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hasunoha 問答検索結果 : 「 後悔」
検索結果: 10086件

おばあちゃんに会いたい

私は小さい頃とてもおばあちゃんっ子だったのですが、小学2年生の頃亡くなってしまいました。小学2年生だったこともあっておばあちゃんの家には1人で行くことができず、おばあちゃんが病気になって家の近くに入院するようになってからじゃないとお見舞いに行くことができませんでした。 でも入院してからのおばあちゃんは脳の病気でずっと寝たきりで喋ることができず、ずっと目をつぶっていました。 小さい私はいつものおばあちゃんと違うと思ってなかなか1人でお見舞いに行くことができず、そのままおばあちゃんは亡くなってしまいました。 亡くなってすぐ私は、なんでもっとおばあちゃんのお見舞いに行かなかったんだろうととても後悔しました。 1人で寂しかったに違いないのにとても申し訳なく思いました。 高校2年になった今でも少し思い出してとても申し訳なく思います。そしてとてもおばあちゃんに会いたくなります。 夢にたまにでてきたときはとても不思議な感覚になってまたよけいに会いたくなります。 でもおばあちゃんの仏壇にご飯をお供えをすることしかしてません。 おばあちゃんに私にほかになにかできることはないでしょうか。 おばあちゃんを近くに感じられることなどありませんか。

有り難し有り難し 57
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「死にたい」という言葉に囚われています

本当に死にたいわけではないのに、何に対しても「死にたい」って思ってしまいます。 例えば後悔した記憶や恥ずかしかった記憶を思い返しては「なんであんなことをしたんだろう死にたい、死ねばいいのに」って考えてしまったり、楽しい事があっても「私なんかが楽しんでいるなんて許されないから死にたい」と、そういう風に考えたり口に出す癖みたいなものが昔からあるのですがここ数年それがとても酷くなってきて、どうしたらいいのかわからずにいます。 酷くなった引き金は、生きがいだった愛猫が病気で亡くなってしまい、再就職に失敗したからです。現状実家暮らしのフリーターな事もあり自分への失望感や負い目が酷く他人との関わりも極力避けるようになりました。 自分が落ち込んだり悲しんでいると心配してくれる家族がいます。楽しいと感じることも嬉しいと感じることもこれからやりたいこともあったと思います。 でもすべてが「死にたい」という言葉に直結してしまって、酷い息苦しさと八方ふさがりのような、生きにくさみたいなものに囚われています。死以外に道はないぞと自分自身で言いきかせているようで怖いです。 どうしたらこのような気持ちに囚われず前向きに生きていけるのでしょうか。ご意見聞かせて頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
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過去を忘れられない

こんにちは。 最近、過去を思い出して独りで悩むことが多くなりました。しかも、実際に失敗したり後悔した経験ではなく、“あと一歩で”恐ろしいことになっていたであろうことに対してです。つまり、ギリギリで困難を回避できていたことや危なかったが周囲の助けでなんとかなったことであるにも関わらず、 「もし、あのときこうなっていたら…」 「もし、あのとき対応が遅れていたら…」 と考えてしまうのが今の自分であるということです。 “そんなのは明らかに無駄”、“過去のことは割り切って、今をしっかり生きればよい”、“妄想はただの幻”  などは分かっているつもりではありますが、なぜか思い出しては悩み、一人で苦しんでしまいます。 こんな時、どのような気持ち、もしくは心構えをすればよいですか?また、日頃このようなことが起きたとき、どうすれば落ち着くことができますか? ※以下は質問とは関係ありません※ 思い返せば、命に関わる事故に遭いそうになったこと、自暴自棄になったこと、悪人に騙されそうになったことなどがありましたが、結果としては全て回避もしくは対処できています。奇跡の連続のように思え、人生って不思議です。

有り難し有り難し 17
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