回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏道を歩むことは素晴らしいことですが、、寺の護持は厳しい。
タイトルの通りです。御仏と祖師方が示してくれた仏道を日々歩ませていただくことは、有り難い事であり、素晴らしいことであると思います。
まだまだ修行が足りない部分もあり、十分に教えを伝え広めることが出来ない故に我が身の至らなさをを痛感することも多いです。でも、いい檀家さんたちに支えられて何とか住職を務めています。今自分がいる場所が極楽と言えるかどうか、わかりません。現世が極楽となるよう努めていくのが、仏教徒としての生き方だと思います。そうなれるよう、微力ながら精進して参りたいと思っております。
寺の住職は中小企業の経営者と似たような部分があります。本堂や庫裡の維持管理・改築等に頭を痛め、懐を痛めております。おそらく大部分の寺の住職が程度の差こそ有れ、同じような苦労をしていると思います。その一方で実情を理解しない方から「坊主丸儲け。」などという心無い言葉をいただくことも多いですね。
最高です。
自分の好きな宗教を信仰して、それをオススメすることが仕事ですから、これ以上の仕事はありません。
好きなラーメンを食べて『美味しいよ』と広めていたら、仕事になるようなものです。
涅槃、悟りを得られたら、もちろん極楽となります。
涅槃、悟りを得られたら、もちろん極楽となりますでしょうが、それまではあまり変わりません・・拙生も、まだまだ無明(根本的な無知)・煩悩によっての迷い苦しみの中におります・・
何とか涅槃・悟りへと至れますように、しっかりと仏道の歩みに努めて参りたいものでございます。是非共に頑張ってこの苦海を乗り越えていきましょう。
川口英俊 合掌
経済的に楽なお寺は少数ですが、
お寺の収入だけでは生活できない場合も
楽ではないが、やりがいはある
ご質問のタイトルには、2つの考えるべき事柄が含まれています。
一つ目は、僧侶の仕事は楽か。二つ目は、楽な仕事はいいことか。
まず、一つ目についてですが、僧侶の仕事は生死を扱う仕事ですから、真摯に取り組めば取り組むほど、楽なことはありません。
二つ目について。楽な仕事はいいことか。これは、何をもっていいとするかは、人それぞれ。少なくとも、楽な仕事には、やりがいはないでしょうね。僧侶の仕事は楽ではありませんが、やりがいはあります。
以上、私からの回答です。
隣りの庭は良く見えます。
お寺は檀信徒が多いとお寺の業務に追われ、どんな相談にも快く聞かないと「坊主のくせに・・・」と思われてしまう。
逆に檀信徒が少ないとお寺の業務では生活できずに兼業となります。覚えることも倍になります。
二束の草鞋、二兎追う者は一頭も得ず、色々なことわざや慣用句に悩まされます。自分は僧侶なのか?何なのか?どちらの職種からも嫌味を言われます。急に葬式が入ると休みを取るが何か嫌な雰囲気が・・・。
お寺同士の会合は兼業の仕事で行けなかったり、遅れたり。
楽かな嫌、楽ではない。衣着た僧侶が僧侶で、衣着てない僧侶は僧侶でない。出家して、得度して、法戦して、修行して、転衣して、瑞世して、副住職して、法話しても兼業してるのに・・・なぜだーーーーー!!!納得いかんわ。
とこんな感じです。僧侶は楽かどうか?パソコンしても、すぐに出てこない仏教用語のように歯がゆいです。
人の供養は誰でもできない
端から見れば、坊主は楽に見えるでしょうか。
人の供養は誰でもできません。第三者の供養ができるのは、お坊さんだけです。
あなたは、誰かの供養をしていますか?
やりたいと思っても、できないのが供養です。