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ブッダの教え:追記

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(質問:ブッダの教えの追記)
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47023?page=1)より
ここに書かれている内容は、本当に正しい事なのですか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正しいですけど、買わないと分かりにくく書かれてますね

魚川氏は私もファンです。『ゼロポイント』の内容は回答に使わせていただくことがあります。世に大嘘を書いている仏教書はゴマンとありますが、魚川氏は信頼できる著者ですよ。

リンクの内容も共感します(正しいですと言うと上から目線になりますので)。
私は「やさしく」「正しく」「健全な」のを「良い」と書き、仏教的に吟味されたものを「善い」と書き分けますので紛らわしいですが同じ考えです。
最近の回答で言えば↓の私の回答がイメージ湧きやすいでしょうか。
https://hasunoha.jp/questions/30054

ただ、
>「社会の中で人間的に役に立つ」ための教えでは全くないわけです。
の「全く」は言い過ぎと私は思います。例えばコーサラ国のパセーナディ王に「ダイエットしなさい」とお説教したり、(出典を忘れて何年も苦しんでいますが)「収入の半分は仕事の元手にし、四分の一は何かあった時のため貯金し、残りの四分の一を生活費に当てなさい」と説いたり、「たまには肉も食べなきゃダメですよ」とおっしゃったとも昔、何かの本で読みました。

魚川氏だけではなく多くの人が、それらを世俗的で卑近な教えと切り捨てるのですが、でも、それでもお釈迦さまの言葉でしょ?脱社会的な部分と社会的な部分で被っている所もあるわけです。そういう所も研究して世に出していただきたいと願います。皆さん興味あるでしょ?

あと、ご質問から逸脱しますが…
『仏教思想のゼロポイント』で魚川氏は上座部の純粋な部分と、日本仏教の民間向けの部分を比較して「日本仏教は上座部の和尚さんがたに失笑されるレベル」みたいに書いています。アンフェアです。

上座部圏でも民間向けの仏教は現世利益・来世利益の嵐です。それには二段論法の深い意味が…という論旨ですが、じゃあ日本仏教にはその二段論法の深い意味が無いのか?という話です。私は『ゼロポイント』を読みながら何度も何度も「いや、それ『正法眼蔵』にも提唱の本(現代の禅の指導者が禅僧に説いた講義録みたいなもの)にも全く同じことが書いてありますやん。」と思いました。ご存知ないことは仕方ありません。全宗派の全テキストに精通しろというのは無茶振りです。でも、だったらわざわざ言及して貶めないでいただきたいですよね。このアンフェアな論法には激しく批判します。遺憾の咦です(コアなジョーク)

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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料理本をいくら読んでも味がしない

これが正しいのか。あれが正しいのでは。そうした探る様子もない生まれたまんまのあなたの様子が、仏の様子なんです。
ついつい実践する前にあれこれ考えて理屈で理解しようとしてしまうのが人間です。しかし、これをやめなければお釈迦様のいう悟りはわかりません。
お釈迦様は心底何にもしない修行をされ気づかれました。
つまり禅です。

手をつけないことを徹底したのです。考えて理屈で理解することをやめた。記憶を追ったり将来を想像したりすることをやめ、ゴールを思い描くこと、これが悟りだというようなことも掲げず、本当に今の様子だけでいることで救われたのです。

今のあなたはどうにか頭で理解しようとされている。

それをやめる勇気がひつようです。正師と言われる僧侶のもとでまっさらな気持ちで、指導を受けられたら一番いいと思います。料理本をいくら読んでも味がしないのと同じで、体験しなければわからないことだから、いくらここで質問していても、スッキリしないのです。ここでは修行の方向性は示せても、本物は自分自身で見つけなければならないのです。
どんな料理も噂話ではなく一口食べたら納得いくでしょ。そんなもんです。仏教は特別なことではないのです。^_^

