宗派の特徴を一言で
仏教と言ってもいろんな宗派があるようですが、それぞれどう違うのですか?難しいことはわからないので、一言で特徴を教えてください。
例えば浄土真宗だと「他力本願」ですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
よくわかる!?
kyosuke様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
「宗派の特徴を一言で」とのことですが、その違いを簡単にご説明致すのは誠に難しい・・
回答を考えている内に、そういえば、少し前にツイッターやフェイスブックでよく流れていた【よくわかる鎌倉仏教】を思い出して探してきました。。
【よくわかる鎌倉仏教】
「座って色々考えようぜ」→臨済宗
「なんかもう座るだけで良くね?」→曹洞宗
「題目を唱えとけば救われるんじゃね?」→日蓮宗
「念仏を唱えとけば救われるんじゃね?」→浄土宗
「俺らもう救われてるんじゃね?」→浄土真宗
「それより僕と踊りませんか」→時宗
誰が何の目的で考えたのかは知りませんが、初めて見た時は、「えー、そりゃあまりにも簡略化し過ぎて誤解も色々と生じるだろう・・」と思いつつ、最後の「それより僕と踊りませんか」でかなり笑ってしまいました(笑)
仏教の目的は悟りを目指すことであり、そのための方法論について、山頂を目指すための登山口・ルートなどの違いで喩えられることが多いですが、その差異を説明するとなればやはり相当な文量が必定となります・・
但し、上記のようにまずは簡単にでも学ぶ上で興味の持てるようなフレーズを考えてみるのも良いのかもしれません。
例えば、以下は誤解を覚悟にて簡単に拙生なりに作ってみました。
「あらゆるみんなつながっているぜ→華厳宗」
「全ては心の顕れにすぎないんだぜ→法相宗」
「オイオイ、ルールはとにかく守ろうぜ→律宗」
「ゴールへ一気にワープを目指すぜ→密教系・真言宗・天台宗等」
こう考えていきますとまだまだ色々とフレーズが出てきそうな・・いやいや、これ以上、悪ノリはやめておきます。。
以下には日本における代表的な宗派について比較的丁寧にまとめられているサイトのアドレスを挙げさせて頂いておきますのでまたお時間のある時に参照して頂ければと存じます。
http://tobifudo.jp/newmon/etc/shuha.html
あとは、ウィキペディアの各それぞれの宗派についての説明も概要を知る上では、かなりまとめられていて役立つかと存じます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/十三宗五十六派
川口英俊 合掌
「他力本願」 = 「自力無効」
真宗大谷派(東本願寺)の和田と申します。
先に浦上哲也師が仰ったことの裏返しになりますが、
自分の力が当てにならないことに気づくことを、
「自力無効」と言います。
「信心為本」も、
浄土真宗では大切な御言葉です。
曹洞宗とは
これは私の見解で公式のものではありません。
ですが、曹洞宗の定義は一言で安易に片づけられるべきものではありません。
①曹洞宗は(曹洞宗に限らず全宗派でしょうが)いわゆる「○○宗」と区分けされる類のものではありません。「曹洞宗」という個別な宗派、宗教ではない。
(なぜなら教えを広められた道元禅師という方が曹洞宗、禅宗と称することを戒めておられます。これは物の本質を見極めれば、人間の本源の上には宗派の隔てなどない、ということ)
②曹洞宗は、皆の宗、臨機応変派、というシャレがある。
(万人に通ずるものでなければ、普遍性がない偏った❝思想❞に堕するから)
③曹洞宗は、よく只管打坐といわれますが、
「ただ黙ってぶっ坐ればいい」「黙ってただ坐っていりゃいい」などという愚かな教えではない。
(只管に打座して心身脱落(悟り)することを得よ、と道元禅師はしきりに遺されている)
