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hasunoha 問答検索結果 : 「私 遺骨 」
検索結果: 508件
2022/12/16

お墓に入る際の相談です。

24年前に3歳を目前に娘を亡くしました。浄土真宗の幼稚園に入園予定でしたが叶わなかったので、せめてお寺には納骨したいと願い8年ほどお世話になっておりました。その後は離婚をきっかけに実家近くに転居しました。曹洞宗のお寺に私の祖父が入るつもりで購入していたお墓がありましたが訳あって空の状態でした。 浄土真宗でも受け入れて下さったので娘はそこに埋葬されています。 今夏、母が亡くなり現在、宗派の異なる2人が眠っています。 私は再婚して婿取りとなっています。社会人の二男と3人暮らしです。 本来、私が死んだらそのお墓に入るつもりでいました。しかし健在でいる88歳の父が毒親で長女の私に対してモラハラをするようになっています。長女だから婿取ってるからと執拗に何から何まで押し付けて来ます。自分の言っている事に一貫性がなく自己主張が強い、都合が悪い事を言われると大声で話を遮り逃げるなど数々の罵声で精神的苦痛から鬱症状が出て来てしまっています。親だからとかなり辛抱して来ましたがキャパオーバーになってしまい、こうしている瞬間にも涙が出ます。 今後の墓守や法事、寄付等の維持費を押し付けて来るのにあまりにも身勝手すぎて正直、言う事は聞きたくありませんし、親であっても関わりたくない、関わる度に動悸がして命が縮まります。他人なら絶交すれば良いのでしょうが父が生きている内は、そうもいかないので非常にしんどいです。なので私は自分が死んだらそのお墓には入りたくないです。 別のお寺を探して樹木葬を考えています。 (私は帰敬式で法名を頂いています。) その際、現在お墓に眠っている娘の遺骨を出して娘、私、主人の3人と考えています。曹洞宗の方の墓守はどうしたら良いのでしょうか? 何か問題点がありましたらご教授下さると大変ありがたいです。

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後悔、亡くなった彼の無念さで心が雁字搦めです。

よろしくお願いします。 2年半同棲していた婚約者が今月に入り入院。2週間で急変し亡くなりました。彼は外国人であり,空手の師範を取得修行の為に日本に来ており日本に身内もなく、本国の母親もそちらで埋葬してくれと頼まれ荼毘に付しました。 病気がわかったその瞬間から、最後まで看取りました。最後,私の名を呼び “愛している。何が起こっても君のせいでは、ない。道場の仲間には、ありがとうと。そして道場の先生には,成し遂げる事が出来なくて申し訳ない、私を道場に向かいいれてくれてありがとう。愛猫の名を呼び、お母さんと言い…また私へ愛していると述べ、病気と闘ってくるから。”と述べ、 更にあれ、ここは元の病院だ、新しい病院じゃないよ、なぜ?と私に問い、私は嘘をつき、今は苦しさをとるだけ。そして新しい病院へ運ぶからね、と伝えて病院のスタッフが私を止めるまで手を握りしめていました。。 最後の日は1日でいいから普通の日を過ごし母親に説明をしたいという希望でした。主治医も付き添いながら帰宅し、私も考えが甘かったのでしょう。最初は、”太陽だよ。やっと家に帰れたね、お腹空いたよ、”などと言っておりましたが、2.3時間で急変。あの苦しい表情が忘れられません。意識は一度戻り、先程のべた言葉を言って息をひきとりました。。 彼の道半ばでの無念さ、死への恐怖や悔しさ。また,私は何故あの時強く自宅へ帰る事を強く止めず転院までの話を一緒にしてしまったのかという最大の後悔と、もちろん大切な人でありましたが彼を本当に愛していたのかと悩む瞬間もありながらの同棲生活。彼がどれだけ私を愛していたのかを最後の瞬間にまで伝えられ,深い愛情に悔いの涙しかありません。 今後,49日を過ぎた時の御遺骨を本当に私が預かっていいのか,やはり本国へ送り帰した方がよいのかと、現実問題としても悩みがつきません。彼の母親は精神が不安定な為,日本で埋葬していいと言ってはおりましたが確かかはっきり分からない状態です。 彼の無念さ、大切な人を失った哀しみと後悔の念、この先どうしたらよいのか、とこの気持ちに雁字搦めであります。。お言葉を頂ければ幸いです。1日、1日を生きていくという事は分かっておりますが、雁字搦めの心に、、とても生きていく事に疲れており、苦しいです。

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『本家』『分家』とは?

