去年の5月、高校からの親友が白血病再発によりこの世を去りました。 いつでも会えると思ってたから、半年くらい会ってない時期もありました。 もっともっと会ってたくさん話して色んなところに遊びに行って・・・将来おばあさんになってもいつでも会おうと話してたのに、今はもう二度と叶う事がない。 去年の今頃は入院し、行ける時は御見舞に行っていましたが、だんだん意識もなくなり私のことを認識していたかどうかもわかりません。 入院してからあっという間にいなくなってしまいました。 ある程度覚悟はしていましたが、未だにまだ会える気がしています。 どうしたらいいのでしょうか? 友達にありがとうも言えてない。 これまで喧嘩もしたし一緒に泣いたし、本当にたくさんの時間一緒にました。 寂しさが今でも消えません。 会いたいです。 声が聞きたいです。
真言宗の僧侶になりたいと強く思っている方がおります。 元々幼い頃から仏の道に触れ、家に神棚があり御大師さまなどを祀っていたり、お経を唱えたりなどされている方です。 ですが、身体の一部に刺青(獅子)が入っているため僧侶になれないのではないかと、心配しております。 刺青があっても本気で仏道を進みたいと思っていれば師を取らせて頂き、仏道を学び僧侶になることは可能なのでしょうか? 回答よろしくお願い致します。
一昨日、母が老衰で亡くなりました。病気も沢山あり、認知症も酷く、最期数年は老人ホームでの生活でした。 また、このコロナ禍でしたので、母に会うのも数ヶ月に一度でした。 元々、父はシッカリしたお葬式をしましたが、母は介護生活も長く、母の兄弟も年齢が高い為家族葬で、お見送りだけにしました。 主人が宗教に反対の考え方で、お通夜も葬儀も無く、私と子供と主人の三人でお見送りしました。 仏着もありません。生前母が好きな服を着せました。 昨日、収骨が終わった直後は良い式だったと思えたのですが、時間が経つにつれ、母は向こうに行って、父に会えるだろうか。 向こうの世界で苦労していないだろうか。 私は凄く苦しませたのではないだろうかと、不安と恐怖でこちらにご相談させていただきました。 母の遺骨にお線香などもしておりません。 戒名も付けておりません。 主人には気になるなら私が付ければ良いと言われています。 母は、成仏できているでしょうか。 父や、母の両親と会えているでしょうか。 向こうで苦しんでいないでしょうか。 今更ですが私に出来る事はありますでしょうか。 血の繋がってない私を大切に育ててくれました。 絶対に忘れる事も、思い出を粗末になんてできません。 母が穏やかになるにはどうしたら良いか教えてください。 よろしくお願い致します。
家には よくわからないものを含めて位牌がたくさんあり 親の檀家のお寺は急に 金額が高くなり払えません そんな時どうすれば良いのでしょうか?
