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「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答(Q&A)一覧

【神仏を欺く事】自分本位に生きる事【疑城胎宮に留まる事】

ご縁欲しさに神社仏閣に参拝している者です。 それだけに満足出来ず家でもネットや書籍による独学、或いはお寺のお話会イベント(?)で得た知識で祝詞やお経を唱えたりしています。 …はい唱えているだけなんです、仏教の戒律は守っていません。かつては戒律を守る為、このサイトを熟読したり、実際に質問をさせてもらったり、僧伽を探し回ったり、本気で出家を考えたりしてました。 十善戒、…どころか五戒すら守れない、なかでも「邪淫」「飲酒」「瞋恚」「妄語」どうしてもコレらを抑える事が出来ませんでした。 全て過去の“あやまち”やトラウマ、自身の力の無さからくる今の自分の境遇に激しい怒りを覚えたり、酒を飲みながらノリノリで真言を唱えたり、お経を唱え終えたら邪淫を始めたり、邪淫の後にお経をしたり… いつもがいつもこうではありませんが、こんなバチ当りな日があります。 もっと正直に書くと私は“悟り”になど興味が無く、全ては神仏とのご縁が欲しいから参拝、真言お経をしているだけなんです。 当然大乗の仏教、他者の救済にもあまり興味なく自分や家族にさえ幸があれば他者などどうでもいいとさえ思っています。 しかしそんな私にもバチなど当たらず、それどころか神仏から驚くべきご縁を頂いたり、望み通り幸を頂いたりしています。 …そんなんだから【今のままで良いか】とさえ思い始めたりしています。 仏教には厳格な戒律や崇高な思想がありますね、それが真言やお経の中でも書かれていたりしますよね。「○○に帰依したてまつる」「衆生と共に○○」みたいな。 仏教の戒律は“約束”なんて軽々しいものでない、中でも真言を唱え心に描く仏様には“誓願”とまで言いますね。 “悟り”を拓く気など無いのに、衆生を救済する気など無いのに、ただ仏様が好きだからって理由で、お経や真言をする自分が好きだからって理由で仏様を欺き心地の良い疑城胎宮の中で“仏教ごっこ”を楽しむのか… それとも…?どうすればいいですか? 私のようなロクでなしでも今こそが真剣に人生、そして仏教を考える上で一種の“ターニングポイント”のように感じられたので質問させてもらいました。 興奮故に支離滅裂で読みにくかったらすみません。 仏様に直接教えて頂き、直接罰を与えて頂けたら一番ラクなんですが…私自身ハッキリとモノを言われないと分からない者なのでよろしくお願いします。

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阿修羅像の逸話について

仏教には様々な逸話がありますが、阿修羅像の逸話についてずっと気になっていました。 逸話を端的に言うと「阿修羅の娘を帝釈天が無理やり連れ去り、激怒した正義の神・阿修羅が帝釈天に戦いを挑むも戦闘神の帝釈天には到底敵わない、そんな中で娘は帝釈天を愛し妻になる、戦う必要がなくなったにも関わらず怒りに我を忘れ戦い続ける阿修羅」 初めて見た時は結果オーライか⁈ なんだそりゃ‼︎ と思いましたがこの逸話の言わんとすることはよく見かける解説で 「阿修羅は怒りで自分を忘れ、戦いに目を奪われて、すでに娘が帝釈天の正式な奥さんだったのにも関わらず、相手を赦す心を失っていました。たとえ、正義であってもそれに固執すれば、善の心を忘れ、妄執の悪・復讐の鬼になってしまいます。過去を水に流し、人を赦すことは大切なのです。」 とあり理解出来るとこもありますが、この逸話を初めて見た時はいくら例え話しだとしてもこの話しを納得することは犯罪を容認するようで、なんとも気分が悪くこの逸話を簡単にそうかと理解するのは無神経なようでずっと引っかかってました。 程度は違いますが私の毎日はずっとこの引っかかっりです、私の煩悩が怒りなのか杓子定規な正義への固執なのか、両方ですかね? ここから質問なんですが、この逸話の中で娘が帝釈天を愛し娘に関してはある意味で結果オーライですが、実は最悪娘は帝釈天に連れ去られた後に殺されたとしてもこの逸話の言わんとすることは同じ(憎しみの先に救いはない)ような気がして、結果オーライはまだましな話しだったのかなと最近思うようになったんですがどうなんでしょうか。 上記とは違う解説等ありますか。

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