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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2838件

カッとなり衝動的に行動してしまう

お世話になっております。相談に乗っていただけますと幸いです。 表題の通り、自分はカッとなって衝動的に行動してしまうことがあります。 物事が自分の思うとおりに行かないとき、自分の所有物でない物を蹴飛ばして壊してしまいました。壊した直後にハッとして、あとから自分で所有者に連絡し、弁償しました。 満員電車で明らかにわざと突き飛ばされたり足を蹴られたことに腹が立ち、やり返したり口論をしたりしてトラブルになりかけたことがありました。 自転車で後続に抜かれた際、聞こえるような大きさで舌打ちと暴言を吐かれたことが許せず、ムキになって抜き返し、意地を張って前につけ続けたことがあります。その後、自分がやったことが恐ろしくなって逃げたのですが、逃げる直前に相手から「クソガキ」「殺すぞ」とより酷い暴言を吐かれ、さらにショックを受けました。 思い返せば、子供のころから常に自分が嫌な思いをした時、やられっぱなしで自分だけが嫌な思いをしている感覚がありました。何か嫌なことをされて、親に相談しても「あんたが悪い。あんたが我慢すればそれでよかったんだ。」の一点張りで取り合ってもらえませんでした。 だからかはわかりませんが、社会人になって数年たった今、誰かのせいで自分が嫌な思いをしたと感じた時にどうしてもカッとなってしまい、やり返したいという思いを抑えきれなくなってしまうことがあります。 いつも後で後悔し、自己嫌悪に苛まれます。 「一歩間違えば自分が犯罪者だったのでは...?」 「もしムキになった結果、事故でも起こしていたら...?」 カッとなって行動したことにより、状況が好転なんてしたことなんて全くありませんでした。 生まれたのは自己嫌悪と危うく犯罪者になるところだったというリスクだけです。 たまに、自分が恐ろしくなります。 冷静に考えたら、衝動的に行動することで一番不幸になるのは自分であるなんてわかるはずのにどうしてこんなことをしてしまうのでしょうか。 どうすれば、今後カッとなって衝動的に行動しないようになれるのでしょうか。 いつか自分で自分の人生をめちゃくちゃにしてしまうのではないかと怖くなります。 自分がこれまでやられたことを思い出してつらくなることは割と前からありましたが、 最近では自分がこれまでやってしまったことも思い出し、さらにつらくなってしまいます。

有り難し有り難し 11
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お坊さんってどんな人?

私が思うお坊さん像は、厳しい修行をして葬式等で活躍する、お話が上手でいろんな相談に乗ってくれる頼れる方です。 最近、自分の身に起きたことや、友人から高額なお布施を請求された、あそこの坊さんは酒飲みで遊び人だからやめた方がいい等といった話をよく聞くようになり、お坊さんへの不信感を抱くようになりました。 また、先日妻の叔父が亡くなった際に枕経からお願いしたら、最近は通夜と一緒に努めることが多いからそうしてくださいと言われました。そういうものなのかと納得しましたが、あろうことに枕経を断られた日にジムに入っていくその坊さんの姿を見かけました。妻の親族は「あの人はそういう坊さんやでな~」と苦笑いしてましたが、私には信じられないことでした。 SNSで発信をしているお坊さんも多く、生活が垣間見れる方もいたりいい意味でいろんなお坊さんがいるのだなと感じています。だからこそ、自分が思っているお坊さん像と違うとお坊さんはどんな人なんだろうとより一層思うようになりました。 大変な修行をされてきた方々ばかりだとは思いますが、自分のお寺に戻ってきたら何をしてもよいのでしょうか。 戒律のお話もお聞きしたことがありますが、守らなくてもよいのでしょうか。 一体お坊さんとはなんなのでしょうか。 お坊さんが大切にされていることは何なのでしょうか。 わかりにくい文章で申し訳ございません。 ご教授お願い致します。

