救いが無い宗教
自分は仏教について全く詳しくありません。
しかし、仏教を辞めたという知り合いから先日こんな事を言われました。
一切皆苦、四苦八苦、諸行無常…
仏教は当たり前の事を言ってるだけで、何の救いも無い宗教だと分かった。
この世の中は抗えない事が多いから、諦めて受け入れて、死になさい。
そういう宗教だと分かった…と。
本当にそうなのでしょうか?
住職の方々の意見をお聞きしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【涅槃寂静】
"仏教は当たり前の事を言ってるだけで、何の救いも無い宗教だ"
はい。まったくもっておっしゃる通りです。
たいていの人が喉から手が出るほど欲しがる<救い>なるものを仏教は与えてはくれません。
仏教の教えるバカみたいに当たり前の事を、ちゃんと当たり前に受け止められる者は、そもそも<救い>なんか求めんよ。
自分の思い通りにするための宗教ではない。
こんばんは。
類似がありましたので貼っておきますね。
https://hasunoha.jp/questions/49460
そのお友達は、仏教に教科書があったとしたら1ページ目を見ただけの感がありますね。やめるのが早すぎです。
過去の質問を拝読しますと、あなたは今難病にかかっているとの事です。病気の事についてはわかりませんが、質問の内容からすると治療は難しいのでしょうか。そんなとき仏教はあなたに「治らないなら断念してそのまま死になさい」なんて事は言いません。またおまじないで治そうとも言いません。例えばね、病気であってもあなたのできる範囲で「①善い行いをする(優しい言葉をかけるなど)②悪い行いをしない(人の悪口を言わない、嘘をつかないなど)③人のためになることをする」というのはできますよね。これを実行しましょう、というのが仏教の教えのひとつにあります。仏教は人間としてよりよく生きる、その生き方を示したものなのです。これらの行動をするのは気持ちの良いことです。気持ちが救われる事でしょう。
宗教を頭で理解しようとすれば哲学(思想)です。
哲学(思想)に「祈り」が加わるから宗教なのです。
たしかに、仏教は人として生きる為の指針としての教えはあります。
その教えを実行してこそ、生きた宗教となります。
誰に祈るのか、神仏の存在があるからです。
そして祈る力によって自らを輝かせる(努力する)ことができるから、自ずから運命の好転があり、それを救いと言えるでしょう。
自分を救うのは、あくまでも自分自身
とよさま
仏教においては、自分を救うのは、あくまでも自分自身(自分の行い・業)次第となります。
仏教は、自分の行い(業)をより善くに調えるための頼りとなる教えと言えます。
そのため、真理に基づいて、より善くしていくための因縁(原因と条件)が説かれてございます。
虚無、悲観的に諦めてしまって、自分の行い(業)をより善くしていくことに何も努めないというのであれば、また同じような迷い苦しみの輪廻を彷徨うことになってしまいます。
実践哲学であるとお考え下さいませ。
川口英俊 合掌