後も、多くの人に影響を与えているでしょう。
死んでも、死なず活きているのですよ。
アートも、教えも、料理も、技術も永遠に生きる、活かすもの。だから生活というのです。
精神、ソウルを感知し相続すれば永続する。
目の前の携帯、スマホ一つにでも先人たちの活きた知恵を踏襲して存在している事を学ぶことですナ。(-ω-)そういう生き方をすることです。
今はコンパクトなケータイも昔は、サイコガンダムぐらいデカかったのですよ。

さて、深い話を。
この心身の本当のありようは、究め尽せば、果てなく、際無く、尽きる処なし。
人間の思いとは、無縁に活動している大きな「働き」を感じれば、人間の小さな生死、生き死には無くなります。

無とは、ALL。
全部あるということ。全てと一体であるという大変大きな様子です。
人間のチープな隔てを捨て、銀河、天体レベルで観ましょう。
無始無終にして、過去から未来へ永続するノンストップの永遠の「今」が目の前に生き続けている。その今にLIVE、ライドオンすることです。転がる石にはコケはつきません。
無とはカラッポ、空虚、無い、ということではない。
深い瞑想、禅定(行 深般若波羅蜜多 時)の状態であると、自我意識という余計なエフェクトが無くなるので、この身と外の事とが全体と一つになるのです。
無ゆえに、ALL。
瞑想や坐禅をして自分意識、わたくし意識を絶して「無=ALL」を死ぬ前に感じてください。
自分を認める自分意識、自我意識こそが無になれば、内外の隔て意識が無くなり全部と一体になるのです。
そこを味わえば、理屈文字を超えた結論が出ます。悩み、闇も、病みも、あなたが毎回引っかかるあの世論もすべて吹っ飛びます。
そもそも、この世こそ既に、誰かにとっての死後の世界。
あなたの中では、誰が活きていますか?

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臨済宗では、死後は悩みも煩悩もない涅槃の世界へ行かれると説かれています。涅槃とは、火が燃え尽きた静寂な世界のことを言います。
お釈迦さまが臨終の際に、「嘆き悲しむではない。私は安らかな大涅槃へ到達するのだ。この世における生死にとらわれてはならない。」と弟子たちに言い聞かせました。
「死んだら無になる。」のではなく、「あまねくこの世に、千の風のように広く行き渡る。」とお考えになってはいかがでしょうか。

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ちょっと違います。

まつなかさん、こんにちは。

またどこから引っ張ってこられたのでしょうか?

まつなかさんの言う、無というのはたぶん、何も無いという意味だろうと思います。

仏教でいう「無」というのは、厳密に言うと一括りではなく五段階に分けられるといわれます。

一未生無。二已滅無。三互更無。四不会無。五畢竟無。

1.未生無は、原因が無いなら結果は生じない。
2.已滅無は、過去にはあっても今はもう無い。
3.不会無は、今ここに無い。
4.互更無は、甲は乙では無く、乙は甲では無い。
5.畢竟無は、過去にも、現在にも、未来にも無い。存在すらしない。

我々が死んでも、肉体に限っては、2であり3だと思います。
輪廻する限り、何も無い状態にはなりません。

ただ、まつなかさんが死後の世界に興味を持っておられること自体には敢えて異議は唱えませんし、疑問を持つこと自体は不思議ではありません。
ですが、それを知ることで、一連の質問から、いったい何を求めておられるのか甚だ疑問に思えてなりません。

お釈迦様は、そこを議論する意味は無いとして、敢えて死後の世界をお説きになりませんでした。
不問としたのです。

今を如何に生きるかを知らずして、死後の世界を探求することは、百害あって一利なしです。

どこかで見切りを付けて、今を懸命に生きることに力を使っていただきたいと思います。

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日蓮宗。倉敷市受法寺住職・岡山市妙立寺兼務住職 1965年生。坊主歴35...

