亡くなった人が成仏するということ(難しいです....)
おはようございます。先日、父の仏壇の部屋と居間での供養について教えていただいた者です。あれから、亡くなった人が成仏することについて考えれば考えるほどわからなくなってしまいました。お暇な時に教えてくださると助かります。
私は今まで、亡くなった父は天国に行ったと思っていました。時々仏壇やお墓のような祈りの場に降りて来るのかな....とも思っていました。
ハスノハに入ったのがきっかけで、成仏という字の意味を考えてそれは仏に成ることだと考えるようになりました。そうか、父は仏さまになるんだ....と思ったけれど、いざ祈ると自分の心の中に生前の人柄のままの父がいて仏さまになった父は想像がつかなくて、今まで仏壇の前で「ねえお父さん」と普通に呼んでいました。もしかしてとても失礼なことをしていたかもしれないですが、仏壇には仏像の絵があり、神様が祀られているんだろうと思いながらもよくわからなくて父にだけお祈りしていました。
本当は、深く考えないで父が安らかでいてくれれば仏でも何でもなっていていいのですが(不謹慎だったらごめんなさい)、亡くなった人の成仏とはどういうことか考え始めたからには知りたいです。でも私にとってはとても難しい部分なので、仏教初心者向けに教えてください。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
亡き人を仏様として見出す
語弊があるかもしれませんが、こんなに良い質問があるのか!?というくらい良い質問ですねー!!
私も含めて色んなお坊さんが色んなことを言いますが、是非これからあなたの中でこの問いをごまかさずに仏法に尋ねていっていただけたらと思います。
まず、亡き人の成仏については二つの側面があります。
①亡き人本人が死後どうなっているのか
②亡き人を今生きる私たちがどのように見出していくのか
です。
①については「わからない、確認しようがない」というのが正直なところです。あえて答えるならば「私は亡き人の死後についてはこのお経のこの教えによりこのようになると聞いております。」(例:仏説無量寿経の阿弥陀の本願の教えにより極楽浄土に往生している)といった具合になります。
私は大事なのは②だと思います。ここに「亡き人を仏様として見出していく、仏様としての亡き人に出会っていく」という私の歩み(仏道)が生まれます。
さて、仏様としてのお父さんって??と疑問に思う事でしょう。それをイメージできないのは、例えば「亡き人は死後に弁護士になる」という教えがあるとして、でも生前の父は会社員だったからどうしても弁護士としての父なんてイメージできないし信じられないなあ…というのと同じかもしれません。それならば信じられなくて当然です。
まず、「仏様」というものについてイメージを捨てていただくことだと思います。仏様とは金ぴかのイボ頭のスーパーマンではありません。
仏様とは真実に目覚めた存在であり、私に真実を伝えてくれる存在です。
その真実とは、例えば人は生まれたら必ず死ぬという事もそうです。これを仏教では諸行無常と言います。
あるいは人は死んでもそれで終わりではないという事もそうです。今でもお父様の事を大切に考えますよね?そこにあなたとお父様の関係(ご縁)があるということです。これは縁起(えんぎ)という教えです。
亡き人を心配する私たちが、実は亡き人から心配されて、仏法という真実の教えを伝えていただいているので、私たちは亡き人を仏様として敬い、そうして出会い直しをしていくのです。
あれこれ思い煩うのは生きる私たちの仕事。無言の言として真実を伝えてくださるのは仏様としての亡き人の仕事(はたらき)です。
手を合わさずにはおれません。お父様のご命終に哀悼の意を表します。
南無阿弥陀仏
合掌
成仏とは!
