こんにちは。 何時もありがとうございます。 気持ちが定まらないことがあるので、お話を聞いていただけると幸いです。 新元号となり、周りの人たちも変化を積極的に享受しているような気がします。 私も、人生の転機になるかもしれない決断をしました。 親元を離れ、離れた土地で暮らし働くことです。 おそらく、家でも職場でも私が居なくなることは想定外だと思います。 今後を任せると期待をかけられているのを感じているからです。 最近、離れた土地で自分を試してみたいと思うようになりました。 それは、10年ごしの病気からの立ち直りでもあり、自分の人生に責任を持つことでもあると思います。 だから、色々な人の期待を裏切ることになるだろうけど、決断しようと思いました。 父親に話したところ、後のことはなんとかなるだろうから応援すると言ってくれました。 本当に幸せなことだと思いました。 有難い親の後押しをもらえたことは、これから離職についてのいざこざを前向きにとらえる力になりました。 ただ、決別を決め、気持ちはスッキリしましたが、いざ両親を置いていくと思うと、申し訳なさでいっぱいです。 この人たちの犠牲と恩に報いることなく、自分の勝手を通して良いのだろうかとか、出ていく以外に道があるんではないだろうかと思います。 このままの生活なら、自分が力に成れることもあるからなと、親との決別を反故にしようとしている自分もいます。 そのような生活だと自分の全力が出せない環境で、それに耐えかねての決別であったはずなのに、本末転倒な結論に着地しそうです。 きっと、結果として、出ていけなかった、戻ってくることになったとしても、それはそうなることだったんだと思うでしょう。 ただ、その結果に至るまでに、自分の意思で動いた、頑張ったという過程がなければ後悔し、周りを恨むという八つ当たりをするだろうと思います。 そのような心持ちになりたくないので、しっかり闘おうと思うのですが、実家に後ろ髪を引かれる思いも強いです。 私の心にふと影を落とす、親、家族を見捨てるのかという苛めは一体なんなのでしょうか。 その気持ちに向き合うのが怖いです。
最近ゴミ拾いをしてニートですが仕事した気になっています お金を得なきゃいけないのに、働くの怖いです バイトでしか多分生きていけないんだと思いますが、時間あるなら今のうちに何かしなきゃという焦りしかありません いろいろ考えちゃって無気力になってしまいました 厄介なのは資本主義的になんでも考えてしまっていることです 金にならなきゃ意味がない、それが資本主義です。 つれづれ草の作者みたいに生きてみたいなと思い泣きます 私はほかの人よりも世の中に何かしなければという気持ちが強いのですが、思いとは裏腹にから回るだけでなんも貢献できてません 正直生きるの怖いです 最近何に対しても恐怖を感じます、身近な人の死、未来にです
タイトルの通り、自分で考えて決断するのが怖いんです。 全ては、私の甘さとスキル不足が関係しています。 現在私は病気のために休職中なのですが、 今後の人生を考える時があり、その度に 胃を痛くしています。 例えば。来年の春に私は退院予定なのですが、その後の生き方を考えた時に、 果たして自分は、復職したほうがいいのか、 今の会社をやめて転職したほうがいいのか、悩んでいます。 現在私は入院費が工面できず、母のお世話になっています。 また、退院後は一先ず母の家に行くことが決まっています。 母は復職には反対しており、転職を望んでいます。私のことを考えてくれているのは理解しているのですが、不安に思うことが複数あります。 例えば、転職がうまくいかず、収入が途絶える可能性が低くない為、母と2人で生活する為の費用が足りなくなるリスクが高いです。 最悪生活保護という選択肢もあるのですが、まだ働ける身体であること、生活保護をそもそも受給出来ない可能性があること、母が恐らく反対すること、 そして何よりも、父や母の妹に扶養照会が届き、私のせいで母を困らせている、と思われたくありません。多分追い出されます。 一方で、もし復職を選んだ場合。 母が望まない生き方だろうが、自分の収入を考え、別の生き方を選んだ場合、 当面の収入は確保でき、母にも仕送りをすることができそうなのですが、 スキル不足が祟って生活苦に襲われる可能性が低くないです。 