何もせず解脱したいですがやはり自殺?
この世界が嫌いで嫌いでしょうがないです。
私はこの世界の苦しみを毎日毎日受けています、
しかもそれが誰かから受け入れられる事もなく私は誰1人悩み相談せず宮沢賢治の雨にも負けずのような生き方をしています。
毎日、理論物理学を勉強して本気でセルンに協力してミニブラックホールなどで宇宙や遺伝子がなくならないかなと考えたりするほどです。
この宇宙や生物の仕組みが神秘的とは反対でクソほど汚らしいものにしか思えないのです。
この世界を作った何かはおそらく最悪な存在です。
このクソ世界から逃れるには解脱しかないと言われてますが、その解脱は、なんとくだらない仏教の何かを追求しないといけないそうです。
しかもそれはある所では踊りで、ある所では念仏で、ある所では修行とかで笑ってしまいます。
それって仏教の悟りは客観的なゴールがないということではないか!?
しかも悟るには時間かけないといけないし、仏教を理解できる知能が必要。
輪廻転生のルールを作った奴って意味不明じゃない?
悟れねえよ、人生苦しんでる時にどう仏教の追求すんだよ、どう修行とかするんだよ。ふざけんなよ。
私は仏教の矛盾に対して質問しましたが、"万人は信仰の自由がある"と言われました。
という事は結局は、仏教はみんなに取っての客観的な答えがあるものではないということですよね。キリスト教を信じてる人はゴッドを信じていて仏教の人は別の概念を信じていてそれは結局相対的でこの世界の後の世界は誰も説明できないという証拠ですよね。
結局解脱する方法はきちんと仏教を勉強できる恵まれた人、知能が高い人、仏教系の子息に生まれた人、時間が取れる人、人生に苦しんでない人という多大な時間を取らないといけません。
それならやはり解脱できない不幸な人間は自殺しかないのではと思います。
このクソルールを作った世界のゴッドだかアッラーだか宇宙だか何だか知らんがクソ制約を個人にてるくせにクソみたいに恵まれた人しか得れないシステムを作るゴミが設計してる。
さあどうすればいいのだ?
恵まれない奴はどうすれば解脱できる?
どうこの苦しみをコントロールできる?
それが輪廻転生のゴールと言われたら誰もゴールできねえし満足するわけねえだろ全知全能とは思えんしクソだろ。
宗教を勉強しても矛盾しか見えてこないので苦悩していたが原始仏教に惹かれる。哲学にも答えがないと悟る。 この世界の有り方が苦悩に満ちていて嫌い。 無神論者で反出生主義。 初期仏教や哲学や精神医療などを心の拠り所にしている。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
世界の仕組み?
早く答えを知りたいのですね。
でもおっしゃっているかぎりでの
この世界の仕組みと
ニーチェさんの苦しみは
まったく関係ありませんよ。
要するに
世界の仕組みがこんなだから俺が苦しい、ということですよね。
そんな直の因果関係が絶対に正しいと言えますか。言えないと思います。
だってニーチェさんも私もまるごとその世界の中の一員ですもん。
世界の仕組みがそのように出来ているなら
私もニーチェさんと同じように苦しんでいるはずです。でもそうではないみたいですよね。
それならばどこまでいっても個人の問題です。
世界は関係ありません。
ニーチェさんがニーチェさん個人に向き合わなければ。
苦しんでいるのがニーチェさんなら
それを救うのもまたニーチェさんご自身によってです。
いくら客観的なゴールとかシステムとか設計とか全知全能とか解脱とか
並べていっても
答えは一切見つかりません。
だってニーチェさんの苦しみとは
「まったく関係がない」のですから。
どうかお願いです。
ニーチェさん『自身』の苦しみそのものを
もう少しお聞かせ願えませんか?
