以前は、あの世も、生まれ変わりもあると思ってたのですが、 最近、あの世が無いように思うのは、 物質主義になってしまったのでしょうか
以前から気になってたんですが、お坊さんが質疑応答してくれると言う事なのでドンピシャやと思い文章作成するのが下手ではございますがひとつお付き合い願います。人間はあの世から生まれ死んだらあの世に帰ると言いますが一体あの世とはどういった世界なんでしょうか?天国と地獄とかありこの世で悪い事をして来た人間はエンマさんに罰を与えられるんでしょうか?
自分はクリスチャン家庭で育ちました。天の父(神)とキリスト(神の子)を信じれば救われるという教えで日々祈り、聖書を学ぶということを約12年間続けて高校生である時ふと疑問に思うことがありました。 仏教もイスラム教もヒンドゥー教もキリスト教もどの教えも悪ではなく善を教えていて、どの教徒も疑うことなく自分の信じたモノに誠心を捧げて真摯に向き合っているのにどれかが答えで他はアウト、地獄に落ちる、罰をくらうというそんな酷いことあってたまるのだろうかと。 ましてや生まれつきの環境もあるだろうし、出会い方もそれぞれだろうし、無宗教もいるだろうし、そんな一つのものに答えがあるのなら世界人口の三分の二以上は落ちるのではないかと。 母に言及すると跳ね除けられてキリストを信じれば救われるの一点張りです。 牧師にも言及しましたが『信じないものたちは終わりの日(キリスト再臨の日)に悔い改めるチャンスがある。信じなさい』と言われました。 個人的にはそれがすごくショックで幻滅しました。 そこで自分は宗教というものから一旦離れて自分なりに解釈してみました。 この地球を一種の魂の試験場だと考えて良い行い(人に感謝されること)をし、肉体的にも精神的にも人として成長し、全うして生きれば魂ポイントが上がって皆等しく天国に行き、当分そこに留まった後また輪廻転生し、悪を働けば魂ポイントがマイナスになりその回収として地獄で訓練的なものをする(借金状態)、回収後は輪廻転生。 そしてこれを繰り返して魂ポイントがある一定数貯まると次のステージ(4次元とか5次元)でまた訓練して魂レベルを高めて最終的のゴールとして神(世界の創造主)と一体化もしくは神に近づく、という結論に至りました。 御先祖様、守護霊様の存在は固く信じてます。 ぜひ僕の考えについてご指摘あれば伺いたいです。 またお坊さんとしての解釈、回答者様自身の解釈を聞かせていただきたいです。 最近この事でムヤムヤしてろくに眠れてないです…。
以前旦那さんが亡くなってすぐに質問させていただきました。 あれから3ヵ月半経ちました。 たった3ヵ月半ですが、私はもう何十年生きたくらい、生きるのに疲れました。 旦那さんとお別れした当初は、これからは色んな人に助けてもらえると思っていました。 けれども今、誰にも自分の気持ちを話さず、1分1秒ごとにくる苦しみを1人で耐えている地獄のような毎日です。 歯を食いしばりすぎて、そろそろ顎が割れそうです。 両親には毎日夫婦のやり取りを見せられています。 ご飯の味が濃いか薄いか、私の息子が今日こんなことをした等、毎日小さなことをなんでもお互いに報告する姿を見せられています。 もう彼らにとっては日常で、芸能人の訃報がテレビで出れば、へー!死んじゃったんだ!と言われます。 お父さんとお母さんでベビーカー押してる人がいたよ!と言われます。 義理の家族には、百箇日の法要を勝手に私の誕生日に開催されました。 その時に、あなたの誕生日だから、よかったら来ない?家族のみでやろうと思ってるの!と言われました。 彼の家族は私と息子なはずなのにおまけです。 私の誕生日に彼は喪服を着て祈ってほしいと思っているようです。 また納得できないから、彼の健康診断の結果を見せてほしいと言われました。 妻の私の至らなさをあーだこーだ言われそうです。 それらを聞いても、私の両親は義理の家族に何も言いません。 むしろ返事をしない私が失礼をしたと、謝っています。 友達も最初は連絡してくるくせに、今はほとんど連絡してきません。 私に死なないでほしいと言います。 