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仏教との出会いについて

回答数回答 7
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随分前から好きな教師がいます。
もちろん付き合ってるなどとんでもなく、たまにお悩み相談をしてくれるような関係です。この前その人が仏教徒であることを知りました。元々少し仏教の考え方には興味があったので、色々とその話をしてもらったり、自分から本を読んでみたりしました。そうやっていくうちに段々仏教の考え方が好きになってきました。私がその先生が好きだったのは先生が仏教の人だったからなのか、とも思っていました。しかし冷静に考えていくと、私と仏教との縁がその先生ではなく違う人からもたらされたものだったらここまで仏教に熱中しなかったはずで、全ての始まりが恋愛という煩悩から始まっていると思うのです。
このような状況をお寺の方々はどう思われますか? 私は自分が間違っているような気がします。


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何も思い悩むことはないですよ。むしろ自然なこと。

誰かを想い、その人を知ろうとすること。また、そこから仏教に触れる ご縁をいただいたということ。とても素敵なことだと思います。
何も思い悩むことはないですよ。むしろ、自然なことだと思います。

どちらの想いも、大事にしてほしいな〜(*^^*)

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 住職として、高校生の息子の母親...

きっかけより、いまの自分の心をチェックしてください

お釈迦さまの従兄弟に、ナンダ王子という方がいました。
王子は出家したものの、国に残した妻が気にかかり修行に身が入りません。そこでお釈迦さまは神通力で彼を天界に連れて行き、目が覚めるばかりに麗しい天女を見せました。
「もし修行して悟ったら、彼女たちをお前にあげよう」
ナンダ王子は一転、喜び勇んで修行しました。他の僧侶に「天女ほしさに修行している」と噂されるのを避けひとりで没頭したのが功を奏し、すぐに悟りを得ました。もちろん悟って一切の苦しみから解脱したナンダ王子には、もう天女への欲など微塵もありません。お釈迦さまはそこまで全て見通して天女を見せたのだそうです。

仏教に出会うきっかけが何であれ、それはたいした問題ではありません。人間に生まれて仏教に出会うこと自体が、とても得がたく尊いことなんです。
仏教を学ぶ前に比べて、今のこはるさんはどう違いますか?楽に、軽くなっていますか?心は変化し続けています。いつもチェックしてみてください。
ぜひ「仏教に出会った甲斐があった」と思えるお幸せをつかまれますように。お祈りしております。

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青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

恋愛=煩悩なのではありません。

仏教イコール「欲は全ていけない」というわけではありません。
恋愛がいけないならばこの世に新しい生命も誕生しませんし、我々も生まれてこなかったはずです。
人を好きになることは罪ではありません。
ただ「好き」という感情もレベル、度合いが高まりすぎると相手のことを「わたくしする」「自分の思い通りにしよう」と し始めたりします。
こういう「ワタクシ化」「わたくしナイズド」としようとする心がイケないだけです。
また恋愛にもライトなものからヘビーものまで様々。
これも自分自身、もしくは相手の、その人に対する気持ち、思い入れの度合いによって様々です。仏教は苦しみを取り除き、苦しまない生き方です。
相手をどうこうしたい、とか相手を思うことで苦しくなるのであれば、ひょっとしたら自分が相手をワタクシナイズドしていないかどうかを見つめて見る必要はあると思います。
相手を自由にさせるのも愛。相手を愛するのも愛。
ただし恋愛感情には損得意識や、始まり終わりがつきものです。
その人との関係をサラリとしたものになさりたいのであれば、あえて冷静に心の距離をとることでしょう。
永続する人間感情は恋愛感情よりも友情、敬愛心です。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

きっかけは何でもいい

牛にひかれて善光寺参り、という例えがあります。信心が無い女性が、たまたま牛を追いかけて行った場所がお寺で、その後それを縁として信心深くなったというお話です。きっかけはどうであれ、仏教に興味を持たれたのはいいことです。こはるさんは間違ってなんかいませんよ。

ただ、心配なのは「熱中」という言葉を使われていることです。仏教で「愛は煩悩」というのは、そこに自分の思い通りにしたいというわがままが入るからです。思い通りにならないと苦しくなり、結果、辛い思いをすることになります。本来、「慈悲」こそ目指すべきものですが、今、先生や仏教に熱中されている、こはるさんはいかがでしょうか。
もっとも、年上の男性に10代の女性が愛ではなく慈しみの気持ちを持つ、というのは少々現実味が無いと私自身も思います。どうぞ心の片隅にしまっておいていただければ、幸いです。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

