回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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修行の本質は「懺悔」。ある意味だれしも修行者です。
あくまで僕の経験からです。
今の僧侶にとって、修行は「カリキュラム」です。運転免許を取るための教習所のようなものです。昔のように、僧侶の生活だけをして食っていけるわけではないですから、ある程度のシステム化は時代に合わせなければ仕方がないんですね。
教習所と同じで、そこで学んだ内容は、スタート時点の僧侶のスキルに大きくかかわります。シンプルな話で、修行期間が長く、内容も充実していれば、もちろん免許を取る時点での運転技術は高いですよね。期間も短く、内容もゆるやかであれば、そりゃ免許取ったばかりの時はあぶなっかしい運転をしてしまいます。笑
大切なのは、免許を取ってからです。もちろん教習所がちゃんとルールを教えないままではずっと運転が荒いままですが、それでも毎日路上に出ていれば運転はうまくなります、逆に、ちゃんとした教習所で学んでも、ずっとペーパードライバーだったら運転はどんどん下手になります。
しっかり基礎を学んだうえで、毎日運転して技術も知識も高める。修行は、教習所に似ているという所以です。
さて、その修行の本質は、「懺悔」だと思います。
懺悔とは「反省+改善」です。
お釈迦さんは、自分自身の王族としての生活と、差別を良しとして病老死から目を背ける世の中を「反省」して、修行に入ります。そして、理由もなくただ世の中を離れて修行するだけの当時の「反省なき修行者」たちに疑問を投げかけ、なぜ修行するのかを見つめなおします。
そして、最終的にはそういった自他すべての反省点を客観視して、改善することによって悟りを得ました。
修行の第一は、まずは「自分のなにがダメなのか」を自覚すること。つぎに、それを改善するための具体的な方法を模索することです。
ぼくたち仏教徒は、そのヒントをお釈迦さんや、宗派の教祖さんが教えてくれるので、ラッキーなんです。お釈迦さんは、自分で全部で見つけましたから。
そういう意味では、どんな人でも「反省と改善」を日々模索していれば、修行者です。
僧侶である必要はありません。
しかも、懺悔ってモチベーションが保ちやすいんですよね。
ただの筋トレより、ダイエットのほうがモチベーションが保てるのと同じです。
なんか、たとえばっかりですいません。笑
何に興味を持ってもらえたのでしょうか??
修行僧といっても色々ありますが…とにかく修行僧に興味関心があるのですね。
何のためにどんな事をしているか…というと一言でいうなら自ら悟り、他を悟らせるためでしょう。平たく言うと自分もみんなも幸せになるためでしょうか。
ちなみに私は浄土真宗ですので修行らしい修行はありません。そんな宗派もあるんですよ。仏教も色々ですね。
是非色々と調べてみてください。下記は参考に。
曹洞宗総本山 永平寺の修行僧(雲水)の一日
https://matome.naver.jp/odai/2143938717416547501
過酷すぎ…お坊さんが【厳しい修行】をする理由
https://matome.naver.jp/odai/2142825208317981801
1300年に2人だけ達成、命がけの苦行から大阿闍梨が学んだ3つのこと
https://globis.jp/article/2705
修行体験 - 高野山常喜院ホームページ世界遺産高野山を体験してみませんか
https://www.jo-kiin.com/修行体験/
大まかに分けて2通りだと思います。
1つは自分の苦をなんとかするために坐禅みたいな修行をする人。(一人前になったら人々に苦をなんとかする教えを説く。)
もう1つは社会の苦の身代わりになるために火の上を歩いたり荒行や苦行をする人。
前者が禅宗、後者が日蓮宗、ハイブリッドが密教。あくまで私のイメージなので間違っていたらごめんなさい。特に日蓮宗のお坊さんってなかなか出会いが無くてお話をうかがえていないんですよね…
こんにちは。
私たちの生活は思い通りにならないことばかりです。生まれることも(もっと頭が良く顔がよく背が高く生まれたかったと思っても思い通りにならない)、年をとることも、病気になることも、死ぬことも、その他さまざまな局面で思い通りにならない事だらけです。それにどうやって気持ちの決着をつけるか?それに対し、2500年前にお釈迦さまは答えを発見しました。私たち僧侶はお釈迦さまの生き方をまね、また考え方を知ることで、よりよい生き方をしようという実践をしています。もちろん独り占めではありません。多くの人も同じようにこの思い通りにならないこの世の中に対しての決着方法を導こうと努力しています。それも自分より先に他人を救おうという気持ちで。
「修行僧は」という質問ですが、本山などにいるお坊さんだけが「修行僧」ではありません。私は全てのお寺が「修行道場」だと思っています。お坊さんはみな修行道場で修行を積む修行僧なのです。
自分と他人の悩み苦しみを減らすため
仏教では、悩み苦しみの原因は煩悩だと考えます。
で、煩悩をコントロールしたり減らしたりするために、修行をするのです。
つまりは、悩み苦しみをコントロールしたり減らしたりするためです。
自分の悩み苦しみを減らすコツがわかれば、それを他人に教えることもできるはず。
だから、自分と他人の悩み苦しみを減らすため、修行するのです。
戒(生活習慣の決まりを守る修行)、
禅定(精神集中の修行)、
智慧(ものごとを観察して真理を悟る修行)
の三種類の修行(三学)が、仏教の基本です。
しかし、例えば浄土宗という宗派では、
この世では三学を実践するのが難しいので、来世で
極楽浄土という三学を実践
しやすい場所に生まれかわれるように、
極楽浄土に往生するための修行を中心にやります。
南無阿弥陀仏と念仏を口にとなえ、阿弥陀仏さまの力で極楽浄土に往生させていただくことを願う修行が、浄土宗の修行の中心です。
質問者からのお礼
自分も反省と改善を心がけて幸せについて考えたいです。たくさんのご意見ありがとうございました!