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hasunoha 問答検索結果 : 「私 あの世 」
検索結果: 740件

葬式のお経

何故、葬式でお坊さんがお経を誰もわからない言葉で長々と読むのでしょうか?なぜそこにいる人々にわかるような言葉で読まないのでしょうか?あれじゃただの雑音です。 せっかくですし自分はお経の内容を知りたいと思っているのに、あれじゃ時間の無駄です。 ただでさえ悲しいのにあんなに長々と意味のわからない音を聞かせられるとか、お坊さんが人々にさらに苦しみをあたえています。 ああいう喋り方じゃなきゃ死者があの世に行けないということはないでしょう。 木で木を叩いて音を出し、声帯から決まった音を出さないと死者があの世に行けない理由もないでしょう。 ありがたいことを読んで悲しんでいる人の心を楽にさせてあげているわけではないでしょう。誰も理解できていませんから。 ああいうやり方にしないと死者への敬意を表せないわけではないでしょう。葬式で大事なのは心から悲しむことで、心から悲しみさえすれば決まった一つのやり方でやる必要はないからです。 自分が推し量るに、ああいうやり方じゃないとありがたみがなくなり誰にでも葬式ができるようになって、お坊さんが金儲けの手段を失うからだと思っています。 悟りを目指し、人々を救うことを目指しているお坊さんが、そのような誤魔化しをして金儲けをしている理由を教えてください。 攻撃的に感じるかもしれませんが、これは子供の頃から気になっていたことなので。どうか誤魔化さずに本当のことを教えて下さい。

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母を亡くしてから孤独感がつきまとう

お世話になっております。 以前にもこちらでご相談をさせていただきました。いつも読み返しては心救われております。 前にも相談させて頂いた母が亡くなり一か月余り。何度もお坊様方からのご返信を読んでおります。しかしなかなかうまく心の整理はつきそうでつかず‥ふと、どうしようもなく寂しく、悲しく、苦しくなります。 心が抉られるような気持ちになります。 自分の職場の先輩や母の友人から「今は暫しのお別れで、またいずれあの世で再開すると思うことで少し気持ちが楽になるよ」と言われます。そのような考え方を信じながら日々を何となく、だましだまし生きています。 子供が2人いるので日常はバタバタとしておりますが、もうこの日常に母がいないと実感する度に心が折れそうになってしまいます。 これまでいつも一緒に子育てをしてくれていて、支えてくれていた母だったのです。 早い、早すぎる、なんで母なの‥そんな思いが消えません。 外は暖かくなり、母が好きだった花が咲き、散歩が心地よい時期に一緒に居られないと思うと、世界が色を失ったような気持ちさえしてきます。単純に毎日を生きることが苦しいです。私も子供がいる母親だというのに、こんな甘えた気持ちでいるのは恥ずかしい限りなのですが、やっぱり母が大好きだったので気持ちの切り替えができずにおります。 49日の法要は来月ですが、初めから分骨についても決めていて、少しだけ手元に残し供養するつもりです。賛否諸説ありますが‥大丈夫でしょうか。もやもやしてしまいます。 諸々、心の在り方をご教授頂きたいです。 まとまっていなくて申し訳ございません。 この後の気持ちの持ち方、切り替え方、考え方、なんでもいいので気持ちが前を向くようなお言葉を頂けませんでしょうか。 どうしても苦しいです。

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亡くなった母に会いたい

先日もこちらでご相談させて頂いた者です。 最愛の母が亡くなってからもうすぐ3週間になります。葬儀のとき目の前で眠っている母を見て「あぁ本当に死んでしまったのか‥」と現実を突きつけられものの、やっぱりまだ実感がないというか、受け入れ切れてはいません。 でも亡くなる前や亡くなった直後は毎日のようにところ構わず泣いてしまっていたのですが、葬儀を済ませて忌引休暇を取って何とか無理矢理にでもと仕事に復帰したくらいから妙に落ち着いたような、麻痺しているような感覚があります。つらい悲しい苦しいと思う気持ちは引き続きあるものの、母がいてくれたらもっとこうだったのに‥などと思わないように割り切っていかなければという気持ちも出てきました。 母がいたときの幸せな日々を遠く感じるというか‥実際よりも長い時間が経ったような不思議な気分です。とても寂しいです。もしかしたら防衛本能でそう思っているのかもしれません。現実を直視したらつらすぎるので。 どこかで自分の親はきっとずっともっと長く生きるだろうという思い込みがありました。まだ60代後半でしたので。 母が亡くなった後はまるで自分の一部を失ったかのような喪失感があり、心が常に重たい気がします。前述したような、落ち着く時間が増えたものの、急に不安定になり子供たちの前でも突然涙を見せてしまいます。毎日お線香をあげて母に話しかけています。こんなに寂しがっていては母は成仏できないのでしょうか。 49日の法要を来月控えていますが、分骨して部屋にずっと置きたいと思っています。夫もそれでいいと言ってくれました。 母のことが大好きで、いないことが実感できず、気持ちがグルグルとしています。 絶望感、割り切り、逃避、など感情の起伏が激しくてコントロールができません。 人は死んだら先祖に会える、というのを心から信じていたい反面、死んだら無になるのでは‥と、ものすごく寂しい気持ちにもなります。 どうしても母に会いたいです。母は今も近くで見ていてくれているのでしょうか。あの世で先に逝ったご先祖様たちと会えたのでしょうか。 突然の死でしたので、話がしたいと強く願ってしまいます。またすぐに会えるような気さえしてしまいます。

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父が亡くなりました

父が8月に46歳で脳幹出血に倒れそのまま亡くなりました。先々週に百か日を迎えました。 お坊さんから「百か日はこれまでの悲しみを乗り越えて普通の生活をするための節目」だと聞きました。 私は今の今まで父が死んだなんてことは実感しておらず長い長い出張に行っている感覚でした。いつ作業着で帰ってくるんだろう、と、そんな気持ちで待っている自分がいたんです。だから、倒れた時の父の顔を思い出したり写真を見れば涙は出ますが、普段悲しいと心の底から思ったことがありませんでした。 でも昨日、たまたま寄ったパン屋さんで流れていた曲が昔父と二人美味しいと言いながら食べたラーメン屋さんで流れていた曲で、その時初めて「あ、父は亡くなったんだ。もう一生あのラーメンを父と一緒に食べられないんだ」と実感しました。 昨日はたくさん泣きました。 いないと思えば思うほど涙が出て今も少し思い出すだけで涙が出そうになります。 今まで頑張って1位を取っていた定期試験もなぜか頑張るのが怖くなってしまいました。 褒めて欲しい人がもういないんです。 乗り越えたいなんて思えません。でも乗り越えないといけないのは痛いほどわかります。 私が今しなければならないことはなんですか? 父が今私にして欲しいことや私にして欲しい生き方がわかりません。私が今したいことは父とまた会話することです。おはようだけでもありがとうだけでも父に言って「なんもだよ」って言われたいだけなんです。

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