LMさん、こんにちは。
成仏を教義的に説明すると、難しく、また宗派それぞれ違うので、チンプンカンプンになると思います。(笑)
簡単にということなので、私流の簡単な解釈です。
霊界に行った方が成仏しているのか、あるいは幸せになっているのかは、霊界を見ることができないので、わかりません。
でも、一つだけ言えることは、あなたが幸せに生きている、また人生が充実して生きているのであれば、霊界の父は必ず幸せになっているということです。安らかに過ごしていると思います。あなたが苦しみ、悲しむことが、大切な娘である父の一番の心配事なのです。だから、充実した人生を送っていれば父は安心するでしょう。
そしていつかあなたも私も霊界に行くのですから、亡くなったら霊界でお会いできます。それまでは仏壇やお墓参りを通して父に会いながら、楽しみに霊界に行くのを待っていましょう。私も父母に会える日を楽しみに、今の人生の修行を一所懸命しています。
合掌
こんにちは。お悔やみを申し上げます。
お父様は、仏教式の葬儀をしたことで、仏戒を受けられ、仏さまのお弟子さまになりました。
お父様はお父様の人格そのままに、仏さまの世界にいらっしゃると思います。
またお位牌は、そんなお父様との通信装置、電話のようなものと考えます。
ですから、仏壇(のお位牌)に向かって「ねえお父さん」というのは大丈夫です。むしろ良いい事だとおもいます。お父様もきっとよろこんでおられるでしょう。
お位牌を通し、お父様とゆっくりお話をしてくださいね。
供養
L.M様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「成仏」とは、誠にその通り「仏に成る」ということであり、お釈迦様や阿弥陀如来様、大日如来様などと同じくに、悟りを開いて如来になるということであります。
但し、成仏するためには、難しい言い方をしてしまいますと、煩悩障と所知障という二つの障りを断滅することが必要であり、そのために、仏道によって智慧と福徳という二つの資糧を集積していくことが求められるところとなります。
まあ、成仏するための邪魔となっている心のありようの問題を、仏様の教えを実践(修行)することにより解決していくということです。
ですから、亡くなったからといって成仏するわけではなくて、生前における仏縁、功徳、また、死後も、お葬儀や追善供養などを通じて、善き清らかな仏縁の流れに乗って頂いて、しっかりと仏様の教えを実践して調えられていくことにより、完全な安楽、安心の境地としての悟りへと至れることを目指していけるようにとして、亡き方の供養に努めて参りたいところとなるのであります。
供養は、供(一緒)に(仏教を)養う(実践していく)ということでもあります。
互いに善き清らかなる仏縁に乗ることで、共に悟りへと至れますようにとして、仏教の実践を、ご自身の悟りへと向けて、お父様の悟りへと向けて、また、全ての衆生の悟りへと向けて、取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
身心脱落
Googleマップを見てて、この青い屋根の建物のあるこっからここまでの敷地が俺の家だ!というのが俺の人生です。
屋根が青かったり黒かったり茶色だったり赤かったりする。あるいは五稜郭みたいに五芒星型のお家があると面白いでしょうね。そういうのがアイデンティティです。
葬送とはそんなアイデンティティとか自分というものを落としていくことです。
どういうことかと言うと、Googleマップをどんどん縮小していく………すると俺ん家が〇〇町になり、〇〇市になり、〇〇県になり、日本になり、地球になる。さらに縮小していくと宇宙そのものになってまう。
それが成仏です。私は私である以前に、宇宙なんス。そういうトコ。
だから密教では曼荼羅、つまり仏像の配置によって世界の繋がりを表現します。
禅では水墨画のような山水図で世界の繋がりを表現します。
浄土門では阿弥陀さまのお導きで世界の繋がりを表現します。
仏様が世界を創るんじゃない。世界そのものを仏として象徴してるんです。
小さく言えばその繋がりを大切にする心や行いが成仏なのであり、
大きく言えばその繋がりそのものであることが成仏なんです。
だからあなたがお父さんの分まで誠実に生きるというのは1つの成仏なんです。あなたとお父さんはご生前も今も繋がっているのですから。
ホントは〇〇居士のような戒名でお呼びするのが筋です。大河ドラマの篤姫だって若いうちは篤姫ですけど、出家したら天璋院さまと呼ばれて篤姫とは呼ばれませんね。それが本来です。
でも、それは西郷どんが小吉→吉之助→善兵衛→吉兵衛→(後略)と変わっていって戒名は南州寺殿威徳隆盛大居士と変わっていくのが普通だった時代の常識です。(隆盛って諱というか戒名だったんですね。)
今は赤ちゃんの時からお爺さんお婆ちゃんになって死ぬまで同じ名前です。こういうのは欧米化の影響なのでしょうけど、現代の感覚では「ねぇお父さん」でいいんです。別に失礼ではありません。そこにこだわるよりもっと他にこだわって欲しいことが色々あるだろうなと思います。
生きとし生けるものを救う存在になる
仏に成るということは、生きとし生けるものを救う側の存在になるということです。
あなただけのお父様ではなくなる、という面はあります。
たとえば、極楽浄土では、すべての過去世の記憶を思いだせると言われます。
どういうことかというと、お父様も、あなたも私も、はるか昔から何度も何度も生まれかわり(輪廻転生)をくりかえしてきたわけです。
