自己紹介
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。
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回答した質問
「一切行苦」
やつさま
一切皆苦とは、「一切行苦」のことであり、全ては縁起し空であり、無常なるものであり、何もそこに実体的なものは微塵もないにも拘らず、常々、私たちは、凡俗の顕現と凡俗の執着によって苦し...
ころころさま
仏教を学び修していくのに最も大切となるのは、「菩提心」となります。
自分も含めて皆、この輪廻の苦しみの中にある、その皆を救うための道である仏道を歩もうという志であります...
非説
のちさま
龍樹大師が中論の中で仏陀の非説について述べられていますが、実は釈尊は実体的な教えは何も説かれてはいないのであります。
言語化、文字化した途端にそれを凡夫は実体視して迷い苦し...
再追記あり
手続きを行政書士や司法書士に任せるのも
つばめさま
形式的には意思表示、できれば文面による届け出だけで離檀することはできます。
事前に法的拘束力のある契約、規則、取り決めがない限り、離檀料やお布施等を請求されることもありま...
六道輪廻
へりくつ子さま
六道輪廻につきましては、それぞれの心の状態を指す場合と実際の輪廻における様態を指す場合の二種あります。
この度のご質問は、実際の輪廻における様態についてとなりますが、...
「ご用心、ご用心」
かんちゃさま
疫病、災害、戦争、飢饉・・私たちの世界では嫌なこと、憎むべきこととも出会っていかなければならないという苦しみである「怨憎会苦」があります。
他にも代表的には四苦八苦と申...
ご返信を拝見して追記致しました
追記・・
学校に行けるかどうかはご本人たち次第であり、それをどう何とか後押しして行けるようにしてあげれるかでお悩みであるのかと存じます。
子どもたちにその要因とお考えである憂いを払う...
「我執」
タロウさま
仏教における誤解の一つにこの「執着」というものがあります。
正確には、「我執」と申しまして、この場合の「我」は、「実体」というもので、「実体執着」ということを仏教により対...
阿弥陀如来様と極楽浄土、報身報土か化身化土か
審神者さま
阿弥陀如来様は、実体として存在はしていません(一切は縁起し空であることに例外は無い)が、報身仏として極楽浄土にて存在なさられていらっしゃいます。
しかし、そのありようにつ...
悪趣清浄
ありがとうさま
仏教では、「悪趣清浄」として、三悪趣(畜生・餓鬼・地獄)へと陥らないように調えていく方法も説かれてあります。
仏式における葬儀儀礼というものも、悪趣清浄儀軌として、最...
「世界は美しい」
Aiueoさま
「お釈迦さまの見た光景をこの目で見たい」
素晴らしいことであります。仏陀・如来がこの世界をどうご覧になられていたのかを考えることは、まさに「悟り」とはいかなる事態であ...
「信心決定」とは善因善果の因果の理の「確信」
のちさま
「信心決定」とは、仏法に基づく、善因善果の因果の理を「確信」して、自らの業を清らかに調えていくということができるようになっている状態のことを申します。
善因善果の因果の理の...
「悟り」と「救い」
にゃむちゃんさま
基本的に仏教においては、「自灯明 法灯明」として、「悟り」へ向けては、自分自身の「行い」、つまり、「業」(のありよう)と、その「業」を清らかに調えていくための「法」、つま...
キリスト教も仏教も
peterさま
ヒルティの修道姿勢は、意外にも戒律を重視する仏教にも通じるところがあり、また、キリスト教にありがちな神秘主義的側面はあまりなく、論理的、現実的な思考に基づいたものであると高...
「基本の三身の構造をよく明らかにする燈明」
しめじさま
死に至る意識の状態がどのようなものであるのかは、ヤンチェンガロ大師の「基本の三身の構造をよく明らかにする燈明」においてその詳細を知ることができます。
その訳書が「ゲルク派...
信心
葉蓮さま
「鰯の頭も信心から」と申しますように、盲目的、妄信的になってしまうことは仕方のないところがございます。
例えば、私にもこういうことがありました。
私が尊崇敬愛してやま...
因果の理
おまめさま
因果応報と申しますと、悪いイメージが先行してしまいますが、もともとは善いことも悪いことも含めて、全ての結果には因縁(原因・条件)があって成り立っているというニュートラルな意味合...
繰り出し位牌の役割
お茶女さま
基本的にお仏壇をお祀りする役割は、毎日、お寺のご本堂にお参り供養する代わりの御本尊様、毎日、お墓参り供養する代わりのお位牌となります。
また、位牌には、ご先祖さまの記録的...