何のために生まれたのでしょうか。
こんにちは
私はずっと両親に厳しく育てられてきました。
幼いころはただ言うことを聞く、いいこであることに専念していました。
しかし、最近では両親の言っていることが正しくないと感じることが多くあり、「それは間違っている」と伝えようとしても、結局最後は私が折れて黙ってしまいます。
もともと仲がいい家族ではありませんが、このこともあり最近はさらによくありません。
「お前の顔なんか見たくない」など、存在を否定されることもあります。
私は何のために生まれたのでしょうか。
私の存在意義はなんなんでしょうか。
そして、家族との関係はどうしたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
守・破・離
ゆえさん
はじめまして、hasunohaの井上広法ともうします。
厳しいご両親のもと育てられ、「いい子」でいることも疲れますよね。
自分自身が成長し様々な価値観や考え方を身につけ、最近では親の意見だけが正しいというのが幻想であることに気がつかれたのではないかと察します。
その通りです。
親といっても完璧ではなく、必ず正しいわけではありません。
さらには、親の意見に対立すると、それを力や権威でねじ伏せようとするのであれば、それはたまったものではありません。親に自分の存在を否定されるのはとてもとてもとても辛いことです。
さて、ゆえさんに次の言葉をプレゼントします。
『守破離(しゅはり)』
これは日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つです。
親子関係も師弟関係のようだと思いますので、参考になると思います。
最初は『守ること』
ここでは、ご両親の言うことをしっかり守ることを意味します。
ご様子から伺うと、十分に、ゆえさんは守ってきたと思います。
「いい子」を続けてきたことです。
そして、次は『破ること』
守ってきたことを打ち破ること。型を破る。
これは、いまのゆえさんのいるところかも知れません。
ご両親の意見以外にきちんと自分の意見ももっているわけですから。
そして最後は『離れること』
いままで教えてもらったり、与えられてきた型から離れることです。
ご両親から物理的にも心理的にも離れる自立を指します。
これからゆえさんがむかえるであろうステージです。
『守ること』→『破ること』→『離れること』です。
この言葉が教えてくれるのは、ずっと守ることが正しいというわけではないということです。
キチンと破って離れて、はじめて一人前です。
そして、破って離れたときに、振り返ってもう一度ご両親をみてみてください。
そのときに改めて生まれてきた意味を考えても遅くはないと思います。
都合のいい子
親はついつい子供に対して都合のいい子を要求してしまうものです。
こどもをコテンパンに打ち負かすことで❝勝った❞と思うような親もいます。
あなたが親に求めているのは、自分そのままを認めてくれる度量であり、受け入れてくれる器量。微妙な気持ちを分かってもらいたくてもウマく伝えられないのでしょう。
あなたも感情的にならずに、自分の気持ちを上手に表現できるように言葉をもっと学びましょう。もしくは初めから言うべき事は文字化しておきましょう。
親とのいざこざにおいて有効な方法を一つ。
Aの議論では完全に打ち負かされても、親の言っていることはきっちり受け止めることです。
負けてあげるのです。単なる反発、反抗ではガキンチョです。
親もあなたと同様、主張があります。
その主張をまずは全部吐かせてそれをキチンとあなたも受け止め、反省、じっくり受け止める。
「それはよく分かりました。今後気を付けて、二度とないように努めます。🙍 ごめんなちゃい。
…ではこの話はここで一度話をきるね。今の話とは別に私の話を聴いて、受けとめてもらいたいことがあるんだけど…」とあなたの話は仕切り直しをすることです。
親も子供を抑えつけようとして罵詈雑言や厳しい言葉で罵る事も家族だからこそ、あるものです。
親にとって都合のいい子である必要はありませんが、親は子供に従順、孝順を求めるものです。親だって伝え方はプロではありませんしドラマに出てくるような理想的ママ、オヤジではありません。そこはあなたもレベルの高さを要求しないことです。
あなたが大らかであることで親もあなたを大人として認めます。
その為には、まずは親の小言をあえて愛として受け止めてあげるゆとりが必要です。
感情的になって「なんで、そんなひどい言い方するの!」みたいに爆発したら自分に負けです。
チャンと冷静に話し合いができていないのではないでしょうか。
キャッチボールは受け止めるべき時には絶対にアナタ側から別のボールを投げちゃいけないのです。ボールは一つなのです。
相手が投げっパナシならば、まずは投げて疲れるまで投げさせることです。
都合のいい子、聞き分けのイイ子、物わかりのいい子、自分らしいくてイイ子、協調性のあるいい子、いろんないい子になれると柔軟性のあるイイ子です。
これは反抗期です。
ゆえさん、これは反抗期です。意見の対立はどんな人でもこの10代の時期に起こります。あなたは大人への第1歩を踏み出しました。あなたの人生がこれから変わるときです。あなたが親の言葉に今、心に響くことは第3者から見て正しくても皆無です。自分の意志を通しましょう。親の意見が正しいかどうかは後のち解ることですので、親の気持ちだけは踏みましょう。
今、あなたが出来ることは自分がされて(言われて)嫌なことはしない。人の悪口を言わず、良いところを探す。犯罪は犯さない。嘘は出来るだけつかない。親も友人も先生も自分も傷つけない。10代のあなたに出来ることはこれだけです。まず、ここから始めてみませんか?
悩んで、向き合ってこそ
ゆえ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
これまでにも生まれた理由や意味、生きる意味や価値についてのご質問、誠に多く頂戴させて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/生きる意味
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/生きる価値
振り返りますと、拙生も十代、二十代の頃は大いにそれらの問いに悩んでおりました。もちろん今も完全に無くなったわけではありませんが、仏教を学び進めることで随分とそれらの問いについて悩むことが少なくなったのではないかと存じております。
また、当然にゆえ様と同じように親や家族との関係でも苦しむことがございました。もちろんそれもまだ完全には無くなっているわけではありません。しかし、一体何が正しくて、何が間違っているのかということも含めて、色々と仏教的に考えるところが多くございました。
やがて、正誤や善悪の問題は、正直、相対的な価値判断の問題でもあり、結局のところ、どちらも実体としてはあり得ていない、「空」なるもので、「縁起」により一応は成り立っているものでしかないので、あまりにもとらわれて、こだわって、偏って、執着しても仕方のないものだと理解することができるようになって参りました。
もちろん、だからといって現実実際上における問題を見過ごすということではなくて、よりどのようにすれば、その問題を解決へと向かわせることができるのかが分かってくるというものでございます。
ただ、これも悩み苦しんで逃げずに向き合ったからこそある程度理解できたことだと思います。
ゆえ様も、どうか、今の問題と逃げずに向き合いながら、自分なりの納得、得心を得られるまで悩まれて、考えて頂けましたらと存じます。ただ、大鐵様のおっしゃられているように道を外すことだけはくれぐれもないようにお気をつけ下さいませ。そして、もし宜しければ少しこの機会から仏教にも興味を持って頂けましたら有り難くに存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
人として生ききるためです
ゆえさん、おはようございます。
私も10代の頃は「なぜ生きるのか」悩みました。
試しにこんな本やマンガを読んではいかがでしょうか?
手塚治虫『ブラックジャック』
手塚治虫『鉄腕アトム』
手塚治虫『ブッダ』
稲盛和夫『稲盛和夫の哲学』
稲盛和夫『生き方』