私の実家はあるお寺の檀家です。 私の父は三人兄弟の末っ子ですが家を継ぎ同時に本家の墓も継ぎました。 長男(私にとって伯父。仮Aさん)、次兄(こちらも伯父。仮にBさん。Bさんは自分の墓をすでに購入済み)は家を出てそれぞれ家庭を持ちました。 私は女の一人っ子ですが嫁に行き、本家を継ぐことはなくなりました。 そうこうしているうちに父の長兄夫妻が突然亡くなり、続けて父も亡くなりました。 A伯父夫妻はあまりに突然亡くなったのでお墓の用意がなく、『お墓が決まるまで』というA伯父さんの息子(私の従兄)との約束で本家の墓に遺骨を仮安置しました。 この約束はお寺さんもB伯父さんも了承済です。 この時、父はすでに病床にあり、この直後父も亡くなりました。 今回お尋ねしたいのは『本家』『分家』とは?というものです。 この話し合いの時、A伯父さんの息子から『〇〇家の名前をこれからも引き継いでいけるのは自分』と言われました。 この時、本家の墓を管理しているのは父で、父が亡くなったら母、そのあとは私が墓を引き継ぐつもりでいましたので、従兄の発言は一蹴していました。 あれから数年経ちますが、従兄は伯父夫妻のお骨を本家の墓から出す気配はありません。 先日、お寺へ行った時、お坊さんから『お母さんから娘へ早く管理者継承の手続きをしなさい。そうしないとA従兄に墓を取られちゃうよ』と言われました。この『取られちゃう』が心に引っかかっていて、知り合いの年配の方に相談したところ、 お墓は「〇〇家の墓」という男系のもの。 父が亡くなった時点でうちが『分家』、 A伯父の息子が『本家』となるといわれました。 お寺から母→私へ管理者の継承を勧められて管理者が私に移っても私の一家(私や私の夫や子ども)がその墓に入れるわけではない。それが菩提寺と檀家というもの、と言われました。 父が亡くなった時点でうちが『分家』になるのですか?あの時、お坊さんに『取られる』と言われたのはこういうことなんでしょうか? 母娘とも以前から菩提寺に少々不信感があり、従兄との揉め事ももうたくさん。もしうちが『分家』になるのでしたらお墓の権利をA従兄に譲り、父のお骨を出したいと思っています。 B伯父さんに間に入ってもらいたいですが・・・少し認知症気味で、ちょっと難しいかも、です。

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弟を亡くし、毒親だった母との関わり方

両親は私が小5のときに離婚し 母がすぐ連れてきた再婚相手が酒乱でした。 話しは聞いてもらえず 年齢に合わない家事を押し付けられ 否定されながら育ちました。 酒乱は暴れ警察沙汰もありましたが当時は何もしてくれず。児童相談所に預けられるレベルだったと思います。 徐々に生活は改善されましたが私も18で家を出て、結婚してからは落ちつけると思った矢先に弟が亡くなったのです。 弟が生きていた時から私は年々母に対して少しの言動でイライラするようになり、弟が亡くなりすぐ子供を産んでから酷くなったと思います。 自分も母となり母がしてきたことが理解出来ないからです。世間体ばかり気にして再婚を嫌がる子供達の意見を無視し精神を傷つけ続けた母を許せません。 弟が亡くなり自分がしてきた事をようやく考えるようになったのか母はだいぶ大人しくなりましたが、いくら気持ちをぶつけても私の心が晴れません。 弟が亡くなったことも、どうしても家庭環境が違っていたら避けられたと思ってしまうのです。 弟との思い出を振り返ると二人で留守番し、私もストレスから幼い弟にも家事を頼み断られ いつも喧嘩していたことを思い出します。 よくいじめてたよね。仲悪い と私達が大きくなってからも母は言ってきました。 成人してから弟とご飯に行ったり数回髪の毛を切ってあげることもできましたが 私をどう思ってるか聞くことはできず、 弟はそう思って死んでしまったのか 弟にとって私は頼りない怖い姉だったのかと、10歳だったとはいえ母にされたことを弟に当たった自分がクソ過ぎて死にたくなります。 母が死んでしまうかもと思っても どれだけ誓っても優しくできないのです 仲良くしたいのに母を前にすると 棘だらけの自分になります。 母と関わるなら精神科に行かなければ 自分を保てないレベルだと思っています。 母のことで苦しむのはもう辞めたい。 母が死んでしまったら、葬式や手続きをするのが全て自分だということ。 それもかなりのストレスです。 子供に何されるかわからないので 弟の遺骨のある実家に帰れないこともストレスになります。 母は未だに自分の生活のために 離婚している癖にあの酒乱と一緒に生活しています。 そういう母の性格も母として底辺 女として気持ち悪いのです。 話しが複雑で申し訳ありませんが 幼いころから15年以上悩んでいます。

