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人の秘密を暴く職業の方は、どのような業をせおうのですか?

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女性週刊誌のカメラマンや、パパラッチのように、人の秘密を暴いてそれをお金にする職業の方は、どのような業をせおっているのですか?
それがいいこと、悪いことというのではなく、週刊誌をみる私達がいるからこそ成り立つ、必要な職業なので、別に彼らを非難しているわけではありません。

しかし、彼らのせいで芸能界をおわれたり、社会的な信用を失って仕事をなくしたり、一つの記事が人の人生を破滅させることもあります。
もちろん、元々は隠れて悪いことをしていた人達が一番悪いのであって、彼らはその秘密を世間に暴いただけかもしれません。
だからといって、何をしてもいいというわけではないと私は思うのです。

日本の長い歴史の中でも、密告や告げ口をして金銭をもらっていた人はたくさんいたと思います。
仏教の世界では、そういう彼らはどんな立場にいるのでしょうか。
最近の過熱するワイドショーをみて、色々と考えてしまうのです。


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お坊さんからの回答 8件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

皆、煩悩具足の凡夫

私ども浄土真宗の開祖、親鸞聖人晩年のお言葉に

「凡夫」というのは、わたしどもの身にはあるがままのありようを理解できないという、最も根本的な煩悩、迷いの根源が満ちみちており、欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、まさに命が終ろうとするそのときまで、止まることもなく、消えることもない(一念多念証文・現代語訳)

とあります。八百年前、既に人間の本性を深く見つめた言葉です。

「凡夫」とは、自己の利益のためなら、他を犠牲にすることも厭わない。あらゆる欲求が交錯する日暮らしで、それが命が終わる瞬間まで続く。何とも、恐ろしく悲しき性ではありますが、最近のワイドショー・週刊誌は、正にこの欲求のためにあります。そして私たちの本性も…。

隠れて悪いこと(倫理に反すること)をした人、それを暴く週刊誌、その週刊誌の読者、そして今質問の中で週刊誌カメラマン・パパラッチに怒りを向ける ぱんだ道雪さん。皆同様に、怒り・腹立ち・そねみ・ねたみの心が絶え間ない煩悩具足の「凡夫」なのです。

私たちの目や耳は外に向いていますから、人のことはよく分かります。しかし、自分が欲望煩悩の身であるとは全く見えていないのです。
二千五百年前、お釈迦さま(仏陀)はその事を見抜き、救う仏があることを明らかにされました。
八百年前、親鸞聖人は自分自身が肉食妻帯する事により、非僧非俗、煩悩にまみれた「凡夫」であることを示し、仏の慈悲に包まれている報恩感謝の意を生涯明らかにされました。

ぱんだ道雪さんの主張は、一般倫理では正論です。でも振り返って私も実は煩悩具足の「凡夫」だと自覚できた時に初めて、様々に腹も立て、愚痴をこぼしながらも、いろんな方々とつながり(縁)を持ち、生きるというより、生かされている生活を感じる事ができるのではないでしょうか。

他に怒りを向ける前に、何気ない日々の幸せ(仕合せ)を感じて下さい。
水道の水を飲める。布団で寝られる。そして今生きている。実はみな稀有な事なのですよ。

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おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしておりま...
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仕事に貴賎はありません

こんばんは

 おっしゃる通りだと思います。ヤリスギだなぁ、って思う事もありますよね。またそれによって人生メチャメチャになってしまった方もいてお気の毒だな、ヒドい事をするなぁって思います。

 さて、例えば私はお米を作る事ができません。農家の方に作ってもらいます。それと同じで、私は芸能人のゴシップを知ることができません。だから詳しい人に調べてもらって、知る事ができます。(私もゴシップには興味はありませんが、まあ知りたくなくても知ることができます)

 彼らの行動と仏教の戒律を照らしますと、確かに破戒行為となる事(不説過戒(ふせっかかい=他人の過ちを言いふらしてはならない) 不自讃毀他戒(ふじさんきたかい=自分の自慢 他人の悪口を言ってはならない) 場合によっては不妄語戒(ふもうごかい=うそ偽りを言ってならない))もありますが、私達は彼らの調べた事を放送で見て視聴率を上げたり、雑誌を買って販売部数を増やす事で、彼らに破戒行為を唆(そそのか)している事にもなりますよね。またそれを煽ったり、対象の方を攻撃しているのは他でもない私達なんですよね。
 彼らに破戒行為をさせないためには、私達が、芸能人のゴシップに興味を持たず、そのような放送や雑誌を見ないようにする事、過剰に反応しない事だと思います。そうすれば仕事自体が必要なくなりますからね。彼らはそのような行動をしなくてすみます。(上のお米の例を使えば、農家を批判するのではなくお米を食べなければ良いという事です)

 最後に、仕事に貴賎はありません。それが「業の仕業」とか、「業を背負う」と考えるべきではありません。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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自分はどう生きるか、そこが仏教

ニカ-ヤ(阿含経)という経典にお釈迦様のこんな言葉があります。
「息子を持つものは、息子のことで思い悩み
牛を持つものは、牛のことで思い悩む
人は自分が執着しているもののことで思い悩む
実に、執着のない人は思い悩むことがない」

あなたの執着しているものはなんでしょう。
人の不幸をメシの種にしている人?

