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何のために生まれたのでしょうか。

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こんにちは

私はずっと両親に厳しく育てられてきました。
幼いころはただ言うことを聞く、いいこであることに専念していました。
しかし、最近では両親の言っていることが正しくないと感じることが多くあり、「それは間違っている」と伝えようとしても、結局最後は私が折れて黙ってしまいます。

もともと仲がいい家族ではありませんが、このこともあり最近はさらによくありません。
「お前の顔なんか見たくない」など、存在を否定されることもあります。
私は何のために生まれたのでしょうか。
私の存在意義はなんなんでしょうか。
そして、家族との関係はどうしたらいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

守・破・離

ゆえさん

はじめまして、hasunohaの井上広法ともうします。

厳しいご両親のもと育てられ、「いい子」でいることも疲れますよね。

自分自身が成長し様々な価値観や考え方を身につけ、最近では親の意見だけが正しいというのが幻想であることに気がつかれたのではないかと察します。

その通りです。

親といっても完璧ではなく、必ず正しいわけではありません。

さらには、親の意見に対立すると、それを力や権威でねじ伏せようとするのであれば、それはたまったものではありません。親に自分の存在を否定されるのはとてもとてもとても辛いことです。

さて、ゆえさんに次の言葉をプレゼントします。

『守破離(しゅはり)』

これは日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つです。
親子関係も師弟関係のようだと思いますので、参考になると思います。

最初は『守ること』
ここでは、ご両親の言うことをしっかり守ることを意味します。
ご様子から伺うと、十分に、ゆえさんは守ってきたと思います。
「いい子」を続けてきたことです。

そして、次は『破ること』
守ってきたことを打ち破ること。型を破る。
これは、いまのゆえさんのいるところかも知れません。
ご両親の意見以外にきちんと自分の意見ももっているわけですから。

そして最後は『離れること』
いままで教えてもらったり、与えられてきた型から離れることです。
ご両親から物理的にも心理的にも離れる自立を指します。
これからゆえさんがむかえるであろうステージです。

『守ること』→『破ること』→『離れること』です。

この言葉が教えてくれるのは、ずっと守ることが正しいというわけではないということです。

キチンと破って離れて、はじめて一人前です。
そして、破って離れたときに、振り返ってもう一度ご両親をみてみてください。

そのときに改めて生まれてきた意味を考えても遅くはないと思います。

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hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を...

都合のいい子

親はついつい子供に対して都合のいい子を要求してしまうものです。
こどもをコテンパンに打ち負かすことで❝勝った❞と思うような親もいます。
あなたが親に求めているのは、自分そのままを認めてくれる度量であり、受け入れてくれる器量。微妙な気持ちを分かってもらいたくてもウマく伝えられないのでしょう。
あなたも感情的にならずに、自分の気持ちを上手に表現できるように言葉をもっと学びましょう。もしくは初めから言うべき事は文字化しておきましょう。
親とのいざこざにおいて有効な方法を一つ。
Aの議論では完全に打ち負かされても、親の言っていることはきっちり受け止めることです。
負けてあげるのです。単なる反発、反抗ではガキンチョです。
親もあなたと同様、主張があります。
その主張をまずは全部吐かせてそれをキチンとあなたも受け止め、反省、じっくり受け止める。
「それはよく分かりました。今後気を付けて、二度とないように努めます。🙍 ごめんなちゃい。
…ではこの話はここで一度話をきるね。今の話とは別に私の話を聴いて、受けとめてもらいたいことがあるんだけど…」とあなたの話は仕切り直しをすることです。
親も子供を抑えつけようとして罵詈雑言や厳しい言葉で罵る事も家族だからこそ、あるものです。
親にとって都合のいい子である必要はありませんが、親は子供に従順、孝順を求めるものです。親だって伝え方はプロではありませんしドラマに出てくるような理想的ママ、オヤジではありません。そこはあなたもレベルの高さを要求しないことです。
あなたが大らかであることで親もあなたを大人として認めます。
その為には、まずは親の小言をあえて愛として受け止めてあげるゆとりが必要です。
感情的になって「なんで、そんなひどい言い方するの!」みたいに爆発したら自分に負けです。
チャンと冷静に話し合いができていないのではないでしょうか。
キャッチボールは受け止めるべき時には絶対にアナタ側から別のボールを投げちゃいけないのです。ボールは一つなのです。
相手が投げっパナシならば、まずは投げて疲れるまで投げさせることです。
都合のいい子、聞き分けのイイ子、物わかりのいい子、自分らしいくてイイ子、協調性のあるいい子、いろんないい子になれると柔軟性のあるイイ子です。

