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ブッダの教え

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ブッダの教えを一言でまとめると何ですか?
hasunohaや本で読んでもイマイチピンとこないというか、分かりづらいというか、自分でまとめてもモヤモヤするので質問してみました。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

せめて3行は欲しい…

自分のこと自分だと思ってるやろ?違うんやで。縁起(えんぎ)っちゅう繋がりなんやで。
みんな繋がってるから、自分に繋がってる他者を大切にするんが賢いんやぞ。
自己中になったら自分の首絞めるだけやから気ぃつけや。

追記
新しく立てられた方で回答しますね

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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・自灯明
・法灯明

この二点ですね。

「自灯明」
自分を信じて、サイの角のよう前進あるのみ。

「法灯明」
仏の教えを頼りに生きなさい。

合掌

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おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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四聖諦

問問様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

一言で申すならば「四聖諦」になりますかね。。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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一切の生きとし生けるものは幸せであれ

スッタニパータの中の一節です。シンプルな言葉です。わかりきったような言葉かもしれません。でも、大事な言葉だと思います。

参考文献としては
◎「ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫) 」中村元
◎「スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫) 」荒牧典俊, 本庄良文, 榎本文雄
◎「仏教百話 (ちくま文庫) 」増谷文雄

 教えというよりも、むしろ、目標・方向性かもしれません。この言葉を前提にして、三法印、自灯明法灯明、四諦八正道、四苦八苦、六波羅蜜を理解すべきだと思います。

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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諸悪莫作・衆善奉行

 仏の教えについて何が大切か、という事については、鳥窠道林(ちょうかどうりん)と詩人の白居易(白楽天)の問答が有名です。

 鳥窠道林は、白居易に、「仏の教えにおいてもっとも大切な事は何ですか」と質問されて、
 「悪いことをせず、善いことをすること」と答えました。
 白居易は「そんな事だったら三歳の子供だって言えるぞ」と言い返すと、
 鳥窠道林は「三歳の子供でも言えるかもしれないが、八十歳の老人でも行うことはできまい」と返した。

 と、こんな話です。

 悪いことをしない、善いことをする、これを実践することこそが、仏さまの教えの一番大切な事だと思います。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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多くのお坊様と一緒ですよ

 御質問有難うございます。多くのお坊様と同じく「四諦八正道」と「自灯明」「法灯明」ですが、私の宗派は「俱会一処」です。合掌

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有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

[質問の追記]
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47023?page=1 より
ここに書かれているブッダの教えは、どの程度正しいのですか?

「お釈迦様・ブッダ」問答一覧

釈尊の教えについて疑問があり悩んでいます

人生がつらいので少しでも楽になりたくて仏教の勉強をしているものです。 お釈迦様の説いた教えについて質問です。 最近、初期仏教の経典スッタニパータを読みとても感動しました。 その結果お釈迦様はこの世の全てが縁起によって繋がっており結局は全てが同一の価値ある存在である事を理解すれば最終的には自己に囚われることもなくなり現世の苦しみをなくすことができると説いているのではないかと自分なりに解釈しました。 しかしそう考えるといくつかの疑問が浮かびました。 スッタニパータでは父母や我が子に対する愛執を捨てる事を悟りへの道とする一方で、父母に従うことが幸せであり老いた父母を養わない者は卑しいと書いてあります。 しかし無我の境地を目指すのであれば血縁関係に固執してはいけないのではないでしょうか?何故父母に限定して言及したのでしょうか?目の前で父母と知らない人が同じ様に病気や貧困や老いに苦しんでいてどちらかにしか手を差し伸べられない状況の時、知らない人を切り捨てて親子だからと特別扱いして父母に手を差し伸べるのは果たして正しいのでしょうか?両親が仏法を汚す人間であってもそれに従うことが幸せなのでしょうか?  私の父親は酒に溺れた非常に暴力的な人間で犬や猫に対して無益な殺生もしていました。母も暴力的な人間でしたし噓つきでした。私はこの両親に従うべきだったのでしょうか?老後の面倒も見なくてはいけないのでしょうか? また怒りや嫌悪についても疑問があります。 スッタニパータでは怒りや嫌悪を煩悩とし捨てることのできないことをなまぐさと言い汚らわしいことだと言う記述があります。 しかし世の中ではしばしば想像を絶するほど卑劣で残忍な事が起こります。  例えば女子小学生に乱暴して殺害した犯人をたまたまニュースで見て犯人に怒りや嫌悪感を覚えるのはなまぐさなのでしょうか?実際に知り合いの僧侶はその事件について犯人を殺してやりたいとまで言っていましたが彼は僧侶失格なのでしょうか? 自分の周りでより強いものによって不当に傷つけられている弱者を見ても怒らず苦しみも感じないことが美徳なのでしょうか? 他の記述が自分の人生価値観を根本から変える素晴らしいものだっただけに、私はこの二つの疑問に苦しみ悩んでいます。 悟りを目指す僧侶の方々にお話を聞きたいです。

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真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