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仏教における女性蔑視?はいつから?

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毎度お世話になっております。
お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。

私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。
今回はちょっと学問的な質問を。

タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。
そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。

いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。
大乗仏教に入ってからなのでしょうか?
大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。

よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか?

一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。

詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

2015年11月30日 21:47

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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教「が」女性差別をしているのではないでしょう

仏の教え、仏教は女性差別から救い出す働きのものです。
仏教「が」差別しているのではなく、仏教を誤って解釈した未熟な仏教学者たちが女性差別をしたのでしょう。それはあくまでその僧侶の風上にも置けない無知なるものがどういう訳か仏教界に所属して、自分たちの都合のイイ教えを作っていっただけでしょう。
現代にも女性差別する僧侶はいると思いますよ。
それは僧侶が女性差別したのではなく、仏教を知らないのに、仏教界に所属している僧侶の格好だけしていた僧侶ならざる者が差別をするのです。
精神が僧侶であれば仏法に住して居ますから差別をしないでしょう。
精神が僧侶でない者はオテラという建物に住んでいるだけでほぼコスプレ僧で俗人と変わらんのです。大きな組織ですから、いつの時代にもそういうまがいもんが混じり込んでいるのです。
そういう人間は差別をするでしょう。
本質を見極めることが大切です。
仏教「が」差別をしたのではない。
あくまでその人個人が差別をしたのです。
男性であってもカリカリする人はすぐカリカリします。
男性だから女性だからではなく、己の怒りや苦しみ、不機嫌、迷いに向き合うのが「あなたの」仏教、あなたの「仏道」なのです。(-ω-)

2015年12月5日 12:55
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

大乗仏教以前からありますよ。初期の主要大乗経典の中に勝鬘経という女性成仏を説いたものがあります。これはそれまでの仏教に対するアンチテーゼですから、大乗仏教ができる前から女性は成仏できないという思想があったことになります。

ただ、初期の経典ではどうかと言いますと、テーリーガーターというお経の第60から62番の詩にこうあります。

六〇〔悪魔いわくー〕「理解しがたくて、仙人たちのみが体得し得る境地は、二本の指ほどの〔僅かな〕智慧しかない女人がそれを体得することはできない。」
六一〔ソーマー尼が答えていわく、ー〕「心がよく安定し、智慧が現に生じているとき、正しく真理を観察する者にとって、女人であることが、どうして妨げとなろうか。
六二 快楽の喜びは、いたるところで壊滅され、〔無明の〕闇黒の塊りは、破り砕かれた。悪魔よ。このように知れ、ーそなたは打ち敗かされたのだ。滅ぼす者よ。」
(中村元訳『尼僧の告白』岩波文庫)

悪魔というのはマーラーであり、世俗もしくは自分の煩悩です。つまり周囲の意見や自分の迷いです。この文脈ではどちらでも読めます。仙人というのは原語はバラモンでしょうか、分かりませんが、仏教徒を仙人と呼ぶことは無いので異教であることは間違いありません。おそらく子供の頃から男尊女卑の環境で育ち、出家してなお心ない言葉を浴びせられ、自分の中にも不安やくじけそうな思いとの葛藤があり続けたのでしょう。しかし、ソーマー尼は禅定と智慧によってその葛藤を克服した…そしてそれが仏弟子の男性社会の中でも認められたので経典として書き残され、後世まで破却されずに伝わったわけです。

しかしですね、こうして書き残されたということは、深読みすれば軋轢があったことの裏返しでもあるでしょう。書き残して釘を刺しておく必要があったわけです。それはそうです。そういう社会で育った人に出家させるわけですから、どうしても社会通念に引っ張られる部分があるのです。そしてお釈迦さまの当時でさえ、お釈迦さまが亡くなったときに「これでうるさい奴がいなくなった!」と喜んだ人がいました。仏教ではどうか?単純に割り切れる話ではありません。いつでもどこでも、常にあらゆる方角に向かうベクトルが有るものですよ。

2015年12月5日 23:33
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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

「女性」の定義

スリランカ人の、上座部仏教の僧侶であるアルボムッレ・スマナサーラ長老のお話を読んだ中で、おもしろい話があったのを思い出しました。
女性の定義について、うろおぼえですが。
子供を生むことができるのが女性、なのだそうです。
つまり、生物は女性と男性と言うより、女性と非女性と言えるかもしれません。
単細胞生物とか、自分で分身を産める場合も女性。働きバチは非女性(男性)ですね。
これを聞いて(読んで)私が思ったのは、女性が子供を産み育てるためには、それに伴う執着心がついてきますから、悟りの邪魔になる可能性は否定できないということです。
「自分のお腹を痛めて産んだ子供」なんてよく言いますが、それも、男性にはない強い愛情(執着)でしょう。
逆に、女性でも出家すれば非女性になれるのかもしれません。
極楽浄土に往生したらみんな男性(非女性)になるそうです。
だって、極楽浄土では人・天は蓮華の中から出現するように産まれる(化生)ので、人・天が子供を生む必要がないのです。
だから全員が非女性(男性)と言えるのでしょう。

2015年12月1日 1:59
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おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

仏教は女性蔑視はしていません

女性「女の私は劣っている。」
男性「女のお前は劣っている。」

この男女の意識改革が仏教です。
特に女性の意識をお釈迦様は変えたかったようですね。
男性による女性蔑視がいけないのはもちろんですが、
女性による女性蔑視が一番いけないよという事なんです。

ご質問とはそれますがご参考までに。

2015年11月30日 21:56
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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...

あくまでも私の理解ですが・・・

みつきさん、ご質問ありがとうございます。
大変仏教にお詳しく、興味をお持ちのようですね。

確かに、現在の視点から「仏教における女性差別意識」を取り出すのは、十分可能なことだと思います。

私は浄土真宗ですので、そのあたりの話になりますが、親鸞聖人がお作りになったものの中にも「五障」「変成男子」という言葉が出てきます。
それぞれ「女性には五つの障りがあって往生出来ない」「女性は男性となって往生する」
というような意味です。

そういうところから、現在の知見は「女性蔑視」を指摘するのですが、私はそのことに疑念を感じます。
確かに、現在の水準では、お釈迦様や親鸞聖人のお言葉に「女性蔑視」ととれるものはあります。
しかし、お釈迦様や親鸞聖人の時代状況が、「女性蔑視」を当たり前とするものであったと思います。
あなたが調べられたように、この二つの言葉は、「女性蔑視」「女性は往生出来ない」というその時代の偏見を打ち破るためにお釈迦様や親鸞聖人はお使いになっていると思います。

その時代の一般的な考えでは、「女性には五障があるから往生出来ない」となっているものを「女性は一旦男性になって往生出来る」とする考えは、当時としては、「男女平等」を訴える声だったのではないでしょうか。

2015年12月1日 6:17
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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職

質問者からのお礼

みなさん回答ありがとうございます。

なるほど女性蔑視が当たり前の社会だったということで、お釈迦様も女性蔑視ととれる発言というか、その前提を元にした発言はされているのですね。

とすると、いつから、と言ったらお釈迦様以前から、となるわけですね。勉強になりました。

仏教が女性蔑視をしてきたか、ということについては、私個人的には、少なくとも実際に蔑視、ないしは何らかの特別視をしてきたという歴史があることは認めなければならないと思いますよ。
それが良いか悪いか、正しいか間違ってるかという議論は別ですけれど。

私自身の宗派は浄土真宗なので、どっちにしても救われるみたいなので究極どっちでもいいんですけどね。

丹下さん、大慈さん、加えてありがとうございます! 大変参考になりました。

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仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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