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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釈尊の教える法とは、人間が社会秩序を保って生きる為に説かれたものだと思います。
ただ、同じ言葉をみんなに説いても人それぞれ価値観も境遇も違うので伝わらない。そこで対機説法つまり相手に合わせて色々な言葉で説かれました。
その教えの根底には、やはり正しく生きることが説かれていると思います。なお、正しくといっても、ブッダとして正しくということですが。
その視点からあなたのご紹介のサイトの記事を読んだら、少し違うのかな?と思いました。
もっとも対機説法ですから、その本の著者や一部の読者にとってはその説が合うのかもしれないですが、私には少し違うかなと思っただけです。
あなたにはどのような言葉が必要なのか分かりませんが、色々な文書を読んだり、お坊さんに質問したり、実生活の中で実践したりして見つけて欲しいと思います。
お互いに精進しましょうね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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論より仏道

問問様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教について論じられる本はたくさんございますが、仏教は修道によりて、悟りへと実際に向かっていくことが大切となります。

そのためには、何より「菩提心」が欠かせないところとなります。

その「菩提心」の欠いた論、修道の伴っていない論は、正直、あまり役に立たないものとなります。更に、もう一つ申せば、三宝帰依も。

しかし、上記のことも、仏道を歩む中でしか分かり得てこないところでもあります。

論より証拠。

仏道の一歩一歩の歩みが、その証拠となって参ります。

是非、仏道を歩めていけるように調えて頂けましたら、有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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 その本を読んでいないので何とも言えませんが、少なくとも『ブッダの教えは「ニートになれ」』ではないと思うよ。
 インドにおける出家スタイルは、確かにニートとよく似ているかもしれませんが、似て非なるものです。またその本も読者にニートになることを勧めるものでもないと思います。

 仏教を学びたいようですが、入口を間違えているようです。

 仏教を知るにはお釈迦様の伝記を読むと良いと思います。お釈迦様の伝記には仏教のエッセンスが詰まっていると思います。
 まずは手塚治虫さんの「ブッダ」を読んでみてはいかがでしょう?お釈迦さまの伝記が漫画でかかれています。創作部分もありますので注意が必要ですが、わかりやすく丁寧にかかれていると思います。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「お釈迦様・ブッダ」問答一覧

釈尊の教えについて疑問があり悩んでいます

人生がつらいので少しでも楽になりたくて仏教の勉強をしているものです。 お釈迦様の説いた教えについて質問です。 最近、初期仏教の経典スッタニパータを読みとても感動しました。 その結果お釈迦様はこの世の全てが縁起によって繋がっており結局は全てが同一の価値ある存在である事を理解すれば最終的には自己に囚われることもなくなり現世の苦しみをなくすことができると説いているのではないかと自分なりに解釈しました。 しかしそう考えるといくつかの疑問が浮かびました。 スッタニパータでは父母や我が子に対する愛執を捨てる事を悟りへの道とする一方で、父母に従うことが幸せであり老いた父母を養わない者は卑しいと書いてあります。 しかし無我の境地を目指すのであれば血縁関係に固執してはいけないのではないでしょうか?何故父母に限定して言及したのでしょうか?目の前で父母と知らない人が同じ様に病気や貧困や老いに苦しんでいてどちらかにしか手を差し伸べられない状況の時、知らない人を切り捨てて親子だからと特別扱いして父母に手を差し伸べるのは果たして正しいのでしょうか?両親が仏法を汚す人間であってもそれに従うことが幸せなのでしょうか?  私の父親は酒に溺れた非常に暴力的な人間で犬や猫に対して無益な殺生もしていました。母も暴力的な人間でしたし噓つきでした。私はこの両親に従うべきだったのでしょうか?老後の面倒も見なくてはいけないのでしょうか? また怒りや嫌悪についても疑問があります。 スッタニパータでは怒りや嫌悪を煩悩とし捨てることのできないことをなまぐさと言い汚らわしいことだと言う記述があります。 しかし世の中ではしばしば想像を絶するほど卑劣で残忍な事が起こります。  例えば女子小学生に乱暴して殺害した犯人をたまたまニュースで見て犯人に怒りや嫌悪感を覚えるのはなまぐさなのでしょうか?実際に知り合いの僧侶はその事件について犯人を殺してやりたいとまで言っていましたが彼は僧侶失格なのでしょうか? 自分の周りでより強いものによって不当に傷つけられている弱者を見ても怒らず苦しみも感じないことが美徳なのでしょうか? 他の記述が自分の人生価値観を根本から変える素晴らしいものだっただけに、私はこの二つの疑問に苦しみ悩んでいます。 悟りを目指す僧侶の方々にお話を聞きたいです。

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真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