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六道とはこの世にあるのでは、と思うようになりました。

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はじめまして、こんにちは。

私は最近、六道とは今生きている私たちの心の状態だと思うようになりました。

今までの私は嘘つきで本当にずるい人間でした。
友人や家族にも償えきれないようなことばかりしてきたように思えます。
これは餓鬼や畜生、修羅などに心が落ちていたのではないのかと今では思います。

そして今までの自分の愚かさを悩み、反省しどうしようもない後悔ばかり押し寄せてくるこの状態が地獄なのだと考えています。

しかし輪廻転生を考えるとこのことは因果応報で来世に伝わるというのが説ですよね。

では私はこれからこの罪をもって転生するのでしょうか。

あまり仏教に詳しくないためよくわかりませんが、
私の考え方は間違っているのでしょうか。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

六道とは心の状態です

ここのさんこんにちは。赤澤貞槙と申します。

「六道とはこの世にある」・・・とてもよい解釈だと思います、自分のココロが経験する世界を作ります。

食べてるものは同じなのに、彼氏との食事は美味しいが、苦手な人との食事はまずいというのと同じです。その時のココロの状態で仏になったり、地獄になったりします。

私のお寺の御本尊には「仏」だけでなく「地獄」も祀られています。それは尊いものだけでなく、つらいことも尊崇の対象ということを表します。
「仏の中にも地獄があるし、地獄の中にも仏がいる」という解釈です。

もしここのさんが「嘘をつく本当にずるい人間」なら、今日から他人の嘘を許す人になってください。
「ずるい人」なら他人のずるをみても裁かない人になってください。

「因果論」とは「今、自分が人の罪を許せるのは過去に自分が罪を許してもらったから」ということです。
罪をきっかけに、新しい自分になれること、これを転生といいます。

だから転生とは未来世ではなく、「今、ここ」の話なんですよ。
まさに「いつやるの、今でしょ」ですね。

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サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプル」です。 無印良品のような本堂には季節のお花を挿し色に。礼拝と法話を大切にしております。

地獄ではない、と思います

ここのさん、はじめまして。
なごみ庵の浦上哲也と申します。
10代とお若いのに六道という言葉をご存知で、それについてお考えになったのですね。

ご存知と思いますが、六道とは地獄・餓鬼・畜生・人間・修羅・天の6つの世界のことで、私たちはそこを生まれ変わり死に変わりしている。良い事をすれば人間界や天界に、悪い事をすれば地獄界や修羅界に生まれていく。そして仏教の最終目的は、この六道輪廻から脱することです。

大昔の人はこの六道世界を実際に存在する世界と思っていたかもしれませんが、現在はここのさんの仰る通り、この世、というか自分の心の状態、と捉える場合が多いと思います。

天:楽しみが多く、浮かれている状態。
修羅:怒りに支配され争いが絶えない状態。
地獄:相手の言葉を聞けず、理解出来ない状態。
餓鬼:あれもこれも欲しいと貪る状態。
畜生:愚かさに支配されている状態。

上記の5つの世界は、楽か苦に極端に触れています。天は理想の世界ではなく、仏教ではそこも脱さなければいけない境地です。

もうひとつ残った人間界は、楽もあり苦しみもある、ニュートラルな状態です。そして人間は、苦楽が共にあるこの世界でないと、悟りを目指せないのだと思います。

ここのさんは以前、嘘つきでずるい人間だったと仰いました。確かに餓鬼や畜生、修羅の心だったのかもしれません。
しかし今はそれを反省し、後悔しているのですね。その状態は地獄ではないと思います。嘘つきでずるい自分を正当化し、相手をけなすのが地獄の状態です。反省と後悔に苛まされているここのさんの心は今、人間界にあるのではないでしょうか。

自分が他者にかけた迷惑をちゃんと認識し、現世での因果を現世で受けとめようとなさっていますね。今この時がここのさんにとって、成長へと繋がる修行の時なのではないでしょうか。

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横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