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丹下覚元(たんげかくげん)
かくげん和尚の電話おなやみ相談  📞08020659278 そのモ...

これは反抗期です。

 ゆえさん、これは反抗期です。意見の対立はどんな人でもこの10代の時期に起こります。あなたは大人への第1歩を踏み出しました。あなたの人生がこれから変わるときです。あなたが親の言葉に今、心に響くことは第3者から見て正しくても皆無です。自分の意志を通しましょう。親の意見が正しいかどうかは後のち解ることですので、親の気持ちだけは踏みましょう。
 今、あなたが出来ることは自分がされて(言われて)嫌なことはしない。人の悪口を言わず、良いところを探す。犯罪は犯さない。嘘は出来るだけつかない。親も友人も先生も自分も傷つけない。10代のあなたに出来ることはこれだけです。まず、ここから始めてみませんか?
 

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

悩んで、向き合ってこそ

ゆえ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでにも生まれた理由や意味、生きる意味や価値についてのご質問、誠に多く頂戴させて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/生きる意味
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/生きる価値

振り返りますと、拙生も十代、二十代の頃は大いにそれらの問いに悩んでおりました。もちろん今も完全に無くなったわけではありませんが、仏教を学び進めることで随分とそれらの問いについて悩むことが少なくなったのではないかと存じております。

また、当然にゆえ様と同じように親や家族との関係でも苦しむことがございました。もちろんそれもまだ完全には無くなっているわけではありません。しかし、一体何が正しくて、何が間違っているのかということも含めて、色々と仏教的に考えるところが多くございました。

やがて、正誤や善悪の問題は、正直、相対的な価値判断の問題でもあり、結局のところ、どちらも実体としてはあり得ていない、「空」なるもので、「縁起」により一応は成り立っているものでしかないので、あまりにもとらわれて、こだわって、偏って、執着しても仕方のないものだと理解することができるようになって参りました。

もちろん、だからといって現実実際上における問題を見過ごすということではなくて、よりどのようにすれば、その問題を解決へと向かわせることができるのかが分かってくるというものでございます。

ただ、これも悩み苦しんで逃げずに向き合ったからこそある程度理解できたことだと思います。

ゆえ様も、どうか、今の問題と逃げずに向き合いながら、自分なりの納得、得心を得られるまで悩まれて、考えて頂けましたらと存じます。ただ、大鐵様のおっしゃられているように道を外すことだけはくれぐれもないようにお気をつけ下さいませ。そして、もし宜しければ少しこの機会から仏教にも興味を持って頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

人として生ききるためです

ゆえさん、おはようございます。
私も10代の頃は「なぜ生きるのか」悩みました。
試しにこんな本やマンガを読んではいかがでしょうか?
手塚治虫『ブラックジャック』
手塚治虫『鉄腕アトム』
手塚治虫『ブッダ』
稲盛和夫『稲盛和夫の哲学』
稲盛和夫『生き方』

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有坂脩岳(しゅうちゃん)
『般若心経』を梵語(サンスクリット語)で読める日本でも珍しいお坊さんです。...