また、立ち回り方次第ではクビになりそうな事、母とは離れて生活することになる為、母に親孝行ができなくなる事、 そして何よりも、また私が入院した時に、誰にも助けを求めることが出来なくなるのではないか、という不安を拭いきれません。 母を始め、色んな方に甘えているのは 自覚している時もあれば、気づいていない事もあり、本当に私はこの後まともに生きていけるのか、不安になります。 ただ、どちらにせよ、数ヶ月以内に自分の人生を決めるための決断が待っています。 復職するか転職するか。 母からは、復職には反対と言いつつ、最終的な決断は自分でしろと言われています。 正直、どちらの選択肢も不安だらけです。 自分でより良い選択を行うために、 お智慧をお借り出来ませんでしょうか。 お忙しい中、御手数をおかけしますが、 よろしくお願い致します。
元々ネガティブで暗い方なのですが最近拍車がかかってきたように自分で思えます。 とある人に『生きていて楽しい事はなに?』と聞かれて、全く思いつきませんでした。改めて考えるまでもなく、お金・趣味・人生の目標・友人関係・異性関係やその他自分には何もありません。 今までの自業自得と私のプロフィールを読まれた方は仰ると思いますし、自分でもそう思うのでネガティブに思い悩んで暗くなってしまいます。 何かに夢中になることも無く、目標もなく、ただ時間が過ぎるのを待つ日々…。いつから自分はこんなになったのか思い出せないほど昔から、この状態が続いているように思います。 10数年ぶり位に好きな人(気になる位かもしれませんが)が出来ましたが、元々客と店員の立場で進展も見込めず、それどころか以前好意を伝えましたが最近は時折、人格否定のような言葉も吐かれたりもします(客商売なのに自分が客の立場で言われるのは相当私がダメなのでしょうが。) 相手を思いやっての行動ではないと、他の客から批判を受けることもありました。距離感が解ってないとも言われました。 また考え方の問題だとも言われます。『出来ないことは出来ないのだから出来ることだけやりないさい』とどなたかがおっしゃってるのを耳にしたこともありますが、何が出来るのか出来ないことなのかが、自分で解っていません。 『人生つまらない楽しくないけど、死にたいとは思わない、変えたい変わりたいけど何も行動してない行動できない、考え方も変えられない、待ってるだけ。』…自分で書いてても『ダメだこいつ』と思います。 苦しい、変えたいです、何も出来ません、世の中から弾かれてます、自分を肯定してくれる人は誰も居ません。 書いていても苦しくなりますが、何かせめて楽しいと思える考え方はないでしょうか? 最近のスウェーデンの論文で50ユーロを9か月間「投与」してみたら、不安やうつ症状が減り、人間関係も豊かになり、生活の質も向上したというのを読みました。経済的に満たされてないからの現状なのでしょうか?とりあえず働けとも言われますが、もはや直接会う人が自分の敵か自分に無関心のどちらかしか居ないように思えてしまい怖いです。 苦しみから解放されたいです、解放されるには自分の存在を消す以外ないのでしょうか? おもいのまま書いてしまったので、乱文お許しください。
1日が過ぎていくのが早く、時が経つのが怖くて仕方ありません。 30代までは何とも思わなかったのに、40代に入ってから、悩むようになりました。 朝目覚めると、また一日経ってしまったという絶望感で、起きた瞬間からドーンと暗い気分になります。 たまには不安を感じずに、気持ち良い朝を迎えたいですが、この状態が一年程続いています。 そう思うようになってから、色んなことを楽しめなくなりました。 優しい夫と子供も居て幸せだと思うのです。 ただ老いていくことが怖い。 少しずつ老化が始まり、そのうち病気になり、動けなくなるかもしれない。 夫が先に亡くなったら、1人きりになってしまう、そうしたら生きていけない、その時は後を追うしかない。 そんなことばかり頭をグルグルまわり、心から何かを楽しんだり、食べたい!と思ったり、できなくなってしまいました。 趣味も特にないので、ゴロゴロして過ごす休日は、大切な一日をこんな風に過ごしてしまって良いのだろうか?と、悩んでしまうんです。 大切な1日を大事に生きないと!という思いが、空回りして、自分を苦しめている気もします。 生き生きと生きたり、旅行へ行ったりしたいのですが、持病もあり遠出はなかなかできず… どのように、心を持って、生きていけば良いのでしょうか…
