初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。
先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。
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2019年度より広島大学客員教授
「思いやり」とか「お互いさま」とか言いますが、人は本能的にまず自分を考えるのですが、それで終わらず、次に、相手も、できればすべての生命が、まで考えて心配して生きることができると、その心がけだけで...
どうしてこういう訳語なのかわかりませんが、「他にどんな善業を積んでいても、これをやってしまったらその悪業が先に出て、来世は必ず地獄に落ちます」という恐ろしい罪が五つあります。
父殺し、
母殺...
仏教では煩悩を三種類に分けますが、分かりやすい欲、怒りに対して、それらの根底にある無知とは、まあ、いわゆる我のことだとさらりと言います。
それで、普通は欲や怒りをどうにかしなければと悩み、そ...
怒りも欲も、その根底に「我」があります。
怒るときは、「『俺に』こんなことしやがってチクショウ」と怒り、欲を出すときも「こんな素敵な子が『俺の』彼女だったらいいなあ」と思っているのです。
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キリスト教はローマのカトリックとギリシャの正教がまず分裂して、後にプロテスタント各宗派がカトリックから分裂して、、、しかし、どの宗派も本来のイエスの教えを根底に据えているように見えます。
仏...
仏教が起った頃の古代インドでは跡継ぎのためにこういうことは良くありましたが、現代日本の法律では夫が不倫して、その子供も生まれた、ということになります。
跡継ぎだけ考えるなら、あるいは、あなた...
頭がはっきりしているならチャンスだと思います。
死ぬまでにまだできる仕事をお勧めするのはどうでしょうか。
心だけでできる、慈悲喜捨の気持ちを心に植え付けるという修行があります。
慈悲...
『死後はどうなるの?』角川文庫が、分かりやすいです。
死は、知っていても嫌なものでしょうけど、知らないと、もっと不安になります。
仏教が見ている死生観というか死と死後の生に続く輪廻、そし...
本物の出家(テーラワーダ)は在家の権利も義務も放棄したので法律に訴えることもしません。彼らにあるのは自分を縛り守る戒律だけです。
日本の僧侶を含む在家は、法律に縛られ、法律に守られます。怒り...
やるのが安全です。独学で構いませんので、スマナサーラ長老の本やyoutubeを参考されるとよいでしょう。
眠りに落ちるまでの瞑想はヴィパッサナーより慈悲の瞑想が適していると、スマナサーラ長老...
という論文を昨年「パーリ学仏教文化学」34号に発表し、そろそろインターネットにも出ると思います。inbudsとかciniiで藤本晃で検索すれば出ると思います。
要点は、他宗教では「我がある」...
『死後はどうなるの?』角川文庫に簡単明瞭に書いてあります。悟ったら、死後の再生はない。悟らなければ、善業、悪業に従って六道の何かに転生します。怖くても怖くなくても仕方ありません。
慈善行為をしなければ、とか、しない自分は悪いことをしているのか、などと「いつもこうすべき」と自分を縛ったり意識したりせずに、自分の気分、体調、お店の状態などを勘案して、その時々の対応でよいと思い...
就職氷河期とか手に職とか言いながら、しかしやはりしっかり勉強して資格を取って、誇りをもって日々の仕事に臨んでおられると思います。
で、実際のジジババは、特に爺は、言いたい放題やりたい放題で、...
善行為に楽果、悪行為に苦果、と、業は単純明快なはずなのですが、実際はとてもややこしいです。
一刹那(一ナノ秒とかそれよりもっと短いとか)ごとの心の状態について一つずつの業が生じます。悟らない...
仏教の修行法の一つに、死について観察する死隨念があります。
誰でも必ず死ぬ、私も必ず死ぬ、という、当たり前なのに何となくみんな避けている現実を正しく冷静に思いながら生きる、特別な修行というよ...
大事故や大病を治すとき、医師のチームはまず患者の体が落ち着いて治りたくなるまで待って、体が治りたくなったら治療を始める、ということを聞いたような気がします。体が自分の体について呆然としていると...
ヴィパッサナーは、まず、心身をリラックスさせてから行います。トイレを済ませ、空腹でも満腹でもなく、なるべく静かな環境を選んで、どっしりと座る、三時間でも四時間でもそのままいられるような状態を作っ...
病院学級とかでこの世のことを学ぶのはもう置いといて、生きるとはどういうことか、死とは何か、死後はどういうものか、生まれる前はどうだったのか、など、学校では全然教えない大事な内容について、調べたり...
釈尊は、最初は、世の中でうまくいっている、恵まれている人々を弟子にしました。彼らは徳にあふれていて何事も順風満帆で、世の中に飽きていて、もっと何か挑戦できるものはないかと探していました。
そ...