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亡くなった母について①

母は、3年近く前、数ヶ月の壮絶な病との戦いの末70代で亡くなりました。亡くなる直前まで、仕事(専門職)をしていました。 病が分かった時点で、母は死を覚悟しており、エンディングノートを遺していました。そこには家族への感謝とともに、お葬式、お墓はいらない(父は健在、他県出身で次男、住んでいる所はもともと母方の地元です。また父母とも無宗教)こと、遺骨は拾わないでほしいと記されていました。これは、生前、母が私たちに直接言っていたことでもあります。亡くなったら、近しい人を呼んで、花をたくさん、あとは母が好きだった曲をかけてほしい、病院、お別れ会の費用は、母の貯金から支払うよう、指示してありました。父は、すべて母の希望通りにしたいという考えでした。 しかし、亡くなった時、母方の親族(兄弟たち、私から見て叔父、叔母)から、全くお経もあげない、御坊さまも呼ばないのは非常識だとの意見が出て、母方の実家の菩提寺(浄土宗)の御坊さまに来ていただき、通夜と、お別れ会でお経をあげていただきました。(戒名もいらないという希望だったので、その旨ご住職に伝えましたら、かなり非常識だとご立腹で、いきなり母の枕元で、○○万包んどいて!と仰り、また父のお寺不信が過熱しました) 音楽は渋々、お経が終わってからならいいと仰いましたが、母の好きだった曲のCDが見つからず、かけてあげられませんでした。 火葬場で、父に、母のお骨をゴミのように始末するのは耐えられない、拾うのが駄目でも、火葬場の方に拾ってもらって、箱につめたのを受け取りたいと伝えたのですが、母が嫌がったことを何故しようとするのかと叱られ、受け取れませんでした。 3年近くたち、今だに後悔しています。お墓もない、遺骨もない、母がちりみたいに消えてしまい、拠り所がどこにもない気持ちです。もっと強く父に頼めばよかった、土下座してでも、、という後悔や、母は、後にのこる私や兄に、お墓の維持などで負担をかけたくないという強い信念を持っていましたが、それは私たちが好きこのんでしたいことで、母に生前に、迷惑なんかではない、私たちがやりたいからと伝え、説得すればよかった、などど、いつまでも心が晴れません。 お別れ会も、ご住職のかたくなな態度で、あたたかいとは言い難い雰囲気でしたし、後悔ばかりです。

