機械にも仏性(または魂みたいなもの)はあると思いますか?
設備管理の仕事をしてると、つい考えてしまう事です。
ポンプ、モーター、配管、電磁弁、ボイラー・・・等
毎日接してると何となく愛着みたいなものも湧いてくるし、
「所詮は機械だから」とも思えてくるし。
20代のころ、工場の中にびっしり張り巡らされてる
配管を見て、「まるで生き物みたいだ」と感心した事もあります。
虫や植物など、生物全般には仏性や魂はある、と考えるのが仏教の
基本的な姿勢だと思うのですが、(間違ってたらごめんなさい)
では完全な人工物たる機械にも仏性、あるいは魂みたいなものが
あるの・・・?
お坊様方はどのようにお考えでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏性は誤解されていながらも、誰かを仏に導いています。
仏性というとほとんどの本に「人間にタマシイがある」みたいに
「生命には仏性がある」と訳されています。それは私は間違いであると思います。
「悉有仏性」という言葉も、
❝すべての存在は仏性を有する❞と訳されてしまうとヘンテコな「タマシイ仏性思想」が始まります。
仏性とはそういうことではなく、
「悉有は仏性なり」と訳されるべきなのです。
一切の存在、もののあらわれが仏という人間の思い方を離れたありかた、ありさまをしている、と。
今、ものが見えている。その様が❝仏相❞なのです。
仏相とは、人間の見解の無い様。
人間の思い・考え・思考によるファンタジーによって着手される前のまっさらな実相。
世界はもともとが人間の思い方から離れた静寂美(涅槃性・ほとけ性・仏性)を全うしているのですが、そこに人間は自分の思考というものを持ち込む。だから、それがフィルターとなって、ダイレクトな世界を体感できないのです。
それを初めてダイレクトに体感された方がお釈迦様。
この世のものは霊魂・タマシイみたいな仏性なるものがあるんぢゃ・な・く・て…
もののあらわれのすべてが「仏相」(人間の見解が混ざりこむ前のそれとしてあること)なのだということとして受け止めてみてください。
さて、それとは別にあなたにとって、お仕事の大事な道具である機械はなくてはならないもの。いくら機械とはいえ、その機械を作ったのは誰でしょうか。人間です。
そして、その機械の部品の原材料を提供してくださったのはこの地球。アース。大地天地の恵みです。
その物質が存在していたのは何億年前からでしょうか。
そこに大きな流れと深い歴史、暖かな「かかわり・関係性・ご縁」が見出されてくるはずです。私は現在パソコンでこれを入力していますが、これを一言でパソコンと言わないとすると、この便利なボタンが沢山あって、画面が明るくて、鳩とか馬とか走らせなくてもこちらの伝えたいことが相手方にお伝えできるとても便利な板みたいなハコは本当にすごい便利です。作ってくれた人はとてもすごい方だと思います。どうせ、機械だから…?いえいえ。それを作ってくださったのもどこかに存在する人間です。
このように思いを馳せればあなたの目の前の大切な機械だって当然、そこに人間としての思い入れが注ぎ込まれるのですから、血が通ってくるのではないでしょうか。
こんにちは。
古来より日本人はあらゆるものに魂があると考えていたようです。
使い終わった針を供養する「針供養」の習俗や使い終わった筆を納める「筆塚」などがあります。
私は地元消防団をしており、毎月3回、消防車やポンプの点検をしていますが、長年点検しているうちに消防車やポンプとお話をしているような気持ちになります。ですから「愛着」という表現はとてもよく理解できます。数年前、古いポンプや消防車を新しいものに代えてもらったのですが、古い消防車やポンプと別れるときは、仲間と別れるときのようなつらい気持ちになりました。
パソコンなども「人を見る」なんてよくいわれますね。使う人によってうまく動いてくれたり動かなくなってしまったり、まるでパソコンに選ばれているような気持ちになります(笑)
仏教的にどうか、仏性があるのかについてはわかりませんが、私個人的には物には魂が宿っていると感じています。
仏性とは何か
一言に仏性と言っても、具体的に仏性とは何かというと、時代や宗派によって違うんです。
比較的古い(あくまで時系列的に。否定的な意味はありません。)仏性では「悟る可能性」「仏に成れる可能性」「悟りを得る素質」というようなニュアンスです。つまり真理に「気付く能力」ですね。
すると五感であるとか意識といった「認識能力が無い存在」が気付くことはあり得ない、つまり機械には仏性は無いということになります。
ご質問文で仏性を魂と並べていらっしゃいますが、仏性と魂はまるっきり別物です。「仏に成る」と言うとすぐスピリチュアルの人達が「魂のレベルを上げることだ」と広めてしまうのですが、これは全く全然、完全に仏教ではありません。お釈迦さまは「魂が存在するかどうかは論じても無駄だから考えるな」とハッキリおっしゃっています。
悟りも魂のレベルを高めることと無関係です。あくまで仏教的な智慧と慈悲に目覚めること、そして智慧と慈悲の在り方であるとか生き方のことを悟りと言います。
