悟りを開いたら
こんにちは。四海と申します。質問を見ていただいてありがとうございます。
私は最近仏教の魅力を知り、ネットなどを使って仏教について調べて瞑想などにも挑戦しました。そしてあるとき突然猛烈な衝撃に襲われました。自分と周囲が共に呼吸して境目がなくなった感じがしたのです。それ以来痛みや空腹などを感じてもそれらに惑わされることがなく、心がつねに穏やかで喜びと感謝で満ち溢れています。(言語化すると非常に分かりにくい感覚なので拙い表現なのはご容赦ください。)ひょっとして悟ったのかなと思いましたが実際周囲に変化を指摘されたのでやはりそうみたいです。
ここでひとつ伺いたいことがあります。
悟りを開いたら何をすればよいのでしょう。苦しむ人々を助けたいという気持ちこそありますが16歳の小娘に出来ることなどあるのでしょうか。
母や父にはとても相談出来なかったのでここで質問させていただきました。お知恵を拝借したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
二障の断滅
四海様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
最近は、「アドヴァイタ」(非二元性)、「ノンデュアリティ」(非二元)などの体験を「悟り」として誤解されている方が多くなってきてしまっているように存じます。
仏教における、「無分別」をめぐる議論にも関わって参りますが、それも悟りへ向けて必要となる二つの資糧、「智慧」と「福徳」のうちの、「智慧」の中における「空性」の理解の一つのことであって、その「空性」の体験的理解の一つを「悟り」と勘違いしてしまっている場合がほとんどでございます。
仏教の禅定における「三昧」や「等引」も勘違いされやすいのですが、拙見解では、確かに悟りを開く前の段階においては、そのような「空性」体験も大切なことであると認識していますが、しかし、まだそれは悟ってはいない段階のものであって、そのような体験から元の世界に戻ったとしても、結局は、無明・煩悩により、迷い苦しむままであるのが恐らく現実でありますでしょう。
悟りへと至るためには、煩悩障と所知障という悟りの障りとなっているものを、智慧と福徳という二資糧によって、しっかりと断滅させない限りは、真なる悟りへと至れることはあり得ないとして、是非、これも機縁として、これからも仏教の修習に取り組んで頂けましたら有り難いことであると存じております。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
悟りとはなんでしょうか?
よく自問自答していて結論がでない。
つまり、お恥ずかしい話私自身、
さとれていないわけです。
悟ったという体感。
どういう境涯をいうのでしょうか?
羅刹や夜叉といった魔物どもが現前して、大きな劔で首を叩き落とそうとしても、微動だにしない。
阿弥陀さまが西方極楽世界から、御来迎されて、さあこれからお浄土にお連れしましょうと言われても少しもありがたがらない。
おいおい、悟りとはそんな仏教典にでてくるような、仰々しいものではなく、飯を食べたければ食べて、眠りたければ眠る、大したことでもないが、嬉しいことがあれば大声で笑い、悲しいことがあれば、嗚咽して泣く、
人も自分も恨まない、妬まない、
人も自分もすぐに許す、恕す、赦す。
間違ったことをしたり、言ったらすぐに反省してお詫びする。
そんな私を凡人と呼ぶかもしれませんが、私はそんな自分も周りも人たちもみんな大好きです。
あなたもやっと入り口に差し掛かったのだから、どの宗派でもいい、どのお経でもいい、感謝のお勤めさせていたださかながら、仏様の教えを学んだらいかがですか?