「生きる意味」問答一覧

生きることに価値はあるのか

はじめまして。突然の独白失礼致します。 私は、常に悩みの中に居ます。 自分には生きている意味や価値があるのか?と言う問いはよく耳にしますが、私は生きていることそれ自体に意味や価値があるのか、と言う問いをずっと胸に抱えております。 意味も価値も所詮は人間の決めた尺度であり、それは誰かから与えられるものでは無く、自らの生の意味や価値は自らが決めるしかない、と思う一方で 人間を全体として見れば、やはり人が生きることに何らの意味や価値も無い様に思えてしまうのです。 個人は、死と言う終着点があるからこそ、種を紡いだり、意志を遺したり、自らの存在を個として終わらせず、何かを遺そうとするのだと思います。 果たして人間全体を個として見た時、その終着点が何処にあるのか、それが分からない為、煩悶してしまうのです。 もしかすると、100年後には全てが無くなっているかもしれません。それは1000年先のことかもしれないし、明日のことかもしれません。 いずれにせよ、始まりのあるものには、終わりが来る訳ですから、全体その時我々人間が紡ごうとしていたものは、どうなってしまうのでしょうか。 何かを遺そうとしても、それを受ける人間が居なくなってしまうなら、果たしてその行為に意味はあるのでしょうか? 私は、価値の源泉は希求にあると考えます。 価値があると信ずるからこそ、そこに価値が生まれるのだと。 だからこそ、私は自らが信じられると思ったものを必死に追い続けて来ました。 しかし、上記した様な考えが頭をもたげると、どうしてもそれが揺らいでしまう瞬間があるのです。 これは、私の心が弱いからなのでしょうか? 私がいつか答えに出逢えるとするならば、それは私の都合の良い解釈なのか、或いは本当の答えが未だ見ぬ何処かにあるのか。 私には、もう何も分かりません。 信ずる道を行かれるお坊様に、どうしてもお聞きしたくて、此処に書かせて頂いた次第でございます。 末筆ではございますが、長く読み辛い文章になってしまったことをお詫び申し上げます。 また、最後までお読み頂いたことに感謝致します。

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「生きる意味」は意味があるのか

「生きる意味を探そう」などといった啓発がよくなされていますが、そうやって見つけた生きる目的には何の意味があるのでしょうか。 いずれ無くなるであろう地球(現世)で、どうやっても百余年で死んでしまう私たちが、「生きる意味」をもって行動したとしても大局的には意味のないことだと思ってしまいます。 小さい頃、自分は歴史に名を残す偉業を成し遂げたいと思っていました。しかし年を重ねるにつれ、そんな社会貢献ができたとして何になるのかを強く考えるようになりました。偉大な結果を残したとしても、自分が死んだらその後の世界を見ることはできない(自分の功績の影響は認知できない)し、世界が終われば無に帰します。「生きる意味」と思っていたものの意味がなくなるように感じてしまいます。 これは「そんな偉業は成し遂げられない」という諦観がそうさせている面もあるとは思いますが、「自分が起こした行動が現在、そして死後の未来に影響を与えたとして、だから何になるのか」を強く考えていることに変わりはないです。 こう考えることで、生きる意味も、それを探すことも無意味に思えてしまっています。 生きる上で苦痛が耐えないこともこの考えを助長しています。なぜ人は苦しみがある中でも生き、この社会で何かを残そうとし、命のバトンを繋いでいくのでしょうか。また、何かを残そうというモチベーションもなく日々を生きている人々は、どんな「生きる意味」をもって生きているのでしょうか。 私自身は、生きる上で生じる苦痛を上回る「生きる意味」を未だ見つけられていませんし、「生きる意味」を見つけるために努力することも億劫で、苦しいのでしたくなくなっています。こんな思いを抱きながら生きるより、すっと消えてしまえた方が楽なのではないか、という考えすら頭に浮かび、数か月離れないので、ここに思いの丈を書かせていただきました。 とりとめのない話になってしまいましたが、よければこのことに関する仏教に基づいたお話をお聞かせください。よろしくお願いいたします。

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地獄を繰り返すために生まれてきたのか?

