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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 生きる 死にたい」
検索結果: 8772件

子供の頃からある希死念慮とどう付き合えばいいのか

子供の頃から続く希死念慮に悩まされています。 昔はこんなことを考えては駄目だとできるだけ自殺など考えないように してきたのですが最近その気持ちが段々大きくなって抑えきれなくなりそうです。  2年前、以前違う会社に勤めていた時、両親に 「どうしても昔から死にたいという気持ちがなくならない」と相談して両親に 「死ぬのだけはやめてくれ、頼むから生きてほしい子供が親より先に死ぬのは間違ってるし最大の親不孝だよ」 と言われ親には悲しんで欲しくない、せめて両親を看取るまでは生きようとその時は思いとどまったのですが希死念慮は薄れることはなく両親を悲しませたくないという気持ちだけで耐えています。 両親を愛していますし、恩も感じています。 ですが、できれば私以外の子供を産んで欲しかったなどと考えます。 私は生まれてきたくはなかった、存在していたくなかった。 自分で自分を責める癖も影響しているのかも知れません。 今年転職したのですが、うまくやらなきゃという強迫概念に捕らわれ逆に初歩的なミスをしたりしてしまい、さらに気をつけなくてはと思うの繰り返しでどんどん自分が嫌いになってしまいます。「まだ来たばっかりだから~真面目だから大丈夫」と言ってくれる職場の先輩もいますが自分はでも何回もやってるのになぜできないのだろう?と家の中でも仕事の事について考え、心が休まる時がありません。 それにメモをとり家でも仕事について考えなるのは真面目だからではなく そうしないとついていけないからです。 果たしてこれから先やっていけるのだろうか?という不安と早く楽になりたいという気持ち、そして両親に悲しんでは欲しくないという気持ちで心の整理が追いつきません。

有り難し有り難し 20
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人生の選択を間違ってしまったかもしれない…

今年の春に結婚し、今は主人と二人暮らしです。主人はとても優しく私の事を大事にしてくれているのがとても伝わってくるのですが、私は主人をすごく好きだと思って結婚したわけではないので、同じように大事にしてあげることが出来ていません。 先日、主人と付き合うまえにお付き合いしていた方とばったり会ってしまいました。彼の事は物凄く好きだったのですが、とにかくすれ違いが多く結局最後はお互い気持ちがすれ違ったままお別れしました。主人と付き合っている間もどこか心の隅っこにいてふとした瞬間に元気だろうか、今どうしているだろうかと思い出していました。 彼も私と別れた後結婚したのですが、彼も同じように思っていたようで奥さんは家の事も子供の事もしっかりやってくれているのに心が何だか満たされない、結婚したのに完璧に吹っ切ることが出来ていないと言っていてお互いすごく複雑な気持ちで少し話した後別れました。 もうお互い結婚していてどうする事も出来ないのはわかっているのに、もしあの人と結婚していたらもっと心から満たされたのだろうか、相手の為に何かしてあげようと思えていたのだろうか、私は死ぬまでこの気持ちのまま生きていくのかと思うと自分の残りの人生が何だか灰色に見えてしまいます。 自分がもしかして人生の大事な部分で選択を間違ったのではと思ってしまった時どんな風に考えたら良いのでしょうか?このまま自分が選んだ道なのだからしょうがないと割り切って生きて行くしかないのでしょうか? どなたか宜しくお願い致します。

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煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

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どうしたら

私は一人っ子で母子家庭育ちです。 親元を離れてるのですが、親は小さい頃からお金にずさんで、働かず、自分の親(私からだと、祖父母)の年金でギャンブルをする生活をして、貯金もなく、先の事を考えずの人です。 私が20歳過ぎても毎月のようにお金を貸してと言われ、毒親だったのもあり、逆らえず貸してました。なかなか貯金もたまらず、あげく、そういうストレスで体調を崩し一年療養しました。その時に貯金も底がつき、それでもお金を貸してと言ってくる親。 そして、親の弟(叔父)からもお金を貸してと言われる始末。 そして母は隠れて借金もしてました。 (この時は親族が助けてくれました。) 親にお金を貸してるのは、産んでくれた恩があるからです。 母と叔父は体調は健康で働けば良いのに、何故私に頼るのか。働いても、タバコ、ギャンブルにお金を使うから、何故それを止めないのか。 親は年金も保険も入ってません。 金が無いから介護になると思うと、介護をしたくありません。 20歳の頃までは色々と親族が助けてくれましたが、それぞれ家庭もあり、老後のこともありますから、そういう助けを言えなくなりました。 私は自分だけで手一杯で、これから先があるのに、そういう生活で貯金もなかなか出来ず、先の事を考えると生きていくのが辛くなってきています。 結婚をしたい願望がありましたが、相手に親を紹介も出来ない、金も無く、そういう人が相手をするわけはないだろうと、恋愛する気も起きません。。 親に振り回される人生に吐き気がしてきました。 幸せそうな家庭を見てると嫉妬してしまう自分に嫌気がさします。 何のために生まれてきたか、よく分かりません。 お金を貸さず、縁を切ると、もし親、叔父が死んだ場合、怨みが来るんじゃないか、隠れて多額の借金をしてるんじゃと恐怖に襲われます。 大きいものは求めません。 普通の人生を送りたいです。 どうしたら、私の人生はいいものになるのでしょうか。

