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仏教とは

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仏教とは思考停止を勧めているのですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉による思考を離れたのち、再び言葉による思考に戻ってくる

こんばんは。私は次のように説明したいと思います。

仏教は単に思考を停止することを勧めてはいません。言葉による思考を離れたのち、再び言葉による思考の世界に戻ってくるのが仏教です。そのとき、言葉による思考を離れたところに生まれるのが智慧であり、再び言葉による思考の世界に戻ってくるのは慈悲によるものです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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NOです

思考そのものの停止ではなく、思考に思考を重ねて無駄に膨らませ続けることを停止します。

参考
https://hasunoha.jp/questions/20174

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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「サムイェーの宗論」

問問様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かに、その昔、中国の禅宗の中において、「思考停止」、「無念無想」、「不思不観」が勧められてしまっていた時代がありました。

しかし、吐蕃王国の敦煌攻略によって、上記の教えを勧める中国の禅宗の僧侶と、インドから仏教が伝わったチベット仏教の僧侶との間において、歴史的な一大論争が巻き起こります。

794年からチベットのサムイェー寺において始まった「サムイェーの宗論」です。

ここでいったんは、上記の教えを勧める中国の禅宗が有利となるものの、チベット仏教側がインドから招へいした学僧たちとの再論争にて、「思考停止」・「無念無想」・「不思不観」を勧める教えは完全に否定されるところとなります。

その問答の詳しい内容も含めて、禅定における止観に関して、仏教の認識論・論理学を学ぶ意義は大変に高くあります。

恐らく来年か、再来年かには、チベット仏教において止観を学ぶための基本書となるジャムヤンシェーパ大師の「静慮無色定大論」の和訳が刊行される予定となっていると聞いています。「静慮無色定大論」の中には「サムイェーの宗論」の問答も取り上げられています。

是非、刊行された際には、理解に役立てて頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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真逆です。お釈迦様はよく考えなさいと言われております。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