いつも丁寧な回答ありがとうございます。 最近、何もかもうまくいかないし… 悲しいし、悔しいし、マイナスな事ばかり考えてしまいます。 イライラしっぱなしで、良くないことはわかっていますがイライラしてしまいます。 ハスノハで私たちの悩みを聞いてくださり、たくさんのアドバイスをくださるお坊さんもイライラすることはありますか? お坊さんたちは、皆やさしくて…心がきれいで…いつも心安らかなイメージです。 もし、イライラした時は、どのように心を落ち着けていますか? アドバイスをいただきたいです。
建立される時から祖母が友人だったため、その祖母も納骨しているお寺があります。跡取りがなく、養子の方が代を継がれました。その方が新しくお寺を建て替えるので、寄付をおっしゃっています。建て替えも反対者が多かったのですがいつの間にか決まり、寄付をしない方の祥月命日のお参りは行きません。と通達したとおっしゃいますが、誰もそういう郵便は受け取っておりません。 お坊さんとは道しるべを示す存在ではないのですか?祥月命日の供養をしたくてもしてもらえず、泣いている方もいらっしゃいます。 こういう場合は泣き寝入りするしかないのでしょうか?
私は、家にも学校にも居場所がないです。 私は、私の事が嫌いです 私は、自分を傷つけてしまいます 私は、学校では、いじめあっています 今とても苦しいです どうしたらいいですか?
耐え難く辛いんですが、逃れられない 悲しみや苦しみを感じています。 もう誰にもどうすることもできないことなのに 逃れたい気持ちと先のことなんて考えたくない気持ちでいっぱいです。 平和に過ごしてる人たちがただひたすら羨ましくて、どうして私だけこんな想いをしなければならないんだろうと考えてしまいます。 どうすれば救われますか。耐え抜けますか。
お世話になっております。相談に乗っていただけますと幸いです。 表題の通り、自分はカッとなって衝動的に行動してしまうことがあります。 物事が自分の思うとおりに行かないとき、自分の所有物でない物を蹴飛ばして壊してしまいました。壊した直後にハッとして、あとから自分で所有者に連絡し、弁償しました。 満員電車で明らかにわざと突き飛ばされたり足を蹴られたことに腹が立ち、やり返したり口論をしたりしてトラブルになりかけたことがありました。 自転車で後続に抜かれた際、聞こえるような大きさで舌打ちと暴言を吐かれたことが許せず、ムキになって抜き返し、意地を張って前につけ続けたことがあります。その後、自分がやったことが恐ろしくなって逃げたのですが、逃げる直前に相手から「クソガキ」「殺すぞ」とより酷い暴言を吐かれ、さらにショックを受けました。 思い返せば、子供のころから常に自分が嫌な思いをした時、やられっぱなしで自分だけが嫌な思いをしている感覚がありました。何か嫌なことをされて、親に相談しても「あんたが悪い。あんたが我慢すればそれでよかったんだ。」の一点張りで取り合ってもらえませんでした。 だからかはわかりませんが、社会人になって数年たった今、誰かのせいで自分が嫌な思いをしたと感じた時にどうしてもカッとなってしまい、やり返したいという思いを抑えきれなくなってしまうことがあります。 いつも後で後悔し、自己嫌悪に苛まれます。 「一歩間違えば自分が犯罪者だったのでは...?」 「もしムキになった結果、事故でも起こしていたら...?」 カッとなって行動したことにより、状況が好転なんてしたことなんて全くありませんでした。 生まれたのは自己嫌悪と危うく犯罪者になるところだったというリスクだけです。 たまに、自分が恐ろしくなります。 冷静に考えたら、衝動的に行動することで一番不幸になるのは自分であるなんてわかるはずのにどうしてこんなことをしてしまうのでしょうか。 どうすれば、今後カッとなって衝動的に行動しないようになれるのでしょうか。 いつか自分で自分の人生をめちゃくちゃにしてしまうのではないかと怖くなります。 自分がこれまでやられたことを思い出してつらくなることは割と前からありましたが、 最近では自分がこれまでやってしまったことも思い出し、さらにつらくなってしまいます。