有り難し有り難し 23
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2023/05/05

頑張りたい

ここのところ頻繁にお世話になり、申し訳ありません。 こちらでたくさんの智慧を頂き、お陰様で、死にたいという気持ちから、何とか生きたい、頑張りたいという気持ちになりました。 ありがとうございます。 暴言ばかりの息子も最近は暴言も減り、少しずつではありますが、関係も改善しつつあります。 ところが、頑張りたいという気持ちはあるのですが、私の注意力不足等で仕事ではあり得ないようなミスが続き、本当に私が悪いのは重々承知なのですが、仕事上のことだけでなく、私の性格も含めて、かなり辛辣な言葉で叱責されて日々怯えています。 今までの職場ではこのようなことはありませんでした。 自分ではちゃんとしたいのです。 頑張りたいのです。 どうしてちゃんと出来ないのだろう、うっかりするんだろう、集中力がないんだろう、ミスをしてしまうのだろう...と自分を責め続けてしまいます。 自分を変える為に色々と勉強も始めましたが、言われた言葉が頭の中でリフレインしてしまいます。 今までの質問にも書かせて頂きましたが、やはり私は生きる価値のない役立たずなのではないかと自問する気持ちと、今までの自分の考え方を変えて、頑張りたい、精一杯生きたいという気持ちが交錯しています。 こんな私にどうか喝を入れて頂ければと思います。

有り難し有り難し 7
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初めて身内の死を経験してから

3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。

有り難し有り難し 15
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2024/11/01

人生は結局他人次第ではないですか?

自分の夢を叶えるべく努力してきました。 望んだ仕事につくことができ、精力的に業務をこなしてきました。 しかし結局のところ、自分と取引をするかどうか 自分の商品を買うかどうか決めるのは「相手」です。 売れなければ自分の生活も夢も何もかも立ち行かない。 これでどうやって、自分次第だと言えるのでしょうか。 自分が「成果」を手に出来るのは、相手が買うと決めて きちんと売れた時ではありませんか。 時にはこちらの商品の出来に関係なく、突然連絡が取れなくなる。 「いらない」「今後連絡は取らない」と言えばいいものを、 はっきりと断る「悪者」になりたくないが為に言わずにフェードアウトを狙う。 他人にとって、自分自身は取るに足らない矮小な存在で そういう人たちの対応が当然だとも思います。 しかし取引を途中までしっかり進めていて こちらに落ち度がひとつもなくても突然、大した理由もなく連絡が取れなくなる。 「めんどくさくなった」「忙しい」「他にやることがある」「今日は機嫌が悪い」 そんなことで自分の成果は決定されてしまう。 こんなことをもう何件も何件も何件も何件も繰り返されています。 全て相関関係のない、別々の取引先に。 そう思わせないような魅力的な商品を作れない自分が悪いと思って努力してきましたがもう疲れました。 あまりにも他者は不誠実で理不尽です。あらゆる約束は守られない。 自分自身がいくら頑張っても、相手が少しでも「めんどくさいな」と思えば、それで取引終了。 だったら頑張る意味も生きる意味も無いじゃありませんか。 他者に左右されない成果も夢もありません。 そしてそれを抜きに、生きる意味などありません。 好きで望んで頑張って就いた仕事の結果がこれです。人生に希望がありません。 仕事で成果を出すには他人の決定が必須で、それは自分にどうこう出来るものじゃない。だったら頑張る意味も、生きていく意味もない。 将棋の詰みと同じです。 自分次第で人生が良くなるとはとても思えない。 「仕事の成果を気にしなければ、気分よく生きられるでしょ」とも言われました。 でもそんなに簡単に価値観なんか変わりません。 好きな仕事の過程を楽しもうとした時期もありましたが、成果が出ないままそれを保つのは無理でした。成果が無ければ生活も立ち行きません。 死んでリセットする以外の方法があるんでしょうか。

有り難し有り難し 17
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