父母の恩、孝行について。
僧侶の皆様に御尋ね致します。仏教の教えでは「親を大切にしたければいけません」「育ててもらったご恩に報いることが大切」といわれて
いますが、昨今多発しています「児童虐待」「養育放棄」にあっている子供も、その親を大切にし、恩に報いなければならないのでしょう
か?僕は幼少の頃から感情の起伏の激しい母親
に振り回され、悪化している夫婦関係のストレス解消に精神的暴力肉体的暴力にさらされ、逃げ場なく、過ごして来ました。19歳で家を飛び
出し、やっと呪縛から解放され32年が過ぎました。数年前から仏縁を頂き、仏教に帰依致しましたが、その中に冒頭の教えがありましたこれ
については、僕は素直に受け止めることが出
来ないのです。どうぞ僧侶の先生方のご指導ご回答の程、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私はこのように現状は考えています
ご相談拝読しました。
>「親を大切にしなければいけません」「育ててもらったご恩に報いることが大切」
は仏教なのでしょうか?それは道徳ではないでしょうか?
仏教においてこう説かれる文脈があるとしても、それは「〇〇だから」という前提・理由があると思います。その前提に合わない親が感謝されるべきと私は思いません。
「親」についてではないのですが、次のような説かれ方もあります。
頭髪が白くなったからとて長老なのではない。ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われる。誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷(そこ)なわず、つつしみあり、みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ長老と呼ばれる。
ダンマパダ260-261
親も親として尊敬されるべき要素がととのってこそ親と呼ばれるに値するのではないでしょうか。
次に、「子が親を選んで生まれてくる論」についても私は否定的です。仏典に出典があれば教えて欲しいと思っています。
確かに、
・悪業によって悪い報いを受ける
・悪業によって(来世でも)悪処におもむく
・悪業によって(来世でも)憂う
という言説はあります。しかしこの悪い「報い・処」について家庭や親の内容まで指定されると解釈するのは差別思想につながるのではないでしょうか。
また仏教における善悪は悟りに近づくの善で、遠ざかるのが悪であると私は理解していますが、その仏教的な善悪をそのまま世俗的な善悪に結び付けて考え、悪処=毒親家庭など(世俗的な意味で)幸せではない家庭とするのもいかがなものなのでしょうか。
また、仏教において「私が生まれたいから生まれてくる」と解釈され得る経論があったとしても「私が(親など様々な境遇も含めた)この私として生まれたいから生まれてくる」とそれを理解するのは根本である四苦の生苦にも反すると思います。仏教における苦とは「(条件付けられているので)私の思い通りにならない」という意味でしょうからね。
以上のことから
>「児童虐待」「養育放棄」にあっている子供も、その親を大切にし、恩に報いなければならないならないのでしょうか?
の問いには私は(世俗的な意味においてですが)NOと答えます。これは私の個人的見解です。
ただ、親云々は別にして生まれた事自体については喜べるようになってほしいという願いもあります。
全てが無私無我の「はこび」
お寺の参詣帳に自分の親に対して「地獄の業火で焼かれるが良い!」というようなことを書いている人がいます。書いた人も知ってます。その父親は酷い人だったそうです。
自分の親に死後も地獄へ落ちろ!という心で本人がそれでよくても、周りの家族がそれでイイかどうか。今後も負の連鎖を生むでしょうから、私もその方の為にも僧侶としての「導き方」が問われる大変難しい課題です。
子供は「親を選んで生まれてくる説」と「親は選べない説」がありますが、これはどっちも「そういう言い分がなりたつ」とでもいうものであって、仏教的真理ではないでしょう。
生命の真相は人間の見解や道徳を超えた無我なる有りようであって「ただそうなのだ」というのが法です。
親を選んでくるという説も、父母の体内に存在しているからこそ「選んでいる」とも言えますが、そこに自分の意思などありません。
反対に親を選べないというのも、そういう言う分が成り立つというだけでしょう。
選べたら誰が毒親虐待親の元に生まれたいものでしょうか。
子供を虐待する人間など親でも人間でもありません。人間は人間性をそなえてこそ初めて人間です。
親が親として最高の親の使命を果たしていれば、子供は自然にその因縁によって孝行するように「できている」。不運にも自分の親がその先代の親によって虐待されて育っていれば、当然わが身に虐待経験という負の因縁がついてまわる。
道徳として孝順の心が説かれるとしても、親のエゴの都合の為に孝順であれというのは間違い。人身売買や虐待だって良いという事になります。
人間は人間。それが親になるかならないか。エゴが強く、わが子よりも自分を大事にする親であればそれは親の人間的未熟。親になってはいけない人。
エゴ人間は自分ルールが強いからこそ、子供ですら我が意のままにしようとする。それは単純に自分を守る心が強いから結果エゴイストというだけの事であって親だとか何だとか以前の話です。
あなたに必要なのはあなた個人の為に説かれる導きです。
あなたは親が「そういう」方だった。
