今日の夜死にます。
先日も相談させていただきました。
なんとか相談機関をさがしたりしましたが、いろんな悩みが入り交じっているので、どこに相談すればいいのかわからず、夜になると相談機関も終わってしまう。
親も友人も唯一なんでも聞いてもらおうとくれていた人は引き離され、かわいいペットに癒されてみようとしていました、
子供も反抗期に入り、唯一の相談相手を引き離したこども支援センターには相談できず、もう何もできません。支援センターにメールしてみましたが、折り返しの連絡すらもらえません。
実家にお墓をたててあげられないでいる祖父のお骨が仏壇の横におかれています。
もしかして、きちんと供養できていないのかと、それが私たち家族の離婚続きや、父の病気、私の病気、父との不仲など、全てにかかわっているのかなとおもってしまいました。
でも、ご先祖様のせいにはしたくないのです。
母方のお墓参りにもなかなかいけません。
亡くなったご先祖様や生きているまわりの人達がみんな離れていきます、
相談相手もとられ、もう気力はほぼありません。
こどもが寝たら死んでしまおうとおもいます。
こどもだけが気がかりですが。
自殺してもこどもを見守れたらいいなとおもっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もったいないなぁって思うんですよね…
私は仕事柄、色んな人と接します。色んな方々のお話しをうかがい、色んな方々の人生を観させていただき、色んな方々の死を送ります。
その中で、なんでこの人だけこんなに苦しまないといけないのかなぁ…なんでこんなに平等じゃないのかなぁ…なんでご本人にはどうしようもない不幸が重なってしまうんだろうなぁ…と感じざるを得ない人は、やっぱりいます。
でもですね、だからこそ、もったいないなぁって思うんですよね。3時間前にこのご質問を投稿なさって、もう5件も回答がついていて、29件も有り難しが付いている。これって凄いペースなんですよ?
それだけあなたのことを想ってくれた人たちがいる…まだまだ世の中には良い出会いがあるはずだし、ここでこうして出会えたし、まだまだ増えるでしょう…なのに、もったいないなぁって。
ご先祖さまのせいにしたくないって凄く素敵な生き方ですよ。そう思って欲しくて説得を続けても、絶対に自己中を止めない人はゴマンといるのに、もったいないなぁって、私は思うんですよね。
それでいて、なんで俺には何もできねぇんだろうなぁ…って。
1つだけ、私からお願いしたいことがあります。今晩死ぬのはやめましょう。回答や有り難しがどのくらいまで伸びるか、2,3日観察してみて下さい。世の中には、自死が多い時間帯というものがあります。深夜と夜明けです。夜はやっぱり、人を狂わせるんです。そんなことはない!私は昼夜問わず死にたいと思ってる!って思われるかもしれません。でも、今晩は止めましょう。
死ぬことはいつでもできます。それなら、冷静な時に死んだ方が良い。自殺しても子どもを見守れたらいいなと思いますっておっしゃってますけどね、見守るだけで何もできないというのは、辛いですよ。なんで私には何もできないんだろう…って。死んでから後悔しても取り返しはつかないんです。その後悔をしないために、今晩は止めましょう。
私のこと、残酷だと思うならそう思って下さって結構です。でも、今晩は止めましょうよ。
子供のために生きなさい。
みこさん、あなたがなくなったら子供はあなた以上に苦しむのですよ。まずはつらくとも生きなさい。
私はあなたの地域の近くなので車で2時間でいけます。電話09060410193 または&メールkongozaji@renge.netください。いろいろと相談しましょう。自殺は相談してからでも遅くないでしょ?あなたを助けたい人はたくさんいるのです。合掌
おつらいことと存じます。これから書きますことは、
道徳を無視しています。
死ぬという道しかない。それは、わたしにとっても同じことです。
生きることは死ぬことですから。
ただ、それがお互いいつになるかはわかりません。
あなたが死にたい死にたいと願いながら生きている、
その最中、心臓のやまいでぽっくり死ぬこともあります。
それを止めることはだれにも出来ません。
おまかせするしかないのです。
「わたし」という「我がまま」な存在を捨て、
すべてを自然にまかせるしかないのです。
自殺をする前に、まずは
こころの中にいる「わがままなわたし」を殺してください。
身体を傷つけるのはそれからです。
もし、ナイフを手にあてたとして、血が出ますが、
なぜ血がでるのでしょうか?
