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仏教の「助け合い」

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先日、大学の授業で教授が「福祉の考え方は西洋から日本に入ってきた。ヨーロッパやアメリカはキリスト教の隣人愛の精神にのっとって助け合う心が人々にあるから福祉が充実しているけれど日本ではキリスト教がメジャーではないからなかなか助け合いや福祉の精神が広まっていない。」と話していました。私は宗教についてあまり詳しい方ではありませんが隣人愛という言葉は知っていますし、確かにキリスト教を信仰する人が多い国で福祉の心が根付いているというのは何となく納得が出来ます。

でも、日本人にも助け合うという考えはあるはずだと思います。熊本の地震があった際も、火事場泥棒などひどいことをする人もいるようですが現地にボランティアに行ったり募金などの支援をしたり、困っている人を助ける動きがあるという話もたくさん聞きました。なので、教授の「キリスト教が浸透していない国では福祉の考えも浸透しない」といった話を聞いて何だかもやもやしてしまいました。

そこでお聞きしたいのですが、仏教においてもキリスト教でいう隣人愛のような、誰かと助け合う、支え合うという教えはあるのでしょうか。無宗教だという人も多いので何も宗教の考えだけが人の助け合いのベースではないと思いますが、日本は仏教が身近という人も多いと思うので、仏教にもそういった教え、精神があればぜひ教えてください。


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

全ては人の為であり自分の為。

みん様へ
貴女のご質問タイトルに沿った回答になっていないかも知れませんが…。

仏教における大切なものとして「利他行(りたぎょう)」というものがございます。
この「利他行」には4つの項目があり、

1 布施 (ふせ)
誰にでも分け隔てなく、物でも心でも惜しみ
なく施す事。
(私利私欲を捨て去る修行)

2 愛語(あいご)
全ての人に対して慈しみの心を持ち、思いや
りのある優しい言葉をかける事。

3 利行(りぎょう)
自分の事はさて置き、人の為になることを行
う事。(ボランティア活動などがこれにあた
ります)

4 同事(どうじ)
他者と同じ立場に立ち、共に悩み苦しみ、物
事を考え、行動する事。
(自分と人が一体となる事「自他一如」)

以上の項目となります。
ご覧になられてお分かりかと思いますが、どれも人の為を思っての行為なのですよね。

この4つの項目は本来、誰もが心に備えているものだと思います。
だからこそ、困っている人がいれば手を差しのべ、助けようという気持ちが自ずとわき出てくる…。

その「利他行」の実践、仏教的助け合いが仏教徒であろうがなかろうが無意識の内に自然となされている光景、姿が今4月14日に発生した熊本地震の被災地の現場にはあるのです。

この「利他行」が私からの貴女の問いに対する回答です。
隆介 合掌

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少しでも皆様のお気持ちに心を寄せて行けたらと思っています、どうぞ宜しくお願...
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 みんさんから、大事な問題提起をいただきました。大学教授という要職にある方でも、日本の福祉についてそのような認識であることが知らされ、あらためて仏教の歩みをお伝えする縁をいただきました。
 仏教では、お釈迦様の時代(今から約2500年前)から施しということを大切にしてきました。それは、三施(財施・法施・無畏施(むいせ))や六波羅蜜(布施-ほどこすこと・持戒-つつしむこと・忍辱-しのぶこと・精進-はげむこと・禅定-精神を集中すること・智慧-真理をみきわめる力の六つの修行徳目)という言葉からもよくわかります。そして、出家者だけでなく一般の仏教徒誰もが出来る施しとして、「無財の七施」ということも大切に実践されてきました。1身施(しんせ)肉体・労働による奉仕。2心施(しんせ)他人や他の存在に対する思いやりの心。3眼施(げんせ)優しいまなざしであり、そこに居るすべての人の心がなごやかになる。4和顔施(わげんせ)柔和な笑顔を絶やさないこと。5言施(ごんせ)思いやりのこもったあたたかい言葉をかけること。6牀座施(しょうざせ)自分の席をゆずること。7房舎施(ぼうしゃせ)わが家を一夜の宿に貸すこと。
 この中のどの行いにも共通するのが、思いやりや助け合いの心です。相手に不安を与えず、安らぎを感じてもらえるようにするということ。「布施」と言うと、何か物やお金を与えることをイメージしがちですが、本来は、仏さまの慈悲を究極の手本とした行いです。
 また、『仏説無量寿経』は、浄土宗や浄土真宗で大切にするお経の一つですが、その中に、「和顔愛語」という言葉があり、その意味は「柔らかな笑顔と優しい言葉」で人に接するというものです。「柔和な表情と、慈愛のこもった言葉をもって、苦しみ悩む人々に寄り添い、その人のまことの願いをいち早く察知して、相手の心をくんで問いかけ、救いの手をさしのべていく」という、阿弥陀如来さまが私に届けてくださる働きを讃えた言葉なのです。この言葉が今では、仏教徒だけではなく、広くビジネスの世界にも紹介され、社会生活を営む上で多くの人々が心がける指針の一つとして知られています。
 先生や同級生に、今度はみんさんから紹介してあげてください。公益財団法人仏教伝道協会ホームページが参考になると思います。 このハスノハへ勇気を持ってお声かけを頂き、有り難うございました。ご縁に感謝!!合掌