六道という悪い生活習慣のサイクルから抜け出すことが仏教です

六道とは現実的意には次のような事。
この心に、拭い去れぬ苦しみあり、これ地獄(界)なり。
この心に、自己中心的な渇望あり、これ餓鬼なり。
この心に、非人間的な性質あり、これ畜生なり。
この心に、憎しみ争い意識あり、これ修羅なり。
この心に、観念的思惑あり、これ人間なり。
この心に、驕慢、快楽の心あり、これ天上なり。
死語の世界をあたかもあるかのごとくに語る仏教(ミテキタノカ)は、根拠がない、立証できないため、信じられない(._.)というのが誰もの本音です。
「サンタさんいるもん」「天国はあるもん」というストーリー性豊かな教えのほうがしっくりくる方には、そのように説く教えもありますが、いい大人や理知的な科学者タイプの人からは「仏教とはそんなレベルか」嘲笑されてしまいます。
お釈迦様が、生まれて7歩歩んだというのは、この六道という悪習慣から一歩を進めて、苦しみのサイクルから飛び出して、悟りをもとめるべし、ということを象徴しています。
・「輪廻転生」とは、貴女がさっきの不安の状態からもうケロリと解脱して、いま、そこをさっきとは違う心で生きているという、心の変化の道理であって、死後に生まれ変わるとかナンチャラの話にすべきことではありません。
・「因果応報」とは、原因をつくれば結果になって表れてくる、という道理の事であって、あの世思想とリンクさせないことが王道的解釈です。
世の仏教書は面白おかしくストーリー性を持たせてマカフシギな事を言っているものもありますが、小さいお子さんにはお子様向けの教え、大人には大人に向けられた教えがちゃんとありますので、あなたもそろそろ理知的な仏教を求められてもいいのではないでしょうか。
なぜ、あの世や死後に結びつけることがあまりよくないかといえば、科学的にも根拠がないし空想、想像上の仏教で終わってしまうから仏教圏外の普通の人は到底信じられないからです。
そういうお話のほうが理解されやすいタイプの人に向けられた方便であって、
それでは納得がいかない私やあなたのようなタイプの人間には、現実的な教えちゃんとあるのでご安心ください。
あなたの罪は仏様の御前(正直な自分に向き合うことの意味)で迷惑をかけた本人の前で発露する、明らかにして「申し訳なかった」と懺悔することで消滅しましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

どうでしょう

 ここのさん。六道輪廻はあると言えばあるかもしれませんが、このような思想はインドのカースト制度からきております。お釈迦様が仏教をお開きになった理由の1つに当時からバラモン教を媒体としたインド社会(カースト制度から)から人々を解放するためと言われております。直接カースト制度を批判すると弾圧を受けるので「天・人間・修羅・餓鬼・畜生・地獄」と名前を替え、ここからの解脱をするという信仰を興しました。だから、仏教では決して差別はしてはいけません。
 いま日本では憲法下、自由と平等が約束されています。ですから、ここのさんのように自分の生き方の1つとして信仰する分には良いものだと思いますが、ただ、来世に転生するさいはどれがどうのとは言わないで、今自分の心理状態がどうなのかという指針に留めておいて頂きたいです。 他人を六道に充てて批判したりするのもいけませんよ。
 これを機に困っている人、いじめられている人、非難にあっている人を助けたり、寄り添ったりする心を持って頂きたいと思います。助け方は色々あると思いますが・・・。

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目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

ラッキー7。

>しかし輪廻転生を考えるとこのことは因果応報で来世に伝わるというのが説ですよね。
>では私はこれからこの罪をもって転生するのでしょうか。

ここの様。

私は六道を輪廻することを肝に銘じるための仏教ではなく、
私は輪廻から脱するのが仏の教えと聴いています。

地獄の様子に使われている、釜茹でにしろ、針の山にしても、地獄とはお湯や針そのものではなく、使い方によって痛みを与えるか、人に暖かさを与えるものになるか、道は分かれると思います。