でも何も助けられなくてごめんと言われます。 彼を失っただけでも辛く悲しいのに、世界はさらに私を傷つけてきます。 味方は旦那さんだけだったと、つくづく思い知らされます。 もう生きるのが辛い。 息子を養護施設に置いてくる勇気さえあれば、すぐに死ねます。 息子の前では必死に笑っていますが、毎日何度も何度も死にたいと口にしてしまいそうです。 自殺する方の気持ちがよくわかります。 生きるのが辛いんです。 死んで、周りの人たちにどれだけ苦しいか思い知らせてやりたいんです。 この世界に味方はいない、誰も助けてくれない。 なぜ、私は生きなければならないのでしょうか。 彼を救えなかったのは私です。 謝っても許されない、その罰を受けるので、誰か私を殺してください。
初めて質問をするものです。 3日前に祖父が突然他界しました。祖父は金物の職人で、趣味は仕事と車でした。性格は優しくて、誠実。堅物ですが、家族を何よりも1番に考えている人物でした。 突然死で亡くなる前日に祖父と普通に会話をし、亡くなる直前まで仕事をしていました。そして、好きな車の中で亡くなりました。 急なことで驚きが強かったですが、現在は少し落ち着いて祖父の死を受け入れつつあります。 そんな時に思うのが、10年前に病死した祖母のことです。 祖父と祖母はあの世で出会えているのか心配です。 私の家の宗派は浄土宗です。あまり宗教に詳しくないので極楽浄土がどんな所か想像が出来ません。 祖父は祖母が亡くなってから寂しかったと思うので、出会っていて、楽しく過ごして欲しいのが私の願いです。 あの世や極楽浄土があるなら祖父と祖母は出会えているのでしょうか? そして、私や他の家族が死んだ時、また家族みんな出会うことが出来るのでしょうか? お答えして頂けると嬉しいです。
私の母は8年前に肺がんで亡くなりました 対人恐怖症でもありました でも全く気づかないくらい明るかったです しかし、今思えばキッチンに大量の処方薬があったこと、私は風邪薬や頭痛薬だと思い気にしていませんでした 気づいてあげられなかった事に後悔しています 母は買い物依存症だったのか、多額の借金がありました 私が中学生の3000円のお小遣いに始まり、お金の無心に来るようになりました 就職して十一万のお給料から30000円家に入れていましたが、それでも足りずまた無心することもしばしば 十三万のお給料から七万渡したこともありました そんな時暇つぶしに登録した出会い系サイトでメル友探しをしていましたが、また30000円貸してと言われ、やけを起こし身売りしました これで母が笑顔になるならいいと思いました 笑顔で受け取っていました 私が何をしたかも知らずにです 恐らくこの事が原因で統合失調症になりました 常に周りを気にしていました そして今は精神科に通院していますが、一向に良くなる気配がなくむしろ悪化し幻聴が出てきました 精神科に通う前母が亡くなった後、祖母の病気の結果を総合病院へ行ったのですが、中学校の同級生に通りすがりに死ねばいいのにと言われました もう一人は笑っていました その人は私を物凄く嫌っていたので幻聴ではありません 天性人語という言葉がありますが、天の声だったのでしょうか? 未だに忘れる事が出来ず、本当に母があの世に連れていってくれたらと毎晩泣いています どうしたらあの世に行けるでしょうか? 魂を抜いて欲しいです 長くなりましたがよろしくお願いいたします
彼氏が事故で突然死にました。 世間的には許されない恋愛を何年もしていましたが、全ての解決の見込みがたちました。 しかし結婚の予定がたった矢先彼は 突然事故死しました。 事故後数日間の記憶はなく お通夜、告別式も終わっていました。 涙に明け暮れる毎日で 何日も寝込み点滴で生きる日を過ごし、今日に至っています。 本当に優しく、私を気にかけてくれる彼でした。 私もいつも甘え、頼りにして過ごしていました。 彼の居ない人生なんて考えられませんが どれだけ待っても帰ってきてくれません。 それでも死んだなんて信じられません。 