主人と死別して5年経ちました。 先日、ある占いで主人はもうこの世に未練はなく、輪廻転生する準備に入り、この現世の別の人物に生まれ変わろうとしているそうです。 生まれ変わるという事はもう私たちのことを忘れてしまい、あの世から私たちを見守る存在ではなくなってしまうという事なのでしょうか? また、後に私があの世に行っても、もうその時は別の人物に生まれ変わって、あの世には居なくてあちらの世界で会うことが出来ないという事なのでしょうか? 主人が守ってくれている、いつかはあちらで会える、と日々そう思ってやっと生きています。 どうか教えて下さい。
私が思うお坊さん像は、厳しい修行をして葬式等で活躍する、お話が上手でいろんな相談に乗ってくれる頼れる方です。 最近、自分の身に起きたことや、友人から高額なお布施を請求された、あそこの坊さんは酒飲みで遊び人だからやめた方がいい等といった話をよく聞くようになり、お坊さんへの不信感を抱くようになりました。 また、先日妻の叔父が亡くなった際に枕経からお願いしたら、最近は通夜と一緒に努めることが多いからそうしてくださいと言われました。そういうものなのかと納得しましたが、あろうことに枕経を断られた日にジムに入っていくその坊さんの姿を見かけました。妻の親族は「あの人はそういう坊さんやでな~」と苦笑いしてましたが、私には信じられないことでした。 SNSで発信をしているお坊さんも多く、生活が垣間見れる方もいたりいい意味でいろんなお坊さんがいるのだなと感じています。だからこそ、自分が思っているお坊さん像と違うとお坊さんはどんな人なんだろうとより一層思うようになりました。 大変な修行をされてきた方々ばかりだとは思いますが、自分のお寺に戻ってきたら何をしてもよいのでしょうか。 戒律のお話もお聞きしたことがありますが、守らなくてもよいのでしょうか。 一体お坊さんとはなんなのでしょうか。 お坊さんが大切にされていることは何なのでしょうか。 わかりにくい文章で申し訳ございません。 ご教授お願い致します。
いつもお世話になっております。 15年間信仰していて、未だにわからないことがあります。 非常に初歩的な事です。 なぜ不動明王は怒っているのか? 仏教は怒りを悪い感情と捉える→わかる 優しいだけじゃ通じない相手に、不動明王はあえて 怒りをもって接する→? 怒りは罪深い感情であるはずなのに、なぜ明王は 怒っているのでしょうか? よく、 「我々が迷いの中にいるとき、我々が間違えた方向に 向かいそうなとき、怒りの形相の不動明王が、左手に 持った羂索で我々をからめ取り、引き戻してくれる。 引き戻してくれた後は、右手の剣で迷いを断ち切り、 背中の炎で焼き清めてくれる」 と説明されます。 迷いはなんとなくわかる。でも、悪い事って? (人を害する気持ちで何かすること?) (十善戒をやぶること?) 私たちの怒りと不動明王の怒りって、 何が違うの?積年の疑問です。
私は、死後の世界(地獄)に行く事が怖くなり、仏教に巡り合いました。 しかし、私は、昔から疑心暗鬼に なってしまう性格なので、仏教の教えにも疑いを示すことが、度々ありました。 そこからなのか、私は、神仏の皆様に、大変心無い言葉を思い浮かべたり、素晴らしい「南無阿弥陀仏」を罵倒するような事をおもったり、神社などに行くと、爆発が起こるような不謹慎極まりない、 残酷な妄想をしてしまいます。 もちろん、失礼な事をしてしまった自覚はあるので、思い浮かべたら、仏壇や、神棚に向かって懺悔をして、前を向こうとするのですが、その懺悔をした後でも、思い浮かべてしまったりして抑え込めないようになりました。 もちろん辞めたくて、自分にこれ以上したら地獄に落ちるぞと、言い聞かせているのですが、ふとした時に思い浮かべてしまいます。 毎日毎日同じような罪を犯してしまう自分は、愚かで、自分に甘すぎるといつも思います。 もうこうなってしまったので、 確実に地獄に落ちてしまうことを 考えると、日常生活どころでは、 なくなりました。 いつもこんな自分の心に落胆し、 絶望しています。 こんな私は、助かるのでしょうか? どうすれば、こんな心を制御できるのでしょうか? 大変烏滸がましいですが、こんな私に助言を頂けないでしょうか?