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
素晴らしいですね。その良い点を伸ばして生きましょう。
四海さん、こんにちは。
素晴らしい体験ですね。心に喜びが満たされるということは良いことです。
悟りとはいろいろなレベルと方向性があって、いわゆる仏の完全な円満な悟りとは違うことは理解していると思いますが、まずは第一歩の信仰の入り口に入ったことはたしかです。悟りとは、パーーッと簡単に開けるものではなく、地道な修行と訓練の中で心を作り上げ、その一線を越える時には大悟するものです。
仏さまを信じる道ができた四界さんが、これからすることは悟りを実践できる大人になるために、まずは学生として一所懸命、勉強を極めることです。そしてクラブに趣味に友達関係に努力して悟りを学ぶための基礎を築きましょう。
そして、仏教の知識を専門に学ぶたびに、仏教学部のある大学で仏教を学べば良いでしょう。もちろん普通の大学に行きながら、お坊さんのお師匠さんを探して、仏教をお寺から学ぶのも良いと思います。
どうぞ、せっかく瞑想の喜びを知ったのですから、仏さまの信仰の道を究めて欲しいと思います。天台宗でも活躍する女性の僧侶を願っています。落語家の団姫ちゃんもそうです。是非、出家したい時は天台宗も選択にいれてくださいね(笑)。私も応援しますよ。いつでも相談があれば連絡ください。合掌
悟り
百目鬼師の言う通りです。ハスノハでも下記のとおり過去ログがあるので是非全部よんでみてね。
「悟ったお坊さんへ」
http://hasunoha.jp/questions/12194
「悟りすら単なる概念?」
http://hasunoha.jp/questions/12241
「癒しと悟りは別物?」
http://hasunoha.jp/questions/12305
「仏教徒に対する疑問パート9」
→瞑想の危険性及び恍惚体験と悟りの違いについて(光禪 師の回答をよく読んで)
http://hasunoha.jp/questions/13931
「霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問」
http://hasunoha.jp/questions/13751
→大慈 師の回答に注目。大慈 師の説く悟りが↓
http://hasunoha.jp/questions/12225
「素晴らしさはわかるのですが…」
→私の回答で私の感じる悟りについて言及しています。
http://hasunoha.jp/questions/13953
「悟りについて。」
http://hasunoha.jp/questions/1710
「悟りについていくつか質問させてください」
http://hasunoha.jp/questions/953
ゆっくり、じっくり歩みましょう。
正しいレシピならばマーボー豆腐も悟りもカワイイ♡も作れる。
「カワイイ♡はつくれる」というCMのキャッチフレーズがありました。
可愛く【魅せる】ことは作れるのですね♡ウフフ(*'▽')✨(*´▽`*)アハハハ
私はタンゲというんですが、近所にレンゲという中華料理屋がありましてね。
そこの店長、中国の迎賓館の総料理長の下で学んだ知られざる天才です。麻婆最高。
で、麻婆のレシピを教えてもらいました。それ通りにやると、ちゃんとその味になるのです!
麻婆も悟りも作れるんです。
まず、あなたの体験されたことをあなたの伝え方、レシピで誤魔化しなく伝えていくことです。
その自身のありようを多くの人に説いて、あなたと同じように安楽になれる人をどんどん増やすことです。
曹洞宗では井上貫道老師という方が師の玄魯義衍老師のもとで幼少の頃から悟り話を耳にしてきて14歳で悟りを得られて現在73才程ですが、昨日たまたま、都内で禅会があってさとりのありようを説いておられました。このhasunoha内の僧侶も三人勉強してきました。みんなそのお話を聞いて「ああ、悟りとはこういうことか」と、会得、納得、試してガッテンされていました。ちゃんと伝わるのです。
仏教界や世間で誤解があるだけで、誤解無く伝えればちゃんと悟りをあなただけではなく、多くの人に伝えることが出来るんです。
仏祖たちも、みなそのさとりの心境に導こうとされました。
現代でも悟った僧侶たちは皆、様々な方法で悟りの心境に導くために様々な手法を凝らしています。
ですから、あなたはあなたでできることを表現されて行けばよいと思います。
想念で悟りを求めても悟れませんから、事実の上のこととして、想念から離れさせるべくさとりのフィーリング、感覚、ニュアンス、ありようを上手につたわるように伝えることです。
宗教学者としても知られる福岡正信さんは、若いころあなたと同じような体験をされました。
ところがある頃から「神を見失った」と表現され、そのさとりのすがすがしいありようから離れてしまったそうです。私もいわゆる悟り体験は何度かありましたが、いつも❝戻ってしまう❞ことに疑問を感じていました。道元禅師はそのあたりを修行ではなく修証と言われています。
坐禅や瞑想も正しいレシピにのっとって形ずればちゃんと誰もが悟りを得られます。
色んな方にご点検を頂いて、いつか何らかの形で誰かを悟らせてみてください。そうすれば本物です。
悟りかどうか、まずよく吟味しましょう
今の感覚が果たしで悟りかどうか、まずよく吟味してみましょう。
何が悟りかという問題はとても難しいですが、ご自身の経験を対照して悟りを理解しようとするならば、例えば、次の本が参考になると思います。
↓
藤本晃「悟りの4つのステージ」(サンガ2015)
ISBN-10: 4865640266
ISBN-13: 978-4865640267
もし、どう考えても悟ったことに疑いがないのであれば、その仏徳をもって世の人に尽くして下さい。
ご自身も書かれているように、まだ16歳ではできることは限られています。しっかり勉強して学校を卒業し、社会に出て仕事をし、その場面場面で仏の智慧によって周りの人に接し、助けてあげて下さい。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます!ぜひ読ませていただきますね(*´v`)