僕はこの前、呪いの動画を見て怖くなったと質問した者です。 改めましてご回答ありがとうございました。ですが、僕が一つ余計僕を不安にさせてモヤモヤさせられた回答がありました。それは、「怖いままでいい」「いつ死んでも良い」という回答でした。僕はそれをみた瞬間、一気に不安が込み上げてきて正直頭がクラっときました。 これだけ僕が怖がってるというのに怖いままでいると、これからの生活に影響すると思いますし情緒不安定になると思います。それなのにも関わらずこれから怖いまま生きていかなきゃいけないんですか?もしそうなったら親不孝とかもありますし周りの人も悲しむじゃないですか。遠くの人と繋がりがある人とも音信不通になる。極楽へ行こうと地獄へ行こうとそんなの不安です。 その回答の追記コメントでも納得できずた言っちゃ悪いですが、だただその回答は僕を悟らせてるみたいでした。本当に的外れです。 僕はもうどうしていけばいいかわからなくなってきました。
最近、時間が過ぎるのが早くて怖いです。 仕事でもプライベートでも時間があっという間に過ぎていくので「何のために私は生きているんだろう…」と思ってしまいます。 はじめは仕事に遅刻をしないように時計を見ていたのですが段々プライベートでも時計を見ていないと落ち着かなくなり、何もしないままただ時間が経つことにものすごく焦り、今の考えに至ります。 時間が1分経つたびに焦り、「私の寿命がまた縮まった」「このままだと人生終わるのもすぐだ」「家族もすぐ死んじゃうんだろうな」と考えてうつっぽくなってしまいます。 こんな考えを抱えたまま生きるのは辛いです。どうしたらいいですか?
一月に子供を生みました。可愛くて仕方ありません。 ですが、この子を生んだと同時に死への不安が沸き上がってしまっています。 この子ともいつか死別するんだな、から始まり、 いまは元気で病気もしていない両親、親戚、飼い猫もみんな死んでいき、 最終的には自分も死んで…。 死後の世界はわかりませんが、自分がいない状態が永遠に続くのが恐ろしいです。 一万年後のこととか、地球がなくなる日のこと、それまでの長い時間のこと、それがいつか来ることをおもうとゾッとします。 この癖は小学生のころにはあったかもしれません。23時59分が怖かったです。今日がおわってしまい、今日は永遠に戻ってこないことが怖かった。 誰かに相談しても、考えても仕方ない、地球滅亡のときには自分もみんなも死んでいる、いつかは人間も滅亡するといわれるばかりで。 考えてもしかたないことなのでしょうが、少しでも心が軽くなる考え方を教えていただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。
初めまして。 学生です。 私は大切な祖母が死んでしまうことが怖いです。 今まで私の人生は順風満帆ではなく、波が大きいタイプでした。祖母含め家族ともたくさん衝突したり八つ当たりしてしまったり、死にたいと言ってしまったこともあります。 今年は、就活という節目を迎えたこともありたくさん迷惑をかけてしまいましたが、最終的に祖母含め家族としっかりと向き合うことができ、私のことを理解し受け入れてもらうことができました。 祖母はその中でも特に寄り添ってくれていて、日中一緒に過ごす時間も長いです。現在、家族ともうまく付き合えており1番幸せですが、その反面高齢な祖母が死んでしまうのがだんだん怖くなってきました。 たくさんお話をしたりご飯を一緒に食べたりして過ごす毎に、いつまで続くんだろうと考えてしまいます。 飼い犬や親族など近い存在を亡くした経験が何回かあるため余計に怖いです。 祖母の死を怖いと感じず、残りの時間を楽しく祖母と過ごすにはどうしたら良いでしょうか。 お手隙の際にお返事いただければ幸いです。 長文失礼いたしました。