お世話になります。中学生の息子が誕生日プレゼントとして私の月給と同額くらいのパソコンを買って欲しいと言ってきています。ゲームで使うらしいのですが、大変戸惑っています。子供は三人いて出品も増える一方でこの話はやんわりと断りたいのですが、どうしたものでしょうか。
御坊さまたちは、一般人と会話をする際にご自身のことを何と呼ぶのでしょうか? また御坊さま同士はどう呼び合うのでしょうか? そして、同じお寺に複数の御坊さまいらっしゃる場合、先輩後輩の別があると思うのですが、先輩後輩関係ではどう呼び合っているのでしょうか? 教えていただきたくお願い致します。
お寺に嫁に来ました。 私の旦那は副住職をしております。 いろいろ問題ある住職夫婦(義両親)でとても厳しい修行されてきた方とは誰が見てもおもえません。 以前同居でしたが、いろいろ揉めて別々に住んでいます。ですので私自身お寺にも行かず暮らしていましたが、昨日今日になり義母から、お盆でいそがしいのになぜ来ない?仕事を覚える気はあるのか!という電話をいただきました。 ですから、本音で離させてもらいました。実家はお盆お彼岸でも墓参りすらしないので生まれて一度もしたことが無いこと。 車の免許も栃木に来るまでペーパードライバーで最近自分で出歩きますが、まだまだ怖いこと。 義父に言われた事が胸に刺さってる事を伝えました。 お盆お彼岸の迎え方を知らないのは呆れられ、私は二十歳で結婚してお姑さんに何を言われても負けたくないからやってきた。 など言われましたが、車の運転は未だに怖く檀家周りは一本道の舗装されてない道で本当にここに家があるのかと思うほどの山奥だったりと、カーナビ様々の私には怖いですし、土地勘もなく迷子になったり事故を起こしてもどうしたら良いかわかりません。 悪口を言われても、嫌味を言われても、言われるには言われる原因があるのだから、負けるわけにはいかないと歯を食いしばって努力すべきですか? 私は勝ち負けとか対抗心もなく、ただ平和に生きたいだけです。 旦那は努力すれば何とかなると言いますが、田舎の部落や習慣も全く違うところへやってきてしまった事。デキ婚で10回くらい合っただけで結婚してしまい。相手の家も理解できてなく、ただお寺が好き、仏像ガールが嫁に行きました。に冷静になればそんな感じでした。 今は一歳の子供とお腹に赤ちゃんが居ますが今後の生活を真剣に悩んでます。 旦那の事は愛してますが、お別れするか?それとも、義両親に何を言われても自分らしく生きていくか?何を言われても、寺嫁として生きていくか。 真剣に悩んでます。
回転寿司が大好きで毎週のように回転ずしを食べています。 左上のhasunohaのロゴがホッキ貝と緑の割れたスシ皿に見えてしまいます。 それは置いてといて、お寿司を食べているときに、こんなにお寿司が好きなのに何か月前から通っているのか忘れてしまいました。 その時の初めて食べたネタのおいしさや歯ごたえの感動も忘れてしまいました。 そして、苦しみの方はどうかと思い、(中途半端に過去の)5年6か月と3日前の苦しみを思い出そうとしましたが思い出せませんでした。 (中途半端に昔の)5年6か月と3日前に私は何かをしていて何かの感情があり何か悩みや苦しみ、もしくは楽しみがあった、でも思い出せないのです。 つまり記憶も感情も行動もまた移り行くものだから忘れてしまう。記憶や感情といえど常なるものは無し。 これも諸行無常で苦を滅する方法は、『無常に気付き、常に自分も無常であると忘れないようにする』ことであると、そこら辺は、↓にも最終的には同じ意味で書いた通りです。 https://hasunoha.jp/questions/19539 https://hasunoha.jp/questions/19556 https://hasunoha.jp/questions/19587 しかし、どんなに気を付けていても自分(や愛しいもの)も無常の中にいるという事を忘れてしまう事があり、またも過去と同じようなことで悩み苦しむ事がたまにあります。 このまま人生を歩んで行っても、全く苦が無い生活を行うことは難しいです。 こうなってくると、テーラワーダか禅宗に出家して苦を滅するための八正道を人生のすべてとして生きていくしかないような気がしてきました。 アジアの上座部仏教国だと、サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)なんて言われて出家できますが、ここは日本で日本での生活があります。それを捨ててまでの出家だと親が泣くかなと思うのですが、在家のまま苦を滅する方法はありますか? または苦を滅したいからという理由で出家された方いますか?