彼の魂は傍にいるのか、私を必ず守ると約束したのを忘れずに見守って居てくれるのか、いつかは会いにきてくれるのか お墓を知らないので行くことも出来ず写真に毎日話しかけては泣いてる日々です。 宗教には詳しくありませんが、彼の実家のお墓が曹洞宗なのは知っています。 世間的には良くない恋愛でしたが私達は本気でした。 あと少しで幸せに手が届くところで居なくなってしまった彼。 今はどうしているのでしょうか。 傍にいるのでしょうか。 話しかけてるのは通じてるのでしょうか。 いつかはまた会えるのでしょうか。 今は幸せに過ごしているのでしょうか。 良くない恋愛だったので地獄へ行ってしまったのでしょうか。 曹洞宗はあの世を認めないような文章も読みましたが、本当に考えるだけ無駄なのでしょうか。 精神的ショックで薬を手離せない私は立ち直れない日々です。 藁にもすがる思いで書かせて頂きました。
はじめまして。 この世に生まれ、70年の日々の積み重ねを、 自分なりに陰日向無く一生懸命、過ごして参りました。 しかし、時には思うようにいかない事も日々ありましたが、 自分なりに頑張って生きてきました。 以前に母を亡くした時に、雲の上まで一緒に道案内をした不思議な夢を見たのですが、 その中で「白い箱の贈り物」を渡された事もありました。 昨日には両親が「大きな蓮」の上に座って雲に浮かんでいる姿を夢の中に見せてくれました。 そこで目は覚めました。 とても、綺麗な姿でしたが、ただ見つめるだけで、何か言いたげな表情でしたが、何が言いたいのかは、わかりませんでした。 「私に何を言いたかったのか?」 「今後、どうすべきなのか?」 教えていただきたいです。 よろしくお願い致します。
毎日、毎日、亡き妻を考えます。日増しに寂しくて、寂しくて。写真を見れば会いたくなります。死んだら、あの世で再会できるのでしょうか?
死んだらお金はあの世に持っていけないといいます。 才能(技能)は、来世に持ち越せるといいます。 最初から才能があって上手くできる人は、前世より何代も前からその方面に関する努力をしてきたらしいです。この説明は、私は本当に納得できたのですが疑問があります。 知識は持ち越せるのでしょうか? 一生懸命学んでも、人は死にます。脳みそも死にますよね。生まれたときに、前世で学んだ知識はありません。 今世で必死こいて勉強する意味って、ありますか? 私は勉強をしたくありません。昔から塾に通ってコツコツと勉強していたわけではないので基礎学力が低いです。最高で偏差値50くらいです。 そんなイライラします。勉強を開始しても、自分よりも効率よくできる上の人と比べてしまって嫌になります。 趣味の小説の題材にするための勉強(魔術の歴史や銃の扱いなど)すらも、理解の遅い自分にイラついて手につきません。 質問です。あの世に才能(技能)は持っていけるとして知識は持っていけますか? 勉強できない私をどうか助けてください。
仏教では 宗派が違うとあの世で別れ別れ 霊になっても生き別れになる と言う解釈になるのですか? 私は歴史小説などを読むのが好きです そこで出てきた話ですが 徳川家康が亡くなる前、病床で藤堂高虎(伊勢国津藩主)に対して 「宗派が違うからあの世では会うこともできない、今が名残惜しい」 のようなことを言い 藤堂高虎が 徳川家康と同じ宗派に改宗した と言う話があります。 これは 仏教では当たり前の考え方ですか? もし仏教ではなく、結婚や養子縁組などで 相手の宗派だけでなく宗教そのものまで違っていた場合 あの世ではもう会えないという考え方が一般的なのですか? ちなみに 徳川将軍家の菩提寺は 増上寺と寛永寺があったと思うのですが 宗派は違います。 どちらに葬られるかはそれぞれの将軍が遺言を残していたと思うのですが 先代将軍と違う寺に葬ってほしいと遺言した場合は 父親、兄、養父などには会えないで構わないという気持ちだったのでしょうか? そうなると 徳川家の血筋で かつ 江戸時代後期は 養子縁組を繰り返した 会津藩の場合は 代々仏教ではなく 神道でしたが 養子に出る→死後は親に会えない と言う覚悟が必要でしたか?