実際に私たちは生きていても死んでいてもこの世界の真実を知ることがないのです。
世界についていくら言葉を並べても
アタマの中の茶番に過ぎないというのが
仏教の基本ではないかと思います。
『さあどうすればいいのだ?』
まず、世界の仕組み云々から離れることではないでしょうか。
少しずつ、離れてみると分かることがあると
私はそう願っています。
南無釈迦牟尼仏 合掌
まずは悟りやすい環境をめざす
まずは、悟りやすい環境である極楽浄土に生まれかわる(往生する)ことを確定させましょう。
極楽浄土で阿弥陀仏の指導のもとに修行すれば、必ず悟って輪廻転生から解脱できます。
南無阿弥陀仏と念仏をとなえて極楽浄土への往生を願えば、あなたの臨終の瞬間に、阿弥陀仏が迎えに来てくださいます。
人生の最後は往生極楽と思えたなら、人生のハッピーエンド確定、合格人生です。
あとは、この世での暮らしをどう快適にするか。
それ(この世を快適)についても、仏教のノウハウは役立ちます。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩はストレスの原因。
ならば、欲・怒り・怠け・プライドをうまく使いこなせば、人生の悩み苦しみストレスを制御できます。
最終的には、極楽浄土で、苦・無常・無我(空)を悟り、あらゆる煩悩を滅して、輪廻転生から解脱すればよい。
もしくは、極楽浄土から他の世界にでかけていって、生きとし生けるものを導くもよし。
あの世は極楽。この世は快適に。
仏教の方法論
ニーチェ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
私たち、この迷い苦しみの輪廻にある衆生たちは、「無明」(根本的な無知)、あるいは、「倶生の諦執」(真実執着とも言いますが、自分や現れに体して実体視して実体的にあるかのように囚われてしまうこと)により、煩悩が生じてしまい、そして、その煩悩により悪業を働いてしまうことによって、尚、輪廻の緊縛に捕らわれて、さまようことになってしまっています・・
そこを仏道を歩むことにより、対治して、輪廻の牢獄からの解脱を目指して参りたいものとなるのであります。
では、私たち、皆が悟ることはできないのか、と申しましたら、そうではなく、悟るための潜勢力、潜在力は、「心」を有する衆生(有情)であれば、皆、悟れることが可能なものであると考えます。
いわゆる「仏性」でありますが、これは、普段の粗い意識にあるものではなく、過去世から引き継ぎ、死後にも存続していく、最も微細なる意識に関わってくるものとなります。
もちろん、通常は、無明・倶生の諦執、煩悩、悪業によって邪魔されてしまっており、「仏性」を悟りへと向けて活かす機会が失われてしまうところとなっています。
また、「仏性」があるからといっても、何もしないでは、当然に悟れることはありません。悟るための「因縁」(原因と条件)をしっかりと調えることが必要となります。
その因縁を、仏道修行にて、特に「菩提心」を土台としての「智慧」と「福徳」(功徳)という二つの集積により、悟りの邪魔となっている「煩悩障」と「所知障」を断滅させることによって、悟りへと至れるように調えて参りたいものとなるのであります。
全ての宗教は、迷い苦しみを超克することによる、幸せの実現、心の平安を目指すところにおいて、各それぞれでのアプローチの違いというところがあるのではないだろうかと存じます。
いかに幸せ、心の平安を得ていくべきであるのか、仏教では、悟りへと向けたアプローチについて努めて参りたいところとなるのでございます。
川口英俊 合掌
宮沢賢治さんの詩を改めて読んでみました。
「雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲は無く 決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて
東に病気の子どもあれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい」
とても感銘を受ける詩です。
私もこのようでありたいと思います。
解脱などしなくてもいいではありませんか。
このように生きていけたら悔いはないと思いませんか。
あなたはあなたの道を歩んだらいいのです。
ただ、あなたが誰にも悩み相談せず耐えているという点が少し気になります。
親や友人など相談できる人はいないのでしょうか?
質問者からのお礼
ありがとうございます。
雨にも負けずいい詩ですが、私はもう少し煩悩を楽しみたいです。
なぜ私はこんなに苦しみながら生きてると思いながら毎日望んでもいない生活をしてる。