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戦争、死への怖れ

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はじめまして。やまと申します。

死ぬのが怖いという思いがあります。

そして、ある妄想にとらわれております。
自分の住んでいる所が北朝鮮からの核ミサイル攻撃をうけるというものです。

世界は何か見えない大きな力に動かされていて、私たちは戦争をさせられているような気がしてならないのです。

ここ二三日、一晩中上空からヘリの飛んでいるような音が聞こえています。
ニュースやネットなどを見、妄想に妄想を重ね怯えてしまいます。
少しの物音にも怯え、サイレンが鳴るのではないかと気にしたり、核兵器が上空で爆発する様子や土地が汚染され誰も助けには来ない様子などを妄想したりしてしまいます。

このサイトで、戦争について怖れている方が他にもいらっしゃることを知りました。戦争を怖れるよりも、今できることをやるしかないということは頭では分かっているつもりですが、やはり怖れ、迷ってしまいます。

今できることというのは、この場所(今住んでいる県または国)から逃げることなのか。普段の生活を続けることなのか。それとも、死を怖れないようになることなのか。どうすればいいのか分かりません。

いったい、どうすればいいのでしょうか。

まとまりの無い文章で申し訳ありません。
お忙しいとは思いますが、
ご回答いただけたら幸いです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

三つの戦争をしないこと

一つ、人と争い合う戦争をしない。
一つ、世間の戦争に加担しない。
一つ、自らの心と争い合う戦争をしない。
そこにいまだ起こらざることはただの情報です。
昨日までのXデー報道は結局「何もなかった」のです。
ですから、もうご安心ください。
北朝鮮は、武力、核という脅威で世界をいいなりにしようとさせましたが、実際にそれは各国の動きの情勢からしてもアメリカの圧力があったことで「得策」ではないことに気づいたのでしょう。
📺CM
「愛する人を守りたい。子供の未来を残したい。
12人まで、同居が可能。設置までわずか1カ月。
一家に一室、核シェルター❝タイムカプセルくん❞」とかCMでいよいよ核シェルターが宣伝されたら本当に用心する必要があると思います。
禅の公案でこのようなものがあります。
「あなたは明日、テポドンが飛んで来たらどうしますか?」
その時、考えりゃいいのです。
飛んでこぬうちから、飛んで来たらどうしようどうしようって今日の一日を脳内戦争させていたら何もできません。
ノストラダムスの大予言はどうなったのでしょうか。
ネット内で騒ぎする数々のXデーは何一つ的中しませんでした。
今から今日の空を肉眼で見てください。
そこにまだ、戦争はありません。
あなたの脳の中での不安・恐れが映像化されただけです。実際は大丈夫です。起こらなかったのです。安心してください。
私は死ぬまで死にません。
生きている時に死ぬことを考えて一秒一秒を無駄に過ごしてはなりません。

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有り難し
おきもち

戦争よりも怖いもの。

やまさん、こんにちは。

最近の北朝鮮の動向が問題になっています。戦後から今までの約70年の間戦争のなかった私たちにとってほとんどの人が戦争未体験で空想になっていますので、現実に、ミサイルが飛んでくるという事実にどう、対応したらいいか、対応が現実的でないような政治状況に私は見えます。

さて、死ぬというリスクを前提にするならば、確立の問題です。日本は第二次大戦後、戦争で亡くなった人は一人もいません。今の日本はほとんど戦争で亡くなることはありません。
 万が一北朝鮮が戦争をしかけてミサイルや核を使う確立は非常に小さいのです。ミサイルを撃つ確立は少しあります。でもたぶん、やまさんの照準はセットされていないと思いますし、ミサイルの性能が悪くともやまさんの地域には落ちる確立は非常に低いです。そしてミサイルの性能などを分析している情報によると、北朝鮮はたくさん持っていますが、それを全部撃つことはシステム的に不可能だといわれています。そして一発でも撃ったら最後、アメリカの最新ミサイルが北朝鮮を猛攻撃しますので、北朝鮮のミサイル反撃はほぼ不可能になります。それを考えると、やまさんが戦争で亡くなる確立は0.00...%の確立なのです。