お坊さんは霊の存在 あの世の存在について 「真実はどこにあるのか」意見交換のようなことはしないのでしょうか? 普通 専門分野には 「学会」などがありますよね 例を挙げると 医者の世界なら 学会で 様々な治験結果を発表して 病気に対してどんな治療法が有効なのか 意見交換をしたりします。 そして その結果は一般人も知ることができ普段の生活習慣や食生活などにも気を遣うようになる人もいます 仏教でも宗派によって「霊魂は存在するか否か」についても見解が違うようですね。 真実がどこにあるのか情報収集をしたり学会のような意見交換はないのでしょうか? (どのように敬称を使うのかわからないので 以下敬称略で書きます。申し訳ありません) 歴史のタラレバの話になりますが もしも 最澄や空海が乗船していた遣唐使船が暴風雨に見舞われた時に海没していれば後の天台宗や真言宗はありませんでした。 法然が父親の敵討ちのために武士になる道を選んでいれば後の浄土宗はありませんでしたし、弟子の親鸞も存在せず浄土真宗もなかったかも知れません。 土御門道親が長命で朝廷の権力争いに勝ち位人臣を極めていれば道元も公家としての生き方をして曹洞宗はなかったと思います。 北条時宗が平頼綱を止めなければ日蓮は殺害されて日蓮宗はなかったと思います。 ちょっと歴史が変わっていれば、現在仏教の宗派も存在しなかったり、新しい宗派ができていた可能性もありますが それによって霊魂やあの世の存在について真実が変わることもないはずです。 多くの人に嫌われたり 尊属にも虐待されて生きてきた人 周囲と仲良くやってきて尊属の愛情を感じて生きてきた人 人それぞれです、 友人やペットなどに対する思いも人それぞれです 霊感商法に騙されて 宗教=悪と思っている人もいると思います あの世や霊魂があるのか 真実を知ることで生き方も変わってくると思います お坊さん=霊能者 ではないことはわかっていますが いろいろな人の体験談を聞いたりして 何か真実なのか調べようとすることはないのでしょうか?
生きている時の怒りや苦しみ、辛さは、あの世にいっても続くのでしょうか? 私は父が生存中に、酷いこともしました。 やられたら、やり返す。そういう感じです。 父の死後もその事に悔いが残っています。 思いついた時や毎朝、仏壇の中の父に「ごめんなさい」と思ったり、手を合わせています。 けして許してもらおうとは思ってはいません。恨んでいるなら、それでいいし、どんな天罰も構いません。 ただ、父が死後の世界、あの世で穏やかにいてほしい。そんな想いで質問をさせていただきました。 お忙しい中、大変恐縮ですがご回答をお待ちしております。 よろしくお願い致します。
お世話になります。 こちらで沢山の質問、相談を自分におきかえて、自分と似たような思いをされてる方など、読ませていただいてます。 よく見るのが、亡くなったら、仏教は、みな同じ、自死になろうが、悪いことをしてた人生であろうが、皆同じ、お釈迦様がお浄土へと導いてくださる。 しかし、別の見方では、自死はずっと同じ事をしてあの世で苦しむ… 自死の行為を何度も繰り返して苦しむとか… 地獄行きなど、針の山などある、などなど…あると聞きます… また、ご先祖様は、修行を積み重ねられ、上の方に行かれているとか… 主人がどういう場所で、どんな修行をしているのか… また上の方に行かれたご先祖さまと同じ場所におれてるのか。 考える日々です…
去年の12月7日に彼が睡眠薬を飲み自殺してしまいました。 発見は彼の親友で、苦しみの表情だった為、顔を修正してからと気遣ってくださり、亡くなった二日後に連絡を頂き彼の死を知りました。 私は仕事もあり三日後の10日に顔を見に伺わせて頂きました。 その晩に夢で、彼が棺桶から起き上がり私に抱きついてきて「寒い」と訴えて来たので(生きてて良かった)と膝の上の彼を毛布で包みました。 その時のTシャツにパンツだけの彼は、後から遺族に聞くと亡くなった時の姿だったそうです。 その後も何度も夢に出てきてくれていますが書ききれないので省略します。 それから私は、母に教えて頂いた日蓮宗のお経と毎月のお塔婆と生前彼の好きだった煙草を毎朝彼に捧げています。 彼は今、あの世で苦しんでいませんか?今触れられない自ら命を経った罪に苦しんでいるのではないかと思ってしまう愛しい彼に何をしてあげられるか教えて頂きたく質問いたしました。 どうぞ、宜しくお願いいたします。
