丹下 覚元(たんげ かくげん)
こころを蝕む思いはいつも内側から。その思い、仏のソーシャル・ディスタンス。
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今月の法話
文殊の剣
❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より)
「大丈夫、慧の剣を取る。」
大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。
智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。
それこそが智慧の剣なのです。
文殊とは自己を鎮め得た者の姿。
人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。
事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。
そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。
そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。
とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。
いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。
文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。
その文殊の剣とはなにか?
お見せしましょう。
いま、そこで、みているもの、きこえていること。
たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。
文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。
本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。
見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。
❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。
そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。
あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。
回答した質問

C どちらにもイイ顔しようとしている自分の我欲を鎮める
究極の選択…
Aさんにしようか…
Bさんにしようか…
迷いますね。
いや実はもう一つの選択肢があります。
Cさん、それは自分。
どちらにもイイ顔しようとして迷う自分の我欲に全然目が向...

「やっぱりごめんなさい」と、まず、二度断りましょう。
本心からのSOS信号を見逃してはいけない。
自分にはウソをつけない生き物。それが人間です。
古典仏教的に言うと閻魔のさばきとはそれのこってすぢゃ。
自分に嘘をつけば閻魔からの裁きを受ける。...

あなたの出来る布施はお寺の護持という貢献
結論、本当にちゃんとしたお寺にお願いしましょう!です。
戒名や、葬儀などはご連絡を頂ければ、どこのお寺でも引き受けてくれます。
医者も僧侶も選ぶ時代。
お墓や菩提寺を持たない方は残念な事に...

できればあなたもお寺の護持のために布施という貢献をしてほしい
ちょっと待った!結論、ちゃんとしたお寺にお願いしましょう!です。
戒名や、葬儀などはご連絡を頂ければ、きちんとした僧侶を紹介いたします。
医者も僧侶も選ぶ時代。
とは申すものの、お墓や菩提...

母親を別の意味で乗り越えなさい
これはあなたというより、お母さんに申しあげたいことです。
「お母さんもお医者さんなのでしょうか?
自分が医者でもないのに子供に高い理想を要求するのは、親の叶わなかった夢という重荷を持たせるよ...

観念的であるか、事実的であるかの違いです。
ある哲学者は「はじめに言葉ありき」と言いました。
それは間違いで「はじめに事実ありき」なのです。
人間の究極的実質は今のことだけ。
はじめに言葉ありき人間は、考えの上でしか生きません。
...

一所懸命
わたしゃ、誰にも見てももらえない庭掃きおじさんを毎日しています。
境内は自然が多いので、葉っぱが多いです。
以前は毎日2時間以上はいていました。こんなに庭ばかりはいていていいのかと思うこと多...

ご主人に分かってもらいたいことがあるだけ
おそらく感情や裏切られたことのイラだりが優先して毒づいてばっかりになってしまうのでしょう。
あまり不機嫌でいるとかえってご主人も寄り付きがたいと思います。
浮気やら不仲は100対0ということ...

さらに親と関係を深めエッセンスを吸収しましょう
あなたは親を尊敬しています。良いことだと思います。
さらには親には甘えるだけではなく、どのようにしてそうなっていったのかをいろいろ尋ねると良いと思います。
そうすることで社会性の重要性、必要...

神や仏を信じることってそういうことではないからです
私の信仰というものは、なにか神仏の偶像に頼ったり、拝んだり、すがる事が信仰ではありません。
お釈迦様が何かにすがっていたでしょうか?
自分自身の本来の姿に目覚める事が信仰です。
自分自身の...

どっちにも集中してる姿なのです
それ、雑念じゃありません。
そっちの方に❝集中❞している姿です。
だからそっちが気になるのなら、トコトンそっちをやりぬいて、ああ、こりゃイカンと気づくけばよいでしょう。人間は、やりたいことに...

その罪悪感こそがマイナスじゃ
マイナスを言ってしまった+自己嫌悪やら罪悪感。
ダブルパンチをご自身でなさっておられるのですね。
罪悪感って、何でしょうか?向き合ってみてください。
「ああ、あんなことを言わなければ…」と...

全てが自分を向上させるに丁度イイ
たとえば来世や次なる世があると願うと人間どうなりますでしょうか?
おそらく恵まれない人生ならば「次こそは…」と今、現在、現世ではなく、心の中で描かれた別のモノを生きようとするなど、現世がおろそ...

出家とは
出家とは多くの人が形の上の出家を出家と思って得度を求めますが、実質的な出家をするべきです、と私はお願いしています。
結局、人間、僧の衣をまとうと満足してしまうのですね。
どこかの宗派に所属し...

学校で勉強することは いわゆる学校の勉強ばかりではない
私は学校で学んだことは、ほとんど勉強関係の事はあまり覚えていません。
学校で頑張るべき事って、必死で生きる事だけでいいんですよ。
学ぼうとする心ばかりでなくても、しがみつこうとする心、何かを...

意識次第で、聖欲にもなり、排泄にもワイセツにもなる。
❝聖欲❞となすべし
性欲は持って生まれたものですから否定すべき事ではありません。
性欲は男性女性にとっては当然のものですし、用い方を誤らなければ生命の誕生につながる聖なる欲、聖欲・生欲ともな...

土俵は一つだけじゃない
会社視点で考えましょう。
あなたの会社で作っている物がありながら、他の会社のものが優れているならば、なぜさらにその製品の品質を高めようとしないのでしょうか。
身体能力視点で考えましょう。
...

誰を相手にしているのか、何を相手にしているのか。
「先日、〇〇さんに、無視されてしまったのが悲しかったです。私、何かご迷惑をおかけしましたでしょうか?」
ちゃんとそれが、そうだと確認しましたか?
内側でのコミュニケーションは妄想を掻き立てる...

母親は子供を、子供は母親を所有してはならない
まず生物界のルールとして、母親は子供が幸せに育てることが義務と言えます。
ところがその母親が巣立ちを終えた子供に対し何時までたってもワタクシ・エネルギーをむき出しにして、オラのワタシのアタシの...

相手のためになること
鬼を描きホトケを描くも同じ筆。
あなたの持っている筆(言動、配慮、気遣い)を用い得てこそ仏道でござる。
火も相手を温めますが、用い方次第で互いの身を焼きます。
相手を温めるやさしい火のよう...