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何を信じればいいのかわかりません

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私は特に何かの宗教、宗派に属している訳ではありませんが、初詣などは神社に行くし身内のお墓はお寺にあるし、クリスマスは何となく特別な感じがしてケーキを買ってきます。
こういう状態は海外の人には驚かれるみたいですが、お坊さんから見ても変なことだとかけしらかん!と思うのですか?

私は正直あまり宗教は詳しくないですがそれぞれの考えを聞くとなるほど、と思うこともあってどれか一つに絞って信じるのは出来そうにありません。これっておかしい、いけないことですか?

2015年12月30日 16:29

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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信じる以前に何でも受け入れている真実を信じればいい

あなたの口はどこの宗派宗教のものでものみ込めるものでしょう。
たとえば、飲み物ならお茶、コーラ、紅茶、コーヒー、サイダー、ココア何でもカモンです。
耳も、ジャズも演歌もロックもクラシックもポップも何でも聴けます。
それができなきゃ、紅白歌合戦なんて見れたもんじゃありません。
「口は争いや隔てを起こさない」「耳はあらゆる音楽を聴く。争いや隔てを起こさない。」
それが仏教であり、真の宗教性です。
私は、どの宗派の人間の話も聞けるし、そこで学べる。
私のみならず、万人がそうなのです。
人間の思想の好き嫌いによって隔てられることのない本当の宗教性。
それが、仏教なのです。

うどんも、チジミもパスタもパンも、なんも素材はみな小麦。
みんな違ってみんなイイ。
そういう宗教性こそ本物です。
何でクリスマスを楽しめない。
神社も行ってよろしい。
今から除夜の鐘を打ちに行ってもよろしい。
私の袈裟のルーツはインドの袈裟。
法衣のルーツは中国。
白衣のルーツは日本。
その下に今、ベトナム産のヒートテック。
さらにお札としてホッカイロを貼っています。
何でもござれ、ではない。
何でも受け入れることが可能なのが、我々の誰でもの真実なのです。
その真実こそ宗教性なのです。思想の宗教にするから嘘くさくなるのです。
眼は何を見ても嫌わない。耳もどんな音楽も受け入れる。口もどんな料理も受け入れる。
それを信じなさい。それを禅とか仏教という。

2015年12月31日 22:49
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

自分を信じてください。

こんばんは。

文面拝見するに宗教心はちゃんと持っていらっしゃると思います。

何かを信じるならば何かを否定しなきゃいけないと考えすぎると、カルトに陥る危険性もあります。
とりあえずは日本式宗教を信仰しているというスタンスでいいんじゃないでしょうか。

そのうち、何かの出会いや興味が出てきた時点で細分化すればいいですが、
信仰心はちゃんとあるので、ご自分を信じていただければ大丈夫ですよ。

2015年12月30日 20:01
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おきもち

『助けて』 「当たり前だ!」 って海賊みたいに強い敵を蹴散らす...

そんなことはありません。

どの宗教も、否定せず受け入れる事ができる日本人は素晴らしいと思います。他の宗教を否定することは、争いを生みます。とても、柔軟な頭を持っている民族だと思います。

日本のお寺の敷地には、神社があるところがあります。私のお寺には神棚があります。
クリスマスにイルミネーションで飾るお寺もあります。

誰もが救われる事を願うのが宗教なのだと思いますよ。こだわらない事です。

2015年12月30日 16:43
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おきもち

仏教を信じなさい

古来ニッポン人には、神道(しんとう)という道があり、ありとあらゆるものに神を見出しすべてに畏敬の念を持ち大切にしてきました。
神社に参拝することはニッポン人なら極自然な事です。
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次に仏教。これは教えです。道中歩みを進めるにあたり様々な苦難や誘惑があります。それらを乗り越えるための方法、それが教えであり必要不可欠なものです。
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最後に神道、仏教意外のものについて。
道があり教えを得たニッポン人にとって他のものは不要です。
クリスマス。
本来はキリスト教の厳粛な宗教行為ですが、ニッポンにおけるそれは、いわばキリスト教の魂を抜き取り抜け殻を弄んでいる極めて品格のない行為と考えます。キリスト教への冒涜と言っても過言ではない。
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あらゆるものを敬う神道の血を受け継いだニッポン人の誇りが穢れるので直ちにお祭り騒ぎはやめるべきです。

2015年12月31日 4:56
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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...

迷信への執着も悩み苦しみの原因、ではある

仏教の基本としては、何かにこだわるのは悩み苦しみの原因になるので良くはありません。
また、よく確かめもしないで盲目的に何かを信じたり、頭から決めつけて何かを否定するのも、悩み苦しみにつながります。

ですから、世間の習慣・文化としてケーキ食べたりプレゼント交換したりを楽しむのはよいですが、宗教にこだわりすぎて余計な不安につながるのは避けたほうがよいです。
たとえば、観光気分でお守りやお札を買ったり、おみくじを引いたりを楽しむのはよいですが、
「今年はお札を買い忘れたから何か悪いことが起きるかも」「おみくじで凶が出た!恐い!どうしよう助けて!」「忙しくてお墓参りに行けなかった!ご先祖の祟りが恐い!」などと宗教のせいでストレスになるような考え方は、しないでください。

2015年12月30日 18:36
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。無理にどれか一つにこだわらなくてもいいのですね。今までモヤモヤしていましたが、何だか気持ちが軽くなりました。おみくじの結果に一喜一憂したことや、お守りを持ってくるのを忘れたから今日の試験はうまくいかないかも…などと思うようなこともあったので、これからは宗教を理由に不安になりすぎないように気をつけます。

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仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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