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悟りと解脱、輪廻転生について

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こんにちは。

これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。

仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。

しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。
生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、
輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。

実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。
例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか?
そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか?

となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。
悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか?
だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。
(ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。)
悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。

じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって
頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。

こんな考えって戯論でしょうかね?
お考えを教えて頂ければ嬉しいです。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あーなるほど!!

先日、銀行に行き、ATMの前で一人の老婆の後ろに並びました。
「もう一度最初からお願いします。」
ああ、おばあちゃん、間違えたんだなと思い、そのまま待っていると、
「もう一度最初からお願いします。」
あれ、おばあちゃん、また間違えたのかなと思い、引き続き待っていると、
「もう一度最初からお願いします。」
教えてやりたいが、よりによってATMだし。とりあえず待っていると、
「もう一度最初からお願いします。」
《ふりだしに戻る》
本当の事を知らないから、何度もやり直すことになる。これを【輪廻転生】といいます。

これを見かねた銀行員さんが、おばあちゃんに操作方法をレクチャーすると、おばあさんはたちまちのうちにATMの操作方法を理解し【悟り】、銀行に来た目的を無事に果たして帰っていった。【解脱】

繰り返しますが、
おばあさんは、ATMの操作方法がわからない【無明】が故に何度もやり直す【輪廻転生】羽目に遭ったが、行員さん【仏・菩薩】の手引き【教化】により、無事にATMの操作法を理解し【悟り】、ATMを自在に使いこなして目的を果たして帰っていった【解脱】

そう難しく考えなさんな。

”鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」”
セミにはなかなか善行などできまい。地獄・餓鬼・畜生・修羅にはほとんど無理だ。天人は苦悩がなくて有頂天になっているし、天文学的数字が並ぶくらいの寿命があるから「もう死ぬかもしれん」なんて我々以上に実感がないだろう。人間だけに、開悟や解脱できるチャンスがある。
さあ、今のうちだぞ。今生で必ず解脱しなければ、次はいつ人の身で生まれてくるかわからんぞ!?

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おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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輪廻とは、ものにものナイズされ、ことにことナイズされること。

ありもしないことをあたかもあるかのようにいう人は世の中には多いです。
こういうことをいうと、輪廻思想を信じているほとんどの坊さんを敵に回してしまいますがライトにご覧ください。
人は輪廻思想に輪廻されてしまっているのでしょう。
輪廻とは転ぜられること。
ものは本来「モノそのものの姿」を全うしています。
第三者がそのものを見たり、聞いたりしてその人なりの考え方をあれこれと思い起こす。
脳内で別物・べつごとにしている。
ここに自覚がないことが輪廻の本質でしょう。
庭の木を見て、あの木は邪魔だと思う。
毛虫がいるかもしれない。葉っぱが落ちて邪魔だ。
自分流の都合でものを扱うようになる。
すでに輪廻の虜なのです。
木にも草にも虫にも罪はありません。
人間が人間の都合でアタマの中の条件付けワールドで邪魔者扱いする。
それこそ実物そのままを見ていない迷いの姿でしょう。
自分の見方や考え方を1gでもつけ足したら、それは真実ならざる様子。悟りならざる様子。
法・道といわれるものや悟りや涅槃とは実物世界そのもののことです。
人間の見解によって着手される前の一切の現前世界。実物。真如実際。
たとえば、前世とか前前前世とか、来世とか来来来世とかいうと、すぐにファンタジーの世界に旅立つ。いま、ここにおいて存在しないことを取り扱いはじめて、地に足がつかなくなる。
アニメでも二次元でもみんな存在しないものです。
本人、当人がそっちの世界の方を好んで、肉眼や耳に感じていること、実際に触れられる生命やモノのの実感できることを相手にせずに、ほぼ脳内のおよそ妄想めいたものを相手にしているはずです。人間がそういう理想を描く力もあり、そういう理想に限りなく近い色カタチを再現する力も持っているからです。
ものに思わされず・ことに思わされず・思いにも振り回されないどっしりとした心が坐禅マインドです。座ることではありません。
法に住する。遠くの悟りにばかされるのではなく、元々の人間の持ち合わせの今の元々のシラフさ=悟りに安住する。法に安住する。見解以前の世界に安住すること。悟りとは悟りに用があるのではなく、目前世界が自分の想いによって色付けされなくなることなのです。
人は知らずのうちに見間違え・聞き間違えているのです。
そういう想念輪廻を自覚して、動ぜられない心に処すること。それが生きた悟りの具体的ありようです。

