この問答を娑婆にも伝える
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言葉による思考を離れたのち、再び言葉による思考に戻ってくる
こんばんは。私は次のように説明したいと思います。
仏教は単に思考を停止することを勧めてはいません。言葉による思考を離れたのち、再び言葉による思考の世界に戻ってくるのが仏教です。そのとき、言葉による思考を離れたところに生まれるのが智慧であり、再び言葉による思考の世界に戻ってくるのは慈悲によるものです。
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有り難し
NOです
「サムイェーの宗論」
問問様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
確かに、その昔、中国の禅宗の中において、「思考停止」、「無念無想」、「不思不観」が勧められてしまっていた時代がありました。
しかし、吐蕃王国の敦煌攻略によって、上記の教えを勧める中国の禅宗の僧侶と、インドから仏教が伝わったチベット仏教の僧侶との間において、歴史的な一大論争が巻き起こります。
794年からチベットのサムイェー寺において始まった「サムイェーの宗論」です。
ここでいったんは、上記の教えを勧める中国の禅宗が有利となるものの、チベット仏教側がインドから招へいした学僧たちとの再論争にて、「思考停止」・「無念無想」・「不思不観」を勧める教えは完全に否定されるところとなります。
その問答の詳しい内容も含めて、禅定における止観に関して、仏教の認識論・論理学を学ぶ意義は大変に高くあります。
恐らく来年か、再来年かには、チベット仏教において止観を学ぶための基本書となるジャムヤンシェーパ大師の「静慮無色定大論」の和訳が刊行される予定となっていると聞いています。「静慮無色定大論」の中には「サムイェーの宗論」の問答も取り上げられています。
是非、刊行された際には、理解に役立てて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
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