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検体になる

私は、私自身が脳死状態になった時、臓器移植希望で、使える臓器は必要な方にお譲りしたいと考えております。しかし、両親が(私の)臓器移植に反対なので、今はまだ免許証の裏などの記入欄は空白にしている状況です。仮に年の順に行けば、ですが、両親が亡くなった後は、私の意思のみで臓器移植可能だと思うので、年齢的な部分をクリアするなら、是非とも私の臓器を使っていただければと思っております。他にも、いろいろ考えております。身内が肝臓を悪くすれば、生体肝移植をしたい。腎臓は2つあるので、差し上げても構わない。骨髄移植のドナーになるのも良い。最近では、今で1年と9か月、髪を切らずにいるので、このまま伸ばし続けてヘアドネーションするのも良いアイデアではないかと思っています。私自身、病気を患っていて、毎日、大量の薬を飲んでいるので、どこまで世の皆様の助けになれるか分かりませんが、病気なら最後の手段は、医学生の解剖学の検体になることぐらいしか思い付かないなぁ…と考えております。一番身近な献血は、今の状態では無理なので、回復次第、貢献出来ればと思っております。病院の輸血部という部署にい、たくさんの血液製剤を扱うクセに、自らが献血が出来ない、というのは非常に情けなさを感じてしまうところです。「生」に執着がなく、「死」をとても身近に感じている、私。将来、「最終的には検体に」という考えは、仏教ではどのように捉えられるのでしょうか?お教えいただきたく存じます。

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強迫性障害。特に不潔恐怖が酷いです。

死者の、お見送りを、お手伝いなさる、お寺様方にお聞きしたいです。よろしくお願いいたします。 去年家族を二人亡くしました。とても辛かったです。 収骨をしている時の事です。フワッと、無数の灰が舞いました。 それを、見て何とも表現のしにくい気持ちになりました。 近い気持ちで言うと。恐い!嫌!心地の悪いがとても近いです。 家族の灰や遺骨なら、平気なのですが、火葬場は死者がお世話になる施設。 古い火葬場の為、たくさんの人たちがお世話になった所。 今日も私たち家族の前に、火葬があったかも?舞った灰をみて、収骨室の床に、 家族以外の、遺骨や、灰が、落ちているかも? と、とたんに、恐怖を感じ。靴で踏んで、車の中へ、家の玄関へ、連れて帰ってしまう。そんなイメージが生まれ。 もう一年も過ぎようとしているのに、その恐怖から、抜けられません。 火葬が終わると、親族の肩に灰が乗っていました。私は怖くなり、上着をそっと脱ぎ揺すりました。 親族は、肩や靴の裏に、灰をつけたまま車へ乗り、それぞれの家へ帰って行きました。 それから怖くて、実家に上がれません。姉の家へもあがれません。 連れて帰った灰が、まだどこかにある気がするのです。家族のものなら気にならないのですが、知らない方だから、恐いのだと思います。 それから、お店へ寄りたくても、喪服の方を見かけると、そのお店を避けてしまいます。 喪服の人たちが、灰をそこに置き去りにして行くような。 お魚だって、お肉だって、グリルで焼いて、食べ終わったら、お魚の骨は捨てます。 触れます。床に落ちていても、テーブルに転がっていても抵抗なく拾えます。 人間!と言う同じ種類であるからの恐怖なのか? 灰が家にあるのはご遺体が、その場所に寝かされているのと何ら変わらない感覚に感じてしまうのです。 身動きがとりにくくなり、悩んでいます。 死者を送るお寺様方からの、お言葉て、受け止め方を変えるきっかけが、頂けるかもしれないと、相談いたしました。 私もいつか、お世話になる火葬場。そして灰となり骨となる身であること。 わかっていますが、不快感に近いものを感じ、嫌悪感を抱いてしまいます。 自分が嫌いです。死者の無念を想像してしまうから?私にも、よくわからないのです。 速度制限が来てしまい、お返事が遅れてしまう可能性もあります。すみません。

