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何のために生まれたのでしょうか。

回答数回答 5
有り難し有り難し 389

こんにちは

私はずっと両親に厳しく育てられてきました。
幼いころはただ言うことを聞く、いいこであることに専念していました。
しかし、最近では両親の言っていることが正しくないと感じることが多くあり、「それは間違っている」と伝えようとしても、結局最後は私が折れて黙ってしまいます。

もともと仲がいい家族ではありませんが、このこともあり最近はさらによくありません。
「お前の顔なんか見たくない」など、存在を否定されることもあります。
私は何のために生まれたのでしょうか。
私の存在意義はなんなんでしょうか。
そして、家族との関係はどうしたらいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

守・破・離

ゆえさん

はじめまして、hasunohaの井上広法ともうします。

厳しいご両親のもと育てられ、「いい子」でいることも疲れますよね。

自分自身が成長し様々な価値観や考え方を身につけ、最近では親の意見だけが正しいというのが幻想であることに気がつかれたのではないかと察します。

その通りです。

親といっても完璧ではなく、必ず正しいわけではありません。

さらには、親の意見に対立すると、それを力や権威でねじ伏せようとするのであれば、それはたまったものではありません。親に自分の存在を否定されるのはとてもとてもとても辛いことです。

さて、ゆえさんに次の言葉をプレゼントします。

『守破離(しゅはり)』

これは日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つです。
親子関係も師弟関係のようだと思いますので、参考になると思います。

最初は『守ること』
ここでは、ご両親の言うことをしっかり守ることを意味します。
ご様子から伺うと、十分に、ゆえさんは守ってきたと思います。
「いい子」を続けてきたことです。

そして、次は『破ること』
守ってきたことを打ち破ること。型を破る。
これは、いまのゆえさんのいるところかも知れません。
ご両親の意見以外にきちんと自分の意見ももっているわけですから。

そして最後は『離れること』
いままで教えてもらったり、与えられてきた型から離れることです。
ご両親から物理的にも心理的にも離れる自立を指します。
これからゆえさんがむかえるであろうステージです。

『守ること』→『破ること』→『離れること』です。

この言葉が教えてくれるのは、ずっと守ることが正しいというわけではないということです。

キチンと破って離れて、はじめて一人前です。
そして、破って離れたときに、振り返ってもう一度ご両親をみてみてください。

そのときに改めて生まれてきた意味を考えても遅くはないと思います。

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有り難し
おきもち

hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を...
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都合のいい子

親はついつい子供に対して都合のいい子を要求してしまうものです。
こどもをコテンパンに打ち負かすことで❝勝った❞と思うような親もいます。
あなたが親に求めているのは、自分そのままを認めてくれる度量であり、受け入れてくれる器量。微妙な気持ちを分かってもらいたくてもウマく伝えられないのでしょう。
あなたも感情的にならずに、自分の気持ちを上手に表現できるように言葉をもっと学びましょう。もしくは初めから言うべき事は文字化しておきましょう。
親とのいざこざにおいて有効な方法を一つ。
Aの議論では完全に打ち負かされても、親の言っていることはきっちり受け止めることです。
負けてあげるのです。単なる反発、反抗ではガキンチョです。
親もあなたと同様、主張があります。
その主張をまずは全部吐かせてそれをキチンとあなたも受け止め、反省、じっくり受け止める。
「それはよく分かりました。今後気を付けて、二度とないように努めます。🙍 ごめんなちゃい。
…ではこの話はここで一度話をきるね。今の話とは別に私の話を聴いて、受けとめてもらいたいことがあるんだけど…」とあなたの話は仕切り直しをすることです。
親も子供を抑えつけようとして罵詈雑言や厳しい言葉で罵る事も家族だからこそ、あるものです。
親にとって都合のいい子である必要はありませんが、親は子供に従順、孝順を求めるものです。親だって伝え方はプロではありませんしドラマに出てくるような理想的ママ、オヤジではありません。そこはあなたもレベルの高さを要求しないことです。
あなたが大らかであることで親もあなたを大人として認めます。
その為には、まずは親の小言をあえて愛として受け止めてあげるゆとりが必要です。
感情的になって「なんで、そんなひどい言い方するの!」みたいに爆発したら自分に負けです。
チャンと冷静に話し合いができていないのではないでしょうか。
キャッチボールは受け止めるべき時には絶対にアナタ側から別のボールを投げちゃいけないのです。ボールは一つなのです。
相手が投げっパナシならば、まずは投げて疲れるまで投げさせることです。
都合のいい子、聞き分けのイイ子、物わかりのいい子、自分らしいくてイイ子、協調性のあるいい子、いろんないい子になれると柔軟性のあるイイ子です。