身体を護るために、血は出ます。
もし首にロープをまわしたとして、大量の体液が
あらゆるところから流れでますが、それはなぜでしょうか?
身体を護るため、すこしでも身体を軽くして生きながらえるために
それは出るのです。
身体は、「まもるため」に存在しています。
なにを? こころをです。
こころも、本来であれば身体をまもるために機能するものです。
しかし身体もこころも「病い」にかかります。
病めば、正常に機能することはありません。
いま、本来であれば「生きたい」はずのこころが「死にたい」と
なっているのは、「病い」にあるからです。
御自身では気づかないかもしれませんが、
あなたの文字ひとつひとつから「生きるいのち」を感じるのです。
しかし、それとは逆の思いが生まれてしまっています。
「病い」の状態です。
病いとなったら、我々もそうですが「病院」に行きます。
まずは、今日という日は「わがままなわたし」を殺す日とし、
明日、病院をたずね心療を受けて頂きたいと存じます。
身体を傷つけるのはそれからです。
それから、おこさまの将来を願っても、自死した親を抱えた子の
苦しみに思いをはせることはなさそうですので申し上げますが、
生きていれば悲しみにあるお子さんを抱きしめることが出来ても、
死ねば「見守る」だけしか出来ません。
これほど情けないことはありません。
つらく苦しいのは、あなたではなくお子様です。
だから反抗するんです。それは「正しいこころ」です。
あなたに安らぎあれ。幸いあれ。
死ぬ前にウチにお越しください。
お子さんの幸せを確保してからにしましょう。
死ぬのは簡単ですが、もう少し、お子さんに対して責任を持っていただきたいのです。
あなたが死んだって、お子さんは路頭に迷います。
今あなたは、あなたの中の、あなただけしかみえない「もの」を相手にされているでしょう。
それは現実ではないものではないでしょうか。
肉眼には見えないものであるはずです。
今、相手にされてしまっている「それ」が、何だか多分ご自分でもお分かりになっておられないのです。だから自分で自分に縛られてしまっているのです。
私自身が死にたかった時に観えたものは「それ」でした。
それは自分のマイワールド、マイストーリー、想念なのです。
お釈迦様だって「それ」=マーラに苦しめられました。
しかも、それはそこにずっと浸っているとある種の陶酔を引き起こします。
あなたの最初のマボロシは滅しました。幻滅です。
失われたのは、そっちです。
あなたの願っていた理想が滅した、幻滅しただけです。
失われたものはそこにありません。
人間は1人。独り。
本当に一人になれる力を持ってみませんか。
孤独を打ち破る力は本当に一人になれる力です。
それは捨てて捨てて、捨てきってこそ、現われます。
マイストーリーを捨てきってください。
あなたを殺す前に、あなたのそのストーリーやプライド、こうしてほしかった、こうあるべきだったのに、というお城をあなたの頭の中から壊してみてください。
いつでもお電話お待ちしております。
「そこ」を見破る方法をお伝えします。
マーラはあなたの中の「あるもの」なのです。
それが分かるとあなたはその呪縛から自由になります。
あなたのように、苦しんだ人こそ多くの人を救えるのです。
どうか生きて頂きたくお願いします
拝読させて頂きました。あなたが大変疲れておられて精魂尽き果てておられる状況にあることを読ませて頂きました。確かに大変つらい中におられることでしょう。あなたのそのつらいお気持ちを心よりお察し申し上げます。
あなたがその生命を終わりになさりたいと思うこともわかります。
私も幾度もその様に思い試みたこともございますが、踏み止まりました。そしてわずかながらも生きておりほんのすこしでも人様のお役に立てればと思っています。
私の子供の頃私の母は何度も何度も死のうと思っていました。そして私にもう死ぬと語りかけました。母にとっては毎日が生き地獄の堪え難い日々であったでしょうし、躁鬱病によって一刻一刻と追い込まれていたのです。今でもその時の母の悲壮な表情や辛く恐ろしい孤独を思い返します。ただ結局母は死にませんでした。私や幼い妹を残して死にきれなかったのだと思います。