こんにちわ、またまたご相談です。 現在、私は引きこもりのような生活をしています。理由としては人間関係で色々とあって、精神的にも疲れきってしまい人と関わるのが怖くなったからです。 親に「外に出ろ」と言われますが、私は何かを強制されるのが嫌いな部分があるので反発してよく喧嘩を起こしてしまいます。 今は落ち着いてきており、私もいけなかった部分があるんだろうなと思うようになってきました。だけど、そのせいなのか、前にご相談した通り自分の嫌な所ばかり思うかんで自己嫌悪に落ち込んだり、マイナス思考に落ち込んだりしています。 今度は地獄の次には輪廻転生について恐ろしく感じる様になりました。 もし来世があるとしたら正直に言ってもうこの世には生まれたくないという気分になっております。 昔にもそんな事を考えた事があって、死を怖がったり生まれ変わりがあるのなら動物になるのも虫になるのも嫌だなと思った事があり、人の事は言えませんが人間に酷い目にあわされている動物を見て気分が悪くなって、こんな目に合うのは嫌!怖い!と思ったりしました。 生まれ変わるのなら人間が一番いいと言われてますが、人間だって必ずしも平穏な環境で生まれるとは限らないし、人間同士だって諍いがあるし、人を人だと思わないような人間だっていますし。 転生してしまえば記憶がなくなって別人になると言われてますが、それも正直に言って怖い。今いる自分自身が消えてしまうと考えるととても怖くて仕方ない。 地獄も怖いけれど、転生も怖い。 今まで他人事のように感じていた物が急に恐ろしくなり、だからもし、死後の世界があるとしたら、転生などせずただ穏やかでありつづけたいと思い、本当に自分勝手だと思いますが、もし本当にお釈迦様がいるのなら、もう、この世に輪廻させないでください。苦しいのも怖いのも痛いの嫌です。自分が消えてしまうのが怖いですと言いたい気分になりました。 自分の人生の中には楽しい事もありましたし、生きていれば考え方など変わると思いますが、今はこういう考えをしてしまい気力が削れ恐怖心でいっぱいになったりします。 前に進まないといけないのに、前に進むのが怖くて仕方のない状態で自分の身勝手さになんだかなと思い、こう考えるのに何の意味があるのでしょうか。 私はなんで生まれて来たのかと悩みばっか思い浮かんでしまいます。
いつも過去を悔やみ、未来を不安に思ってばかりで、現実を直視して今を生きること怖くてできません。子供の頃から空想ばかりしていま す。 どのようにしたら、このような癖を克服できるのでしょうか?
私は四年前にストレスからパニック障害になってしまいました。 パニック障害は買い物したり、電車に乗ったり、美容室に行くことが怖くなってしまう精神病です。 今は専業主婦で仕事も辞めて、スローな生活を送っています。 しかし、未だに人混みや電車は苦手で、普通の方のような生活は困難です。 何度も体調不良に襲われては、ここで負けてちゃ駄目だとなんとか踏ん張って生きています。 しかし、この病で出来ないことばかりになってしまい、人生の時間が止まってしまったように感じて虚しくなります。 人生を楽しみたいです。 病とどう向き合って生きていけばよいのでしょうか。
カテゴリは怒りより不安や生き方、心構え? 以前、1人で駅中のコンビニにいた時、なんか近くに歩くのが遅い人がいるなぁ〜私のこと見てるような…と思ってその男の人をふと見たらじっとりした眼差しで確実に私を見ていて、ぞわりとした感覚に鳥肌が立って脳が危険と察知してすぐにそのコンビニから逃げました。 そしてすぐ近くのマックに逃げ込みましたが、マックに行くまでの道でも私を見て追いかけて、店内に逃げ込んでも追いかけて私の目の前まで無言で近付いてきて怖かったです。 人がちらほらいるし店に投げ込めば大丈夫だろうと思ったら、店にまで入ってきて追いかけて目の前に来たので怖くて立っているのがやっとで声も出なくてヒッ!と怯えた声が反射的に出るだけで助けを求められませんでした… 幸い、目の前に来てじっとこちらを見たら不審者はマックを出ましたが、マックの外でうろついてから自転車でどこかへ行ってしまいました。 