いまだに家族や他人に心を許して素直に自分のことを話せません。 小学校高学年ごろから、祖父が亡くなったことがきっかけで家族関係がくずれていったように思います。 詳しく教えてもらえませんでしたが、家族をとりまく仕事やお金関係のことでいろいろ問題があったようです。 母はストレスがたまっていたのか厳しく気難しくなり、祖母たちとの関係も悪く、一番仲がよかった妹とも激しくけんかして以来一言も口をきかなくなりました。 わたしは家族や学校の人たちともぜんぜんうまく話せなくなり、不登校になったりしました。 わたしは気難しく神経質でずっと不安定で、自分を守るためなら平気で人を傷つけるような大人になってしまいました。 その反面、何の目標も持たず、仕事もうまくいかず、やる気のないわたしは高い学費も親からだしてもらい、生活費もまかなってもらい、実家でずっと親のすねをかじって生きていました。 ここ数年で、家を出て親と距離を置いてやっとなんとか自立できるようになってきたところです。 人間関係や仕事は今もうまくいかないことが多いです。自分が認められるか不安でなにもできなくなります。 ずっと家族のことや、いままで傷つけてきた人のことを毎日思い出し、自分はどうすればよかったんだ、これからどう生きていけばいいんだと考えます。 もしあの苦しかったとき、母がもっと自分に寄り添ってくれたら、だれかが気にかけてくれたら、と思う反面、自分では何もできない自分自身にも嫌悪感があります。 ぐるぐると考え続けて苦しいです。どのように自分の過ちを償うべきでしょうか。
私にしてはお久しぶりです 最近ニュージーランドでテロ事件があり沢山の人々が亡くなりました 宗教を越えて祈りが捧げられているというニュースが流れています 私がhasunohaをお休みしていたのは これまで何度も挑戦してきたのですが様々な宗教を勉強する為に仏教からいったん離れていたからです 正当な宗教(?)から怪しげな宗教(?)まで其々の教えに耳を傾けてきました 旧オウム真理教のテロ事件の被害者やご遺族の方々の意見や現在の心境なども極力汲み取るよう察せられるだけ察してきました 学べば学ぶ程いろんな宗教に寄り添っていきたいなぁと思うようになり そして信仰の自由のない家庭で勝手に信仰心を持ちつつ改めて思ったことは… 今の私は仏様の教えが一番好きだということです とってもとっても大好きだということです なのでまたhasunohaに戻ってきました 巡り巡って元に戻る それだけ今の私は仏教に魅力を感じているようです 質問になりますが 仏教三昧のお坊さまにとって も~ここがたまらん!と強く強く想う仏教の素晴らしさとは何ですか? 一言では言い表せないとは思いますが お坊さまの皆様にとって ついつい熱く語りたくなる ラブラブ「これぞ私の仏教愛」をお聞かせ下さい
数珠の買い替えはしてもいいのでしょうか? 今使っているのは小学生のときに親が買ってくれたものです。 サイズ的には成人した今も使えるものですが、色がピンク(実際はパープルだそうですがどうみてもピンク)でどうしても嫌なのです。 ピンクだけは本当に嫌いで、親や親戚が持つ水晶やパールみたいなのがとても羨ましいと思っています。 大好きな祖父が亡くなったときも正直この数珠使いたくないなと思いながら使っていました。 壊れたわけでもない数珠を買い換えても大丈夫なのでしょうか? 年をとっても使えるようなものが欲しいのですが、、、 回答よろしくお願いいたします。
数年前亡くなった祖母の死亡届を見つけてしまいました。 祖父が亡くなった1年後に祖母が亡くなりました。 当時死因は聞かされていませんでした。心不全か何かだと思っていておじいちゃんのところに行けてよかったねと思っていたのですが、死因が自殺でした。 それを知ってからずっとモヤモヤしてしまって夜眠れません。 親がどんな気持ちだったか想像すると本当に辛いし 自殺に対する、偏見がすごくあったのでとてもショックで、恐怖を感じてしまいます。 自殺したひとは天国へ行けないんですよね、てことは祖母はまだ祖父に会えていないということですか… 死後の世界ってあるのでしょうか? どうすれば気持ちを落ち着かせることができるでしょうか