しかし、通常は、現在の人生の記憶しかなく、今の自分として生まれる前の記憶はありません。
それが、全ての過去世の記憶が蘇ったとしたら、
お父様にとっては、おそらくあなた以外にも過去に無数の子供、そして無数の親兄弟がいたはず。
それも、人間だったとはかぎらない。
ときには虫、ときには獸、ときには神々だったかも。
そんな無数の家族親戚の記憶をとりもどしたお父様は、たぶん、あなただけをえこひいきすることなく、あらゆる生命を平等に慈しむ菩薩様になられるはず。
もはや、生前のお父様という小さな枠におさまらない、宇宙スケールの存在になられるのです。
淋しく思わず、喜んであげてください。
あなたもいずれゆく道なのですから。
これからも
拝読させて頂きました。
あなたがそのようにお考えなさることは自然なことかと思います。
亡くなられた方は己れの肉体を離れて仏様に正しく導かれておおよそ49日の旅を経て仏様の元に生まれ変わります。
仏様の元つまりは極楽は一切苦しみのないところです。そこでは恨み憎しみや欲望のないところです。つまりは一切の迷いや煩悩のないところです。そこで仏様からお話を受けて真理を悟っていきます。
そして正しく真理を体得して完全円満になるのです。つまり仏と成るのです、つまり成仏させて頂くのです。
そして様々な力を得られて仏として生きる私達をいつまでもお見守りなさって下さるのです。
あなたのお父様も円満にご成仏なさり、これからもあなたや皆さんをお見守りなさって下さるのですからね。
あなたもどうぞこれからもお父様に真心込めて手を合わせご供養なさって下さいね。
いつ如何なる時でもお父様はあなたや皆さんを優しくお見守りなさって下さいますからね。
質問者からのお礼
染川智勇様
残された者達が悩まないように温かい見方で教えてくださって、ありがとうございます。とっても安心しました。もう少し早くハスノハに入って相談していればよかった。少し前に私は霊能者に引っかかりました。あの時は精神的に弱くなっていて、お父さん悪いことしてないのにどうしてこんな珍しい病気に当たっちゃったんだろうとか、色々悪い事が起こった理由を求めずにいられなかったんです。仏教の知識がなくても大人が冷静に考えればおかしいと気づくべきところを簡単に騙されて、恥ずかしいです。でも、もう大丈夫です。病気とか悪い事は起こる時は起こるけれど、これからは強く生きていきます。
吉武文法様
基本的なことがわからなくて質問するので厳しい事言われないか少し緊張していましたが、面白いお坊さんがいて吹き出してしまいました。真面目な話、父へのお経をありがとうございます。①はもう悩みません。これからは②を考える意味があると思います。 昔祖母が仏壇に向かって拝んでいて、私はそこに神様がいると思っていました。でも後で仏壇にはご先祖様がいると知り、なぜ人間が神様のように拝まれている?と思ったのを覚えています。なぜ先に亡くなった人が仏さまと呼ばれ敬われるのか、 あなたのおかげでやっとわかりました。私の今までの考えと違うから本当は受け入れ難い考えだったけれど、人を仏にする考えのほうが人々が救われるかもしれない。
光禪様
お悔やみの言葉と助言をありがとうございます。青いバンダナのお坊様、曹洞宗の方なのですね。私は仏教に無知で、父が曹洞宗だったことを亡くなって初めて知りました。病気になった脳や弱った体は火葬されたのだから、父はもう苦しみから解放されていると考えます。成仏できたかな....とか、もうくよくよ悩みません。質問とは関係ありませんが、曹洞宗のお坊様が父の生前の職業や人柄を詳しく訊いてぴったりの戒名を考えてくださったと母から聞きました。だから位牌を見ると、生前の父の名前と違うのに父だとわかるんです。私達はとても感謝しています。同じ曹洞宗のお坊様として、私達からのありがとうの言葉を受け取ってください。
川口英俊様
成仏と、あわせて供養についてもご説明ありがとうございます。書いてくださったお言葉を何度も読み返しているのですが、すみませんやっぱり煩悩障とか所知障とか含めて全部理解するのは難しいです....。まだついていくのが難しいけれど、仏教の質問はこれからまた出て来ると思うので、お暇な時に教えてください。
Kousyo Kuuyo Azuma様
仏壇のお部屋の質問の時に続いて、気持ちが休まるような親切なお言葉をありがとうございます。父とこの世で実際に会える時間はもう終わったけれど、私はずっと父のことを覚えているし縁は続きます。Kousyo Kuuyo Azuma様も、仏さまになられたお母様とのご縁を大切になさってください。
大慈様
グーグル地図をどんどん遠くから眺めた感じにしていって自分らしさがなくなっていって最後には宇宙にまでなる、ごめんなさい成仏の規模が大きくなって途中からついていかれなくなってしまいました。でも、とにかくありがとうございます。小さく言う成仏(繋がりを大切にする心や行い)のほうがまだ私にはわかりやすいかもしれません。やっぱり難しい....。
願誉浄史様
極楽浄土や輪廻転生など、私が全く知らなかった世界のお話をしてくださってありがとうございます。ちょっと寂しいけれど、それが仏になった父のあるべき姿なら、生前の父らしくなくなっていてもいいんです。私が父とこの世で現実に親子でいられた時間は終わりました。欲を言えば長生きしてほしかったけれど、どうにもならない病気など、認めたくないことでも現実は認めなくてはいけません。過去をこうだったらよかったのにと考えるのはもうやめます。