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有り難し
おきもち

これは反抗期です。

 ゆえさん、これは反抗期です。意見の対立はどんな人でもこの10代の時期に起こります。あなたは大人への第1歩を踏み出しました。あなたの人生がこれから変わるときです。あなたが親の言葉に今、心に響くことは第3者から見て正しくても皆無です。自分の意志を通しましょう。親の意見が正しいかどうかは後のち解ることですので、親の気持ちだけは踏みましょう。
 今、あなたが出来ることは自分がされて(言われて)嫌なことはしない。人の悪口を言わず、良いところを探す。犯罪は犯さない。嘘は出来るだけつかない。親も友人も先生も自分も傷つけない。10代のあなたに出来ることはこれだけです。まず、ここから始めてみませんか?
 

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有り難し
おきもち

あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのでは...
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悩んで、向き合ってこそ

ゆえ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでにも生まれた理由や意味、生きる意味や価値についてのご質問、誠に多く頂戴させて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/生きる意味
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/生きる価値

振り返りますと、拙生も十代、二十代の頃は大いにそれらの問いに悩んでおりました。もちろん今も完全に無くなったわけではありませんが、仏教を学び進めることで随分とそれらの問いについて悩むことが少なくなったのではないかと存じております。

また、当然にゆえ様と同じように親や家族との関係でも苦しむことがございました。もちろんそれもまだ完全には無くなっているわけではありません。しかし、一体何が正しくて、何が間違っているのかということも含めて、色々と仏教的に考えるところが多くございました。

やがて、正誤や善悪の問題は、正直、相対的な価値判断の問題でもあり、結局のところ、どちらも実体としてはあり得ていない、「空」なるもので、「縁起」により一応は成り立っているものでしかないので、あまりにもとらわれて、こだわって、偏って、執着しても仕方のないものだと理解することができるようになって参りました。

もちろん、だからといって現実実際上における問題を見過ごすということではなくて、よりどのようにすれば、その問題を解決へと向かわせることができるのかが分かってくるというものでございます。

ただ、これも悩み苦しんで逃げずに向き合ったからこそある程度理解できたことだと思います。

ゆえ様も、どうか、今の問題と逃げずに向き合いながら、自分なりの納得、得心を得られるまで悩まれて、考えて頂けましたらと存じます。ただ、大鐵様のおっしゃられているように道を外すことだけはくれぐれもないようにお気をつけ下さいませ。そして、もし宜しければ少しこの機会から仏教にも興味を持って頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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人として生ききるためです

ゆえさん、おはようございます。
私も10代の頃は「なぜ生きるのか」悩みました。
試しにこんな本やマンガを読んではいかがでしょうか?
手塚治虫『ブラックジャック』
手塚治虫『鉄腕アトム』
手塚治虫『ブッダ』
稲盛和夫『稲盛和夫の哲学』
稲盛和夫『生き方』

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有坂脩岳(しゅうちゃん)
『般若心経』を梵語(サンスクリット語)で読める日本でも珍しいお坊さんです。...
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「生きる意味」問答一覧

昔の教え子と相撲をとり思わぬ結果に戸惑い

以前下記の質問をした者です。 https://hasunoha.jp/questions/66841 ご回答どおり教え子と相撲をとりました(スポーツ施設内の正規の土俵です)。 私は47歳、170cm、102kgの巨漢。彼は20歳、168cm、53kgの細身。 結果は10勝5敗で...彼の勝ち越しでした。 こんな結果になった原因ですが、私の体力が衰え過ぎでした。 日頃の運動不足に過度の喫煙が加わり、すぐに息切れしてしまいました。 そして脚の筋力はないのに体重だけはあるので自分の巨体を支えきれず、常に膝が伸びて棒立ちでした。 足腰が不安定な状態で彼に懐に潜り込まれ、私はまわしがとれないまま彼に双差しを許し、巨漢の私が細身の彼に真正面から寄り切られてしまう、という内容が大半でした。 最後の取組もこの負け方でしたが、土俵際に追い込まれた際あまりの苦しさに「まわしが、とれない」と声に出してしまう程でした。 私は、年齢差もあるので彼に負けるかもしれないとは思っていましたが、まさか幾度も真正面から寄り切られるとは予想していませんでした。 尤も、事前にまわしを締める際、私は羞恥心もあり下に短パンを履きましたが、彼は「男と男の勝負なので正々堂々と戦いたい」と、お尻を出してきました。この時点で、私は彼に気持ちの上で負けていたのかもしれません。 対決が終わった後、負けた私は寧ろ清々しい気持ちでした。 小学校時代は本当に華奢で身長も体重もクラスの男子で最低だった彼が、 私の巨体に物怖じせず相撲で真っ向勝負を挑んでくるほど強く育ってくれたこと、 女子にもよく泣かされる弱虫だった彼が、恥ずかしがらずにお尻を出してまわしを締めるほど精神的にもたくましくなってくれたことが、教師として嬉しくて仕方ありませんでした。 その反面、勝ったはずの彼の方が、どこか物悲しげで寂しそうな表情をしていました。 「勝てると思ってなかった」と幾度か言っていたので、私を本物の力士のように強いと思っていたのでしょう。 現実の私は、彼の思い描いていた姿ではありませんでした。10年の歳月はやはり残酷ですね。 彼に、電話か手紙で励ましの言葉を贈ろうと思います。敗者が勝者を励ますというのも変な話ですが、相撲の勝敗と勝負後の気持ちが逆だったので、私が励ます側だと思っています。何と言ってあげれば良いでしょうか。