本願寺派の門徒です。真宗では弥陀一仏に帰依する立場から、神棚を祀ったり祈祷占い等を受けたりしない決まりごとのようです。 ですが、わたしは地元の神社のお祭りには氏子として協力しますし、正月には当然のように神社に初詣に行き1年の健康を祈願します。子供の成長を願って七五三詣にも行きました。 門徒としてはこういう態度はやはりよくないのでしょうか。
仏教には大日如来、不動明王、観世音菩薩などいろいろな仏様がいますが、仏教の始まりは仏陀が悟りを開いて、それを他の人々に教えたのが始まりですよね。 それならなぜ一神教ではなく、多神教になったのでしょう。仏陀の教えを信仰するなら仏陀一人を信仰するのが自然な流れではないのかな…と考えました。 いろいろな地域に広まるなかでその土地の神様と混ざっていつのまにか増えていったのでしょうか?
うちの菩提寺は京都の浄土宗のお寺です。 毎年、彼岸会の葉書に「施餓鬼料金 一霊5000円」と書かれたものが送られて来ます。 霊魂を否定する仏教において「一霊」とは何ですか?
悩みが多かった時、お釈迦さまは静かに座り自分の心の隅々まで不安を追い掛けて徹底的に潰していったと聞きました。 具体的には、どのようなことをしたのでしょうか。 同じようなことをしようとは思ってはいませんが、知識として気になったので、投稿しました。
浄土真宗で追善供養をしないのは何故ですか? 「追善供養は自力だから」「亡くなった人はみんな極楽に往生して供養する必要がないから」などなど色んな意見があるみたいですが、どれが本当ですか?
以前よりお世話になっています。 ニックネームを変更しました。 家族が他界してから毎日お務め、花、茶水、お供えと自分なりに供養してきました。 これまで5人のお坊様とお世話になりました。(実際にお会いした) それぞれ個人的な考えや思い、派の違いにより仕方がないことかも知れません、違うところが言動にあります。1人のお坊様は色々な勉強を幅広くされたのか、お話はとても立派なのですが、そのお言葉を自ら覆す行動をします。 細かい内容は言えませんが、色々と矛盾を感じ、お寺に伺いにくい状態になり、別のお坊様にも法事に来ていただけない状況です。 今年の法事は菩提寺の住職が他県から来ていただき、なんとか両親、先祖の供養ができました。 仏教とは、御坊さんとは、供養とは…何が本当なのか分からなくなり、段々と仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。 最近は若い方も気軽にお寺の門をくぐれルように、お寺カフェや座禅、説法、写経や癒しを求めてお寺巡り、朱印本など流行りつつあり、高野山1300年のPRもよく見かけます。お寺や神社巡りが趣味と言う若い方々もいます。 一方、無信仰だから、山や海に散骨する方、墓仕舞いして樹木葬等、普通に家代々のお墓に入る人も減っているとか。と言うことは檀家さんも減ると言うことですね。 大変失礼ですが、葬式坊主なる葬式業者数社と契約?して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました。 5人のお坊様のうち4人にとって私は檀家でなく、業者の紹介やあるお寺の催しで出会っただけで、特に大きな収入源にもならず、どうでも良いのかも知れませんし、中には若いお坊様もいますが、頭でっかちの知識先行型なのかもしれません。 これも私の受け取り方一つなのかもしれません、お坊様に対するイメージが固まっていて、そのイメージと違うから違和感なのかもしれません。 当然、お坊様も人間、修行の身であり完全完璧でないことはわかります。ただ法事で頂いたお経は本当に、亡き家族のためになっているのか、六道の話を伺いましたが、畜生界、地獄に落ちていないか、毎日、お務めすることで両親、先祖のためになっているのか疑問が沸きます。 それまでは完全に仏教を信じ、お務め、供養が仏となった家族のためと信じきっていました。 今は半信半疑、これから供養を続けていく自信が無くなりました。
昨晩、布団に入り輪廻転生について考え出したら、なんだかとても恐ろしくなって眠れませんでした。そんな夜明けにふと思ったのですが、仏教では「お盆にご先祖様が帰ってくる」と一般的に言われてますが、この考えと輪廻転生の仕組みは矛盾しませんか? 魂が分裂したり並行宇宙が存在するのか、それともこの質問は仏教におけるタブーなのでしょうか?