自己紹介
hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。
浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。
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回答した質問

高校では試行錯誤しながら、様々なことを吸収しましょう。
こんにちは。亀山純史と申します。
今年から高校生になるんですね。おめでとうございます。学校はいろいろなことを学ぶ学びの場です。高校生活は教科の勉強だけではなく、自分にとって何が興味あること...

過去は戻らず、未来は分からず。
こんばんは。亀山純史と申します。
お釈迦様は「過去を追うな。過去はすでに捨てられた。」と言われ、「そして未来はまだやってこない。だから今日なすべきことを熱心に行いなさい。」と言われました。...

あなたの人生はあなた自身が生きて行く
こんにちは。亀山純史と申します。
私たちの人生は、思い通りには行かないものです。そして、親には親の人生があり、あなたにはあなたの人生があります。このことは、決して、「自分のことだけを考えて...

仏教の要を教えてくれたのでしょう。
どんなにいいことがあっても、「人生とは思い通りにはいかないよ。」ということを、教えてくれたのでしょうね。なぜならば、それが仏教の教えの要、つまり縁起の教えだからです。

いそぎ仏に成りて―出来ないことを自覚するところに育まれる
こんばんは。亀山純史と申します。
親鸞聖人のお言葉が伝えられている書物に『歎異抄』があります。その中で、
「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏(ぶつ)に成りて、大慈悲心をもつて、おも...

「生きる」とは自他のために「呼吸する」こと。
こんばんは。亀山純史と申します。
「生きる」とは、自他のために「呼吸する」こと。呼吸とは、息を吸って吐くこと。息を吸ってばかりでは生きることは出来ません。吸った息は吐かなければいけません。...

風の電話
こんばんは。亀山純史と申します。
お母様がお亡くなりになり、心中お察し申し上げます。もうすぐ、四十九日とのことですが、最愛の人の死を前にしては、まだまだ気持ちの整理がつかない時期です。
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浄土は‟いま、ここに”
こんにちは。亀山純史と申します。
「本当に浄土は存在するのか、しないのか。」「阿弥陀様は本当にいるのか、いないのか。」あの世で生活した人から話を聞くことが出来ないのに、なぜ、こうも死後の世...

阿弥陀様にお任せ出来て、良かったですね。
こんばんは。亀山純史と申します。
うーぶさん、阿弥陀様に自分自身をお任せすることが出来て良かったですね。吃音の原因はいろいろあると思いますが、私が思うには、自分では意識していなくても、過度...

仏様と乗り越えられない壁は無関係です。
こんばんは。亀山純史と申します。
仏教においては、「仏様は私たちに乗り越えられない壁は与えない」という考えはないと思います。それは、私たちは仏様によって作られたものではないからです。つまり...

法名をつけたご住職への問い合わせ、墓石・法名碑での確認
おはようございます。亀山純史と申します。私は浄土真宗本願寺派(本山が西本願寺)の僧侶です。
他宗では戒名と言っている仏弟子としての名前を、浄土真宗では法名と申します。現在、本願寺派の法名は...

阿弥陀様からすれば、そして、信心なく亡くなられた人からすれば
こんばんは。亀山純史と申します。私自身は、次のように考えております。
信心なく亡くなった人における救いは、阿弥陀如来からすれば、「すでにその人は救われている。」と言えるでしょう。しかし、信...

信じる必要はないが、学ぶことはよいことでしょう。
こんにちは。亀山純史と申します。私は浄土真宗の僧侶です。どうぞよろしくお願いします。
浄土真宗は一向宗とも呼ばれていました。一向宗の「一」とは阿弥陀如来です。つまり、阿弥陀如来だけを拝む宗...

会いに行かなくても、息子さんの方から会いに来てくれます
こんにちは。亀山純史と申します。
息子さんを亡くされ、毎日お辛い日々を送っていること、心中お察し申し上げます。
「なんで息子は死んでしまったのだろう」「なんで私がこんな寂しい思いをし...

「行動」と「後悔」
こんにちは。亀山純史と申します。
私たちはいつも何かを選択しながら生きています。朝、学校へ登校することも、会社に出勤することも、私たちが選んだ、つまり、私たちが選択した行動です。そして私た...

怒りを覚える出来事に対して、私自身は大丈夫でしょうか
こんばんは。亀山純史と申します。
世の中には、ある出来事に対して、気が短い人もいれば、気が長い人もいますよね。なぜ、同じ出来事であっても、人によって怒りを感じる人もいれば、そうでない人もい...

自死を目的にこの世に生を受けた人はいないならば…
こんにちは。亀山純史と申します。
私たちは誰一人として、自ら自身の命を絶とうとして、この世に生を受けた人はいません。しかし、現実世界では、自らの命を絶つ人がいます。私たちはそのような人を責...

今までの失敗を糧にして、これからまた、初心に返り働いていく
こんばんは。亀山純史と申します。今年もあと数時間で終わろうとしていますね。時間は過去に巻き戻すことは出来ません。そのような時間の中で、あなたは次のような職場復帰を望んでいるのでしょうか。
...

「失敗したと感じたら謝る」これに尽きます
こんばんは。亀山純史と申します。
「事実」と「評価」は別物です。自分がしてしまったことは、「事実」です。そして、「事実」は、無かったことにすることは出来ません。一方、「評価」はどうでしょう...

永六輔さんの『生きているということは』より
こんばんは。亀山純史と申します。
この世の中には、いろんな人がいますよね。他人に迷惑をかけていても、悪びれる様子もない人。あるいは、他人に迷惑をかけていても、そのことに気づいていない人。そ...