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自殺したら来世でも不幸になる?

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とあるお坊さんが釈迦は自殺について原典から観ると「自殺しても人生の負け犬で、来世も不幸になることでしょう」と説いたと仰っていますが、本当に釈迦はそのように説いたのでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏さまがお救いくださって、お浄土で成仏します。

浄土真宗本願寺派の教学伝道研究センターは
原始仏典と大乗仏典にさかのぼり仏典を読み直し
自死に関する数百カ所を分析しました。
その結果
釈尊は自死について価値判断をしていないことが判明しました。

例えば
「雑阿含経」にヴァッカリという弟子の話があり
重い病の苦しみから死を考える彼を
他の弟子たちは献身的に介護し
釈尊はどう仏法を学んでいたかを問うのみでした。
結局ヴァッカリは自死しましたが
釈尊は弟子たちに「亡くなり方」そのものについて非難しませんでした。
でも自死を容認している訳でもなく
釈尊が死を考えている弟子に対応する場面などでは
「生きていてほしい」と強く願っておられました。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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釈尊の「自殺」に対する見解

川崎さま

釈尊の「自殺」に対する見解は、非常に複雑なものがあり、初期の教団においては、執着を断つために命への執着を断つ者、つまり、自殺者が多数出たことがあり、それで、不殺生戒により、自殺することを第一に禁じたと言われています。

しかし、一方、弟子の自殺を容認なさられた、黙認なさられた事例もあったのも事実であります。

その違いは、今生を終えても、まだ輪廻を解脱できずに迷い苦しむことが明白である者に対してと、既に解脱の境地に至り、自殺したとしても再び輪廻で迷い苦しむことのない者に対してと、に分けることができるのではないだろうかと存じます。

基本的に、普通の者、凡夫の自殺は、無明(根本的な無知)と煩悩によることがほとんどです。つまり、悪い動機による悪い行為となり、それが悪い業(カルマ)となって、更に輪廻に苦しむ原因となるため、そのような自殺は当然に釈尊もお認めにはならないということであります。

一方で、無明(根本的な無知)と煩悩によらず、動機が汚されておらず、行為も汚されない自殺は、容認、黙認なさられたということになるのではないだろうかと推測することができます。

ですから、既に高い境地にあり、その行為が汚されないものである者による自殺という行為は、お止めにはなられなかったということが言えるのではないだろうかと存じます。

しかし、世間における自殺の大半は、怒りや憎しみや嫉妬や絶望、悲観等からであることが多く、悪い業になることになるため、当然に止めないといけないことになります。

あとは、利他(例えば誰かを救うため)の自殺はどうなるのか、ということもありますが、その利他の動機が真に純粋な善からであれば、その自殺という行為は、善業となるため、容認されうる余地はあり得ると考えられます。

要は、仏教においては、動機と行為における業の問題を重視するということであります。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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川崎さん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

「自殺しても人生の負け犬で、来世も不幸になることでしょう」という語句で検索をかけると、それとおぼしきWebサイトが出てきました。

正直、内容を見て私は驚いています。世の中にはいろいろな仏教がありますし、hasunohaは自分とは異なる立場の仏教を批判する場所ではありませんので、批判を加えることはいたしませんが、私は件のWebサイトに書かれていることに頷くことはできません。私は違うと思います。

出典となる経典が示されておりませんが、Webサイトの文章を読む限りは、書かれた方が、初期仏教の経典を読み、ご自分の解釈を加えて述べておられるように見えます。

次に、私の受け止めとして、お釈迦様が自殺することは人生の負け犬と説いたのか考えてみますね。

そうですね。私の知っているお釈迦様はそのようなことは説きません。ただ、仏教には八万四千の法門と言われるように、膨大な量の経典群があり、互いに矛盾する内容を含んだものも存在します。そのため、もしかしたら経典の中には、そのように説く経典があったとしても不思議ではありません。

私自身が、大切にしている経典(浄土三部経)の中には、お釈迦様は自殺を良いとか悪いとか言ってるものは、私は知りませんし、聞いたことはありません。

お釈迦様は自殺したら良いよとも言わないですし、駄目だよとも言わないのですね。『仏説観無量寿経』の中でお釈迦様は「汝はこれ凡夫なり。」と述べられます。これは経典の中では、イダイケという王妃に向けられた言葉なのですが、これはイダイケ一人に留まらずに、私たち一人ひとりに向かって述べられた言葉だと私は受け止めます。

凡夫とは煩悩に振り回されて、生きることに迷い、死ぬことに迷う存在だと私は考えています。そういう存在だと、お釈迦様は私たちにおっしゃってるのですね。

私自身は、生きることが辛くて、死んだら楽になると思って命を自ら断つのは悲しいことだと思います。生きたくないから死ぬことを選ぶしかないのは悲しいです。

一方で、自ら死を選んだ人を、人生の負け犬だと侮辱することは私はしたくありません。私の中のお釈迦様は、やっぱりそんな事、言わないですね。それはその人の尊厳を傷つけ、周りの人々を傷つける言葉だと私は思います。

川崎さんご自身は、どのように考えられますか?

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真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
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【観音】音(声)を観ずる

"本当に釈迦はそのように説いたのでしょうか?"
玄奘三蔵や空海、最澄の時代とは違って、今はインターネットでも書籍でも色々いくらでもツールがあるので、どうぞご自分で納得するまで調べてみてください。

"原典から観ると"
「観る」?
もしかするとあなたの単なるタイプミスなのかもしれませんが、あなたがお坊さんから聞いたというその言葉がそっくりそのまま正確に原典に謳われてはいなかったとしても、【観】ずるまなこをお持ちなら、そこに込められた意を察することができるでしょう。

hasunoha.tenrakuin@gmail.com

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有り難し
おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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直接お聞きした訳ではありませんが。

これは、お釈迦様がそのように話したがどうか直接聞いた訳ではありませんから真意は分かりませんが、いかなることであれ、すべては原因と結果のことです。

ゆえに、どのような理由があるにせよ問題解決がなされていない事については、いつまでも結果としてでてきません。解決しなければ、さらにそれがまた原因になるので、同じような事が繰り返されることになるでしょう。
自ら命を絶ったことに対しても原因があったのでしょうから同じことです。

こうして生かされている間に少しでも向上するような行いをすれば、それが良き原因になるので結果も良くなるでしょう。
お釈迦様はそのような意味を説かれたと言えます。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