有り難し有り難し 13
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不謹慎な事を思ってしまう

私は、死後の世界(地獄)に行く事が怖くなり、仏教に巡り合いました。 しかし、私は、昔から疑心暗鬼に なってしまう性格なので、仏教の教えにも疑いを示すことが、度々ありました。 そこからなのか、私は、神仏の皆様に、大変心無い言葉を思い浮かべたり、素晴らしい「南無阿弥陀仏」を罵倒するような事をおもったり、神社などに行くと、爆発が起こるような不謹慎極まりない、 残酷な妄想をしてしまいます。 もちろん、失礼な事をしてしまった自覚はあるので、思い浮かべたら、仏壇や、神棚に向かって懺悔をして、前を向こうとするのですが、その懺悔をした後でも、思い浮かべてしまったりして抑え込めないようになりました。 もちろん辞めたくて、自分にこれ以上したら地獄に落ちるぞと、言い聞かせているのですが、ふとした時に思い浮かべてしまいます。 毎日毎日同じような罪を犯してしまう自分は、愚かで、自分に甘すぎるといつも思います。 もうこうなってしまったので、 確実に地獄に落ちてしまうことを 考えると、日常生活どころでは、 なくなりました。 いつもこんな自分の心に落胆し、 絶望しています。 こんな私は、助かるのでしょうか? どうすれば、こんな心を制御できるのでしょうか? 大変烏滸がましいですが、こんな私に助言を頂けないでしょうか?

有り難し有り難し 29
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寺嫁ですが

お寺に嫁に来ました。 私の旦那は副住職をしております。 いろいろ問題ある住職夫婦(義両親)でとても厳しい修行されてきた方とは誰が見てもおもえません。 以前同居でしたが、いろいろ揉めて別々に住んでいます。ですので私自身お寺にも行かず暮らしていましたが、昨日今日になり義母から、お盆でいそがしいのになぜ来ない?仕事を覚える気はあるのか!という電話をいただきました。 ですから、本音で離させてもらいました。実家はお盆お彼岸でも墓参りすらしないので生まれて一度もしたことが無いこと。 車の免許も栃木に来るまでペーパードライバーで最近自分で出歩きますが、まだまだ怖いこと。 義父に言われた事が胸に刺さってる事を伝えました。 お盆お彼岸の迎え方を知らないのは呆れられ、私は二十歳で結婚してお姑さんに何を言われても負けたくないからやってきた。 など言われましたが、車の運転は未だに怖く檀家周りは一本道の舗装されてない道で本当にここに家があるのかと思うほどの山奥だったりと、カーナビ様々の私には怖いですし、土地勘もなく迷子になったり事故を起こしてもどうしたら良いかわかりません。 悪口を言われても、嫌味を言われても、言われるには言われる原因があるのだから、負けるわけにはいかないと歯を食いしばって努力すべきですか? 私は勝ち負けとか対抗心もなく、ただ平和に生きたいだけです。 旦那は努力すれば何とかなると言いますが、田舎の部落や習慣も全く違うところへやってきてしまった事。デキ婚で10回くらい合っただけで結婚してしまい。相手の家も理解できてなく、ただお寺が好き、仏像ガールが嫁に行きました。に冷静になればそんな感じでした。 今は一歳の子供とお腹に赤ちゃんが居ますが今後の生活を真剣に悩んでます。 旦那の事は愛してますが、お別れするか?それとも、義両親に何を言われても自分らしく生きていくか?何を言われても、寺嫁として生きていくか。 真剣に悩んでます。

有り難し有り難し 98
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無常に気付き忘れないためには出家しかないのでしょうか