よろしくお願いします。 遠方にある、父方のお墓参りをします。約30年振りなので、お寺の場所まではわかりますが、お墓の位置がわかりません。 父に「事前に電話をして、お墓の場所を教えて欲しい」といえば、案内してくれるだろう、と言われまして、近日中に電話し案内のお願いをする予定です。 ・菓子折りを持参しますが、それとは別にいくらか包もうと思っています。下品な話しですが、このような時、金額はどのくらいが普通なのでしょうか。 ・真宗大谷派のお寺です。これは浄土真宗と同じものと考えてよいのでしょうか。お墓への御供え物も、お寺に伺った方が良いのでしょうが、どのようなものが相応しいでしょうか。 船も利用するため、大荷物になるのは避けたいです。 どうかご指導ください。
離婚した両親が亡くなったのですが、 家族として扱われなく良くわからなくいますが、喪中はいつまでですか、 今7ヶ月目ですが、その最中別居中の夫の祖母がなくなりました、まだ喪中でしょうか
先日叔母が亡くなり葬儀に行ってきました。従兄弟(叔母の息子)が火葬場まで 普通に歩いていたのですが 火葬が始まった頃から 腰に激痛がはしりしばらく動けず、火葬が終わり外に出たらピタッと治りました。 本人は「母がまだ生きたいっていうメッセージだったのかな」と言ってつらそうだったのですが一体なんだったのでしょうか
聖職者の皆さんは、ご自分の死と死後(あるのかどうか分りませんが)については、どのように理解・納得されて日々を過ごしておられますか? 現代科学の教えるところは、死は肉体の消滅であるばかりでなく、意識の消滅でもあります(意識は脳が作り出しているもの)。 死によって生前の努力が全て消滅することを考えると、虚無(ニヒリズム)に陥ります。古来の哲学者の中には、このニヒリズムに陥ることが当然だ(そうでない方が人間らしくない)と教えてきた人達もいます。 こういう状況で、信仰に進む以外に救われるものはないのではないかと私は考えているのですが、聖職者はこの避けることのできない死の問題をどのように解決できているのでしょうか? 是非ご教示ください。
家族、仕事、子ども、人間関係 全てにおいて何ひとつうまくいかず、悩み事が増えていくばかり もう疲れ果てました どれもこれも、解決ができず、先が全くみえません 死にたい でも、死ぬこともできない なにもやりきれない自分が嫌で、情けなくて 同じ事をしても、許される人、許されない人 私はいつも、後者。 だから、許される人間が憎らしくて、そう思う自分が醜くて嫌になる 生きている理由が見つからない 希望も見つけられない どうしたらいいですか 生まれてこなければよかった
旦那のモラハラに耐えられず、半年くらい前に不倫をしてしまいました。 2ヶ月ほどで終わりました。終わらせた理由は、自分が罪悪感に耐えられなかったのと妊娠が発覚したためでした。 危険な行為はその相手とはなかったものの、性行為手前で終わらせていたので旦那の子だとは思っており、それでも不安があり念のためDNA鑑定を行い、旦那が父親であるという結果で終わりました。 旦那には全て話しました。 旦那はもちろん悲しんでいましたが、自分にも原因があると言って許してくれました。 そこから旦那のモラハラは少なくなり、夫婦仲は前より良くなったのですが… 未だにもし、不倫相手の子だったらと不安に駆られ毎日毎日悩んでいます。もう2ヶ月で出産なのに、こんな母親で申し訳ないし、産む勇気もありません。旦那はベビー用品を探していますが、私はまだ気持ちが前に向かず、とても辛いです。旦那への罪悪感がとてつもなく、不倫する前に戻りたいと意味のない後悔を繰り返しています。 もちろん悩んでいることは旦那には言いません。 罪悪感と、恐怖、そして不安に取り憑かれています。 私はどうやったら前に進め、どう罪を償えば良いのでしょうか。 こんな相談で申し訳ありませんが、どうぞ助言を頂けると助かります。よろしくお願い致します。