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おきもち

さとりの52位

悟りにも色々な悟りがありまして、段階があります。「さとりの52位」と言い、お釈迦様は最高位の仏覚(無上覚)です。

 有名なダルマさん(達磨大師)は、禅宗の祖であり、壁面九年と壁に向かい禅を続けられました。超人である忍耐の究極を得られた徳の高い高僧です。しかし、達磨大師は私はまだ30位くらいだと言っておられます。また、中国の天台宗の祖である天台大師は臨終の際にお弟子さんから「師はいずれの位まで悟られましたか?」と問われ「ただ五品弟子位(10段目より下位)あるのみ」と答えています。

お釈迦さまがお答えになられなかったことは、これもまた説法の一つでありますね。「答えないこともまた最高の答え」なのです。

死ぬと、来世では浄土に生まれ変わるから安心をと、言ってしまうと現世で生きている私たち衆生は皆、自死してしまい、この此岸(忍土)に修行をしに来ている意味を考えることを止めてしまいます。

六道輪廻からの解脱では、分かりやすいのがお盆と施餓鬼供養ですよね。餓鬼道や地獄道に落ちた人々(有縁無縁諸々)を救うには、僧伽(僧侶)に供物を捧げ読経してもらうことにより、救われるといった。

「密厳浄土」
天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道を生きていることで日々輪廻を繰り返すことを表してますよね。
仕事に疲れ、風呂に入ると極楽じゃ。イジメに遭い、誰かが救ってくれれば極楽なる解脱だ。など色々日常では解脱がありますよね。現世で救われることは法華経の中にある観音経の観音様の33変化により救ってくれていると考えることも出来ます。

この程度までを考え、悟りに近づくためには念念勿生疑を抱き、有限なる命の時間を中道を邁進することで、悟りの意味が理解されていくことでしょう。

さとりの52位では、簡単に言えば、頂上に到達された方は360度を見渡すことができ、途中の八合までであれば、景色は見えるが反対側はどうなっているかは分からない(悟っていない))と、なりますよね。

悟りの本質はお釈迦様のみです。まさに
「釈迦の前に仏なし。仏の前に釈迦はなし」とはこのことですね。

亡き後に仏道に入るなら、生きてる間に仏になってやろうではないかというのが「即身成仏」・・この辺りまでにしておきます。

このような質問はワクワクしますね。詠春さんは多くを学んでおられますことから、ご承知多きとあしからず。

合掌

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おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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悟りまとめ

相当なボリュームになりますが、いろいろまとめてみました。全部読んでいただいた頃には仏教のイメージがだいぶ変わっていると思います。

◯輪廻転生の背景
https://hasunoha.jp/questions/2883

◯輪廻転生は比喩?
https://hasunoha.jp/questions/12983

>一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?

ジャータカ(前生譚)のようにそう考える場合もあります。あるいは禅の公案「狗子仏性」や「南泉斬猫」のように「そこは着眼点としておかしい。善行悪行も無我が前提。個=全だぞ。」とする場合もあります。

>悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか?

Yesです。ただ輪廻を心の状態とするかどうかで読み方は変わってきますよね。
心の状態ならその人その時の心次第です。
仏教以前の輪廻説であれば、「体質と言うか、魂(?)の質が変わる」というのが近いです。アートマン(魂みたいなもの)に業(カルマ)が蓄積します。

ただ、インド神話(ヴェーダ)は矛盾する伝承を気にせず並記する平和な世界です。細かいことは気にしない。それがインド人です。

◯修行は完成するものか?
https://hasunoha.jp/questions/28818

修行を完成するという表現も使いますが、完成した結果、修行も悟りも手も脚もみ〜んな脱落してしまう…というロジックですので、最終的にはどの宗派でも上座部でも同じです。

◯輪廻転生へのアンチテーゼとしての悟り→縁起思想
https://hasunoha.jp/questions/26295

◯縁起思想からの発展
https://hasunoha.jp/questions/3160

◯だんだん悟りのニュアンスに違いが出てくる
https://hasunoha.jp/questions/12194

◯でも各宗派みんな一緒
https://hasunoha.jp/questions/26499

◯悟りの実践
https://hasunoha.jp/questions/12934

あと、苦から離れるのを悟り(仏道)、苦から救うため進んで苦に戻るのを悟り(菩薩道)と表現する場合もあります。ここも何気なく読んでいるとややこしい所でしょうね。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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智慧と福徳の二資糧の集積

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

輪廻につきましては、転落院さんのお話、誠にわかりやすいのでないかと存じます。

蝉のお話については、蝉と生じる過去世の因縁による業の一つの結果であるものの、やがて、畜生界に生じて苦しむ因縁が尽きたのであれば、人間など、他の輪廻に生じる余地もあり得ることにはなりますでしょう。

