自己紹介
hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶ですが、普段は公立高校で英語を教えています。そのため、平日は学校の授業と校務(教務主任)に、週末は部活動(郷土芸能委員会(https://www.facebook.com/108674820847274/videos/342485800443982)の顧問)と法務に追われる日々を過ごしています。
浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。
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回答した質問
責任とは、こぼしたミルクを拭き取ること
「責任を取る」と言う表現がありますよね。これをもとに、私なりに「責任」とは何かを考えてみました。
「責任を取る」とは、「赤ちゃんがテーブルの上にこぼしたミルクを親が拭き取ること」と言えるの...
自然と「ありがとう。」ーそれが他力の念仏です。
こんばんは。亀山純史と申します。
人から親切にしてもらったら、「ありがとう。」と言いますよね。そのとき、どんなことを考えて「ありがとう。」と言っていますか?『心を込めて「ありがとう。」と言...
バルぞー さん へ-僧侶、そして高校教員としての贈る言葉
こんにちは。亀山純史と申します。普段は高校で教鞭をとっています。その私からバルぞー さんに、 僧侶としての言葉と、高校教員としての言葉を贈ります。
【僧侶としての言葉】
この世は栄枯盛衰...
みんな不安。でも、阿弥陀さまはそばにいてくださいます。
こんばんは。亀山純史と申します。
浄土真宗の開祖である親鸞聖人も、『歎異抄』の中で
「浄土にはやく往生したいという心がおこらず、少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思わ...
命に優劣はなく、どのように生きたかが大切です
はじめに、西日本豪雨災害で多くの尊い命が失われましたことに、深く哀悼の意を表します。
さて、あなた自身、あの豪雨災害の中生き残ったことに対して、罪悪感をお持ちのようですが、どの命も尊い命で...
仏教(宗教)はこの「私」を抜きにしては成立しない価値観の世界
こんにちは。亀山純史と申します。
仏教に限らず、キリスト教やイスラム教においても、いくつかの宗派があります。それは宗教とは個人における価値観の世界だからです。つまり、この「私」を抜きにして...
命は自分のものに非ず、阿弥陀さまから頂いた命
こんにちは。亀山純史と申します。
私たちは、自分の命は自分のもののように思っていますが、実はそうではありません。もしも、自分の命が自分のものであるならば、自由自在に自分の命を操ることが出来...
過去の事実を変えることは出来ないが、見方を変えることは出来る
こんにちは。亀山純史と申します。
ネット上では相手の顔が見えないため、こちらが謝罪しても、相手がどのように受け止めているかが見えにくいところがありますね。したがって、こちらが出来る最大限の...
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
こんにちは。亀山純史と申します。
高村光太郎の詩に『道程』という詩にあります。その一節にある「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」とは、まさに私たちの人生で確かなことは、自分が歩んだ道...
私なんかよりも「生きる」ということを実践している人がいる。
こんばんは。亀山純史と申します。普段は公立高校で働いています。私のお寺の近くには視覚支援学校があります。私が勤務校に通勤する途中、その視覚支援学校のそばを通るのですが、白杖を持って、ひとりで登校...
褒める一言よりもお礼の一言を。
てくてくさんへ。
あなたのこの質問を読んだ人は、みんな、てくてくさんから勇気をもらうことでしょう。本当に、このような体験談を質問にしてくれて、ありがとうございます!
私自身も勇気を頂きました。
子病むがゆえに親また病む
こんばんは。私は亀山純史と申します。
親としてお子さんのことが心配になることは、至極当然です。『維摩経』という経典に、「衆生病むがゆえに我また病む」 という言葉があります。これは、ユキコさ...
あなたの命は、あなただけの命に非ず。
こんにちは。亀山純史と申します。私からの回答です。
1つ目の問いへの回答
「生きる事は苦痛なのに、なぜ生きなければいけないのか? 」
確かに、生きることに苦痛は伴いますが、もしも生きる...
器用さよりも、目的・目標に目を向けて。
こんばんは。亀山純史と申します。
さて、人生において大切なことは、物事を器用よく、要領よくやることではなく、しなければならないことを適切に処理出来ることでしょう。そのために、人の数倍時間が...
仏様は拝む掌の中に、そしてお念仏の中におられます。
こんにちは。亀山純史と申します。
『人は去っても その人のほほえみは 去らない
人は去っても その人のことばは 去らない
人は去っても その人のぬくもりは 去らない
人は...
親として、私があなたにあげた命を精一杯生きてほしい
こんばんは。日向さん。私は亀山純史と申します。
あなたのお母さんは今、あなたをどう思っているのでしょうか。そしてあなたに何を望んでいるのでしょうか。残念ながら、直接お母さんから話を聞くこと...
いつまでも、お父様のことを思ってあげてください。
亀山純史と申します。少しでものぞみさんにお役に立てればと思い、回答させていただきます。
仏教の教えは、時には厳しくそして時には慈しみを持って、私たちの人生を育んでくださいます。
仏教にお...
「らしさ」はなく、あるのは「私が私であること」
僧侶としての私が考える男らしさは何もありません。また、女らしさについても何もありません。あるのは、他の誰にも代え難い「自分らしさ」でしょうか。
でも、もしかしたら、この自分らしさすらないの...
今日までの休みは、明日への充電
今のあなたには、休むことが必要だったのでしょう。
一見すると、無駄だと思えることも、後から振り返ると、それは必要なことだったりします。あなたにとって、今日までの休みは、明日への充電だと思います...
仏教とは「人が仏になる教え」、その体現者がお釈迦様
仏教とは「人が仏になる教え」、つまり、「人間が真の人間に目覚める教え」です。そして歴史上において、お釈迦様はそれを体現したのです。ですから、お釈迦様は人間でなければいけません。