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死を受け入れられない

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はじめまして
誰にも話せないのでこちらでお話しさせてください。
二年前に亡くなった犬の死を受け入れられません
本当は生きられた命を私が奪いました
あのこの異変に気づけたはずなのに
仕事に行ってしまい一人寂しく逝かせてしまいました
それから別れることが怖くて仕方ありません
別れのない場所へいきたいです
今のこもいつか私の前から消えてしまうと
考えただけでなんともいえない恐怖が襲ってきます
もっと強くなりたいのにどうしたら依存せず強くなれますか


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

別れがあるからこそ、今を大切にできる

花華さま

はじめましてhasunohaの井上広法と申します。

別れは辛いですよね。ぼくも10年以上前に亡くなった愛犬のことがいまでも忘れられません。

幼少の時期から同じ時間を過ごした仲間だっただけあって、自分の生い立ちの一部になっていることを亡くしてから痛感しています。

さて、話は変わりますが、花華さんはどんなお茶碗を使っていますか?

お茶碗はだいたい陶器でできています。

落とせば当然割れます。壊れます。砕けます。

だからといって壊れるのが嫌だからとプラスティック製にしてしまうのも味気がないような気がします。

お茶碗はすぐに壊れてしまうから、大切に扱います。

いずれ割れてしまうことがわかっていても、大切に扱います。

「いのち」も同じです

いつか別れがあることは避けることができません。

別れがあることを知っているから出会わなければよいということでもありません。

すべての縁には出会いがあり、そしてかならず別れがきます。

永続する関係性はありません。

だから。だからこそいまを大切にできるのではないでしょうか?

別れを恐れていまを怖がるのではなく、別れがかならずくるからいまを大切にしてみてはいかがでしょうか?

合掌

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hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を...
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子は知識なり

亀山純史と申します。花華さんは、もっと強くなりたいとのことですが、もっと強くなるとはどういう状態でしょうか。最愛の人[ペット]が亡くなっても、死に対しての恐怖を感じないことでしょうか。あるいは適度に悲しむ状態なのでしょうか。人は最愛の人[ペット]が亡くなれば、その死を通して死への恐怖を感じるでしょうし、また、愛情が深ければ深いほど、悲しみも深いものです。
強くなろうとしなくてもいいのです。少しだけ見方を変えてみませんか。死んでいった人[ペット]は、あなたに自らの死をもって、仏教の教えの要である「諸行無常」、すべてものは悉く過ぎ去っていくものであることを教えてくださっているのです。平安朝の女流歌人の和泉式部は、幼い我が子の死を悼んで、「夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて帰る 子は知識なり」と詠んでいます。「幼くして逝ってしまった我が子は、この私にこの世の無常なることを教えるために、生まれ、そして死んでいった仏様だったのだ。」ということです。亡き人[ペット]が一番喜んでくれることは、その死を受け入れることができないほど悲しむことではなく、悲しみの中にも、その死を通して、この世の無常をしっかりと受け止めて生きて行くことではないでしょうか。もしも、あなたが死を受け受け入れられず、その後の人生が充実したものにならないとしたら、亡き人[ペット]は、自らの死が原因でそうなってしまったと思うでしょう。それはその亡き人[ペット]にとって、喜ばしいことではありませんよね。
以上が私からの回答です。花華さんにとって、少しでも参考になれば幸いです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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本当の強さとは

自分の死を受け止めて、逍遥としてこの世を去ったMさんについてお話しいたします。
Mさんは、大変熱心な仏道修行者でした。
三十代にして、昨年亡くなられました。
参禅を通して「死ぬのは怖くなくなりました」と安心決定されました。
彼は「人は思考によっては救われない。事実によってのみ救われる」と遺されました。
人が苦しみをおこすのは、思考の世界においてです。
悟りを得た人たちは、皆、思考の世界から事実の世界へ目覚めました。
心の強さとは、心から抜け出すことです。思いから抜け出すことです。
自分が自分の思いから影響を受けない。そういう心になる事が出来るのです。
自分の思いをよく見つめ、自分が一番恐怖しているのは、死ではなく、死を思う時に自分の思いで恐怖している事をよく見抜いてください。
あなたは自分でこう表現しています。
「考えただけでなんともいえない恐怖が襲ってきます」
そうです。
考える世界で、自分の生み出した想念に恐怖しているのがお分かりになりますか。
そのカラクリから脱して、悟りを求め、思考の世界から、事実の世界に目覚めてください。
必ず、誰であっても救われます。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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手を合わせご供養を行いご縁を大切にする

花華様
最愛の家族の一員の死・・・今も悩んでいるお姿と気持ち伝わってまいりました。

私も年間多くの家族の一員のご供養・ご葬儀を行い飼い主様のお話をお伺いしましたが、言葉の話せない分より思いも強く、本当に悲しみの中でご葬儀を行われるの方が多いのが印象的でした。

ここで一つ提案が・・・もしされていないなら、これから亡くなったこの為にお寺さんにお願いし、ご葬儀をされてはどうでしょうか? ご葬儀の中でお別れの言葉述べ手を合わせご供養を行う。

もしお寺さん・霊園などで納骨が可能ならお盆・お彼岸・命日などしっかりお参りし手を合わせ、お焼香を行いご供養を行うのはいかがでしょうか?