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ADHDの私は社会でやっていけるのか

私は3年ほど前から心身の不調により心療内科に通っています。主な症状は鬱や過眠で、大学の授業にもあまり出席できず、通院状況を大学側に伝え、学生支援室から配慮を受けながら通学しています。はじめは睡眠障害と診断されていたのですが、昨年主治医からADHDと診断され、過眠によって朝に起きられないのもその特性によるものではないかと伝えられました。確かに私はADHDの特性としてあげられる不注意が多く、スケジュール管理や部屋の片付けが苦手で生活が乱れることが多いです。ただ、勉強はむしろ得意な方なので大学で実家を離れて一人暮らしを始めるまでその症状が可視化されなかったのかもしれません。 診断を受けてから今までの生活を見直し、同じ症状に悩む方々のライフハックを参考にしたり、自分なりに苦手なタスクを自動化する方法を考えたり工夫はしていますが、今年で大学4年生になるため、大学の学生支援室の方からも厳しいコメントを頂くようになりました。 周りの子達が就活を進める中で、あなたは社会でどうやっていくのか。朝起きられない、スケジュール管理ができないといったことは社会では通用しないが、卒業後あなたはどうするつもりなのか。といったコメントを度々貰うようになり、分かっていてもそういった言葉を聞く度に生きているのが嫌になってしまいます。社会から見れば自分が甘えた人間であることは言われなくても分かっています。社会に出たらどうするのと聞かれても、これが私の精一杯でどうすることもできないというのが答えです。 私は今大学院への進学を考えていますが、進学してもいずれ社会に出る日は来ます。その日が来るのが怖くて自分で選んだ院への進学という道さえ就職から逃げた結果のように思えてきます。大学もまともに通えない人間が社会でやっていけるのでしょうか。社会でやっていけない人間が生きる意味はあるんでしょうか。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

生きてる意味

いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

有り難し有り難し 23
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今の幸せを感じるには

大学卒業後、就職した職場でなかなか環境に慣れることができず適応障害になって退職し、そこからフルで働くことができなくなりました。 今は平日パートタイムで働いていて、なんとか4.5年続いていますが、人間関係や労働環境は最悪です。 給料が低いことと、この先また適応障害になって寝込んで動けない状態になるかもしれないという恐れから、今だに実家暮らしです。 また大学時代からずっと付き合っていた人と1.2年前に別れ、結婚や子供も諦めました。 この歳になっていまだに自立できていないこと、仕事のキャリアを積んでいけないこと、親に孫の顔を見せられないことなど現実に向き合えない自分が嫌です。何のために生きているか分からず、無意識に死にたいという言葉が口から出るようになりました。 自分も両親も健康で、大きな病気や怪我もなく、借金や人間関係など大変な問題を抱えてるわけでもありません。 明日食べるものに困るような状態でもなく、とても恵まれた状態であるにも関わらず、ずっと「もう人生を終えたい」と考えています。 死にたいというよりは、今ある面倒なことから逃げたいというのが本音かもしれません。 安心して過ごせる家があるというだけでとても幸せなことなのに、なかなかそれを実感することができません。 どうしたら今すでに身の回りに存在している幸せに気づいて、死にたいと考えてしまうことを減らしていけますでしょうか。

有り難し有り難し 9
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生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

有り難し有り難し 12
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