極楽浄土は単に死後の世界なのか、生きていても到達できる心の境地のようなものなのか、どちらでしょうか? 概論的に言うと浄土宗鎮西派では死後の世界であると説き、西山派、浄土真宗、時宗、天台真盛宗では死というプロセスを経なくても到達できる心の境地であるように説いているように思えます。 鎮西派はおおらかさが売りで細部の解釈は個々人に任すようなところがあると言われますが、極楽浄土は心の境地であるという受け取り方をする人が鎮西派にもいるのか。 また、浄土宗と時宗の狭間にいる一向派などはこの辺りをどう説いているのか知りたいところです。
自宅にて療養中の母が、数日のうちに旅立ってしまうかもしれないと医師に言われました。私自身にも精神疾患があり、ここ数年は母を支えに生きてきました。そんな母を失くすことの恐怖と、これから母のいない人生が始まる不安から自殺を考えています。 自殺はいけないことだと、もっと生きたいのに生きられない人がいるのだと言いますがそんなにいけないことでしょうか。 自殺で死んでしまうとあの世で母に会えませんか?あの世で一緒には暮らせないのでしょうか? このまま独りで孤独に寿命を待ち続けるのは気が遠くなるほど辛いです。 自殺でもあの世で一緒に楽しく暮らせると思いたいです。 ご意見をいただけますと幸いです。
はじめまして。 題名通り、今生で迷惑をかけているので 諦めて自決する者です。 仕事では常に叱られ、相談出来ない相手ほど上司になり 障がい者雇用と思えないほど心に対する配慮が乏しく 常に人に見下され罵られ、何か言えば強く批判されて育ち 時折全てを擲っても構わないから憎しみを抱いた相手全員を斬り殺したくなる程の憎しみにさいなまれています。 心さえなければ、何も思わなければ、そもそも存在さえしなければ、蹂躙される痛みや悲しみも怒りも呪いも憎しみも、そもそも原因である誰かを不幸にすることは無かったのに…最近そう思い、今月のうちに「花のもとにて春死なん」の歌の通り桜の散る前に死にたいという思いが強いです。 遺書はすでに家族や就労支援者に渡しました。 ここまでして、救われたい、祖母や愛犬と再会したいと思う自分もいて浅ましく感じます。 お読み下さった方へ。ご仏縁に感謝を申し上げます。
阿弥陀如来の本願によりたのみ、感謝してお念仏を称えれば極楽浄土に往生できる、これはわかります。 しかし、この世で生きてる間に正定聚に入ったとして、それで苦しみを感じないような境地に至れるものなんでしょうか? 聖道門には六波羅蜜がありますが、六波羅蜜を行ったところで苦しみを逃れられない、というのはわかります。ただ、苦しみとの向き合い方はわかります。 浄土教ではこの世の苦しみとの向き合い方について、どのように教えてらっしゃいますか? いま浄土門のみ教えについて調べており、純粋に疑問だったので質問させていただきました。
父を十数年前に亡くしております。先日母も亡くなり、もうすぐ四十九日をむかえようとしております。 父は生前病気を患っており、父が亡くなるまで母は介護や自分が良いと思った治療を懸命に行っておりました。とにかく良くなってほしいと諦めませんでした。 母自身も重い持病があったにもかかわらず、父が病に倒れてからは私達兄弟を一人で大切に育ててくれました。 母の晩年、自分の病気が酷くなり、よく仏壇の父に向かって自分の病状を嘆いていたものです。 しかし、子供も独立しそれぞれ家庭を持って孫も産まれて、持病があってもお母さんは幸せだと言っていました。 そんな母の最後の入院中、苦しさのあまり早く父に迎えに来てほしいと訴えていました。うなされながらも感謝の言葉と父の事を何度も呼んでいました。 最後は眠るように穏やかに亡くなったのですが、意識が無かったのにも関わらず最後に声を上げたのです。 入院中に何度も言っていた「ありがとう」という皆への感謝だったのか、父を呼んだのかは分かりませんがあの声は忘れられません。 父は迎えに来てくれて、二人は会えたのでしょうか? ずっと気になっています。 どうぞよろしくお願いいたします。