死後はあります

仏教は輪廻を説きます。
死んだら来世が始まります。
つまり今の私は、前世の私の来世ということになります。

死んで無になるなら好き放題に生きて死ねばいいですがそうは行きません。
死後は生きている今の行為によって決まるので、好き放題に生きていれば地獄に行くことになります。

道徳や法律では、周りに迷惑をかけないように生きる必要があるから好き放題にしてはいけないと言われますが、仏教は違います。
好き放題に生きれば必ず自己に返ってきます。
このことを自業自得と言います。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「四句分別」について

まつなか様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死後」についての拙回答一覧
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_324660.html

上記これまでの回答も踏まえまして、まず仏教的には「無記」(無駄な議論・戯論)として、お答えしないのが基本にはなるのでしょうが、しかし、本サイトが、Q&Aサービスである以上、お答えするのも使命としてございます。

もしも、仮にお答えせずにそのままであっても、それはそれで答えになるのですが、それが答えだとわかるためにも、やはり仏教にかなり精通していないとわからないものとなります(維摩居士レベルにおける大乗仏教理解が求められることになります)。

また、お答えとして、死後について、「有る」、「無い」、「有るとも言えるし、無いとも言える」、「有る、無いのどちらでもない」として四句分別のいずれかにてお答えするのも、対機説法・方便的にはあり得るものとなりますが、それら四通りの答えがそれぞれ「あり得る」と理解するためにも、やはりある程度の仏教理解が必要となります。

そこで、例えば、拙生がまつなか様のその問いに対機説法・方便的にお答えするためには、まつなか様の仏教理解、また、理解するための気質、機根を正確に推し量ることが必要となります。

その正確な気質・機根を察する上に必要となる智慧を磨くために、まさに拙生も日々精進努力を致している次第でございます。

そのため、拙回答において、ご満足頂けないとなれば、それはそれでまだまだ拙生の修行の未熟さということの露呈となります。

そこで、拙回答となりますが、「無ではないし、かといって有でもない」となります。但し、そこには「実体として」とお付け致すことになります。

もしも、「無」ということであるならば、そもそも「無」は「無」であって、何も生じたり、滅(死)したりはしないはずです。一方で「有」でも同じであり、「有」なるものも永遠・永久に「有」であるはずで、生じたり、滅(死)したりするものではないはずです。

そこで、現実には私たちは生じ、滅(死)するものであるということは、「無」でなく、また、永久永遠なものでもないため「有」でもないということになります。回答字数制限の関係上ここまで。

川口英俊 合掌

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目指すは平安なる滅び(涅槃)

死んだ後にどうなるかは、煩悩のない悟った者と、そうではない者とで違います。
完全に煩悩がなくなった方(阿羅漢といいます。仏様も阿羅漢です。)の場合は、死ぬと涅槃(ニルヴァーナ)に入ります。
涅槃に入ると、物質世界からも精神世界からもいなくなってしまいます。精神世界の頂点ともいえる神々でさえも、涅槃に入った仏・阿羅漢をみつけることはできません。
そういう意味では、涅槃は、私たちから見た無に近い状態かも。

悟っていない普通の生きものについては、他のお坊さま方も言われてるように、生まれかわる(輪廻転生)とされています。

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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

ありがとうございます!
いつも気がつくとこういうことを考えてしまっています。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

人間の死後について(複数回答希望!)

お坊さんや、宗派によって答えが分かれると思うので、複数の回答をお願いします。 ①人間の死んだ後の魂の居場所はどこですか? まず、人は死後の魂は入魂儀式で位牌のに入るのでしょうか? 例えば49日に白木位牌から本位牌に「入魂」します。だとすると「遺骨」には魂は宿ってないんでしょうか?遺骨に魂が宿ってないのなら、お墓は単なる納骨施設で、お墓参りする意味も薄れてしまいます。仏壇の位牌に毎日手を合わせる方が遺族にとっても、亡き人にとってもいいと思います… 遺骨に魂が宿っているから、お墓の下で眠っていると信じてお墓参りにも行くし、また自分が死んだ時に一緒にいたいと思うからこそ家族は同じお墓に納骨するのだと僕は思いたいです。もし「位牌」に魂が宿っているなら、位牌もお墓に入れるべきですが、お墓→遺骨 仏壇→位牌というしきたりになってますよね… 死者の魂の本当の居場所はいったいどこなんでしょうか? ②極楽往生と輪廻転生 輪廻転生説:人間は死んだら、その人生の記憶は全部消されて白紙の状態に戻されて生まれ変わるんでしょうか?プラスチックやペットボトルのように、何度も0に戻ってリサイクルされるように、人間も全く別物に生まれ変わるのでしょうか?  極楽往生説:それとも浄土宗の教えのように、極楽浄土で過去の人生の記憶を持ったまま、自分の家族や大切な人と永遠に過ごせるのでしょうか? 僕は生まれ変わらなくていいから、極楽往生説を信じたいです。 大切な家族との思い出も、大切な人さへも、自分が誰だったのかさへも忘れてしまうなんて、余りにも虚し過ぎます(涙) 質問は人間の死後の「魂」についての上記2つです。 宗派や考え方でお坊さんによって違うでしょうが、複数のお知恵を拝借願います。