そのトラウマから1人で出かけるのが怖くなってしまい、更にその不審者との遭遇から数ヶ月後、1人でバスに乗っていたら熱中症とパニック(過呼吸)を起こしてしまって救急者に搬送される経験もして、それも重なり余計に1人になるのが怖くなりました。 不審者に目をつけられたらどうしよう…1人で対処できない、また足が震えてすくむ、声が出ない。1人で出かけたら体調が悪くなった時また過呼吸になったらどうしよう、パニックを起こしたくない、これじゃ出かけたくても出かけられない… と、不審者+パニック(過呼吸)が不安でたまりません… バスで過呼吸を起こしてから、車酔いや電車酔いを起こすようになり遠くに行きたくても行けず辛いです。 乗り物に閉塞感を感じて息苦しくなったり、酔わないか心配して余計体調が悪くなり更に過呼吸を起こさないか心配という負のループに陥ってます。 一応過呼吸になりそうな時とかに不安を小さくする薬などは貰って、それを乗り物に乗る前には飲んだりしますが、それでも1人で外に何十分も何時間も出かけるのだけは薬を飲んでも血の気が引いて歩き回るのが怖いです。 お出かけは楽しくて大好きなので、余計にどうしてこんなことに…、あの不審者のせいで…!と絶望的に思ってしまいます… 今、出かけられない=人生終わり みたいな風にどうしても捉えてしまっていて… どうか少しでも心が軽くなるようなお言葉をいただきたいです…
地獄が怖いです。考えるだけで手汗が出てきて、時には体が震えたり、ちょっと泣きそうにもなります。 矛盾していますが、私は地獄はないと思います。人によってたとえ同じ文化の中で生きていてもちょっとずつ善悪の考えは違っていると思うからです。その中で「この人は天国、地獄」と決めるのは難しいのではないかと思います。だから、死後の世界があるとすれば現世と同じような感じだと思います。そこで何年か過ごして、生まれ変わるんじゃないかと思います。 そう思っているのに、何故か地獄が怖いです。きっと、自分が今まで色々してきたことへの罪悪感が原因だと思います。 臨死体験者の方の中にも地獄があるとおっしゃっている方がおられると知りました。もし地獄があれば、私は確実に地獄行きだと思います。日々嘘をついていますし、食材への感謝を忘れてただただ貪って食べてしまうこともよくあります。人も自分もたくさん傷つけてしまいます。虚栄心も強いです。ここには書ききれないぐらい悪いことをしていると思います。 せめて、少しでもいいことをしよう。少しでも毎日生きれていることに感謝して生きていこう。そう思って、少し人に優しく接せるようになった気がします。時々「でも毎日生きてる。生かされてる。ありがたいなぁ」と考えられるようにもなりました。 それでも、時々怖くなります。こんな私が死後地獄に行きたくないというのは傲慢なのかもしれません。それでも地獄に行きたくないです。落ちるまでに何年もかかる地獄があるとも知りました。そこに落ちながら「あぁ、あの時ああしとけばなぁ」と後悔している自分なんて、想像しただけでも辛いです。どうすれば、地獄について深く考えなくても済むようになるでしょうか。 拙い文章で申し訳ありません。ご教示頂けますと幸いです。
先日婚約者であるパートナーを、ガンで亡くしました。 バツイチ子持ちである私たち親子を優しく包み込んでくれるような彼でした。 息子のことを本当の子どものように愛し、「自慢の息子だ」とよく言ってくれていました。 3年前にガンだと診断され、予後不良だと言われていました。 段々と病気が進行し、治療も出来なくなり、緩和ケアに移行していたのですが、受け入れる事が出来ずに他人事のように考えていました。 8日に亡くなったのですが、死の間際の声や、顔、苦しそうにしている仕草ばかりを思い出してしまい、生前の大好きな笑顔や声が思い出せなくなっています。 パートナーのご家族の都合もあり、葬儀が1月13日に行われるのですが、そこに行って、対面するのも、お骨を拾うのも怖くて仕方ありません。 このまま逃げたい、受け入れられない、寂しい、寂しがりやだった彼を1人にしていいのか、寂しい思いをさせるなら死にたい、そんなことばかり考えてしまいます。
