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何を信じればいいのかわかりません

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私は特に何かの宗教、宗派に属している訳ではありませんが、初詣などは神社に行くし身内のお墓はお寺にあるし、クリスマスは何となく特別な感じがしてケーキを買ってきます。
こういう状態は海外の人には驚かれるみたいですが、お坊さんから見ても変なことだとかけしらかん!と思うのですか?

私は正直あまり宗教は詳しくないですがそれぞれの考えを聞くとなるほど、と思うこともあってどれか一つに絞って信じるのは出来そうにありません。これっておかしい、いけないことですか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信じる以前に何でも受け入れている真実を信じればいい

あなたの口はどこの宗派宗教のものでものみ込めるものでしょう。
たとえば、飲み物ならお茶、コーラ、紅茶、コーヒー、サイダー、ココア何でもカモンです。
耳も、ジャズも演歌もロックもクラシックもポップも何でも聴けます。
それができなきゃ、紅白歌合戦なんて見れたもんじゃありません。
「口は争いや隔てを起こさない」「耳はあらゆる音楽を聴く。争いや隔てを起こさない。」
それが仏教であり、真の宗教性です。
私は、どの宗派の人間の話も聞けるし、そこで学べる。
私のみならず、万人がそうなのです。
人間の思想の好き嫌いによって隔てられることのない本当の宗教性。
それが、仏教なのです。

うどんも、チジミもパスタもパンも、なんも素材はみな小麦。
みんな違ってみんなイイ。
そういう宗教性こそ本物です。
何でクリスマスを楽しめない。
神社も行ってよろしい。
今から除夜の鐘を打ちに行ってもよろしい。
私の袈裟のルーツはインドの袈裟。
法衣のルーツは中国。
白衣のルーツは日本。
その下に今、ベトナム産のヒートテック。
さらにお札としてホッカイロを貼っています。
何でもござれ、ではない。
何でも受け入れることが可能なのが、我々の誰でもの真実なのです。
その真実こそ宗教性なのです。思想の宗教にするから嘘くさくなるのです。
眼は何を見ても嫌わない。耳もどんな音楽も受け入れる。口もどんな料理も受け入れる。
それを信じなさい。それを禅とか仏教という。

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💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

自分を信じてください。

こんばんは。

文面拝見するに宗教心はちゃんと持っていらっしゃると思います。

何かを信じるならば何かを否定しなきゃいけないと考えすぎると、カルトに陥る危険性もあります。
とりあえずは日本式宗教を信仰しているというスタンスでいいんじゃないでしょうか。

そのうち、何かの出会いや興味が出てきた時点で細分化すればいいですが、
信仰心はちゃんとあるので、ご自分を信じていただければ大丈夫ですよ。

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おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

迷信への執着も悩み苦しみの原因、ではある

仏教の基本としては、何かにこだわるのは悩み苦しみの原因になるので良くはありません。
また、よく確かめもしないで盲目的に何かを信じたり、頭から決めつけて何かを否定するのも、悩み苦しみにつながります。

ですから、世間の習慣・文化としてケーキ食べたりプレゼント交換したりを楽しむのはよいですが、宗教にこだわりすぎて余計な不安につながるのは避けたほうがよいです。
たとえば、観光気分でお守りやお札を買ったり、おみくじを引いたりを楽しむのはよいですが、
「今年はお札を買い忘れたから何か悪いことが起きるかも」「おみくじで凶が出た!恐い!どうしよう助けて!」「忙しくてお墓参りに行けなかった!ご先祖の祟りが恐い!」などと宗教のせいでストレスになるような考え方は、しないでください。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

そんなことはありません。

どの宗教も、否定せず受け入れる事ができる日本人は素晴らしいと思います。他の宗教を否定することは、争いを生みます。とても、柔軟な頭を持っている民族だと思います。

日本のお寺の敷地には、神社があるところがあります。私のお寺には神棚があります。
クリスマスにイルミネーションで飾るお寺もあります。

誰もが救われる事を願うのが宗教なのだと思いますよ。こだわらない事です。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

仏教を信じなさい

古来ニッポン人には、神道(しんとう)という道があり、ありとあらゆるものに神を見出しすべてに畏敬の念を持ち大切にしてきました。
神社に参拝することはニッポン人なら極自然な事です。
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次に仏教。これは教えです。道中歩みを進めるにあたり様々な苦難や誘惑があります。それらを乗り越えるための方法、それが教えであり必要不可欠なものです。
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最後に神道、仏教意外のものについて。
道があり教えを得たニッポン人にとって他のものは不要です。
クリスマス。
本来はキリスト教の厳粛な宗教行為ですが、ニッポンにおけるそれは、いわばキリスト教の魂を抜き取り抜け殻を弄んでいる極めて品格のない行為と考えます。キリスト教への冒涜と言っても過言ではない。
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あらゆるものを敬う神道の血を受け継いだニッポン人の誇りが穢れるので直ちにお祭り騒ぎはやめるべきです。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。無理にどれか一つにこだわらなくてもいいのですね。今までモヤモヤしていましたが、何だか気持ちが軽くなりました。おみくじの結果に一喜一憂したことや、お守りを持ってくるのを忘れたから今日の試験はうまくいかないかも…などと思うようなこともあったので、これからは宗教を理由に不安になりすぎないように気をつけます。

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