自己紹介
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。
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回答した質問
お焼香
弔いに後悔が残られたご様子・・誠に残念なことではございますが、これからの供養の中でお気持ちをお立て直し頂けましたらと存じます。
お布施の件もさることながら、お焼香を存分にあげて頂くことがで...
追善供養
全ての命を救えないのも人間の抱える業であります。
もちろん、食べるために奪っている命もあれば、普段なにげに生きている中でも、多くの虫の命を奪ったりもしているものです。自分の好むもの、好まな...
結納を済ませる
お久しぶりです。前回に回答させて頂いてからもう三年になりますか。よく耐え忍ばれましたね。。
まあ、少し体面を気にしているのかもしれないですね。
帰ってくるなり即結婚するとは・・と言わ...
地域包括支援センターにご相談を
介護サービスを利用されますことをお勧め申し上げます。
ケアマネージャー、あるいは地域包括支援センターへとご相談なさられて下さいませ。
誠に月並みな表現で申し訳ないことでございますが、...
野狐禅、魔境
禅の世界ではまれに、野狐禅、魔境ということがあります。
心身のバランスを大きく崩してしまう恐れがあります。
そのため、禅定の修行においては、正しい指導者の下で行うか、摩訶止観や菩提道...
菩提道次第集義
仏教の目的は、確かに菩提心を育んで、涅槃へと至ることになりますが、最初からそれを明確に意識して取り組むことなど、もちろん私たち凡夫においては難しいものであります。
仏教を体系的に学び進めて...
死、中有、再生の構造について
死、中有、再生の構造は、ヤンチェン・ガロ大師の「基本の三身の構造をよく明らかにする灯明」から学ばれると良いかと存じます。
「ゲルク派版 チベット死者の書」(平岡宏一先生)に詳しく解説されて...
仏教における自殺、自害への態度
仏教における自殺、自害への態度につきましては、釈尊の「自殺」に対する見解がその一つの標となるものの、非常に複雑なものがあり、特に初期の教団においては、僧侶の中でも全ての執着を断つために、特に命へ...
「無財の七施」
無財の土地ではなくて、無財の七施のことではないでしょうか。原書を見ていませんのでなんとも言えませんが・・もう一度お確かめ頂けましたら。。
仏教では財物に頼らずともできる善い行いとして「無財...
仏縁も縁
仏縁も縁となります。
しかし、何ら根拠を確かめもせずに盲目的に進めるものではありません。
「仏陀の教えとはどういうものなのかを理解した上で信心すべきことを知るべきであり、これは大変重...
輪廻からの解脱
さんかくさま
まず、ただ殺してもらっただけで、死ぬだけで「すべての苦しみから解放」されることはありません。
「すべての苦しみから解放」されるには、この迷い苦しみの輪廻の連続から離れる...
不殺生
初禅の地遍「土」の観察
らいおん丸さま
入定とは、もともと集中の禅定、つまり、三昧に入るという意味合いで、止観の禅定に入ることを申します。
禅定の実践においては、初禅から第二禅、第三禅、第四禅と段階があり、...
ダライ・ラマ法王猊下について
正一さま
ダライ・ラマ法王猊下は、先代の13世の頃より日本との関わりがあり、同じ仏教国として仏教の興隆のために、特に14世は何度もご来日なさられて説法、講演を頂いております。東日本大震災等...
輪廻を司る微細な意識(心)
ひろもとさま
霊魂というと、何かそのような実体的なものがあるように囚われてしまいますが、それに近いものとしては、(実体的なものではなく因縁に依るものとしての)輪廻を司る微細な意識(心)を仏...
「無記」について
カシワモンさま
釈尊があの世や霊魂的存在について完全に「無記」であったかと言えば、そうではありません。
対機説法、善巧方便においては、お説きになられておられることも当然にあります。他...
業による輪廻の構造を深く知る
ゆかりさま
死を知ると、自死はまずできなくなるかとは存じます。(もちろん絶対にとは言えませんが。)
なぜなら業による輪廻の構造を深く知ることになるからです。
そして、できるだけ...
朝に法華経、夕に阿弥陀経
追記・・自我偈は、法華経の如来寿量品になります。自我偈が経本にあるならば、それでもちろん構いません。
ほみさま
浄土真宗も天台宗も目指すべき浄土は、阿弥陀如来の極楽浄土となります。
...
輪廻の論証
正一さま
仏教の論理学派では、弁証法、推論により輪廻を論証しています。
「心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、例えば現在の心のように。」(必然性)
「死ぬと...
本山や教区の宗務所にクレームを入れる
人は平等さま
考えられないですね。何様のつもりなのでしょうか。
いつも思うのですが、どこか慇懃に扱いすぎで、それに慣れて天狗にしてしまっているとも言えるでしょう。
日本の仏教の...