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お坊さんが怖い

先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。

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分骨したものの…

昨年11月に8年連れ添った夫が病死しました。 葬儀は住まいと勤務先の有る自宅近くで行いました。(北日本) 当然、埋葬(納骨)もこちらのお寺にするものと考えていたのですが、葬儀の打ち合わせ時に、夫の実家の菩提寺(関東)に埋葬すると義両親より伝えられました。 何とかこちらの気持ちを組んで頂くよう話し合い分骨して貰ったのですが、張りきって(語弊はあるのですが)遺骨を持っていった割には、祭壇に御供膳やお団子などお供えするわけではなく、終いには、前日の残りご飯で良いかね〜などと言う状態。 息子を連れて帰りたい気持ちはよくよく分かるのですが、日々の供養に対して温度差がある様で私としては腑に落ちない気持ちでモヤモヤしています。 (陰膳として仏壇にご先祖様の位牌があり、長く供養をしています。) 地域差が有るのは重々承知しておりますが、私としては嫁に取られた息子を取り返したとしか見えなくて…残念です。 かと言って、私と息子で遺骨を抱えてしまっても、これから先の人生で何があるか分からないとも考え、義両親が健在のうちは供養をお願いしようと決めたのですが。 分骨したので、私と息子の思うように供養はしており、この先もしていくつもりです。 が、このモヤモヤした気持ちのまま、義両親と今後も付き合いを続けていく事にとても抵抗感を持ってしまいました。 しかし、義両親にしてみたら息子(孫)が一族の跡取りで(初孫で男の子、他に孫はいない)、かなりの期待が今から鼻息荒く見えています。 四十九日を前にして「母親が子供が居るのに女に成ってはいけない」と釘を刺される始末。 息子のことを思うと、父親の存在は避けて通れない事。亡くなった夫を忘れさせる必要は有りませんが、成長していく上で何かの形で父親としての存在が必要になるはずではないかと考えます。 私が踏ん張って母親と父親の二役をやれば良いのでしょうが、私も人間。心が折れることもあることでしょう。 この先、自分はどうあるべきなのか… 考えれば考えるほど思考が停止して、頭の中が白紙となってしまいます。 今後の義両親との付き合い、息子にとっての父親、自分の人生、、、 どれも重くて、簡単に答えを出してはいけないと思い、余計に自分が苦しくなってしまいます。 何か良いアドバイスを頂けると、この先の道標になるかと思います。宜しくお願い致します。

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墓守はいるけど…いない?

主人の実家のお墓ですが81歳の母親が一人でみております  実家は少し遠く車で2時間近くかかります お彼岸お盆には主人と私も墓掃除を必ずしております他に兄弟がいますが…主人はちなみに四男です 長男は失踪して居場所もわかりません 私達夫婦がたまにお墓を見てる見ないにかかわらず他の兄弟達は ほったらかしになっています  お墓が山の上にあり母親もなかなかお墓に行けなくなってきました  母親は亡くなったあとお義父さんの遺骨をお墓から掘り出して一緒に海に撒いてお墓を返還してくれと言っております  お墓には先代様が何人入っているのか不明ですが…(母親も知らないみたいで) 自分が亡くなったら墓守する人もいなくなるだろうし お墓はほんとは残したいけど 管理も大変だし返還してもよいと言っています  その事を住職さんに母親がお伝えしたら 1体10万円で返還できますとの事 何体お墓にはいっているか分からないので掘りおこさないと分からないみたいです 連絡がつく兄弟に聞いたら私も含め 全員それぞれの生活もあるし借金もある為これ以上借金できないと言った感じです 兄弟みんなで割ったとしても きびしくて払えないと答えます 母親も年金で2ヶ月に1回八万円をもらい暮らしてる感じで財産はありません 実家は本家らしいのですが主人も主人の兄弟も本家に住みたくないみたいで 会社から遠くて通えないため) お彼岸とお盆に必ず 住職さんが本家に拝みにきてくれてますが 母親が亡くなったあと住む人がいなくなると 無人になるので 住職さんが拝みに来る窓口もなくなりますし… 母親は本家だけど 自分が亡くなったあと取り壊してくれても良いと言っていますが ごみ屋敷で…ぶっちゃけ家を壊し更地にするとなると200万くらい逆にお金がかかります お金お金と連打して言っていますがホントにどこからも湧いてこないのでほとほと困っています 母親が亡くなったあと お金がないから お墓を返還する事も 本家を壊すことも出来ず ご先祖様はお怒りになられるかどうかもわかりませんが… 兄弟ともうまく連絡もとれず集まろうと言っても集まってもらえず まだ母親が生きてるうちに今後どうするかを決めたいのに決まらずほとほと困っています どうしたら良いのでしょうか?   