この世界で生きる意味について聞きたいです。 私は親がいつも怒鳴りあう家で生まれました。父親は自分の思い通りにならなければ許せない人間で、いうことを聞かなければ暴力と金銭を振りかざします。それは自分に対しても同じなので黙って言うことを聞き、こんな男にはならないと誓いました。しかし、約束を守ってくれない母親や姉に私が普通の声で怒ると二人から父親のようだと軽蔑されました。彼女達もいつも大声で怒鳴りあうのに。その頃から「自我や感情を持ってはいけない」という思いが生まれ「親父のようになりたくないから、人の気持ちを優先するようにしよう」と決めました。 それからは家でも、学校でもピエロのように本気にならない人間を目指し、人から馬鹿にされても何を言われても「俺は怒らないし、正しく判断できる人間じゃない」と思って生きました。でも、高校の終わりごろから他人から求められる自分像を維持することが難しくなり、まともじゃない自分に自信を喪失してしまいました。 このままではいけないと思い、大学からカウンセリングに行きはじめ改めて原因が家族関係にあることに気づきました。そこで認知の歪みをなくせば「まともな人間」になれると思い、自分の認識や考えに疑いを持つようになりました。その中で、経済や歴史・宗教などを知り、「まともな人間」は作られたものだとそこでやっと気づけました。 ですが同時に、人は生まれてきた時点で他人や他の動物のポジションを奪う生物で、欲や自我をなくせないこと・自分は親より弱かっただけということを思い知りました。この世界では、もし大切な人が出来ても、自我がある以上相手を思いやるようで自分のことしか考えることはできません。自分が自分でいると、誰にでも平等にはできず昔の自分のように奪われる人を作りだします。 言いたいことを言い他人を別の生き物のように扱うサル山の大将のような人間が持て囃されます。俗にいういい人は基本的に特定の人達に優しい人です。それがこの世です。 ずっと苦悩し、皆幸せになる方法はないのか考え続け堪えてきましたが、知識や知恵がつく度それが不可能であることに失望するばかりです。もう疲れました。 きっと社会で生きていくには、世界を受け入れサル山の大将のように好きに生きるしかないんだと思います。だとすればこの世は地獄でしょうか?されたことを繰り返すしかないんでしょうか?

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生きる意味を見いだせません

鬱病を発症し編入した大学を中退、現在は唯一持っていた保育士の資格を生かし上京してひとり暮らしをしています。 この時期になると所謂五月病といいますか、季節型うつ病と言いますかで体調を崩しやすくなっています。 元々歓迎されていなくきつく当られている人権侵害もある職場に迷惑をかけてしまい、申し訳無さでいっぱい、また陰口が怖いと思っています。 駄文を書きましたが以下が相談です。 先程、祖父が危篤状態であると連絡が入りました。 数ヶ月前に妻をなくし、流行病下でも頑張って1人で生きていた祖父です。 「健康でいられるうちが花」と語っていた祖父は、私の精神病を理解してくれない人でした。 しかし、こうして祖父を目の前にすると、私が生きていて良いのか、みんなのために祖父の方が余っ程生きていた方が良いのにと思ってしまいます。 僅かな時を思い、そばにいられる事は幸福であり、今を一生懸命生きて欲しいし、まだ先に亡くなった祖母に連れて行って欲しくはない。 でももし亡くなったとしても天寿を全うできたなら祖父は、幸せであった、後は仏様がきっとお導きくださるとは頭では分かっています。 しかし、中退で余分に親に迷惑をかけ、鬱病で心配をさせ、脛を今でも齧っている私が想っても良い感情なのか、分かりません。 職場でもろくに貢献できず、生きる価値もないと言われ、また自分でも思っています。 そこで、「生きる」とはなんなのでしょうか。 素敵な親から「生」を受け取った私が死にたいといい、こんなにも生きてと願われてる祖父が「生きている」かの縁にたっています。 私には「生きる」の価値が分からなくなってしまいました。 こんな自分が情けなくも思います。 乱文失礼しましたがよろしくお願い致します。

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