また、蝉たちの鳴き声を聞くことで、その儚い一生を見て、私たちが無常の理趣を思い、発心を生じる因縁となれば、それは、その蝉の善業になり得る可能性もあるため、善業が積めることが全く無いとも言えないところでございます。

悟りとは、具体的には仏陀の法身と色身の二つの働きを有するお身体を成就することであります。もちろん迷い苦しみの輪廻の繰り返しは無くなる存在となります。

悟るためには、智慧と福徳という二資糧の集積が必要なものとなります。

二資糧を円満に積むことにより、智慧の力が法身を得る力となり、福徳の力が色身を得る力となるのであります。

また、私たち凡夫が悪業を積むことにより、迷い苦しみの輪廻に彷徨う原因である煩悩障と所知障を、二資糧にて断滅することも必要となります。

二資糧を仏道にてしっかりと調えることで、悟りへ向かって参りたいものになるのでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
輪廻転生と言っても、お坊様によって解釈が色々ある事、安心しました。

転落院 様
大変わかりやすいお話、有難うございます。
地球には70億の人が居るのに、私は私として生まれた事、
さらに言うと哺乳類や昆虫、魚など、様々な生き物の総数を考えると想像もつかない個体数が居るのに、私は「人間の私」として生まれた事、本当に不思議な気持ちです。
人間として生まれた事に感謝して日々生きていきたいですね。

丹下覚元 様
悟りや涅槃は遠くにあるものでなく、「今ここ」に現前していると言う事、ご教授ありがとうございます。
一般向けの座禅体験になら参加した事がありますが、そこまで深い座禅マインドがあるとは思いませんでした。ただ座っただけですね。お坊様にも色々な輪廻観があるのですね。丹下師の輪廻観、ライトにと言うか深く噛みしめます。

法源 様
いやいや、私はわからない事だらけです。ご教授ありがとうございます。
悟りの52位、気になるのは我が国の空海大師や道元禅師がどの位置まで登ったかと言う事ですが、調べてもわかりませんでした。本人の自己申告が無かった、と言うか日本の僧侶はそれ程、悟り自体に拘って無かったと言う事ですかね。
密厳浄土のお話、その程度の解脱なら私も毎日経験してます(^^)
小さな解脱に感謝しながら日々暮らしたいと思います。
「即身成仏」は話が拡散しすぎるので質問には載せませんでしたが・・・機会あれば教えて頂きたく存じます。ワクワクして頂き恐縮です。

柳原貫道 様
ご指摘通り、業の考えが抜けていました。死後を「無」と考えれば業もぼやけますね。「どーせ死んだら無なら、生きてる内に好き勝手やりゃいーじゃん」て、まさに放逸着五欲になりますね。
その意味ではお釈迦様が「無」ではなく「無記」とした所に妙味があると思います。死後や輪廻転生の問題と同じく、業と言うのも難問です。しかも、死後や輪廻の問題に深くリンクしても来るので、話がさらにややこしくなります。宿題を頂きました。熟考してゆきたい所です。
ちなみに、死後を「無」と考える人が大多数だとすると悲しいです。個人的な印象では、日本人の死生観に一番近いのは浄土思想、それも輪廻を前提にしたものではなく、神道的な冥界の概念をベースにしたものじゃないかと感じてます。(浄土門の祖、法然上人や親鸞聖人の真意はどうあれ)
しかし「無記」の懐の広さは全て包みますね。深いです。

大慈 様
リンク拝読させて頂きました。かなり分量がありましたが、大慈師や諸師の輪廻観がわかってきたような気がします。
私自身、輪廻思想に拘り過ぎてたかもしれません。ただ、仏教と言えば輪廻と言うイメージが先行してるし、入門書には輪廻からの解脱と書かれるし、法華経などの経典も輪廻を大前提としてるしで、悩んでいた所でした。お坊様にも色々な考えがあるとは思いますが、(否定派はもちろん、肯定派の方にしても)必ずしも無批判に輪廻思想を受け入れてる訳ではないと感じました。安心しました。有難うございます。

川口 英俊 様
セミの善行のお話、なるほどと納得しました。
「蝉たちの鳴き声を聞くことで、その儚い一生を見て、私たちが無常の理趣を思い、発心を生じる因縁となれば、それは、その蝉の善業になり得る可能性もある」
このお言葉にハッとしました。うるさく鳴くセミですが、川口師の説法の機縁となった事で、全世界のセミに功徳が回向された事でしょう。
セミですら善行を積む余地があるのであれば、
人に生まれた身、尚更負けてられませんね(^^)
二資糧とは六波羅蜜の事でしょうか。自分にできる事からコツコツと実践していきます。

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

有り難し有り難し 20
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