自己紹介
初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。
先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。
著書いろいろあります。『功徳はなぜ回向できるの?』、『お布施ってなに?』、『悟りの四つのステージ』などなど。
Amazonなどで検索してみてください。
2019年度より広島大学客員教授
Web
回答した質問

『無常の見方』
と『無我の見方』が、今、アマゾンで出てきます。もう一つ、『苦の見方』もあるはずで、これで無常、苦、無我の意味が分かるようになっています。いずれもスリランカから日本に来られて四十年のスマナサーラ長...

死も葬儀も数ある場面のワンシーン
面白いですね。すごく仲が良かった家族の葬儀にお参りすると、ご遺族がたった1つや2つのやってしまった後悔、やらなかった後悔などを思い出して暗くなってたりします。そういうときは、「つまらんことの1つ...

我正しい。ゆえにお前が悪い
という気持ちで誰もが生きていますが、それをぶつけるだけでは自分以外がみんな敵になってしまいかねません。老人ドライバーのマークを付けていたなら、もう能力が落ちてますから不慮のこともやりかねません。...

ほっといたらどうでしょう
日本の親子関係は変になってきてます。
親も子も前世では他人だったものがこの世でお互いを選んで出現したので、責任が、両方にあります。親は子を道徳的に立派に育てたほうがいいし、子は親に感謝し孝行...

ゼロ、マイナス、プラス
親子はこうあるべきという理想像がとりあえずあり、それに合わないなあと苦労して、今、そこは克服したけど、過去のマイナス分が埋まらない、という感じでしょうか。
人間は、他人にやってあげた良いこと...

輪廻は六道なので
①について
輪廻転生は人間だけではないので、例えば人間が増えた分、野生動物が減っていますので、畜生道から人間道に生まれ変わったと見ることもできます。本当は天人や餓鬼、地獄など、私たちに見えな...

業は人ではなく行為
初期仏教の見方では、AとかBなどと言う不動の誰かがいるとは見ません。
Aという心身の連続がある時体を使って善い行いをした、とか、言葉を使って悪いことをした、などと言う行為が、業になって、しか...

スマナサーラ長老の初期仏教の単純明快な答えがYoutubeで
①
初期仏教というか釈尊がそう語っています。善因楽果悪因苦果はステレオタイプというか真理なので、その後のどの宗派もさすがにこれは外せずに持っています。
②
あるというか、解脱のことです...

親孝行が一番効くかも
怒りに対する薬は慈悲・慈しみだと言います。
何か・誰かに対して怒りが湧いてきたら、「○○が幸せでありますように」とその対象に対して逆に慈しみの心を作って相殺させるのが良い生き方のコツだと言い...

これで充分でしょう
夢で見たあまりにもリアルなその情景が、お父様にとってもあなたにとっても、「事実」ではないのでしょうか。
そうありたかったという気持ちを、あなたもお父様も同じように持っていたから、夢でそう「実...

いがみ合いをエネルギーにするか助け合いをエネルギーにするか
人は一人では生きていけません。誰か他の生命と交流しながら、物質だけでなく心のエネルギーもやり取りしています。家族、友人、仕事関係、みんな心でもやり取りしています。それが生きるエネルギーになってい...

輪廻は業とセット
で考えてください。良さげな生涯を送れているなら、前世の功徳(善業)がはたらいているから、苦しい生涯を送っているなら、前世の悪徳(悪業)がはたらいているから、と。天が気まぐれに人を苦しめたり甘やか...

初期仏教の考えでは
心が脳にあると考えるのは現代科学、心臓のあたりに一粒みたいにあると考えるのはバラモン教(インド)の考え方に似ていますね。
初期仏教(お釈迦さま)の心の理解をご紹介します。ご参考まで。
心...

死ぬのを認めたくない
、という否定的な気分が出てしまうからでしょう。
大好きなお父さんがやがて死ぬことが嫌なだけでなく、日々、衰えていくことも、当然、嫌でしょう。立派で、自分をしっかり守ってくれた人が、今やよぼよ...

自分の気持ちに素直に気付いて認める
のが成長の第一歩です。
人はどうしても誤魔化しがちです。他人に対してはともかく、自分で自分を善人だと誤魔化すのが、案外厄介なのです。誤魔化しているうちは、治しようがありません。体の悪いところ...

不倫とは契約違反のこと
在家五戒の一つ「不倫をしない」は、原語で正確に言うと「いろいろな欲に関して邪まな行いにならない」です。この場合、何が「邪ま」かは、関係者によって決まります。
関係者とはまず「あなた」と「私」...

先生への挨拶
①初期仏教では、仏様にお参りするのは、修行中のお坊さんに挨拶する延長の、修行を完成させて修行法を教えてくださった先生に挨拶するのだと見ています。
仏様を、神様みたいに願いを聞いてもらう(もら...

善友に親しむ
初期仏教では(特に智慧や道徳心において)自分より優れている人とこそ交流すべきと勧めます。そういう人を善友と呼びます。同等な人とばかりつるむと、楽でも成長はないでしょう。劣った人には、導いてあげる...

完璧を目指すとつらい
お母さまには理想の人間像(わが子像)があるようで、自分はさておき、子供にだけはそのようになってほしいようですね。しかし、お母さまがそのようになるのは良いのですが、他者をそのようにしようとするのは...

怒りも欲も使いようで切れる
怒りや欲を原動力にして成功する場合と失敗する場合があります。
失敗する場合は、欲・怒りに囚われすぎて結局、肝心の仕事に集中して頑張れなかったのだと思います。成功する場合は、原動力は欲・怒りで...