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お坊さんの家族は必ず同じ宗教を信仰してますか?

私の知人が浄土真宗のお寺に嫁ぎました。 実家はサラリーマン家庭で、真言宗の檀家さんだそうです。 彼女自身は特に宗教に興味も抵抗もなく、実家にいた時はお仏壇にも神棚にも手を合わせることが特に宗教行為という認識を持たずに「祖父母がそのようにしているから自分もしていた。」程度だと言っていました。 彼女は嫁ぎ先のお坊さんの勧めで僧侶の資格も一応取ったと言っていましたが、 未だに信仰心も湧かないし、苦労していると言っています。 特に苦労するのが年中行事だそうで、初詣やクリスマス、七五三、地域のお祭りで神輿を担ぐこと、など自分が子供の頃楽しみにしていたイベントは殆ど全てが仏教的に(もしくは浄土真宗的に)NGだったり、必要ないとご主人が言っておられるそうです。 彼女にはお子さんもいますが上記の理由で自分の子にそのようなイベントをしてあげられないということに対しても、とても落ち込んでいます。 そこでお坊さんにいくつか質問です。 1、お坊さんの奥さんは嫁ぎ先のお寺の宗教を信仰してますか?(するべきですか?) 2、お坊さんの家族は嫁ぎ先のお寺の宗教以外の宗教行事を控えてますか?(控えるべきですか?) 3、宗教に対して興味を持っていない奥さんや家族に対して、お坊さんはどのようにご自身の宗教を伝えてますか?(伝えない、伝えているけど受け入れてもらえない、伝えたくない等、色々あるかと思います。) ぜひ教えてください!

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"お坊さんが助けてくれた"と子ども達に話したい

以前、私の悩みに答えていただきありがとうございます。 事後報告のようになってしまいますが、どうしてもお坊さん達にお礼を言いたくて、ここに来ました。 私は同居している姑からの嫁いびりに悩まされていました。 悪口を超えた暴言も現在進行形で姑から言われていますが、そんな暴言が気にならなくなるぐらいの因果応報を目に見える形で実感する出来事が起こりました。 私は姑と同居をしてから直接暴言を言われたり、近所にも私のことを言いふらされていました。 とても苦しくて、でも私の祖母から言われた『人の悪口は絶対に言ってはいけない』という言葉が忘れられず、ただただ黙って姑からの暴言に耐えていました。 どうしても苦しくなった時はここに来て、過去に私が相談したことに対するお坊さん達の優しい回答を読みに来て、心を落ち着かせていました。 しかし先日、私は外で倒れてしまいました。 家の前で倒れたのですが、たまたま外にいた近所の方が見つけてくれて救急車で運ばれました。 検査をしても何一つ問題が見つからず、医師からは精神的ストレスが原因だと言われました。 数日間入院をし、自宅に帰ろうとすると助けてくれた近所の方にお会いする事ができました。 その近所の方に感謝を伝えると、 「あのお義母さんと一緒だから疲れちゃったんだね。大変だったね。あなたがいない間、お義母さんあなたの事を酷く言うから怒っといたよ。ここの近所の人達はみんなわかってるから大丈夫だから。」 と近所の方から言われました。 正直驚きました。 絶対に私は近所の人達からも、姑の言いふらされたとおりの人間だと思われていると思っていたからです。 しかし現実はお坊さんの言うとおり、義母から出た悪口はそのまま義母に返っていたのです。 この事があって以来、義母から悪口を言われても全く気にならなくなり、毎日笑って過ごせるようになりました。 お坊さん達のおかげで、今、私は毎日が楽しいです。 娘にも、お腹にいる子にも笑顔で接することができています。 もう少し子ども達が大きくなったら、ママはお坊さんに助けてもらって今こんなに笑えるよ(姑との内容は伏せておきますが…笑)と必ず教えてあげたいです。 また祖母のように「人の悪口は絶対に言ってはいけない」と教えていきたいです。 本当にありがとうございました。