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亡くなった人はどこにいますか

よろしくお願いします。 母は生前いろいろな苦労をして、私も母に楽な暮らしをさせてあげられず、せめて来世は幸せになってほしいとの願いで日々仏壇に手を合わせています。 ただ、一方で疑問を抱いています。 四十九日で亡くなった方の魂の行先が決まると解釈しています。となると、既に母が誰かに生まれ変わっているのであればもう私の母としての魂はいないのでは? だとすると、拝んだり母に話し掛けても受取る人はおらず、初盆だとかお盆にご先祖が帰ってくるとかいっても(もうみんな生まれ変わっているなら)帰ってくる人などいないのでは?と思うのです。 そう思うと母が亡くなった時に親戚や知人が私に掛けてくれた、先立った母の兄弟や両親が母を迎えに来てくれてるから大丈夫だよとか、姿は見えなくてもいつでもあなたのそばで守ってくれているよとか、また会えるよとかいう言葉が虚しくなりました。 母が別の誰かとして幸せな新たな人生を踏み出しているなら勿論嬉しいです。ただ、私は誰に、何に、祈ったり笑い掛けたりしているのかと寂しくなる時があります。 勝手な想像で、母の両親兄弟、夫(私の父)らと所謂「あの世」で穏やかに暮らしているイメージを抱いたりしますが、それは四十九日の意味合いと矛盾します。 仏教では、現在母はどのような状態にあるのでしょうか。私の気持ちはもう母には届いていないのでしょうか。 或いは、私が心配を掛けてしまって母が気にして幸せに生まれ変われないなどということはないでしょうか(だとしたら話し掛けたりしない方がいいでしょうか)。 浄土真宗の住職をしている友人がいるので、できれば浄土真宗以外のお教えをお聞きしたいです。 取り留めのない長文で申し訳ありません。

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死後の世界についてお聞きしたいです。

質問、ご覧いただきありがとうございます。 地獄に落ちるのが怖い。 最近そう考えるようになったので色々検索してみると、色々な種類の地獄があり、どれもとても苦しいものだ。回避するためには生前の行いが大切であると、書かれているのをたくさん目にしました。 とりあえず、自分の歩んできた人生を改めて振り返ってみると、嘘をついたり、逃げたり、虫や植物の命を奪ってしまったり、色々な人、物に好き嫌いをしたり良くないことを考えてしまったり、文句言ったり悪態をついたり……とても、多くの良いとは言えない行動をしておりました。そして、このままでは地獄に落ちてしまうと思いました。 なので今から少しずつ行動を改善しようと思い、正しい道や考え、行動について調べてみて、懺悔をし行動を改めること、物事に執着しないこと、煩悩をなくす…などを知りました。こういったことは自分で考えて変えていくものだともおもいますが、行動、執着や煩悩についてどう改善していけば良いのかはっきりと掴めません。自分が良いと思ってしたことでも、もしかしたら良くないことをしていることもあるでしょうし、あの人のようになりたいと憧れその人を目指すことや、この有名人の方がとっても好きだと好意を抱くこと、これ欲しいな、あれ欲しいなという欲を抱いてしまうこと、どこまで制御すればいいのかも分かりません。 また、この行動改善についての話とは少し異なってしまうのですが、地獄に落ちてしまった場合、そこから出ることは一生出来ないのでしょうか。 もしかしたらこうやって誰かに答えを求めること自体も甘えなのかもしれない、ともおもいますが、まずは皆様のご意見をお聞きしたいと思い、こちらで質問をさせていただくという選択をさせて頂きました。 読みにくい文章で申し訳ございません。10代の未熟者ですが、なにかお返事頂けたら幸いです。 よろしくお願い致します。

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