今そばに居てくれる大好きな大親友、恋人、友達、親。そんな人達に嫌われたらと思うと毎日が怖くて堪りません。私は性格も悪いし愚痴だって言ってしまうし、裏の顔もあるし、褒められるところなんて何も無いです。こんな価値のない人間だから嫌われて一人ぼっちになって当然だと、人生苦しんで当然だと思ってしまいます。もうどうすればいいのか分からないです。ずっと嫌われないように言い訳をして生きている気がします。ありのままの自分がどんな姿なのか、それすらもう何も分からなくなってしまいました。大好きな人達に嫌われたくない。この恐怖感はどうすれば薄まるのでしょうか。こんな自分と関わらせてしまった罪の意識が消えないです。
こんにちは。 いつも困ったときにはこのサイトを拝見させていただいております。 私には今結婚を前提にお付き合いしている方がいます。 私がこんなに幸せで良いのだろうかと思うくらい、今までの人生で1番幸せなときを過ごしています。 ただ、時々、この幸せはいつまで続くのだろうかとものすごく怖くなります。 きっかけは彼と同じ職業の方が仕事中の事故で亡くなられたニュースを見たことです。 それを見た時から、もし彼が急にいなくなってしまったら、死んでしまったらどうしようという不安を抱えるようになりました。 昔からなにかと心配症な方ではあるのですが、ここまでの不安・恐怖を抱くのは初めてで辛いです。 この不安をどう受け入れて日々過ごしていけば良いのでしょうか。 お坊さんの皆様、ご回答のほどよろしくお願いいたします。
以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。
私は今から二十年前に自動車の運転免許を取りました。合宿で取ったのですが教習所の先生に散々こっ酷く叱られて、他の人がスムーズに取るところを二日延長させて貰って、それでも仕方なくと言った形で卒業させていただきました。 本当なら車を運転出来る喜びを満喫すれば良いのだろうし、あるいは私が住んでいるところはど田舎なので否応なしに車を運転しなければならないのですが、その頃こっ酷く叱られたことが尾を引きずっています。私は車を運転出来ません。 自分は事故を起こすのではないか、人を轢き殺すのではないか……身近な交通事故のニュースを知ると、私が人を轢き殺してもおかしくないのだと気分が重くなります。 最近町田康さんの『人生パンク道場』という本を読みました。人間は変わることが出来る生き物である、あるいは変わらないと生きて行けない動物である……そんなことを学びました。だから勇気を出して相談します。 是非、この悩みが幼稚なら叱って下さい。皆様の言葉が私を変える切っ掛けになればと思います。
ご質問させていただきます。 昔から、両親から褒められず、叱られて(怒られて)ばかりで育ちました。 そのためか、誰かから叱られたり、怒られたりすることが怖くてしょうがないです。 物事を誘って、断られるのも怖いです。 例えば、誰かを「今度食事に行きましょう」と誘ったとします。 当然、仕事が立て込んでいたり、他の用事が入っていたとしたら断る、という選択肢はあるはずです。 これが頭で理解していることだとしたら、心で思うことは、こんなことです。 つまり、「私が嫌いだからそういうことを言うんだな」と自動的に思ってしまいます。 怒られる、叱られる場合もそうです。 そういうときには、「私の行動や私によって引き起こされている状況をとがめている」が正しい認識であるはずなのに、「私という人間そのものが否定されている」と思ってしまいます。 ここに書き込む前に、自分なりに状況を消化してみました。 おそらく、自分が大嫌いで、自己評価が恐ろしく低いことと関係はしているのでしょう。 (私は心理学の専門家ではないので確かなことは言えませんが。) 「自分は受け入れてもらえるような存在ではない、否定されて当たり前なんだ」と思ってしまっているからこんな状況が引き起こされているんだと思います。 よく、こういう人に対して、「ありのままでいていいよ」という言い方がされると思います。 「ありのままでいる」ってどういうことですか? なんとなく同じような事ばかり質問して申し訳ありません。 ただ、私という人間の根源にある問題が同じである以上、同じようなトーンの質問になってしまうのは仕方ない、とは思っています。