話を戻しますが、やがて時代と共に「山川草木、ことごとく仏性が有る」という言葉が広まります。ウチの曹洞宗の道元禅師は「土地も草木も壁や瓦、小石もみな仏性だ!」と言い切っています。「山川草木、悉有仏性」も「山川草木も、悉も有も仏性である」という読み方です。「悉も有も」というのは「全も個も」(空も色も)と受け取れば良いでしょう。
すると当然、機械も仏性です。
なぜ話が変わったか?ややこしいですが矛盾はしていません。要するに「認識する悟り」の話から「認識される悟り」に話題が変わっただけです。
原因と結果の網のような繋がりによって広がるこの世界。縁起の理法と言いますが、いわゆるご縁のことです。前者がその過去・現在・未来の無数の繋がりを認識する素質としての〈仏性〉。後者が原因と結果の繋がりそのものとしての【仏性】です。
仏教の入門書などでも注意して読めば『仏』に成る可能『性』というニュアンスと、『仏』の『性』質というニュアンスで書かれているものがあります。親切な本では両方紹介されていますが、大抵サラ〜っと流しで書かれています。
でも、たぶん…詠春童子さまの疑問は仏性有りや無しやではなく、こういう↓ことなのかなと思います。長文申し訳ありません。
https://hasunoha.jp/questions/14536
もちろん、機械にも仏性や魂はありますが・・・。
詠春童子さん、こんにちは。
もちろん、機械にも仏性や魂があります。
仏教にもいろんな思想がありますが、特に天台宗では、法華経というお経から、すべての生物も無生物も仏心があると説きます。それをたぶん感覚的に理解できたのは、すべてのモノが神々の魂があるという思想を持っていた日本人に合致して、特に日本人は生き物意外に魂を感じる民族だと思います。それを日本文化は気(ケ)と読んでいます。「気持ち」とか「気分」とかの気です。
だからロボットは海外では人間を脅かす敵ですが、日本人は情があると思うので鉄腕アトムが生まれます。そして多くの職人と呼ばれる日本の技術者はそのモノに生命を感じて仕事をしています。別に科学的にいえば魂が本当にあるわけではありません。でもそういう人間が触れることによってその無機物はその特徴から、あたかも生命であるような対応を導かれるわけです。
機械でも、大切にしている職人さんだと、その音で、機械の調子がわかるといいます。いや音が聞こえなくても、その時の雰囲気でわかるともいいます。実は厳密に調べると人間には聞こえない周波数が出ているのが、職人が知らないうちに五感で受け止めているという研究もあります。科学的に見ればなーんだのような世界ですが、それができるのが職人の凄いところです。
そんな科学的に分析しなくとも、モノを大切にしている人は生き方も優しい人です。それだけで、モノは生きてくるのです。モノを大切に仏性、魂を感じる人は当然、生物も人間も大切にできる人です。そういう人になりたいですね。合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
何気ない質問でしたが、かなり深遠な問題を含んでいるようで、
すこし驚いています。
未熟者の私ですが、毎日の生活で少しづつ体得していきたいと考えてます。
職業柄、機械とは長いお付き合いになると思いますので・・・
染川智勇 様
モノを大切にするから魂(仏性)が生まれるのですね。納得です。
確かに、外国SFのロボットで思い浮かぶものと言えば、
ターミネーターや「エイリアン」シリーズのアンドロイド 等・・・
必ずしも敵とは言えないまでも、基本的に異質な存在ですよね。
機械が殺人マシーンになるか長年の友となるか、使う人の心掛け一つなのですね。
私も気をつけます。
光禪 様
私も、ある大型設備の入れ替えの時、取り外され、
撤去される機械を目の前にして、
「何十年もがんばったね、お疲れ様」と不思議な感慨を持ちました。
一緒に立ち会った後輩も同じ感慨だったらしく、二人でなんだか
しみじみとしてしましました。
私の感じたのが厳密な意味での「仏性」なのかはわかりませんが
ひろい意味での「心」なのかも知れませんね。
大慈 様
原因と結果としての仏性、「全も個も」(空も色も)仏性とは・・・
私の存在(色)も仏性だし、機械の存在(色)も仏性
私と機械が関わり合っていると言う縁(空)も仏性、と言う事でしょうか?
間違っていたらごめんなさい。
リンク先も興味深く拝読しました。
「料理」を「機械」におきかえて読むと、なるほど自分が考えている問題の
ように思えてきました。
「何事にも分け隔てなく、丁重に向き合うのが仏道」
「自分の気持ちに鐘を合わせるのではなく、鐘に自分を合わせて打ちます。
そういうのが無我であり、仏道」
深いですね。上の言葉を心に刻みました。
丹下覚元 様
機械が存在する事自体が、いくつもの因縁の上に成り立っている事、
その中に様々な人(設計者や職人さん等)の思いも含まれている事、
そして、そうやって出来上がった機械と私が同じ時、同じ場所を
共有している事。そう考えると、機械も血の通った存在のように
感じられますね。
機械を作った人々思い、私がこの地球に生まれてきた事実、
そんな事に思いを馳せながら、仕事にも打ち込みたいと思います。
皆様
ご回答ありがとうございます。
理解の浅い不肖者の自分ゆえ手前勝手な解釈も多少ある事とは
思いますがそこはご容赦ください。
ただ、仏教や禅について、道を誤る事になりかねない致命的な間違いや
勘違いがありましたら、御面倒でもご指摘お願い致します。