ちなみにお釈迦様は出家してからはひたすら乞食行で、供物を食べて生活し、生産的な仕事は一切しなかったそうです。

私は芸能人のゴシップには興味が無いし、週刊誌も読まないのですが、まあ確かに褒められたものではないかもしれません。
けれど、あなたはその当事者ではありませんね。

あなたの中に思いがあるように、記者さんには記者さんの思いがあり、取材される側にも思いがあり、読者にもそれぞれの思いがあります。
皆の思いがあなたと共通だとは限りません。

ものの見方は人それぞれですから。

他人は変えられません、せめてあなたはしっかり学んで、善い行いでご自身を磨いて下さい。

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おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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人の短を言う事なかれ、己が長を説く事なかれ

「業(ごう)」と書いて「なりわい=職業」とも読みますよね。

人間は業を負わずしては生きられない生き物です。
狩猟、農耕、牧畜、ベジタリアンか否かを問わず、他の命を自らの命の糧にして生きています。
問題は、自分の負った業によって、自分(あるいは子孫?)がどれほど苦しまないといけないか。
「人の短を言う事は、良い事では無い」というのが、先人のお智慧の一つであることは間違いないと思います。
なぜ「良くない」のか?
言われた人が非難を浴びて苦しむから?
それよりも私は、「人の短を言った人自身が、自らの寛容性を欠落させ、言った相手が近くにいるだけでストレスを感じたり、寛容性が萎縮することで、更に多くのストレスを感じる人や環境を作ってしまったりして、苦しむのを予防する為のお智慧」だと思います。

但し、自らの健康のための予防法であっても、それを実践し続けるためのエネルギーとして、「言われた人が可愛そうだ」という慈悲の念が必要になると思います。

まずは「人の短を言う事は良くない事」と自覚する、それでもそれを業(なりわい)とする人は、食べ物を頂く際の感謝(上手く例えれてません、すみません)のような念を抱くことで、業(ごう)に因る苦しみを軽くする事が出来るはずです。

週刊誌の読者となる人も、同様かもしれません。言われた人、言った人、共にその業によって苦しまずに済みますようにと祈る。
自分が、その記事を読むことによって何らかの欲求を満たされるのであれば、「良くない事」と自覚した上で、「いただきます」をすれば良いのでは無いでしょうか。

他人がどれだけ業によって苦しんでいるかなど、知る由は無いのです。
「良くない事」をしまくっている人なのに、甘い蜜ばかり吸っている様に見えるのは、自分自身の妄想に過ぎません。
そんな人は必ず苦しんでいます。
「どうかこれ以上あの人が苦しまなくて済みますように」と祈るのが、一人の人間として健全な行動では無いでしょうか。

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おきもち

橋本昌大
1979年十輪院生まれ。 中学・高校は京都市内のカトリック系ミッションス...
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ゴシップから私どもが「学ぶ」品位・品格が問われる。

子供が子供のアニメを見るように大人は大人のアニメを見たがる心理があるのでしょう。
大人が「身体だけ大人に成長」したとしても「こころがいつまでも子供」であると、人の不幸を喜ぶようなアダルトチルドレンのままです。ゴシップや人のプライベートを公開して鬼の首を取ったかのような個人の尊厳を尊重しない行為を喜ぶ人は、大人に見せかけた子供なのでしょう。
さらには、それを受け取ってどう対処するかが私たち大人が「本当に大人であるか」問われているところではないでしょうか。
ゴシップは諸手を挙げてウェルカムな内容ではありません。
ですが、百歩譲って物事には側面があります。
カメラが捉えた画像はその様子をそのまま映します。
その映像、話題、ニュースを賢い人は、賢く自らに機能させます。
よって、一見ゴシップであるように見えても、それが人によっては学びになるものです。
ゴシップをゴシップとして自身に機能させる人は、ゴシップ記事が文字通り、実質的にもゴシップにしかならないのです。そういう人生をこそゴシップ人生と恥じるべきです。
人には誰にでもそういうゴシップな一面がある。
ゴシップをネタにする人は、そういう人間のゴシップ面を引き出し、欲をあおるのです。
電車の中づり広告などはそういうキャッチフレーズにあふれているではないでしょうか。
そこを自ら自らの心の中のパパラッチに追跡させて、明るみに出して、自分の人間性の低さを恥じて、人の情報ばかり追う人生ではなく、自らが自らの人生を胸を張って生きられるようになることこそが、本当は必要なのではないでしょうか。
そういうことが、コンビニや本屋さんに並ぶゴシップ記事が説教してくれている別の一面です。