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おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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供養

供養が隣人愛に当たるのではないかと思います。供養とは、供に養うことです。昔からある言葉です。供養は彼岸(あの世)に逝かれた方々だけの言葉ではありません。此岸(この世)にいる我々同士でも出来ることです。

相互供養という言葉があります。私はその言葉こそ日本の福祉思想だと思います。

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より多くのご縁で助け合いましょう

「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」
これは仏教から派生した剣禅一致の言葉ですが、かえって日本人の生活に馴染んだ仏教を言い抜いています。

まず仏教の根本思想、ご縁のお話をしましょう。
この世界のすべてには原因と結果があります。原因と結果が網の目のように繋がり、過去・現在・未来にわたって広がります。私たちもその原因と結果の網の目のひとつ。だから、本当に自分を大切にしようとするなら、自分に繋がる原因(他者)を大切にすることでしか、自分を大切にすることはできない…これが仏教の大前提です。

いわゆる「情けは人のためならず」というのもここから派生した言葉です。他人に親切にすることがそのまま自分を大切にすることとイコールなんですね。ここを意識して災害時の日本人のあり方を思い浮かべればご納得いただけるでしょう。

では、仏教に福祉は無かったか?空海さまは病院作ってますわね。寺子屋だって日本全国にありましたし、昔のお坊さんは薬草の知識があったので田舎の村じゃお寺が唯一の病院みたいなものでした。薬師如来を祀ってあるとこは大抵そうでしょう。

ただ、キリスト教は市民の税金を集めて行政と結託していましたが、お寺は一種の自治組織でしたから、そこが違うかな?昔の日本は100石の土地持ちなら何十人雇え…みたいな社会だったのです。これは戦後に農地解放で土地を没収されるまでお寺も同じでした。だから非日常の福祉という形を取らず、日常生活の中での助け合いを重視した感はあるでしょう。それぞれの管轄の中で福祉を行っていたと言ったほうがイメージしやすいでしょうか。

むしろ資本主義&政教分離による西洋化の時代になってから他人のお世話をする感覚が薄れているように思いますが…アメリカなんか政教分離とか言いながらプロテスタントとズブズブでしょう。むしろ日本の方がずっと敏感です。その意味じゃ確かに宗教を失うと福祉が衰えるというのもうなずけるかもしれません。

なお、阪神大震災の時に自衛隊の次にたくさんの人が現地入りしたのはお坊さんです。その時にたくさん行き過ぎた反省から東日本大震災では活動内容から規模まで見直しました。でも、お坊さんは陰徳を積む伝統からあまり宣伝しません。そこがキリスト教との一番の違いです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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日本にもありますよ。それは和の精神です。

みんさん、こんにちは。

大学の先生は見方が狭いですね。今の福祉はキリスト教文化から発生していますが、日本には日本独自の文化で弱者を救済してきました。何でもキリスト・西洋的な価値が正しいとは限りません。

海外では宗教が善悪を作ってきましたが、日本人は狭い国土の中で生き抜くため、「和」という文化を育てみんなが生きられるように村単位の社会生活がなされました。和とは米に口と書きますが、字の通り、日本人は少ない食べ物を、みんながシェアして共に食べられるように共同生活をしてきたのです。これが日本の福祉の原点であり、現在でも続いている和の精神です。現在は、村の共同体が崩れ、徐々に和の精神が忘らさられらるようになり、自由な西洋個人主義がもてはやされますが、それでも先の大震災の時には、日本人に沁みこんだ和の文化が発動して、海外ではありえないような個を抑えた社会秩序を保ちます。これこそ日本人の特徴といえます。