絶望の淵に立たされてかろうじて生きていたわけです。あのまま母が死んでいたならば私もみちづれになって死んでいたとも思いますし、精神病を煩い死んでいたとも思います。いすれにせよ今の自分はなかったと思います。人生とは本当に紙一重です。あなたが生命を断たれたならばお子様はどの様な恐怖や孤独を味わうことになるでしょうか。私は今でもその時の恐怖や絶望的な孤独を思い起こします。
あなたにはどうか生きて頂きたいと切に願います。お子様の為にもどうか生きて頂きたく願います。
お子様にとってあなたはかけがえのない唯一無二の母親です。お子様は本当にあなたを必要としておられるのです。
どうぞまずしっかりと休んでください。しっかりと睡眠をとってください。少しでも心を休めてください。人生には必ずや活路があります。その時によってものごとの見方や考え方も変わるものです。
正直私はあの時母が亡くならなかったことを心底感謝しています。でなければ今の自分は存在することはありませんから。人生は本当にどう転ぶかはわからないのです。
事故や戦争や災害によっても失われてしまう大切な生命もたくさんあります。
それは避けられないやむを得ないことかもしれませんが、それぞれに大切な生命に変わりません。
私はあなたやお子様がこれから苦難を乗り越えていかれて幸せに健やかに生きて頂きますことを切に心よりお祈りしております。
「死にたい」はうつの症状。医療機関に相談を
「死にたい」と思うのは「うつ」の症状ではないでしょうか。
だとしたら、「うつ」を何とか緩和すれば、自動的に「死にたい」という気分はなくなるはずです。
「死にたい」は、あくまで脳が作り出している「気分」であって、客観的な事実でも、絶対的な現実でもないのです。
心臓や肺は生きたがっているでしょう。
どうか、医療機関に相談してください。
「死にたい」はあくまで「気分」です。
そういう「気分」と上手く付き合いながら、1秒1秒を生きてみてください。
1秒生きられる人は1分生きられます。
1分生きられる人は1日生きられます。
まず彼のことは忘れてください。
それから、生活保護でなんとか生活できるなら、そのまま生活してください。
お子さんのことを一番に考えてあげてください。
母親はこの世にあなた1人しかいないのです。
反抗期でストレスでしょうが、反抗期は誰もが通る道ですから、育児ができていないと思い込まなくていいですよ。
話をしてあげてください。
話を聞いてあげてください。
安心してそれができるのはお母さんだけですよ。
お子さんのためにも生きてください。
おはようございます。
おはようございます。
昨夜はご質問に気付けなかったことをお詫び致します。申し訳ありませんでした。
hasunohaも相談機関ですよ。
どうかまだまだ頼りにされて頂きたくに存じます。
供養はカタチではなくて、供養する気持ち、心が大切となりますし、そもそも祟るようなご先祖様などおりませんし、貴女様がご供養できなくても、私たち僧侶皆が功徳を毎日、皆にご供養させて頂いてもおります。ご安心下さい。
「願わくは、この功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんこと。」
大切なお子様のためにも、どうか今一度思いとどまってほしいです。
今日もご質問、お待ち致しますね。
川口英俊 合掌
一人ではないですよ