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祖父の自殺から立ち直るには

祖父が先日自殺しました。病死した祖母に会いたかったのだと思います。 亡くなった時に祖父が着ていた服のポケットに祖母の写真がたくさん入っており、遺書にも「これで祖母のところに行けます」と書いていたそうです。 祖母の49日が終わるまで決行すると決めていたのでしょう、遺言書の作成や身の回りの整理や手続きを知らない間に済ませていました。カレンダーに書いていた命日以降の予定にもバツ印をつけており、亡くなった時間も祖母の死亡時刻と同じ(推定時刻にはなりますが)で発見されるまでもがき苦しんだ跡もなく両手に握りこぶしを作っていたそうです。 死んで祖母に会う覚悟を決めていたのかもしれません。 祖母の遺骨は祖父の49日と同時に納骨することになり2人の遺骨を並べているのですが、それを見て「祖父はこうしてほしかったのかもしれない」と私は思っています。 祖母に会えるなら死ぬのも怖くなかったのでしょう。 それでも、1人淡々と準備を進めている祖父の姿を想像すると苦しいです。最近手術したばかりで成功し助かった命でした。健康に人一倍気を使っていましたし、もっと長生きすると思っていました。 一番不安なのは、祖母に会えているかどうかです。自殺すると、地獄に落ちる、死んだ瞬間の苦しみが永遠に続くとよく聞くため、祖父が向こうの世界で穏やかに過ごせているか心配です。 祖父が亡くなった日、父が夢で祖父と祖母が手を繋いで歩き父の方を向いて笑っており、今まで亡くなった親族が全員出てきたそうです。「会えたよ」というメッセージだったのでしょうか。 そしてこれから私はどのような気持ちで過ごしていけば良いのか分かりません。

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お寺変えるべきか悩んでます…

昨年長男である旦那が正式に墓守に。 去年墓経時に棚経もお願いしても連絡なし棚経も来てもらえず。 今年も盆前墓経時に棚経をお願いしてて、連絡なしで7月末にポストに名刺だけあって夜に連絡をしたら「棚経に行ったけど不在だった」と。 連絡もなく来て不在と言われても共働きで常に家に居るわけじゃないし、日時を指定してもらってその日は電話を切りました。 棚経は午前中との約束だったので、義母も9時前には我が家に。10時過ぎ確認も兼ねてお寺に電話。 「住職が他所回ってるから午前中は無理、午後に行く」と。 11時半過ぎに電話がかかってきて「午後は施餓鬼があるから棚経は無理。お寺来たら一緒に棚経のお経あげてあげてもいいけど?」 去年はお願いしても無視、 今年は連絡もなく勝手に来てその後約束した日時は来れず、上からの物言い。 何のための約束か⁈と旦那も義母もブチ切れ。 実は仏壇開きもやってもらえるまで2年かったという経緯が。 元は旦那の祖母が檀家、義父と曽祖母の位牌を義母が管理をしてました。(祖父は祖母が勝手に集合墓地に遺骨を巻いてしまいこの時は位牌なし) 当時、義母の再婚があり長男である旦那はまだ未成年。墓守は無理で、出来る歳になるまではお寺に位牌を預ける形をとりました。 5年前に祖母が他界。その際叔父が別宗派で葬儀、納骨もしないまま2年。叔父の方から祖母の位牌と遺骨をそっちでどうにかして欲しいと連絡があり、これをきっかけに成人した結婚もしたと旦那も墓守を決意。菩提寺になるお寺で祖母の戒名と祖父の相談、位牌の引取りをお願いしました。 はじめはお寺も対応が早く、 叔父から位牌遺骨引取り→その日のうちにお寺へ行く事ができて、4人の位牌も早くに受け取る事ができたのですが… その後からはぐだぐた。 お寺へ行ったのが秋の終わり。 これから寒くなるから納骨は春先、その時に仏壇開きも、との事。 春になりでも連絡はなく、こちらから連絡。納骨当日はその日別の方の納骨があってそのついで?な扱い。 仏壇開きも仏壇等を揃えた状態でお願いしてましたが、納骨以降仏壇開きの連絡なし。墓前法要の度に直接話しても「また連絡する」の繰り返しで、我が家が引っ越す話をしてやっと返事がもらえて漸く…な流れ。 こんなに適当なら同じ日蓮宗の別のお寺さんに変えた方がいいのか?と思ってしまうのですが…。

有り難し有り難し 40
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