回転寿司が大好きで毎週のように回転ずしを食べています。 左上のhasunohaのロゴがホッキ貝と緑の割れたスシ皿に見えてしまいます。 それは置いてといて、お寿司を食べているときに、こんなにお寿司が好きなのに何か月前から通っているのか忘れてしまいました。 その時の初めて食べたネタのおいしさや歯ごたえの感動も忘れてしまいました。 そして、苦しみの方はどうかと思い、(中途半端に過去の)5年6か月と3日前の苦しみを思い出そうとしましたが思い出せませんでした。 (中途半端に昔の)5年6か月と3日前に私は何かをしていて何かの感情があり何か悩みや苦しみ、もしくは楽しみがあった、でも思い出せないのです。 つまり記憶も感情も行動もまた移り行くものだから忘れてしまう。記憶や感情といえど常なるものは無し。 これも諸行無常で苦を滅する方法は、『無常に気付き、常に自分も無常であると忘れないようにする』ことであると、そこら辺は、↓にも最終的には同じ意味で書いた通りです。 https://hasunoha.jp/questions/19539 https://hasunoha.jp/questions/19556 https://hasunoha.jp/questions/19587 しかし、どんなに気を付けていても自分(や愛しいもの)も無常の中にいるという事を忘れてしまう事があり、またも過去と同じようなことで悩み苦しむ事がたまにあります。 このまま人生を歩んで行っても、全く苦が無い生活を行うことは難しいです。 こうなってくると、テーラワーダか禅宗に出家して苦を滅するための八正道を人生のすべてとして生きていくしかないような気がしてきました。 アジアの上座部仏教国だと、サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)サードゥ(善き哉)なんて言われて出家できますが、ここは日本で日本での生活があります。それを捨ててまでの出家だと親が泣くかなと思うのですが、在家のまま苦を滅する方法はありますか? または苦を滅したいからという理由で出家された方いますか?

有り難し有り難し 44
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お坊様について

以前よりお世話になっています。 ニックネームを変更しました。 家族が他界してから毎日お務め、花、茶水、お供えと自分なりに供養してきました。 これまで5人のお坊様とお世話になりました。(実際にお会いした) それぞれ個人的な考えや思い、派の違いにより仕方がないことかも知れません、違うところが言動にあります。1人のお坊様は色々な勉強を幅広くされたのか、お話はとても立派なのですが、そのお言葉を自ら覆す行動をします。 細かい内容は言えませんが、色々と矛盾を感じ、お寺に伺いにくい状態になり、別のお坊様にも法事に来ていただけない状況です。 今年の法事は菩提寺の住職が他県から来ていただき、なんとか両親、先祖の供養ができました。 仏教とは、御坊さんとは、供養とは…何が本当なのか分からなくなり、段々と仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。 最近は若い方も気軽にお寺の門をくぐれルように、お寺カフェや座禅、説法、写経や癒しを求めてお寺巡り、朱印本など流行りつつあり、高野山1300年のPRもよく見かけます。お寺や神社巡りが趣味と言う若い方々もいます。 一方、無信仰だから、山や海に散骨する方、墓仕舞いして樹木葬等、普通に家代々のお墓に入る人も減っているとか。と言うことは檀家さんも減ると言うことですね。 大変失礼ですが、葬式坊主なる葬式業者数社と契約?して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました。 5人のお坊様のうち4人にとって私は檀家でなく、業者の紹介やあるお寺の催しで出会っただけで、特に大きな収入源にもならず、どうでも良いのかも知れませんし、中には若いお坊様もいますが、頭でっかちの知識先行型なのかもしれません。 これも私の受け取り方一つなのかもしれません、お坊様に対するイメージが固まっていて、そのイメージと違うから違和感なのかもしれません。 当然、お坊様も人間、修行の身であり完全完璧でないことはわかります。ただ法事で頂いたお経は本当に、亡き家族のためになっているのか、六道の話を伺いましたが、畜生界、地獄に落ちていないか、毎日、お務めすることで両親、先祖のためになっているのか疑問が沸きます。 それまでは完全に仏教を信じ、お務め、供養が仏となった家族のためと信じきっていました。 今は半信半疑、これから供養を続けていく自信が無くなりました。

有り難し有り難し 59
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