 メディアやエセ平和運動家が煽って、戦争で死んでしまうかも、と煽って終わりいるので恐れるかもしれませんが、それよりも日本では、交通事故で亡くなる、あるいは自殺で亡くなる人の方が、世界の戦争で亡くなる人よりも確立がすごく高いです。
 生涯で交通事故であう確立は障害の間に30%、つまり3人に1人、そして死傷する確立は50%です。そして自殺は日本では年間3万の人が自殺しています。これは一生で2%の確立、それは100人のうちに2人が亡くなる確立です。もし死を恐れるのであれば、戦争での死を恐れて対応するよりも、交通事故や自殺でなくなることを恐れるべきなのです。

 知識のない恐れは、逆に恐れを増幅させます。正しい知識こそが死へのリスクを下げるのです。是非、やまさんはほとんど亡くなる確立の少ない戦争の死よりも、交通事故や自殺の死への対策をしてください。
 特に自殺は精神的な問題です。クヨクヨしてしまう性格は辛いときに自殺を選んでしまいます。心身ともに鍛えて強く生きる力が必要なのです。その一つが仏教の信仰だと思います。合掌

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おきもち

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だからこそ今を生きる

なんか僧侶っぽいこと書こうとして途中まで書いてたのですが、止めました。
4時半にうちの息子が保育園から帰ってきましてね、お母さんと一緒にアッチ行ったりコッチ行ったりしてたんです。そしたらタブレットで何かしてる私を見つけて、こう言ったんです。「ねぇねぇ、ナモタサーして!」

ナモタサーとは南方の言葉で南無釈迦牟尼仏した時の出だしの部分のことです。ちょうど息子が生まれた歳に私はアッチの方で修行したり色々ご縁がありまして、アッチ流の南無釈迦牟尼仏の節を覚えたんです。んで、覚えたての楽しさと練習とを兼ねて、泣いた時にあやす時とか、寝かしつけの時に息子の耳元でお唱えしてたんです。

それを保育園に行くようになってもまだ覚えていてくれたわけです。それで「ねぇねぇ、ナモタサーして!」と。ワタシャ三返がえしで聞かせてやりました。そしたらねぇ、息子が声をあげて、飛び跳ねて喜んでくれるんです。嬉しいねぇ、父親としてこんなに嬉しいことはない。。。

さて、ぶっちゃけですね、本来、人はいつ死んでもおかしくないんです。戦争がなくたって人は死んでいきます。歳の順とか世代の順とか関係なく、死んでいくんです。
ただ、あなたにとっては最近まで他人事だった…でも、最近になって他人事ではなくなった。自分のこととして知覚できた。

仏教徒の世界ではみ〜んな口を揃えてこう言います。
無常迅速(むじょうじんそく)
人の一生はアッと言う間…だからこそ、今、全心全霊で生きねばいつ生きるのか?

日常生活の1秒1秒が人生です。この一瞬一瞬にある、何の変哲もない喜びに目を付け、大切にすることが人生を豊かにします。

そして、そんな生き方の達人だった、とあるお坊さんはこう言いました。
「災難にあう時節には災難にあうが良くそうろう」
災難にあってしまっても災難にあったなりに、目の前の今を大切に生きるんです。
ワタシャ幸せですよ、息子がナモタサー喜んでくれたもん。

…おかしいな、エライ坊主臭くなってしまった。どうしてこうなった。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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拙生の心構え

やま様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かに、北朝鮮とアメリカとのこの緊迫した状況においては、当然に、近隣国であり、日米同盟下における日本も、対岸の火事というわけにはいかず、もしかすると・・と最悪の事態を想定してしまうのは仕方のないところでございます。

以下は拙生の心構えとなりますが、一つ参考までに。

この人間界が、無明(根本的な無知・愚かさ)・煩悩により悪業の絶えない世界であって、その中で、愚かにも戦争という悲劇さえ起こしてしまい、また巻き込まれてしまうのも、迷い・苦しみの輪廻の中にある以上、私たちにおいては避けられないところがございます。