縁なんて何でもいいじゃん。

 こはるさん。10代なのに仏教に興味を持って頂いてありがとうございます。こはるさんの好きになった教師の方も恐らく僧侶かお寺の徒弟さんなんですかね。10代(中高生かな?!)に解りやすく興味を惹く話をしたのでしょうね。私も見習いたい。是非とも具体的にどんなことを話しているか知りたいです。機会があったらご教授願いたいものです。
 恋愛は煩悩かと10代のうちから考えずにどんどんしていきなさい。これは縁です。恋愛がうまくいくこともあるでしょう。フラれることもあるでしょう。それも縁なんですよ。失敗を恐れないで恋愛に励んで欲しいです。 それだけでなく、友情、学園祭、体育祭、習い事、部活、受験、就職活動、旅行など等、縁を作る機会はいくらでもあります。でも、相手を思い遣やる気持ちは持ってください。これが仏教徒の実践行です。
 「愛語(あいご)」という仏教用語があります。説明が『修証義』というお経に示されております。

「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発(おこ)し、顧愛(こあい)の言語を施すなり、慈念衆生(じねんしゅじょう)猶如(ゆうにょ)赤子(しゃくし)の懐(おも)いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐れむべし、怨敵(おんてき)を降伏(ごうふく)し、君子を和睦(わぼく)ならしむること愛語を根本とするなり、面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす、面(むか)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、愛語能く廻天(かいてん)の力あることを学すべきなり。」
 
今私が解りやすい意味を説明するとあなたの感性を損なうと思いますので、この訳や解説は一切しません。何度も読み、人生経験を重ねるうちに解ってくるものです。私もこの意味が理解できたのは1年ほど前ですわ。
 あなたが仏教に興味を持ったことは非常に嬉しいことですので、私はあなたの恋愛を応援したいと思います。しかし、好きと嫌いは表裏一体ですので、教師が嫌いになったとき、フラれたときがあったとしても仏教を嫌いにならないで欲しい。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

縁は人それぞれ

こはる様へ

皆様の回答にあるように
ご縁は人それぞれ。
素晴らしいことではありませんか。
すべてのご縁にはこはる様に意味があると思います。

ぜひこれからも仏教へ触れていただければ
仏教を伝えていく、僧侶の一人として大変光栄でございます。合掌

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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...

「恋愛=仏教的には悪いこと」ではありません

こはる様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

人を好きになる、愛情を持つと言うことは人間としての大切な感情であると存じます。

仏教では、好きという感情、愛情、片想い、恋愛を全て否定するわけではありません。

むしろ、密教においては、そのような感情を悟りへの力と変えようとすることさえもあります。下記はその一端の参考例となりますが、解釈には非常に慎重さを要しますので注意が必要となります。世間一般における認識・通説・真理(広義の世俗諦)などにおいて、その内容を捉えようとしますと、とんでもない間違い・過ちを起こすことがあるため、このことは十分に前提として踏まえておいて下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/理趣経
http://ja.wikipedia.org/wiki/愛染明王

さて、ひとまず少し密教のことは脇において、感情について仏教が問題とするのは、総じて簡単に言いますと「執着」・「実体視」というものとなります。恋愛と執着との関係は、これまで下記問いにても少しく述べさせて頂いております。

http://hasunoha.jp/questions/16
http://hasunoha.jp/questions/76

特に上記の76にて述べさせて頂いておりますが、その愛情を特定の誰かだけに留めるのではなくて、やがては全ての一切衆生たちへと差別なく平等に及ぼすことができるのかどうかが重要になると考えております。

他の回答の皆様もおっしゃられているように恋愛というご縁により仏教と出逢い、仏教に夢中になられたのは、誠にそれも一つの善き「ご仏縁」でございました。

もちろん、この度の恋愛が無事に成就し、更に仏教についても精進努力を積まれて、やがて仏道も成就なさられることとなれば尚更に善きこととなります。また、この度の恋愛が成就しなくとも、善きご仏縁を頂戴致したことに感謝を持ち、仏法を学び修しつつ、このことに報恩を持って過ごされていかれましたら、また善き恋愛のご縁も戴けるのではないかとも存じます。

この度は、とにかく、「恋愛=仏教的には悪いこと」ではありませんので、このことだけはご理解を頂けましたらと存じております。

こはる様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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