だから、離れたのは必然です。
それはあなたの親が作り出した当然の結果です。
ただ、仏教というのは身内にそういう凄まじい性格の人がいたとしても、それでも自分は自分であって自分の中でできる最高の人格を目指すもの。
その為に親の未熟を憐み、赦せるような人格を求めなさいという事でしょう。
相当お辛かったのですね。
それでは
ご両親に恩を感じることも難しいですね。
でも今は
仏縁に合われて仏教に帰依されたのですから
先ずは仏さまのご恩に報いるよう行動すれば良いのです。
それで
ご両親に恩を感じるようになっても
全く恩を感じないままでも
それもご縁だと思います。
感謝すべき部分があるんですよ。
質問読ませていただきました。
おっしゃるように、児童虐待などの事件は数多く耳にします。本当に嘆かわしいことであります。
さて質問者さんのおっしゃるように、とても酷い仕打ちを受けてきたのであれば、「そんな人に恩なんかない!」と考えたり「たとえ少しの恩があろうとも、報いる気がしない」なんて気持ちになっても不思議はないのかもしれません。
しかし、大切な事が1つあります。それは「子が親を選んで産まれてくる」ということです。
よく思春期の子が親に、「産んでくれと言ったわけじゃないのに勝手に産みやがって!」というような言葉をあびせるときがありますが、それは誤りです。
亡くなった人が前世の業によって導かれ、それに値する境界に接します。悪いことをしてきた人は、人間の境界に接することすらできずに、地獄、餓鬼、畜生といった境界にしか触れられずに結局そこに生まれ変わるしかなくなります。
それなりに良いことをしてきた人は人間といった境界にも触れられますが、その中でもさらに良いことをしてきた人は幸せな家庭に縁することができるでしょう。
そうやって新たな生を受けるのです。そしてお腹の中で大切に育ててもらって、この世に産みだしてもらいます。
子供はそうやって産まれてくるので、自分で選んだ末に産んでもらったという恩だけは忘れてはなりません。たとえ色んな恨み辛みがあったとしても、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではなく、感謝すべきとこは感謝する、と分けて考えましょう。
もちろん親の方も、「あんたが勝手に産まれてきたんだ!」と言って子供に好き勝手していいわけではありません。子供にやったしこ、子供から返ってくるでしょう。そこは自業自得ですので受け入れなければなりません。
また、親に恩を受けた部分に関してですが、恩返しの方法は色々あります。
詳しくは、
https://hasunoha.jp/questions/31432
をご覧下さい。
以上、何か少しでも参考にしてみて下さいね。
拙生も昔に疑問に思ったことがあります
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
確かに仏教では、「四恩」の説かれてある一つに、「父母への恩」が含まれてございます。
実は拙生も昔に疑問に思ったことがあります。
そもそも、釈尊の母は、釈尊が産まれられてすぐに亡くなっており、また、父に対しては、最後には父の期待を裏切って出家なさられたわけですから、どういう「恩」、そして、どういう「報い方・孝行」を言うのであろうか・・と。
まあ、「四恩」を説くお経が偽経であれば、それはそれで決着も付くのですが、それは別としても、結論からは、やはり、藤川誠海様のおっしゃられておりますように、「この世に産まれられたことの恩」であろうかとは存じます。
そして、釈尊が、その恩に報いてゆくために取り組まれたこと(孝行)が、仏道であり、一切衆生の救済を目指すということで、そこに、やがて輪廻にある父母も救うということが含まれてくるのであろうというところであります。
私たちにおいても、尊い仏法のある世界に、その仏法を修せられる境涯に生まれられたこと、それだけでも誠に有り難いことでございます。
父母、皆の悟りへと向けて、しっかりと仏道を歩んで参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
今回初めて僧侶の先生方にご指導ご回答頂きました。いろんなことに気付かせて頂けました。5名の先生方にはまず、心より御礼申し上げます。
吉武先生 どんな親でも無条件に感謝しなければならないのか?という一方向でしか見えてなかった僕に、「生まれてきたこと、その事自体」に感謝することに気付かせて頂きました。有り難うございました。
丹下先生 「自分は自分であって、自分の中で出来る最高の人格を目指す」そう心がけて仏道に邁進して行きます。有り難うございました。
藤川先生 六道の中で人間界に生まれたことに感謝して、今までの辛い経験を糧に、仏道に邁進し悩み苦しんでいる人に救いの手を差し伸べることの出来る人間になるように精進して参ります。有り難うございました。
和田先生 無明の中をさ迷い歩いていました時に仏縁を頂きました。先生がおっしゃって下さった「まずは仏様の御恩に報いる」ことを日々の暮らしの中で行うことを優先的にやって行くように精進します。有り難うございました。
川口先生「父母の恩」ということに、一方的解釈しか出来ていませんでした。僕のケースでは、先生がおっしゃった「仏法を修せられる境涯に生まれたことに感謝」することが大事であり焦点を当てることであるということに気付かせて頂きました。今までの辛い経験を、これからの仏道修行に生かせて行きます。有り難うございました。