極楽浄土にたいする思い
私の極楽浄土にたいする思いとは、全ての苦痛から、開放されて、阿弥陀様と、愛した者の魂があれば、それでよく、他は何も要らないと思います。例えば、空腹も苦痛のひとつです。金銀財宝が極楽浄土ではなんのやくにたつのでしょうか?わたしは、生まれてから、色んな想像を絶する苦痛に、耐えてきました。無限地獄なんか、はるか生ぬるいぐらいでした、だから、本当の極楽浄土の有り難みをしっています。後、余談ですが、有り難いの対極は、当たり前とは、思っていもせん、有り難いの対極は、勿体無いだと、私は思います、当たり前とは、有り難いを守る為の行動であり、勿体無いことをしない行動だと思って思います、愛する妻と結婚できたことは、極めて有り難いです。だから妻を守ることは、極めて当たり前の事と思っていきています。対して、勿体無いとは、ある命を粗末にする事ではないでしょうか。全ての衆生の命は、尊いものです。命を尊ぶことを、当たり前としましょう。
有り難し 20
回答 3