 仏教が入ってくると、和の精神に幸せになるために善行を積むという思想が入りコラボしました。施薬院や孤児院などすでに奈良時代に始まっています。日本の家庭にはお風呂がありますが、もともとお風呂は治療のために仏教が広めたものです。温泉には薬師様が祀られたり、日本の銭湯が寺院作りなのはその名残です。また、日本では歴史的に、地震や台風など、自然災害が多いため、その都度、僧侶はもちろんのこと殿様や在家でも多くの有徳者が現れて全財産を使ってまたは命をかけて人々を救ったという話はいくらでもあります。また神社とお寺が一緒に共存するという宗教形態ができあがりました。宗教の正邪で戦争が起こり多くの人々が亡くなる中で、日本は宗教の大きな対立を回避することに成功したのです。そのことが日本人の豊かな精神性を培う力となりました。

日本は西洋に比べて福祉がなっていないという批判はたまに聞きますが、もともとのお互いが助け合うという国の歴史的な安定性が違うのです。ヨーロッパは散々戦争してきた中で福祉も発展してきたのです。日本は300年間の徳川治世で社会共助が更に発展しました。そういう意味で西洋と違った福祉社会を発展させた国といってよいのです。

もちろん西洋福祉と比較すれば、まだまだ不足しているところはあります。合掌

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博愛主義は全宗教の根幹をなすものだと思います。

私は、社会福祉関連の仕事に20年以上就いてきました。ご存じだとは思いますが、社会福祉を学ぶ上で、大切なことは歴史的変遷です。592年に仏教を招来された聖徳太子さまは、四天王寺に設立した「悲田院」が現在の社会福祉施設をお作りになりました。これが日本の社会福祉の起源です。1601年のイギリスにおける「エリザベス救民法」にさかのぼること1000年ですから歴史があります。その後、仏教寺院を中心として社会福祉事業が展開されているのです。なじみのあることろでは、駆け込み寺これは、女性保護の起源ですよ。また、寺子屋も寺院のおける教育福祉という意味では立派な福祉事業です。 近代日本における社会福祉は、明治期から大正期にかけて主にキリスト教を信仰す篤志家の方によって、貧民街のセツルメント運動が起こります。 現在の福祉制度になったのは戦後の事で、戦前の救民法から(旧)生活保護法(旧)が制定されました。近代日本の発展と並行して、欧米の社会福祉制度を導入したというのは事実ですし、そうした概念の根本にあるのは、キリスト教的博愛主義が当然あるでしょうが、これがすべてかというと議論の余地があります。産業の近代化の伴う労働力の確保という国家の至上課題と表裏一体をなすものだからです。いうなれば飴とムチです。この辺はご自身で勉強してくださいね。
話を戻しますが、仏教はいろいろな教えがありますが、仏道というくらいで、仏さま(悟りを開く)になる道です。だからいろいろな道があるのです。十人十色というように人の性格や個性が違うからです。そして各々の道を尊重しあっています。お経さまにはいろいろ書かれていますが、根本は仏さまの慈悲、我々に対する思いやり、優しさ、慈しみ、です。どうか、魂が救済されますように、救われますように、幸せになりますように、私たちも祈っていますが、仏さまも私たちのことを常に祈ってくださっているのです。
そういう意味では、仏教も福祉の根幹をなす思想。宗教と言えます。ぜひ、仏さまの教えに触れてくださいね。

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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ハンセン病について

仏教における助け合いの教えは各上人様の言われる通りです。
キリスト教に劣る事はありません。

ただ、みんさんの先生が言われているのは、もしかしたらハンセン病患者に対する対応を指しているのかも知れません。
日本では昔からハンセン病患者が居ましたが、感染を恐れて隔離されてきました。
この隔離が部落差別の発生にも繋がった一因であります。
仏教的にも当時間違ったお経の解釈の為に僧侶もハンセン病患者に対して支援する事が少なかったようです。もちろん仕事を与えたり、物資を与えたりはありましたが、前世の行いが悪いとか、現世で仏教に反する事をしたなどという精神的な差別もあったようです。
しかし、キリスト教ではハンセン病患者に対しての救済を教義に従う行為として積極的に行われて来ました。もちろん社会からの隔離や差別もありましたが。
日本でも、日本に来たキリスト教の宣教師によって救済処置が行われました。
本格的になったのは明治時代以降です。

この事からも仏教に比べるとキリスト教の方が福祉的には優れていたと言われても仕方ないことです。
しかし、本当は仏教が劣っていたのではなく、仏教を正しく理解し実践する事ができなかった日本人の精神が劣っていたのだと思います。
ですから、私達はこれから仏教を正しく理解し、実践していかなければならないという事であります。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

とてもわかりやすいご回答ありがとうございました。仏教においても助け合いの教えはあるのですね。授業の時からずっと心に引っ掛かっていたもやもやがすっきり取れました。仏教の歴史や教えをしっかり理解して私自身も実践を心がけ、周りの人にも伝えてみようと思います。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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