花華様がしっかりとその子とのご縁を大切にご供養を行えば、思いは必ず届くはずです。

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小黒澤 和常
大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティ...
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悲しむ時間を短めに、でも悲しくても死にはしない

あえて、一番嫌であろう方法から言うと、
依存しないためには、依存の対象を手放すのが常套手段でしょうから、飼わないことが一番キツいようでいて、実は一番簡単な方法かもしれません。
まあ、たいていは、人間の方が犬より長生きするわけで、逆に飼い主に先立たれ犬だけが残された場合の犬の末路を考えると、犬に先立たれる悲しみを味わうのは飼い主として最後まで面倒をみた証なのでは。
経典に、独生独死という言葉が出てきます。生まれるときと死ぬときは、誰もお供してくれません。それが、普通なのです。
人間は面白い習慣があります。人生の節目節目に誰でも普通に起こるようなこと(誕生日や入学など)に「おめでとう」と言います。
普通のことは、めでたい。
だったら、普通に死に別れることも、めでたいことなのです。
悲しみは時間を侵食する魔物です。「普通だ、めでたいんだ」と念じて、悲しむ時間を小まめにカットしてください。
でも、ちょっとやそっとの悲しみで人は即死しないので、悲しくても平気へっちゃら、大丈夫です。
ところで、私が好きなジャングルスマイルというアーティストの「チロ」という歌があります。飼い犬を題材にした泣ける歌なのでチェックしてみてください。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「死ぬのが怖い」問答一覧

死への恐怖が辛いです

何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。

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やっぱり、死が怖いです。

何度も失礼します。 最近生活していてやはり、死が怖くなりました。 感染症の影響で多くの人が亡くなり そのことが、あたかも自然なように 連日報道され、人の死が生活の中で より身近(不謹慎ですみません。) に当たり前のようになってきていて いつ死ぬかわからない、まだ自分はやるべきことができてない という負の感情がブクブクと浮かび上がってきてしまいます。 また、これは先ほどのものと違うのですが、 9月3日の夜に見た夢で、夕方に 一人で習い事(文化系)の練習をしていると、 習い事の先生(故人)が先生の住む母屋から出てきて、 自分の隣に座って話すという夢を見ました。 先生にいくらかの自分の悩み事を聞いてもらった後、 「向こうでは、どうしているのですか」 と聞いたところで先生が答える前に 目が覚めてしまって、そこから 「先生が何を言おうとしていたのだろう」と モヤモヤが続いています。 以前の質問で死と向き合って、 そこから生きていく意味を見つける というお知恵をいただいてとても参考になったですが、 自分自身が死と向き合うことができなくて 生きていく意味の追求も止まってしまっている気がします。 お坊さんの思う死の恐怖と向き合う、よける、折り合う方法や お坊さんが普段それと付き合う方法を教えていただきたいです。 先生がどのようなことを言おうとしていたと思われるのか、 ということもできれば教えていただけると嬉しいです。 お忙しい中申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 乱文失礼しました。

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死にたいのか生きたいのかわからないです

私は10年ほど、死にたいという気持ちと一緒に生きてきました。 きっかけは他の方からしたらきっと些細なことだと思うのですが、 その後人付き合いが上手くいかず、 当時は全く問題なかった人間関係を上手く築けなくなり、 他にも辛いことが重なり、 死にたいと思うようになりました。 生きたい人が生きられない現実がある事もわかっています。 ある時から(プロフィール参照) 私は自分の手で人生を終わらせることが出来るんだ と思うようになり、 いつでも死ねるというのは 私の希望になりました。 ですが最近、死ぬ事が怖くなりました。 自ら命を絶つのが怖いのではなく、 事故でも病死でも寿命でも、 人間いつかは必ず死ぬ、 という現実が怖いです。 こればかりは絶対避けられない現実なのに 怖くて怖くて仕方がないです。 それなのに死にたい気持ちが無い訳でもない。 死にたいのか生きたいのかわからないんです。 今現在私が生きているということは 少なからず死にたくない、 という気持ちがあるんだと思います。 死にたいと思っても、死ぬのが怖い、 だから生きるのもこわい。 こんな矛盾に戸惑っています。 人間はいつか必ず死ぬ事、 どうしたら自分を納得させられるでしょうか。

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