そのため、いずれにしても輪廻にある限りは、迷い・苦しみが顕現してしまう世界であるということを理解した上で、やはり、何とかして皆がこの迷い・苦しみの世界から脱することができるようにとして、そのために、自分が少しでも皆を悟りへといざなえるための境地へと至れるように、この世界のこの生にある限りにおいても、できる限り、最後の最後まで仏教の修習に努めて参りたいと存じております。

もちろん、明日ミサイルが直撃して生を突然に終えるかもしれません。

それでも、無明・煩悩をそのままで、また同じような目に遭うこの輪廻において迷い苦しみ続けるよりかは、少しでも、無明・煩悩を対治し、確かなる仏縁、法縁を紡ぎ、一歩でも、一日一日、悟りへ向けて前へと進んで参れればと存じています。

いずれは、どのようなカタチにせよ、この生を終える時は否が応でも参ります。

明日であろうが、10年後であろうが、その終わる瞬間まで、とにかく、できる限りに仏法の修習に努めること。そう心掛けて、毎日のお勤めやhasunohaの回答にも努めさせて頂いております。

たとえ、明日にミサイルが直撃して生を終えても、その後も確かなる仏縁・法縁の流れに引き続きあるということを確信している安心が大きいのも、拙生の場合はあるかもしれません。

是非、これを機縁に仏教について更に関心を高く学んで頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

丹下覚元様、川口英俊様、大慈様、染川智勇様、お答えしていただき、ありがとうございます。
みなさまのお言葉により、気づいたことがあります。
それは、迷いや苦しみを持っているのは自分だけではないということです。戦争を起こしてしまう人たちにも迷いや苦しみがあるのだということです。
私は、もちろん、戦争はいやです。
なぜそんなことを人間はしてしまうのか、と思います。
しかし、それが、私たち人間の生きる世界なのだと、みなさまのお言葉により、気づかされました。
世界にはいろいろな人たちがいると思います。その一人一人に迷いや苦しみが少なからずあると思います。彼らから迷いや苦しみがなくなることは、自分から迷いや苦しみがなくなることと繋がる気がします。そして、自分から迷いや苦しみがなくなることは、世界から迷いや苦しみがなくなっていくことに繋がるのかもしれない、いや、そうなってほしいと、思うに至りました。

見ず知らずの私に、このような気づきを与えてくださり、ありがとうございました。
一日一日を大切に、生きていきたいと思います。

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

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回答数回答 1

大切な人を失うことへの恐れ

昨年10月に父を膵臓癌で亡くしました。 亡くなってすぐの頃は、早すぎる別れに落ち込み、辛い日々が続きました。 しかし、母や兄、夫の支えもあり、悲しみに暮れる日々は時間の経過と共に少しずつ減ってきました。 もちろん、今も生きていてくれたらなあと思うことは多々ありますし ふと思い出しては泣くこともありますが…。 8月の初盆を終えて、父の死の悲しみと共に生きていく覚悟が出来ました。 しかし、初盆を終えたあたりから いずれは、支えてくれた母、健在の祖父母も父と同じように亡くなってしまうのだなと考えるようになりました。 母は現在、実家で1人で暮らしています。 母も10年前に癌を患い、その後2回再発していますが、幸いなことに寛解しています。 私は昔から母親が大好きでした。 父が亡くなった時も母がいたから前向きに人生生きていこうと思えたのです。 しかし、人はいずれ亡くなります。 母親もいつ癌が再発してしまうか分かりません。 一度考え出すと、亡くなってしまう恐怖が心を支配し落ち着かなくなります。 起こってもいないことが不安でしょうがないのです。 夫には起こってないことを考えてもしょうがないと言われその通りだと思います。 しかし、なかなか心の切り替えができないのです。 父を失い、そして母を失ってしまったらと考えると、怖くてたまりません。 もちろん夫も大切ですが 両親は夫とは少し立場が違う気がします。 ここ最近は暇があれば もし母親の癌が再発したらどうしよう、と考えています。 この無駄な妄想をやめるためには どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

過去と幸せな今について

はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

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自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
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死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

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死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

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