なぜ只管打坐がしきりに強調されるのかといえば、ときの学者が膨大な道元禅師の教えの中から一部を抜粋し、これが教えの中心ではないかと誤解したため。
④曹洞宗で「威儀則仏法 作法是宗旨」といわれますのは、お寺の中の行持、イベント、法要で、作法や威儀を正しなさい、という陳腐な教えではない。
(今自己があるところ、事故の様子が威儀であって、誰でもの様子である。作法とは、❝心身無為 心身脱落 はからいのない❞あるべきよう(法)、を作す、ということであって、なにかお作法らしいことを成すのでもなく、ひと力入れて、はからいを成すことでもない)
⑤よって曹洞宗とは、
誰もが、いま、ここ、この事、目の前のことにありて、
向かうところなく、心にはからいなく、腹だちなく、憂いなく、善悪の評価無く、モノの根本を悟り、事に惑わされず、自己と認めているものを忘却し、観念的な思量の生活から自由になって毎日安楽安穏な生活を実現する教えです。って、一言どころじゃなかったですね。 (^^♪
「南無阿弥陀仏」 浄土真宗本願寺派です。
「南無阿弥陀仏」
浄土真宗本願寺派です。
本願(必ず救う!という 阿弥陀仏の摂取不捨の救い)を、 そのまま受け取り、 心から信じることで 浄土往生が定まると、明らかにされたのが 親鸞聖人であり。阿弥陀仏の 喚び声に、報謝の お念仏が出る。
まさに今 至り届いている救いが、絶対他力であり、これが、浄土真宗の救いであります。
賜りたる信心
すでに浄土真宗の方も何人かお答えになっておられ、
どれも浄土真宗をよく表していると思います。
あえて一つ付け加えると、「賜りたる信心」
信心は、私がするものではないのです。
阿弥陀様が私に向けてするものなのです。
他宗派のことはよくわかりませんが、
阿弥陀様に願われている存在が「私」だと思うと、
ありがたいと思わざるを得ないところです。
真言宗は「即身成仏」
真言宗の僧侶です。
真言宗の場合、一言なら「即身成仏」(煩悩を持ったこの身このままで御仏になることができる)
でしょうか。
もうちょっと足すと、
・即身成仏(ソクシンジョウブツ:仏様の言葉を使って、仏様のような気持ちで、仏様のように行動すれば、もうあなたは仏様と一緒じゃないですか)
・曼荼羅思想(マンダラシソウ:世の中のものは全て仏様の種を内在しつつ関係しあって存在し、不要なものは無い)
・密厳国土建立(ミツゴンコクドコンリュウ:この世の中を素晴らしい場所にすることを目指そう)
の3本柱です。
ただ念仏。
本願他力というかたもいらっしゃるかもしれませんが、
私としては浄土真宗をひとことでいうと
「なむあみだぶつ/なもあみだぶつ」だと思います。
仏教では仏法僧に帰依するといいますが、お坊さんの名をよぶわけでも、お経の名をよぶわけでもなく、
仏の名をよぶ「なんまんだぶつ」。という立場をとりたいと思います。
「曹洞宗」さらに付け加えると
水上 昇真師の回答をさらに付け加えると。
威儀即仏法(いいぎそくぶっぽう)⇒坐禅、服装、法要、日常生活(朝起きて、洗面、歯磨き、トイレ、掃除、お風呂、食事、髪を剃る、就寝まで)ありとあらゆることが作法として確立している。
「公界の道場」といわれ、修行は自分の世界は無く、すべては公の世界だから、修行は休むべきではない。休むものではない。それが仏の教えである。という教義の下行われます。
誤解度No1仏教語「他力本願」
kyosukeさん
なごみ庵の浦上哲也と申します。
浄土真宗は仰る通り「他力本願」と答える僧侶が多いと思います。
ちなみに、こういう質問をなさるのですから「釈迦に説法」かもしれませんが、世間で良く使われる「自分で努力せず他人の力をあてにする」は本来の意味ではないのでご注意下さい。
でも、字を見れば誤解してしまいますよね、これ。
Yahoo!辞書 他力本願
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=他力本願&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=11677000