私はとあることがきっかけで、ずっと不動信仰をしております。 それがさらにきっかけとなり、真言宗にも興味を持っています。 毎日、お青不動様の写真に般若心経、光明真言、仏説聖不動経などを お唱えしております。よく高野山に行くのですが、理趣経が売ってたので 購入しました。お経の中の漢字を見ていると、まるで曼荼羅を見ているように思い 気に入ったのですが、インターネットで調べてみると、 「むやみに読むと功徳を授かろうと未成仏霊が寄ってくる」 「これは真言密教の秘経であり、一般人は読んではならない」 「僧侶や行者、信頼できる師から教えを受けなければ読んではならない」 とあり、非常に残念に思っています。自分にとって、本当に文字の集まりが 曼荼羅のように思えてしまうほど素晴らしいと思っていたので、その理趣経を 自由に読めないのはショックでした。 本当に、インターネットのように、自由に理趣経は読んではダメなのでしょうか? お教えいただけたら幸いです。
お世話になっております。煩悩即菩提は、よく懺愧の心から起こると聞きますが、親鸞聖人もおっしゃっているように、僕は無懺無愧の人間です。誠に自分勝手ですが、悪い心を持ってしても、全く恥ずかしいと思いません。何しろ、仏様の目から見れば善悪というのは相対的なものであり、人間(世間)が勝手に善悪と判断しているに過ぎません。仏様から見れば善も悪もないはずなのです。だからわざわざ懺愧する意味が分かりません。そもそも、極悪人や罪という言葉をよく仏教では使いますが、それも相対的なものであるはずです。何がどう罪深いのか分かりません。こういう僕には煩悩即菩提の境地は一生理解できそうにありません。
お答えしづらい質問で申し訳ありません。 仏教ではSEXについて寛容だと聞いた事があります。 お坊さんも男としてムラムラや溜まってしまうと思うのですが 自慰をするのでしょうか? 既婚のお坊さんならSEXすると思うのですがまだおひとり様 のお坊さんはどうなのでしょうか? また、同性愛についてどう思うのか聞かせてください。
何故か年齢を重ねていくたびに孤独感が増していきます。この先、益々孤独になるのかと思うと怖いです。
自分は長男なのですが、自分の父親が亡くなり母親の身内や家族が不仲になって、自分の風当たりが悪くなり通夜告別式には出たのですが、納骨式や法要には一切出てません。親不孝なのは分かっていますが、親や身内が憎く今後も金輪際、法要に関わりたくないと思っています。よいアドバイス頂たくお願い致します。
納骨についてご相談させていただきます。 昨年の夏に配偶者を亡くし、現在遺骨を自宅の仏壇に安置しております。 昨年の葬儀の際、突然であったこと、郊外の自宅近くで葬儀を行ったこと、コロナ禍でもあったことから、家族葬で簡素に行いました。その際に、少し様子を見たいので、納骨は一周忌の時にとしました。その後、四十九日、百箇日は、お経を読むことができる親族に来てもらい、これまた簡素に自宅でお経をあげていただきました。 一周忌まで一か月となったのですが、墓のある霊園の法要室はコロナのため使用不可、おそらく導師の方も来ることはできそうにありません。一周忌、納骨法要はきちんと行いたいと思っていましたが、難しい状況です。霊園の方では、法要を行わず納骨だけはできるようです。 納骨に関して調べてみると、時期等には特に決まりはなく、遺骨にもあまり執着しないようにした方がよいという記載が多かったように思います。 きちんとした法要等を行って納骨したいという気持ちと、いたずらに納骨を遅くすることへの抵抗の間で悩んでいます。 納骨を行いたい気持ちとして、今は在宅勤務ですが、コロナ禍の状況が変われば、元々出張族であるため自宅を離れることも多くなりますし、故人との思い出の地を訪ねたりといったことも行っていきたいと思っています。 納骨を遅らせる気持ちとして、簡素な葬儀であったため、納骨法要はきちんと 行いたいこと。このような状況が、「納骨はまだ待って」と故人に言われている ような気持ちにもなることがあります。 僧侶の皆様のお考えを教えていただければと思います。 ------------------------------ 以前に「義父、義母の菩提寺へのご供養依頼」という質問を行い、和田隆恩さま、日延さまにご回答いただきました。義父母の菩提寺と連絡を取り、追善のご供養が無事できました。田舎に伺うことができなかったのですが、ご住職さまが 読経、塔婆を立て、その画像をメールでお送りいただきました。また、墓地のお世話をしてくださっている本家の方にもお話をしていただいたようです。 こちらでの回答をいただき、追善供養を行ってよかったと思っています。 ありがとうございました。