自分がしてきたことだけでなく、自分が受けてきたことにも目を向け、そのかかわり方が変わるならば、将来は変わると思います。

余談ですが、7という数字で縁起を担ぐのは六道を超えるからラッキーセブンというと聞いたことがあります。

見えない不安に左右されず、よき道を歩まれることを念じます。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

六道の世界は心の持ちようによって変わると思います(^_^)。

人生色々なことでさいなまれることが多いですね。
ホント頭ん中、身の回りは大変です。
人間には反省という言葉があります。そして、様々なことにやり直しをしすることができるのです。
人生をやり直してみようと立ち上がったとき、あなたの目の前の六道の世界が変わっていくんじゃないですか(^_^)。
視点を変えてみて世間と関わってみましょう。
失敗しても大丈夫!!。このハスノハに登録されている僧侶の方々やあなたの頑張りをみている方々が応援してくれますよ。
まさに心の持ちようでこの世は天国&地獄になります。

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個別相談可能
みなさん、こんにちわ。童楽寺の副住職の小林裕淳(ゆうじゅん)といいます。悩み事が生まれては消え、そしてまた生まれては消えていきます。そんな私たちの日常…。 その中にいる私自身も生きることに悩んでいる1人です。悩みからの解放のためあなたと一緒になって楽しい日々作りをしたいと思います。宜しくお願いします。
この世を生きることは悩みの中に生きることになります。そのお悩みが見方を変えることで楽になればと願います。 辛いに横一字を足せば幸せになります。あなたのあともう一歩が幸せになりますよう願うばかりです。 歩んで行きましょう。 お互い無理せずに。

慙愧、輪廻、因果応報・・

ここの様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「今までの自分の愚かさを悩み、反省しどうしようもない後悔ばかり押し寄せてくる」・・慙愧は大切なことでございます。下記問いにても扱わせて頂きました。

問い「後悔の念から抜け出す方法?」
http://hasunoha.jp/questions/225
問い「気持ちの切り替えができません。」
http://hasunoha.jp/questions/178

後悔、反省、慚愧からの善い行いが大切となります。それは、当然に同じような過ちは二度と繰り返さないこと、誠意の謝罪、償いを行うことと、全般的により善い行いに努め励むこととなります。

輪廻転生、因果応報・・とにかくまずはこの現世における行為の集積(業)の問題を考える時、例えば、迷惑を掛けてしまった友人や家族に対する悪業の数々の集積を消したいのであれば、誠意の謝罪、償いを行うこと、善い行い(簡単には他に迷惑を掛けないという善い行いと他の役立つ、他の為になる善い行い)に努め励むことにて、その悪業の集積は消すことが可能ではないかと存じております。

実際に、その友人や家族に心からの謝罪と誠意の償いをしてみて下さい。きっと心(相続)は今の状態よりも苦しみが減ったことを実感できるのではないかと存じます。

もちろん、このことに限らず、幾つかの悪業の集積が残ってしまったまま今世を終えれば、その(心相続の)状態は輪廻における来世に大きな影響を及ぼすことになるでしょうし、過去世から集積している業の習気(じっけ)というものも、また、影響を与えることとなります。

死後のことは、下記問いも参考になるのではないかと存じております。

問い「死ぬとどうなるのでしょうか」
http://hasunoha.jp/questions/123
問い「ご先祖様について」
http://hasunoha.jp/questions/153
問い「死ぬと地獄行き」
http://hasunoha.jp/questions/203

とにかく、死後は無いとするのは断滅論に繋がるため宜しくはないのですが、死後云々よりも、まずはこの現世での心相続のありようを確かなる仏縁と善業を通じていかに調えていくかということを考えていくのが望ましいのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。たくさんのご回答があり、驚きました。
やはり心の持ちようが一番なのですね。
これからは今までのように嘘をついたり、ごまかしたりせず、きちんと過ごしていこうと思います。
またこの事を忘れずに人と接し、人に優しくできる人になれるように努めたいです。

皆様、本当にありがとうございました。

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