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金剛経「第五章 如現実見分」のヒントをお聞かせください。

いつもお世話になっています。「金剛経5章」の勝手な考察です。お坊さんからのヒントをお願いいたします。  我々凡夫は、如来であるとの確証を得た(=如来は凡夫にとって価値があるということを知った)後に、如来を探し出せるような特徴を必死に見つけ出します。如来(=価値がある存在)と確証する前は如来でも何でも無いので特徴など詮索しません。探す目で見ていないので特徴はあっても特徴は認識できないので特徴はありません。特徴があるとは、気づいた後に作り出すものであり前には特徴はありません。  誰かが発見する前から重力や浮力は存在していて誰もが目にしています。特徴などないので気づきません。発見した人が「万有引力」やら「浮力」などの名前をつけて特徴としています。  そもそも、あらゆるものに特徴などなかったのです。人間だけに利用価値や意味があるので特徴を見つけ出します。人間以外の動物に「偽札」の特徴など知る必要はなく、特徴などありません。  動物には「言葉」がないので、臭いとかまずいとかの概念はなく本能的な反応だと思われます。我々人間も味を「言葉」にして分けていますが、親に教えられて「にがい」という味覚と経験を記憶しているだけです。  特徴があると断じても、諸法は無我であるので縁によって以前の特徴がいつまでもあるわけではありません。宇宙空間での「音」の特徴は、空気という縁がないので音は振動として伝わらないので音の特徴などありません。人相の特徴ですら、三十年も経てば全く変わってしまい以前の特徴はなくなっているでしょう。  特徴がないと断じたとしても、人間が価値を認めれば特徴を必死に見つけて特徴を定義します。  「ぶどう」は房に実が鈴なりについていて、甘酸っぱくて黒や緑色をしているという特徴によって「ぶどう」と名付けられます。この共通認識によって、市場で果物として流通しています。「ぶどう」は「ぶどう」と名付けられる前から存在していました。「ぶどう」は「ぶどう」と呼ばれなくても「ぶどう」ですから、明日から「ぶどろ」と呼ばれてもいいのではないでしょうか。  特徴によって存在しているのではなく、存在に特徴をつけて勝手に思いつくままに適当な「名前」をつけているだけではないでしょうか。  結局、あらゆるものは概念と名前によって個別の存在として有るだけで本来は区別差別のない一体であると認識しました。

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〇〇宗のお墓の前で、無宗教の人がお経を唱える意味は何ですか?

今や自分はともかく親が何を信仰しているかも分からない場合が多いと思います。そして特定の菩提寺を持たない場合において、祖父母の墓参りなどで直面する、お墓の前で唱える言葉の意味についてどう考えたらよいのか悩んでいます。 基本的には自分が信仰する宗派において、自分自身のために唱えるのは理解できるのですが、故人のために唱える場合は、どういう意味があるのでしょうか。 そもそも故人は自身の信仰によって成仏されていると思うのですが、それに対し後世に他人(親族です)が言葉を唱えることの仏教的な意味を知りたいです。 また、〇〇宗を信仰された祖父のお墓の前で、▲▲宗を信仰している(もしくは何も信仰していない)孫が唱える言葉は何が良いのでしょうか? 一般的には〇〇宗のお墓の前では、〇〇宗の言葉(例えば南無阿弥陀仏など)と教えられたのですが、よくよく考えていくと自分の信仰していない宗派の言葉を「形式的」にだけ唱えるという事になってしまい意味があるのかな、と思い始めました。 浄土宗などは念仏を唱えることに意義があるという点では、形式上であったとしてもある程度は理解できるのですが、浄土真宗やその他禅宗などにおいては意味があるようには思えないのです。 今まで深く考えず、親に教えられた通りに唱えていたのですが、勉強すればするほど分からなくなってきてしまいました。 迷える子羊をお救いください。

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