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煩悩は悩み苦しみの原因

どんな仕事でも、欲や怒りやプライドなどの煩悩によって実施している場合、悩み苦しみを増やす行い(罪業、悪のカルマ)を積むことになります。
ですから、近い将来、もしくは遠い将来や来世以降に、悩み苦しみが増える可能性があります。
煩悩を弱体化した方が悩み苦しみやストレスは減るのです。

お坊さんの場合、他人の罪を言いふらしてはいけないとか、相手が謝罪したら許さないといけない、という戒め(生活習慣の修行)があります。
お坊さんに限らず、このような修行を意識して生活した方が、自分自身の悩み苦しみを減らすのに役立つし、他人や社会の悩み苦しみを減らすのにも多少は貢献できるかもしれませんね。
でも、怒りは悩み苦しみの原因ですから、パパラッチなどに対して怒るのもまた、煩悩なのです。
パパラッチなどはダメな奴らで、自分はそれらの人より優れている、などというプライドもまた煩悩なので、それも自分の悩み苦しみを増やす感情と言えます。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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業は複雑です。

業は複雑です。
まず、心が業を作り、心が業を感受するのだと理解しましょう。
体を通しても、心が体を使って業を作り、心が体から業を感受しているのです。
その心とは、一瞬ごとに変化生滅を繰り返す、目まぐるしいものです。
その一瞬ごとの心が、欲や怒りで汚れたものなら悪業を作り、慈悲や随喜で清らかなものなら善業を作ります。
欲や怒りが新たな欲や怒りを作ったら悪業が増えます。慈悲や随喜が新たな慈悲や随喜を作ると、善業が増えます。
しかも、悪い心も善い心も以前の善業や悪業を受けながら生まれます。
悪業が現れると心を暗くし、新たな欲や怒りを作ってしまいがちです。
善業が現れると心を明るくし、新たな慈悲や随喜を作りがちです。
以前の悪業には影響をなるべく受けないようにし、以前の善業には乗ってますます心を浄めるようにして、心を悪から善に、業を悪業から善業に向けることが大事です。
パパラッチを職業にしていても、家に帰れば良き父、親孝行の子供かもしれません。悪業や善業は、それぞれの一瞬ごとずつ増えます。
そして、パパラッチなどはけしからんなどと考える私たちの心も、一瞬ごとに善業か悪業を作り続けています。気を付けなければなりません。
そのような職業に対して怒りの気持ちではなく「大変な職業があるものだ。他人の不幸を喜ぶ私たちがそのような職業を成り立たせているのだ」などと智慧で洞察し、苦しむすべての生命の苦しみがなくなるようにと慈悲の心で観察すると、善業になります。

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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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全ての衆生を救うために・・

ぱんだ道雪様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人間も含めて欲界の衆生たちは、煩悩とその親玉である無明(根本的な無知)にて、いずれにしても過多を問わず悪業を知らず知らずのうちに積んでしまう世界におります・・

そして、また積んでしまった業に従って輪廻してゆくのであります・・

その負のループから逃れるための法をお釈迦様は、お説きになられました。

もちろん、できれば、悪業を積んでしまっている全ての衆生を救えるようになれる悟りを目的としますが、そのためには、何より自分が悟りを開く必要がございます。

悪業を積んでしまうこの世界・・全てのものたちに悪業を積ませないようにすることが、果たして今の拙生や貴方様にできるでしょうか・・とてもできません。なぜなら、所詮は皆と大して変わらない同じ凡俗な身柄なのですから・・

とにかく、他を救えるようになるためにも、何よりまず自分の心から一つ一つ悟りへと向けて調えていくことが求められるものになります。

是非、これを機縁に、全ての衆生をいずれ救うために、少しずつでも仏道の歩みを進めて頂けましたら、誠に有り難いことでございます。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

お早い回答ありがとうございます。
一つひとつの考え、心にしみました。
そもそも芸能界自体が、華やかである分、欲がふかい世界なのかもしれませんね。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

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日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