みこさんこんばんは、読ませて頂きました。人との出会いと別れ、そして今の辛さを判ってもらえない事への絶望感、本当にお苦しみかと思います。またお寂しいく今は何よりも逃げ出したいのだと思います。そのお気持ちをお察しするとき、あなたは精一杯に今を生きられております、本当にお疲れさまです、あなたはがんばられていますよ。その上で、お話しさせて頂きます、まずご先祖様のご供養はお墓を建てなくても、またお墓参りに行けなくてもその方を思い手を合わせていただければ立派なご供養になります。そして今でも、これからもその方々は仏さまと一緒にあなたのことを心配しながら見守られておられます。決してあなたのご不幸に関わっているはずはなく逆に常にあなたの幸せを望まれておられます。そしてあなたにはお子様がおられます、お子様の反抗期はあなたのお子様への愛情を確認したい(お子様かすれば自分へのあなたの愛情に餓えている)ことが主因だと思います。文面からもお子様への愛情は充分にあられますが、今は余裕もないこともお察しします。決してあなたも悪いわけではないのです。その上で自殺した後お子様を見守れたらいいなということですが、あなたに見捨てられ泣き崩れるお子様を見守りたいのですか?それに耐えられますか?その時はもうどうすることもできないのですよ。昨日の東上人のお話しのとおり今はどうぞお心をお休めください。心が休まれて少し落ち着かれれば必ずあなたの望まれる幸せへの道筋が見えてこられます。必ずあなたは幸せになられますから、それを信じて今はお休みください。私も心より祈らせていただきます。あなたは一人ではありませんからね。
お礼を読ませていただいて
先ずは生きてくださってありがとうございます、お子様もたぶんあなたの苦しみを感じながらもお子様なりに共に苦しんでいるのだと思います。わかりますか、あなたのお苦しみはあなたがお一人で苦しんでいるわけではなくお子様も半分引き受けてくださっているのです。そしてあなたはご自身で書かれているように決して死にたいのではなく、本当は誰かに寄り添い支えて欲しいのだと思います。その支えてくれる人傍にいてくれる人、お子様がいらっしゃるではありませんか。ご先祖様も仏さまも、そのご縁で多くのお坊さんもこうしてあなたを心配されております。あなたは孤独ではありません、そして必ず幸せになれます。
質問者からのお礼
おはようございます。
今朝になりたくさんのご回答に驚いております。有難うございます。
本来ならば、お一方ずつお礼をしなければいけないとおもいます。もうしわけありません。
昨夜は、こどもは私から離れ後ろをむいて寂しそうに眠りにつきました。いつもはまだ小学生なのでぴったりとくっついております。
その後、準備していたものを首にかけましたがうまくできませんでした。
そして、外へいき決めていた場所までいこうとしました。
途中、自殺する人が多い踏み切りをとおり、数年前に焼身自殺をされた道路の上をとおり、しばらく歩いていました。
いつの間にか涙があふれ、どこを歩いてきたのかわからず家におりました。
決めていた場所は家から30分歩いたところ。
向かっていたつもりでした。
帰ってぐっすり寝ている娘をみていました。
結局眠れず朝をむかえました。
そのあいだ、いつもなら起きない娘がしっかり起き上がり、私をみてお母さん!とよびました。
その瞬間、力がぬけました。
娘を抱きしめ、お薬をのみおちつきました。
離婚して実家に戻ったときに鬱になり、過去にも未遂はしています。
心療内科にもかよっています。
もう七年近くになります。その間の焦りやプレッシャー、疲れています。
たくさんのご回答と有り難しにおどろき、これだけの方々が見守ってくださっていることに感謝しておりますが、まだ、早く死にたい、逃げてしまいたい気持ちがあります。
人を恨む気持ちも恥ずかしながら残っています。
子供にはしてはいけないといいながら、人を恨んだり命を粗末にしています。
なにも解決せず、このままでいることで本当に落ち着いていくのでしょうか。
この先どれくらい苦しむのでしょうか。
励ましていただきながら、こんな弱気なままでもうしわけありません。
しばらく時間がたち、一人でいると、自分がしたことへの後悔や罪の大きさを感じ、償う方法さえみつかりません。
本当は死ぬ勇気もなく死にたくないのかもしれません。
誰かに寄り添って側にいてくれるだけでいいのにと。
その人をなくし、迷惑をかけ、何もできません。
児童家庭支援センターを敵にまわし、自分で自分をとじこめてしまいました。
昼も夜も変わらず死にたいです。まわりにはばれないようにいつも明るくふるまっていますが、限界になってきました。
自分がしていることがわかりません。